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5.エンフィールド家の惨劇 PART Ⅰ

 エンフィールド家はマルシャン王国西端に位置する中規模の領地を治める侯爵家である。

 大陸西部を支配する王国のさらに西端という一見中央の(まつりごと)とは縁遠い地方貴族だが、実際は王家との繋がりが深い有力貴族だ。

 その歴史は古く、まだマルシャン王国が現在のエドキンズ王家によって統一される以前、エドキンズ家が一貴族に過ぎなかった頃の重臣としての役割を果たしていた騎士一族が今のエンフィールド家の祖となる。

 エドキンズ家の国家統一に際し、エンフィールド家は当時非常に不安定だった大陸西端、現在拠点を置いているベルウッドの土地においてその巧みな手腕を発揮し平定、そのままマルシャン王国が成立した後も西側の諸侯に睨みを効かせるためにあえて首都周辺には居を移さずにそのまま西部を治めるに至った。

 こうした歴史を始まりとしたエンフィールド侯爵家の力は未だ強く、彼らがベルウッドに築いた都市は下手な首都周辺の領地よりも富んでいる。ここにおいては現当主であるコルト・エンフィールド侯爵の領地経営の才が優れているのもあってより豊かな時代を迎えている。

 リン・エンフィールドはそんな侯爵家の長女であった。

 齢は十九歳。上に二人の兄がおり家族の中では一番の年下であった。

 サヤはリクリーとの婚約の正当性を確保するためにこのエンフィールド家に養子として入れられた。

 リンとサヤの関係は良好で、リンはサヤを妹のように愛し、サヤもリンを姉のように敬った。

 両者の関係に、亀裂の存在はなかった。


「……ですが、だからといって天秤を傾ける程の重さではありませんでした」


 日も沈み空が宵闇に変わる中、リンは窓の外の空を立ったまま眺めながらそう呟いた。

 部屋全体を優しく照らす魔法の灯りの下で窓に映る彼女の整った顔立ちは水色の瞳と共に憂いを帯び、胸元まで伸びる金髪はうつむく彼女の頭に合わせかすかに揺れる。


「またサヤ様の事を思い出しておられるのですか? お嬢様」


 そんな彼女に後ろから静かに話しかけるのは、メイドのシグレであった。

 リンはそんな彼女の声に振り向き、少し困ったような笑顔を向ける。


「ええ。街の中を晒し者にされ連れられる彼女がわたくしに向けた視線はなかなか忘れがたいものがありましたから。彼女にとってわたくしは最後の希望だったのでしょう。ですが、わたくしはそんな彼女に手を伸ばす事を拒み、目を逸らしました」


 静かに目を閉じるリン。

 まぶたの裏に浮かぶのは、以前の美しさが見る影もなくなった哀れな姿で言葉にならない救いを求めるサヤの顔。

 あれほどに絶望に満ちた表情というのは、なかなかお目にかかれるものではないだろう。


「お嬢様……ゴホッ」


 シグレがまた心配そうな顔と声をリンに向けた。それに伴い軽く咳き込んでいたが、互いに気にする様子はなかった。


「大丈夫ですよシグレ、わたくしは別に罪悪感で参っているわけではないのです。とても強烈な光景でしたからつい思い出してしまう事が多いだけで。わたくしが助け舟を出してしまえば例え古くからの盟友たるエンフィールド家であれどお取り潰しの危機に晒されますし。……それが冤罪ならば、尚更」


 少し言葉を溜め、声量を少し下げて言うリンにシグレはわずかに目を見開いた。


「ゴホッ……では、やはりサヤ様は……ゴホッ」

「ええ。彼女に着せられた罪状がすべて濡れ衣な事は彼女と付き合いがあれば簡単に分かる事です。しかしそうした濡れ衣を他の誰でもないリクリー殿下達が着せたということは、つまりそういう事なのですし、その理由はわたくしにも理解ができます」


 リンはその細い指でそっと窓枠を撫でる。

 どちらかと言えば可愛らしい顔はわずかにシグレから目を逸らし、横顔からも分かる程に眉間に皺が寄る。


「サヤの力は救いの力であると共に脅威ともなりえました。リクリー殿下はそれゆえに王家に取り込もうとしたのでしょうが、それを持ってしても手に余ると判断されたのでしょう。そんなリスクを抱える彼女のために家族を、そしてあなたを犠牲にするなど、わたくしにはできません」


 リンにとっても、サヤは家族に近しい存在ではあった。

 だが、あくまで“近しい”だけであって“同然”とまではいかなかった。

 サヤ一人が犠牲になってすべてが丸く収まるのならばと、その決断をするのにリンが迷うような事は一切なかったのである。


「お嬢様……ゴホッ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、私も嬉しいです! ……ゴホゴホッ!」

「いいえ、物心ついた頃から一緒にいてくれたあなたですもの。お兄様達と同じくらいに大事に思うのは当然ですよ。……ところで大丈夫ですか? 夏だというのに、風邪でも引きました?」


 そこまで話して、さすがにシグレの調子が悪そうな事がリンは気になってきた。

 最初は偶然咳き込んだだけかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

 リンは心配そうにシグレの顔を見る。

 だがシグレは口元に手を当てながらもリンに笑顔を見せた。


「ええ、どうやらそのようですね……ゴホッ! お恥ずかしい、体調管理はしっかりしていたつもりなのですが……ゴホゴホ! こんな夏場にここまで咳き込む程になるとはまだまだ私も未熟で……ゴホッ! ゲホッ! ゲホッ!」

「ちょっと、無理はしないでくださいね……? 人間なら急に体調を崩すときなんてあるでしょうし、今は休んでは……?」


 シグレの咳き込み方がいよいよ激しくなってきたので、リンの心配はより大きく表情と態度に現れる。

 眉をハの字にして、手を前に出してわなわなと可愛らしく揺らすまでであった。

 リンのそんな姿を見て、シグレはとても申し訳ない気持ちになり頭を下げる。


「も、申し訳……ゲホッ! ありません……ではお言葉に甘えて、少し自室で休ませてもらいます、ゲホゲホッ!」


 なんとかリンには咳を向けてしまわないようにと手を抑え、顔を床に向けたまま言ったシグレはそのまますぐさまリンに背中を向けて彼女の部屋から出ていった。

 リンは彼女が出ていった後も不安そうな表情のままだったが「まったく……でもシグレなら大丈夫ですよね」と苦い笑みになり、そのまま近くの椅子に腰掛けて机に置いていた読みかけの小説を開いた。


「……もしかしたら、心労からかもしれませんね。彼女もサヤとはとりわけ仲が良かった一人ですし」


 本のページに並ぶ活字を眺めながらも、彼女の瞳には違う光景が映っていた。

 かつてサヤと過ごした日々の姿だ。

 第一王子であるリクリーの手によって急に増えた義理の妹。しかも巷で有名な聖女である。最初は驚いたが、彼女の人の良さにリンもシグレもすぐに惹かれ、本当の家族のようになった。

 だが先程シグレにも言ったように、所詮他人は他人である。

 危険を犯して助け出す程ではなかった。


「……例え、彼女を助け出せる場所とそのタイミングを、知っていたとしても」


 領主の娘であるリンは彼女が住まうベルウッドの街を愛し、そして事細かに街の作りを理解していた。

 その中で、侯爵家が事前に知らされていた“晒し台”のルートとサヤを民衆に晒すのを兼ねた休憩場所と時間を鑑みれば、できないことはなかったのである。

 だがそれは当然非常にリスクが大きく、かつ成功の確率も低かった。なにより、バレなかったとしてもサヤが逃げ出した事で侯爵家が被る迷惑や実害は間違いなくあっただろう。

 それら諸々を考えた際、やはりサヤは天秤を動かすには足りない重りであったのだ。


「まったく……結果的に正しい判断だったというのに“もしも”を考えてしまうなんて……」


 リンは軽く瞼を閉じながら苦笑し、軽く息を吐くと再び小説に目をやった。そのようにして今度はちゃんと読み始めページをめくった、そんな瞬間だった。

 ――ガラガラガッシャン! という派手な音が「きゃあっ!?」という悲鳴と一緒に部屋の外から聞こえてきたのだ。


「な、何っ!?」


 突然の音にリンは驚き、状況を確認するために部屋を飛び出して廊下に出る。

 すると、そこには青ざめた顔で口元を抑えているメイドと廊下に倒れた銀製ワゴン、その側に散らばる割れた食器とぐちゃぐちゃになった白いクロス、そして、廊下に横向きに倒れてビクンビクンと体を震わせるシグレの姿があったのだ。


「シ、シグレっ!? そんな……!? 誰か! 誰かっ!!」


 明らかな緊急事態にリンは半分パニックになりながら叫ぶ。

 そんなリンのその姿に我に返ったのか、さっきまで倒れているワゴンを運んでいたのであろう目の前のメイドが正気に戻りすぐさまその場を駆け出した。上司である家令を呼びに行ったのであろう。

 対して、倒れているシグレはビクン! ビクン! と小刻みに体を震わせていた。

 明らかに、尋常ではない様態であった。


「シグレ! しっかりして! シグレ!」


 リンは思わずそんなシグレに駆け寄り膝をついて彼女の体を強く掴んでいた。リンにとってシグレは幼い頃から面倒を見てくれたかけがえのない侍女であり、誰よりも失いたくない人の一人であった。

 そんなシグレが、今はまぶたに瞳孔の上半分を隠す程に白目を向いて不規則に体を震わせている。

 まるでこの世の終わりのような気持ちに、リンはなっていた。


「シグレ! しっかりしてください! シグ――」

「――やぁまのぉうぅみいいぃいぃ……」


 途端に、リンは言葉を失ってしまった。

 シグレの口から、聞いたこともない、まるで押しつぶされたカエルのような声色で、意味のわからない言葉が漏れ出てきたから。


「……え? シグ、レ……?」


 体が凍りついたような、そんな感覚に襲われる。

 

 ――今のは、本当にシグレの声なの? なんだか、全然別の生き物のモノだったような……。


「アアアァアアァァアァアアァーーーーーー……」


 困惑しているリンの側で、再びシグレの喉から“音”がした。

 リンがそれを声ではなく“音”だと思ったのは、とても人が出す声とは思えないモノだったからだ。

 そう、まるで壊れた金属の風車(かざぐるま)が回っているような不愉快な音色で――


「――シグレ! 大丈夫か!? お嬢様こちらへ!」


 と、そんなときいつの間にか駆けてきた老齢の家令の叫び声がした。

 直後、リンは力強くシグレと離される。一方でシグレは他にもやって来た複数人の使用人が寄ってきて、状況を確認した後すぐさま持ち上げられ運ばれていった。

 きっと一度ちゃんとしたベッドがある部屋に運び、そこで医者を待つのだろうとリンはやっと我を取り戻して思った。


「お嬢様、お怪我などはありませんか?」

「え、ええ……」


 家令に生返事で頷くリン。

 彼女の耳には今でもあのシグレの喉から出てきた“音”が響いていた。

 そしてそれ以上に、連れ去るシグレが一瞬こちらにグルンと眼球を向けてきたのが見えたのが、頭から離れなかった。


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