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43.Victim 5th:国家断罪 PART Ⅱ

 うららかな陽気が窓から差し込み、遠くから運動に励む声が聞こえてくる程に心地よい静けさで、少し埃っぽいがそれがむしろ清涼感を感じさせる、そんな『あの日々』の教室。

 横長の机が高くなる段差ごとに並ぶその教室の奥の角の席に、リクリーとサヤは隣り合って座っていた。

 それがいつもの彼らの定位置だったから。


「最近はリクリーも忙しかったし私も会いに行けなかったから、こうして二人っきりになるのは久々だね」

「あ、ああ……」


 柔らかいへにゃっとした笑みをサヤは見せてくる。

 服装こそ学園の制服ではなく白いドレスだが、その他は何もかも『あの日々』のままだった。

 まだお互い、共に国の未来を創っていくのだと信じた、彼自らが壊した平穏の日々。


「リクリーがいないと、やっぱりちょっと寂しかったよ。一緒にいるときは結構意地悪を言ってくるから疲れる事もあるんだけれどね……ふふ」

「……なんだ? ちょっとでしか、ないのか? それは……残念だな」

 

 もういないはずなのに。

 自らが冤罪で断罪し、殺めたはずなのに。

 なのに、それらすべてがまるで悪い夢のように思えて、心が二人で共に過ごした日々に戻ったような気がして、リクリーは少々ぎこちなさは残しつつも、あのときのように少し意地悪な言い方をした。


「はっ、はうああ……そ、それはその、えっと……もう、本当に意地悪なんだから……」


 彼の言葉に、サヤは困ったように俯いて顔を赤くして言った。

 ああ、やっぱりサヤはサヤらしい、と彼は思った。

 こういった事を言うと、いつも妙に甘ったるい変な声を出しながら困る彼女の姿は言ってしまえばあざとく、そしてそれを天然でやっているからこそ愛おしくなる。

 そんなよく知るサヤの姿がそこにはあった。


「……出会った頃は、まさかこんな意地悪な王子様だったなんて思ってなかったな。すっかり騙されちゃったよ」

「ああ……でも、俺から見てもお前は思ってたような女じゃなかった。思ってたよりもずっと純粋で、単純で、そして……眩しかった」


 彼がサヤに求婚したきっかけは完全な打算だった。

 聖女と持て囃される女を利用してやろうという、腹黒い考えからのものだった。

 でも、そんな彼の本性を知ってもなおサヤはリクリーに怒る事も落胆する事もなかった。

 むしろ彼女はこう言ったのだ。


 ――びっくりしたけれど、でもそれだけリクリーはこの国の事を思っているんだね。


 と。

 底抜けの馬鹿で、お人好しだと思った。

 でもだからこそ彼女は聖女として称えられ、無償で自らを省みずに人々に奉仕できるのだと。

 リクリーは彼女のそんなところに真の気高さというものを見た。

 今まで他者とは打算を前提にした関わりしかしてこなかった彼にとって、初めてそういったものを抜きにした相手が現れたのだ。

 彼は、そんな彼女にいつしか本当に惚れ込んだのだ。


「は、はううう……そんな、褒めすぎだよぉ……私、そんな凄い人じゃないって……」

「いいや、お前は凄いさ。誰だろうと困ったらそいつのために一生懸命になれて、心の垣根なんてすぐに飛び越えていって、いつの間にか仲良くなって……まったく、本当にお前は凄いさ……恥ずかしながら、妬いてしまうほどに……な……」


 そう、リクリーは、彼女に心から焦がれると共に、嫉妬もしていたのだ。

 自分と違って計算抜きで人々の心を惹き寄せ中心となれる、魅力に満ちた彼女に。

 ただひたすらにその優しさと愛で人々を救う事を厭わない、真に高貴たる彼女に。

 類稀なる力を持ちながらも一切それを鼻にかける事も驕る事もなく滅私奉公という言葉が相応しいほどに自らの欲にその力を使う事がなかった、清らかな彼女に。

 あまりにも天性の神聖さに溢れるからこそ、リクリーの心にできる影を濃くさせるほどの、彼女に。


「そうなんだ……リクリーも、そういう事、思うんだね」


 サヤはリクリーの「妬いてしまう」という言葉を受けて困ったように笑った。


「ふふっ……」


 静かに、短く笑う彼女。


「…………………………」


 突如、それが止まり彼女の顔から表情が消えた。

 リクリーはそれを受けて、途端に息が詰まる。

 そして、そのまま彼女は言った。


「だから私を、殺したんだね」


 先程までからは想像できない、絶対零度の瞳で。


「…………あ……」


 夢ではなかったのだ。

 彼女は、間違いなく死んでいるのだ。リクリーが殺したのだ。

 分かっていたはずなのに、彼は縋るように見ていた甘い夢想から抜け出し、現実に再び向き合わされた。


「覚えてる、リクリー? リクリーとサムさんが喧嘩して剣術勝負するからって言い出して、みんなを困らせた事。途中は本当に心配したけど、最後には丸く収まったから良かったよね」


 表情もなく、光が消えた瞳のまま淡々と言い始めるサヤ。

 それをリクリーは椅子に縛り付けられたかのように黙って聞いている事しかできない。


「カー君がお金儲けしようとして、それで大きなトラブルを持ってきた事もあったよね。事情を知ったら私は同情して許しちゃったけれど、みんなはしっかり怒っててさ、大変だったけど……いい思い出だったよね」


 机の上に置かれていたサヤの綺麗な手が、いつしか変質していた。

 ボロボロで、傷だらけで血だらけで、爪は剥げた見るも無惨な手に。


「イゴール君が学園に出る幽霊を見つけようと言ったときはまさか先生の一人が泥棒をしてたなんて思っても見なかったよ。結果的にお手柄って話にはなったけど、ガッカリしてたイゴール君をみんなで慰めてさ、懐かしいよね」


 外から射し込む明るい陽光はいつしか目に毒なほどに赤い黄昏の赤光へと変貌する。穏やかな静けさの中遠くから聞こえてきた青春の声は、悲鳴と絶叫へと変わる。

 教室の風景は、形はそのままにまるで皮が剥がれるかのようにその表面部分が剥がれ、空中に舞って燃えカスとなり、剥がれ残ったのは赤錆だらけの冷たい鉄の世界だった。


「アリアに急に婚約の話が来たときにはさ、みんなはそれが貴族の務めだからって言ってたけど私はどうしても納得できなくて彼女に問い詰めてさ、そしたらアリアは結局断って……後から私悪いことしたかもって思ったけど、彼女は笑ってむしろ良かったって言ってくれて……それが心からの笑顔で、嬉しかったな」


 白かったドレスが、じわりと黒く汚れていく。

 汚れはどんどんと広がり、いつしか純黒のドレスへと染め上げる。


「……年が移り変わる、あの夜……私はあなたと、こっそりと学校の屋上に忍び込んで……互い、ずっと一緒にいようねって約束して……私達、キスをしたよね。あれは……本当に、胸が幸せでいっぱいになれたんだよ」


 髪から、色が消えていた。虚無を感じる程に真っ白になっていた。

 そこまで変貌しても、なお彼女の顔は――いや、むしろそうなって更に目眩がする程に美しく、そして唯一、深紫の瞳は変わらずリクリーを見ていた。

 深く深く、濃い輝きと闇を共に携えて、見抜いてきていた。


「でも、全部意味がなかった」


 とても重く、冷たく、そして絶望に満ちた言葉だった。

 そのたった一言で、リクリーの心臓は握り潰されるような感覚になった。


「サムさんは私がリクリーの隣にいるのが嫌だった。カー君は私の馬鹿正直なところが苦手だった。イゴール君は私が人と仲良くしようとして頑張る事にムカついていた。アリアは自分が持ってないものを私が持っているって僻んでた。そしてリクリーは……そんな私の全部に、嫉妬していた」


 黒いドレスに白い髪と肌、そして深紫の瞳をした“呪い”。

 それが今、リクリーを睨みながらゆっくりと立ち上がった。


「……っ!? だっ……だから、みんな、殺したのか……!? ……ああそうだよな、そんな弱い心から、それを国のためという言葉に惑わされて、俺達はお前が断罪されるのに乗っかったんだ……それは、そうだろうな……ああ、当然の報いだ……だっ、だが、この国の罪のない民まで巻き込む、そんな必要は……!」

「……くすくす」


 サヤが、嗤った。

 心底人を馬鹿にしたような、とてもサヤとは思えない……しかし、今の彼女の美貌が最も栄える、そんな微笑だった。


「そうね……そういう勘違い(・・・)、しちゃうわよね」

「……か、勘違い?」


 何の事かと、リクリーは聞き返す。

 すると、サヤはそのままの態度で軽く言い放った。


「別に死んだわけじゃないわよ、あの四人は」


 微笑みながら言う彼女の言葉は、それだけ聞けば希望的な言葉に思えただろう。

 だが、今の彼女が浮かべる妖しげな微笑み方は、とてもそんな気持ちを抱く事はできないものだった。

 その証拠に、彼女がそのまま続けた言葉にリクリーはまたも驚く。


「でも、生きてるとも言えないわね」

「ど……どういう、事だ……?」


 死んでもいないが、生きてもいない。

 リクリーはその言葉の意味を理解する事ができなかった。皆、一体どうなってしまっているのか。

 正直に言えば想像をするもの恐ろしい、というのがリクリーの本音だった。


「うん、見てもらった方が早いかしら」


 リクリーがやっとの事でひねり出した言葉にサヤはニコリとまた笑って言った。

 かと思うと、ピンと立てた指をくるりと回した。

 すると、突如としてそれまで彼が座っていた足元にぽっかりと大きな穴が空いた。


「おわあああああああああああああああっ!?」


 真っ暗な闇の底へと堕ちていくリクリー。

 とても助からない高さに感じた落下であった。

 だが、彼はその底に落ちても痛みは感じながらも特に問題なく生きていた。

 体に打ち付けたのは、冷たい岩の痛みだったのにも関わらず、である。


「う、ぐ……!」


 体に走る痛みに苦悶の声を上げながらもリクリーは立ち上がる。


「こっ、ここ……は……」


 そこは、洞窟の中だった。だが完全な洞窟ではなく、天井は完全に開けて鮮血の如き夕暮れ空が見えた。先程まで鉄錆の教室にいたはずなのに、そこはどことも知れぬ場所になっていた。


「うっ、おえええええええええっ……!」


 背後から激しく嘔吐する声が聞こえる。

 驚き振り返ると、その光景にリクリーは恐怖と驚愕で目と口を大きく開いて整った顔を台無しにしてしまう。


「あっ、あああ……!? サ、サムっ……!」


 そこには、サムがいた。

 緑色の肉塊によって壁に貼り付けられていて、その肉塊と体のいろんな部分が一体となっていた。

 そして彼は今まさに、その口から巨大なオタマジャクシのような化物を何匹も吐き出しているところだった。


「サムっ!どうして、どうして……!?」

「……助けて……助けて……助けて……助けて……助けて……助けて……助けて……助けて……」


 目の前にいるリクリーを認識できていないのか、それとも認識できていながらももはやそれしか呟けないのか。

 ともかく、サムはブツブツと助けを求めるのみだった。

 

 ――ぐるんと、天地が逆転した。


「うっ、わあああああああああああああああああああああっ!?!?」


 そうして、リクリーだけが真っ赤な空に堕ちていった。

 再び、痛みはあれどもそれだけで特に怪我無く地面に叩きつけられるリクリー。

 今度は冷たい銅の床だった。

 先程と同じく、閉鎖空間であるに関わらず空は高く広い真っ赤な夕暮れ空。違うのは、細い細い廊下の端に彼はいて、立ち上がった彼の目先の壁の足元にはよく見ると僅かに床と平行に伸びる隙間がある事ぐらいだった。


「……出してくれぇ……怖い……狭い……苦しい……出してぇ、出してぇ…………殺して、くれえぇ……!」


 情けない声が、その足元の隙間から聞こえてくる。

 あまりに怯え苦しむ弱々しい声だった故にすぐに気付けなかったが、よく聞くとその声の主をリクリーは知っていた。


「な……カゲ……トラ……?」


 あのいつも余裕に溢れ、憎たらしい振る舞いが目立っていたカゲトラが、そこにいるのだ。

 誰にも弱みを見せる事のなかった彼が、藁にも縋るような声で死を懇願していたのだ。


 ――次にリクリーは、その背を引っ張られるかのように廊下の奥に吹き飛ばされた。


「ぐがっ……!?」


 堕ちていくのともまた違う強烈な引力。それにより彼が今度飛ばされたのは、粘ついた黒い水が広がる、湖とも言えない水面の上だった。

 今度はごろごろと転がって言って、そしてそのまま片膝をついて立ち上がるリクリー。

 そこで彼が見たのは、とても現実とは思えない光景だった。


「ひっ……!?」


 真っ赤な空、黒い水面の上に無数の影が歩いている。

 よく見ると自分の背中の方からの流れがある黒い粘液のその流れの先に向かって、とても緩慢に、だらりと上半身を垂らしながら歩いている。

 みな、リクリーを気にも留めずに歩いていく。まるで雑踏の中に投げ入れられたかのような感覚。

 だが、その中で彼を横切った影の顔が見えたとき、リクリーはまたも驚いた。


「イっ、イゴール……!」


 その影の中に、あのイゴールがいたのだ。

 イゴールは明確にリクリーを認識できていなかった。ただ、他の影と同じように一歩一歩が地を這う虫が如き遅さで足を進めている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 彼はひたすらに謝罪を続けていた。

 はっきりと見えたわけではないが、その顔は涙でボロボロになってもなお枯れぬ涙を流していると、リクリーには分かった。


 ――黒い粘液の水面が、突如鏡面となり体が反転した。


 そうとしか言えなかった。

 鏡のようになった黒い水面に映る先の自分に、視点が切り替わった。

 とても人には伝わらないだろうが、ともかくリクリーはそう感じたのだ。

 彼が立っているのは燃え盛り崩壊している町並みだ。赤空の下に広がるその町は首都よりもずっと慎ましやかで、知っているようで知らない、まるで田舎の町というぼんやりとした概念のツギハギでできたような作り物の町に思えた。

 そして、そこには珍しく人がいた。今もまさに逃げ惑い、恐怖している姿の人がいた。


「ぐひひひひひひっ!!!! ぐひひひひひひっ!! 滅菌だぁ! 滅菌だあああっ! ぐひひひひひひっ!!!!」


 そんな民衆を追い立てる殺人鬼の姿があった。片手に血と肉がこびりついたハルバードをめちゃくちゃに振り回し、もう片方の手にある魔法銃をやたらめったらに乱射する血に塗れた白衣で片目の部分から頬にかけて割れているガスマスクをつけた殺人鬼が。

 割れたガスマスクから見える火傷で爛れた顔、そして発狂しているとしか思えない笑い声、そしてその一目で分かる整った体型、それらがすべてリクリーの知っている人物に紐づいてしまった。


「あ……ああ……そんな……アリア……お前まで……」

「ぐひひひっ! ひひひ……ああ、私は……あと……あとどれだけ殺せばいいんだあああああああああああああああッッ!! いやあああああああああああああああっ……!?!? …………ぐっ……ぐひ……ぐひ、ひ……」


 狂気の笑い声の中から漏れ出てくる、耐え難い苦悶に苛まれる正気の絶叫。

 かつての才女は、殺したくないのに無限に殺し続ける哀れな殺人鬼に成り果てていた。


「ね? みんな死んでないけど、生きてもないでしょ?」


 突然の背後からの声。

 振り向くと背後にはサヤがいて、またも場所が変わっていた。

 あのとき、サヤと口づけを交わした学園の屋上だった。ただ、そこは現実の学園の屋上だった。死が支配し、この世の地獄と変わり果てた、黄昏の街だった。


「サヤ……そんな……そんな……」


 あのサヤが、ここまでの酷い行いをして笑っている。

 とっても楽しそうに、嬉しそうに、にこやかに。

 そして、これまで見てきたもの、そして彼女の見つめてくる目が、次は自分だと教えてくれているようだった。


「お願いだ……サヤ……悪かった……嫌だ……あんなふうになりたくない……助けて……やだぁ……」


 恥も外聞も誇りもなく、リクリーは泣きじゃくりながらサヤに両手を床につけて頭を下げた。

 あんな苦しみをこれからずっと味わいたくなど、なかった。


「……リクリー」


 サヤはそんな彼に静かに静かにしゃがみ込んで、そっと肩に手を置いた。

 とても優しく柔らかく、心に落ち着きを齎してくれる手と声だった。


「ああ……サヤ」


 かつてのサヤを思い出させる、そんな優しさを感じてリクリーは僅かな希望を抱いてぐしゃぐしゃになった顔を上げる。

 そして、彼女と目を合わせた。

 とても愉しげに嗤っている、ぞっとするほどに美しいサヤと。


「じゃあね、バイバイ」


 別れの言葉と共に、彼の足元に血の池が広がった。

 そこから無数の八本指の手が生えてきて、彼はそれに捕まった。


「あっ、ああああああああああああああああああああっ!?!? 嫌だっ!? 嫌だあああああああああああああああああああっ!?!? 俺は、俺はあああああああああああああっ!?!?」


 これからどうなるかまったく想像もつかない。

 だけれども、死んだほうがずっとマシだという程の苦しみをこれからずっと味合わされて、それは決して終わる事がないという事だけは、明確に分かった。


「サヤっ! サヤぁっ!? サヤあああああああああああああああああああああああああっ……!」


 血の池に、リクリーは引きずり込まれていく。

 彼が絶叫しながら最後に見たのは、微笑むサヤと、いつしか黄昏から移り変わった空の色だった。

 空は、日が沈み夜へと変わる直前の色になっていた。

 サヤの目の色と同じ、深紫色の色彩の空だった。



   ◇◆◇◆◇



「…………終わった、のね」


 サヤは、誰もいなくなった屋上で静かに空を見上げる。

 己の瞳と同じ色の空を。

 黄昏が終わり、夜へと変わりつつある日のない空を。


「――まだだよ、サヤ」


 そんな空を見上げていた彼女の前から、声がした。

 そこには、いつしかダリアがいた。その隣にはレイも並んでいる。


「……まだ? でも、私の『未練』を残した、彼らは、もう……」


 かつての友を、親友を、想い人をすべて自分の手で終わらぬ苦しみへといざなった。

 もはや復讐したい相手などこの世にはいない。故にもう、終わりのはずなのだ。


「いいえ、まだ残しているゆえに、断ち切らねばならぬ『未練』が……消さねばならぬ()がいますわ」


 レイがその両手をお腹のあたりに起き、慎ましく言った。

 二人とも、とても落ち着いていた。

 普段の彼女らからはかけ離れているとも言える程に、とても。


「消さねばならぬ……()?」


 その言葉を呟いた瞬間、そこまで屋上にいた彼女はまた別の場所に立っていた。

 空の色は変わらぬ深紫色。

 しかし、周囲には木々が生えていて、でも彼女がいる場所だけはぽっかりと木が生えていなくて、そしてその中心には、井戸があって――


「――これ……は……」


 そして、そのサヤと井戸の間に、彼女はいた。

 黒髪で、白いドレスで、すべてに絶望した瞳で力なく内股で地面の上に座り込む、その姿が。


「さあ別れを告げなさい」

「最後の一人を捨て去り、完全なる秘跡を達成するために」


 姿が見えなくなったレイとダリアの言葉がどこからともなく響く。

 サヤは、じっとその目の前の姿を見た。

 まだ人であった頃の姿であり、死ぬ直前の絶望に満ちた、死んで生まれたあの日の自分自身の姿を。

 自らに自らの視線を合わせる。

 そんな不思議な状況の中で、二人の声が重なりサヤにその言葉を告げた。


『この天命のために、今までの宿命はあったのだから』



次回、最終話。

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