41.秘跡弥栄拍手万雷
マルシャン王国首都、ブレアプロ。名実共に王国最大の都市の中心にそびえ立つ王城であるエルメア城の廊下を、まだ太陽が頂点に上ってもいない朝方に取り乱した様子で歩く者がいた。
第一王子、リクリー・エドキンズである。
彼は城を歩く騎士や臣下達の驚き動揺する視線を一切気にせずガツガツと早い足取りで歩いていき、やがてとある一室の前に辿り着いた。
「リクリー様……? 一体いかがなされたのですか?」
その扉の両脇にはとりわけ豪華な銀色の鎧をまとった騎士が立っていた。王族の警護を任され、彼らの命令を直接受けて動く王宮親衛隊である。
「陛下に話がある。ここを通せ」
リクリーは極めて強い口調で言い放った。
普段は落ち着いている彼の姿を知る親衛隊達からしても重要で深刻な要件がある事が伺える。
「し、しかし以下にリクリー様とて許可なしにいきなりには……」
「いいから通せ! そのような事を言っている場合ではないのだ!」
いくらこの国において絶大な力を持つ第一王子と言えど、その職務からそう止めた親衛隊であったが、リクリーはその制止を振り切りそのままバン! と扉を開けて中に入っていった。
「……なんですか、騒々しい」
窓からの朝日を受け言ったのは、マルシャン王国における最高権力であり、王国の版図を過去最大級に広げた女王、ステファニー・エドキンズであった。
リクリーと同じ赤髪を長く伸ばしており、同じくリクリーと同じ色の青い瞳が見せる顔は美しいという以上に鋭利な冷たさを感じるものだった。
「母上……! 俺はもう、このまま見て見ぬ振りをすることなどできません!」
だが、リクリーはそんな母である前に女王であるステファニーに強い語気で啖呵を切った。
「落ち着きなさい、なんの話ですか?」
「なんの話も何もないでしょう! 今、この国で何が起こっているのかをご存知で、それを隠蔽せよと命じたのはあなたではないですか!」
「…………」
ステファニーは更に強く大きくなった声を聞いてもなお、険しい表情を崩さない。
ただ静かに、その手に持っていた扇で口元を隠しただけだった。
「……その理由も、あなたはちゃんと理解し了承しましたよね。なぜそれを今になって言うのですか?」
そして、その扇越しからあくまで落ち着いた言葉がリクリーに届く。
言外に「冷静になれ」と言っているのは明らかであった。
だが、彼女の言葉にリクリーは大きく手を振るいながら言う。
「ええ、確かに……西端の領地で起こるいくつかの不可解な事件や、死者の急激な増加。そしていくつかの村の消失……これらを公にしてしまえば国は混乱に陥り、未だ隣国との関係に予断を許さない今、そういった事で広がる不安は付け込まれる隙になると……ですが!」
そこでリクリーはグッっと握りこぶしを握り、言い放つ。
「もはや現状は隠蔽するどころではなくなっているのは母上こそご理解なさっているでしょう!? 最初はただの偶然の重なりと言えたそれは、もはや看過できずに口止めも無理な程になっている! 消える村々は増え、流行り病の如く人々は死んでいく! その中には大きな都市すらも含まれて! これを未だ隠蔽しようとするのは、国家への信用がむしろ損なわれる事態ではありませんか! 聡明は母上が、なぜこんな愚策を……!」
「……では、こうしろと言うのですか? 市井に広がる『呪い』の仕業であると国家として認め、この国すべてに恐怖をばら撒けと」
「そ、そこまでは言っていません……! ただ、無かったことにするのは逆効果であると……!」
ステファニーから否応なく感じる威圧感に、リクリーはつい気圧されてしまう。
一方で、ステファニーは変わらず言葉を紡ぎ続けた。
「それこそ余計に混乱を招く行いです。原因も分からず実態すら掴めていないモノをただ漠然と『災い』と認めてしまえば国としての無能を晒し、人々の恐怖と暴走を制御する事は不可能となります。一方で国の名の下にそれは迷信を断ずる事によって、かろうじてですが人々の心に余裕を生めている……それが現状なのですよ」
ステファニーはギラリとリクリーを睨みつけながら言う。
元々険しい顔だったが、今の彼女の眉間にはより深く皺が寄っていた。
「最善ではありませんが、最悪でもありません。ともかく、今はより大きな混乱を防ぐために隠しながらもなんとか現状を掴むのを優先しているまでです。いつものあなたならそれを分かり行動しているはずですが……やはり、気になっているのですね? これがあの『聖女の呪い』だという噂を」
「……っ!? そ、それはっ……」
リクリーは明確に声から勢いを失って床に目を泳がせた。
そんな彼を見たステファニーは「……ハァ」と大きくため息をついて扇を口元から下ろす。
険しい表情でありながらも、少しばかり呆れたような、心配したかのような、ともかくそんな疲れをも感じるような表情だった。
「サム・コッカー、カゲトラ・タカガワ、イゴール・エクト・スペンサー、アリア・アバークロンビー……我が王家とも関係の深い者も含めたあなたの友人が皆行方不明になり、そしてその中であの聖光輝教の人間からすら漏れ出るそんな噂……それで、あなたの心に迷いが生じるのも分かります」
「……俺はあの夜、正しい選択をしたと今でも思っています」
床を見つめながらぎゅっと両手を握りこぶしにするリクリー。
視線は床の赤いカーペットに向くも見える彼の表情は、とても厳しいものだった。
「アイツの奇跡の力はあまりにも埒外過ぎた。それを王家に取り込もうと思い立った最初の動機が浅はかだったと思える程に、アイツの力は常軌を逸してた。しかも、それをアイツは本当に嘘偽りなく人助けのためだけに使っていた。あんな優しく、正しく、無垢な少女を俺は……見た事がなかった」
「……ええ、その最後の部分こそが、私が彼女を断罪する場を作り上げた理由ですからね」
ステファニーはリクリーに合わせるように落ち着いたトーンで返した。
そんな彼女の手に握られた扇の柄に、少し力が入る。
「詐欺師や野心家などであればまだ御せました。ですがあの娘は真に善人であったからこそ厄介で手がつけられなかった。ただ純粋であるが故に、彼女はこの国を揺るがす信仰と希望のイコンになりかねなかった。彼女にその気がまったくないからこそ、彼女はいかようにでもできてしまった」
「はい……あまりにも人々に寄り添えてしまったアイツは、貴族であり王家たる俺達にとっては猛毒になってしまっていた。だからこそ……俺はあの断罪劇の主演となる事を飲みました。これが、王家に生まれた者の定めであるとして。……しかし、この状況になって、俺は……」
「……リクリー」
窓の陽光を背に受けていたステファニーがそっとリクリーに近寄って来て、その肩に優しく手を置いた。
それが意外でリクリーは静かに彼女の顔を見る。
常日頃女王として厳しさを備えていたステファニーの顔が、今は幼い頃すらあまり見れなかった母親の顔になっていた。
「本来の王であったあの人があなたが幼い頃に亡くなってから、あなたにはずっと辛い立場を背負わせてきました。そして、私もそれを間違っていたとは思いません。王族とは常に人々の思惑を背負う者。ましてや今のこの国は大陸最大の国家であり、それを背負う者は人に弱さを見せてはいけないのですから。しかし、それゆえに息苦しさに耐えられないときもあるでしょう」
ステファニーはそう言うと、すっとリクリーに背中を見せ再び窓の方を向いて数歩近づいた。
彼女の目線は、白い雲がいくつか浮かぶ青空に向かっている。
「ですが、そこで考えてみなさい。私達ですら耐え難い苦痛に、果たして民は耐えられるのかと? 正体の分からない不安、恐怖、悪意……正直に言ってしまえば、私とてそれは辛く苦しいモノなのです。故に今のように噂に封をしていると言えるでしょう。そうしなければ、人々は……私は、恐れに耐えられないのですから」
「母上……。……ええ、そうですね。俺達は……私達は王族、国に住まう人々のために生き、その身を捧げる者です」
リクリーの口調はすっかりいつもの毅然とした態度になっていた。
彼自身の食わせ物と言えるような本性の上に被っている、高貴なる者の定めを担う仮面の顔になっていた。
「故に、私達は私達の悲しみ、怒り、恐れ、そして愛……そのすべてを民のために犠牲にしなければならないのです。それが、どれほど心を許した相手だろうと、家族であろうと……」
王国をその一代で大きく成長させた女の賢王、ステファニー。
彼女がほとんど見せない人としての姿、そして苦悩を垣間見れた気がしたリクリーは、そこに母親に対してではなく女王に対してへの最大級の敬意を払うため、まぶたを閉じながら手をそっと体の横を腹部に添え、頭を大きく下げて礼の姿勢を取った。
「申し訳ありません、陛下。このリクリー、いささか乱心しておりました」
「……ええ、今後このような恥たる振る舞いをしないよう、今後心に留め……て……」
と、ステファニーが女王として話を切り上げようとした、そんなときだった。
彼女の言葉が、急に途切れたのだ。
まさしく、言葉を失った状態であった。
先程すら落ち着いていた母の異常事態に、リクリーは困惑しながらも目を開いて頭を上げる。
「…………な……っ?」
そして、彼もまた言葉を失い、固まった。
彼らの視線の先にあったのは、太陽だった。
先程まで青かった空を痛々しい程の赤色に染める、黄昏の主たる夕日であった。
夕焼けの赤光は、首都すべてに長く濃い影を作っていた。




