15.アフタートーク
「んふふふぅー、あぁー良かったぁー……」
小さな安宿の一室、そのベッドの上に腰掛けながらサヤは頬に手を置きながらニコニコと笑いながら言っていた。
恍惚としたその表情には可愛らしさが溢れている。
一方で、机の上に夜闇を照らす蝋燭と共にお金を並べて大きめの手帳にペンを走らせていたダリアは彼女を横目で見て「はぁ……」と呆れたようにため息をついた。
「お前どんだけ喜んでるんだよ、もうずっとそんな感じだろ」
「えぇー? いいじゃないの、明確な復讐対象の一人にはっきりと手を下せたんだから、これぐらいは喜んでも」
サヤがサムを化物達の餌食にしたのが先日の事。
ちょうど二人がアイゼンハワー領を越え、ソルマティコ領での最初の街に滞在していたタイミングでの事だった。
その日の午後過ぎから、ずっとサヤは上機嫌だったのだ。
「いやまあそれはそうなんだけれどさ、横でずっと元気に笑われてるとちょっとさすがにウザい」
そんな彼女に対してダリアが渋い顔をして言ってきたので、サヤは大げさに驚いた表情をしてみせる。
「ええーっ!? そんなぁ……私の悲願の一つをやっと達成できたっていうのに……なんて冷たいのかしら、やはりあなたも人間なのね……よよよ」
「うぐ……ちょっと流しづらい感じで言いやがって……」
より眉間の皺を深くしながらも、ダリアは再び机の上にある貨幣を見ながらペンを動かし始める。
彼女が今つけているのは売上と旅の支出をまとめた帳簿であり、彼女はそれらを見比べながら「んー……」と唸り始めた。
「どうすっかなぁー……この感じだと次の街へは歩きたいところだけど、それだと時間はかかるし……」
「あら? だったら別に歩けばいいんじゃない?」
彼女の悩む声を聞いてサヤが不思議そうに言うと、今度はダリアが驚いた顔をサヤに向けた。
「えっ? いいのか?」
「いいのかって……なんで?」
「なんでって……お前、行けるなら早めに動きたいんじゃないのか? さっきだって……」
その言葉でサヤはそこでやっとピンと来た。
ダリアはサヤの願いのために、少しでも早く首都への道を進めようと思っていたらしい。
昨日からサヤがずっと今の調子なので、おそらく口では呆れながらも考えとしてはサヤに寄り添ってくれていたらしい。
そう思うと、サヤは再びダリアに対して微笑み、すっと後ろの首元から腕を回した。
「おわっ!? なんだよ急に!?」
「うふふ、いいえ。なんだかんだ言ってあなたも可愛いところあるんだなぁって、そう思っただけ。そんな急ぐ必要はないのよ。大切なのは呪いを拡める事だし、そこに遅い早いはあまり関係ないわ」
「そ、そうか……てか可愛いってお前、そんなのオレには似合わねぇって……! ああもう、離せよ冷たいんだよ! いやこの時期からしたらありがたいけれども!」
「む。死人としての冷たさを納涼扱いにされるのはちょっと不満ね。はいはい、離すわよ」
ダリアの言葉にちょっとだけ不満げに唇を尖らせて言うと、サヤはすっと両手を彼女から手を離す。
サヤのそんな姿に、ダリアは軽く眉をひそめながらも口元だけ笑った。
「まったく……こんなのが各地で惨たらしく人を殺してるって思うと犠牲者達も哀れだな。別に同情する気はまったくないけれど」
「哀れなくらいでちょうどいいのよ、なんなら私が受けた辱めからすればまだまださっくり死ねてるほうじゃない?」
「あー……首都からじっくり季節変わるレベルで晒し者にされてたんだったな……しかしよく生きてたよな。ずっとその間野ざらしとか普通に死んでもおかしくないだろ」
「私だってもう何度死にたいって思ったか分からないわ。でもね、それでも目の前に食べる物が置かれれば浅ましく犬のように食べるしかないし、雨が降れば愚かしく口を開けて頭を上げてしまうのよ。結局、誰だって本当は死ぬのは怖いんだから」
「………………そう、だな」
落ち着いたトーンでサヤが言うと、ダリアが伏し目になってとても小さな声で呟いた。
とても重苦しく、言葉を失った彼女の姿。
取り憑いているという状況ではるが、それを差し引いてもサヤには今のダリアが何を考え、何に苦しんでいるのか理解できた。
だからサヤはそんな彼女の横にしゃがみ込んで、膝の上に置いた片手に優しく自分の手を重ねた。
「そうね……きっとあなたの姉も、あなたを助けはしたけれど最期は怖かったでしょう」
「…………っ」
「だからこそ、あなたの復讐もきっと成就させましょう。あなたには私がついているのだから。個の憎悪を閉じ込めておく必要など、もうないのだから」
「……そっか。ありがとう」
深紫の瞳で見つめながらとても優しく語るサヤに、ダリアは力なく笑い返した。
いますぐどうこうするという事でないのはお互い理解している。
でも今はそれでいいと、これでいいのだと、二人共思った。
「ふふっ、だからそれまでにどうしてやりたいかしっかり考えておきなさい? 今回みたいに自分の腕前に自信があって高潔ぶってた男がプライドも仲間も家族も捨てて逃げてた姿とかとても楽しかったしね。それに彼を追い込んだのがただ山の池にいた蛙をちょっと弄っただけのやつなのもひっそりとした笑い所だったわ。ふふふ!」
なのでサヤはすくっと立ち上がってまたニッコリと笑って高らかに言った。
彼女のそんな姿に、ダリアもまた僅かに苦笑する。
「あーまあそりゃ楽しかったろうが、またスイッチ入ったな、やれやれ……。んじゃまあ、次の街へはお言葉に甘えて歩いていく事にするかな。節制は大事だし、次のアローマウスの街は歩きでも数時間ぐらいだしね。……あ、そういやアローマウスってアレがあったな」
「アレ?」
ダリアが何か思い出したように言ったのでサヤは軽く首を傾げて聞いた。
そんなサヤにダリアは雑に頷いて応える。
「ああいや、ただちょっと思い出しただけの話なんだけど。あの街っていわゆる“曰く付きの場所”ってあったよなぁって。それを実際こうしてお前が目の前にいるとなんかマジでそういうのいるのかなって、そう思っただけ」
「あぁ……そう言えば私も生前耳にした事があるわね。ソルマティコ領にはその手の話で有名な場所があるって。まさか次の街だとは知らなかったけれど」
「うんまあそうだよな、地名じゃなくてあくまでソルマティコ領の有名な場所として名前は通ってるし。んで、実は次のアローマウスがその当該の街って訳」
「そっか……なるほど、道理で……」
そこまで話したサヤは、納得したように顎を指で掴みゆっくりと視線を下げた。
彼女の様子に、ダリアは不思議な顔で見てくる。
「えっ? なるほどって、何が?」
「本物よ、その場所」
サヤはすっと下げていた目線を戻し、ダリアに顔を向ける。
深紫の瞳は妖しく輝き、表情は不気味でかつ蠱惑的な微笑みであった。
「『ソルマティコの人形屋敷』……あそこの怪談は、ただの噂話なんかじゃない。だって“同類”の私には、この距離からでもいるのが分かるんだもの」
サヤはそっと窓辺に向かい、次の街がある方向に目を向けた。
寂れ静まり返った町を包む夜の帳のさらに向こう、人の目では見えないその先にサヤは確かにそこにいる何かを視ていた。




