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14.Victim 1st:終末類 PART Ⅲ

 学園において、サムは必ずしも常にリクリーの側についているというわけでもなかった。

 自分がいつも一緒にいるとリクリーの仕事に差し障る事もあるし、外面は品行方正で優しい王子様を演じている彼がそのイメージ戦略として他の生徒に笑顔を振りまくときもあった。そうしたときは学園が他の衛兵に警備され首都でも指折りに安全な場所な事もあってサムは邪魔にならないよう一人外し、訓練場の人気のない場所でよく鍛錬として木剣を振っていた。

 

「八十四ッ、八十五ッ、八十六ッ……」


 黙々と剣を振るうサム。だが、そこにいるのは自分一人ではなくなっている事に彼はとっくに気づいていた。


「……いつまでそこで見ている?」

「――っ!?」


 サムが不意に剣を振る腕を止めて近くの渡り廊下の校舎側に視線を向けて言うと、その物陰から人影が恐る恐ると言った様子で出てきた。

 リクリーの婚約者であり聖女と呼ばれる黒い長髪の少女、サヤである。


「は、はうあ……ごっ、ごめんなさい。すっごく真剣だったからちょっと話しかけづらくて……」

「そう思うならすぐこの場を離れればよかったのでは? 結果としてこうして私に見つかって鍛錬を止めてしまったのだが」

「は……はうあぁ……」


 強面の表情を変えずに言うサムに、サヤはとても困ったように喘ぎ眉を垂らしている。

 そうしながら軽く俯いて顔の下で指を絡めるサヤにサムは「はぁ……」と軽くため息をつき再び彼女に視線を送る。


「……冗談だ。別に見ていてもいい。ただ、そんな気にしなくていい」

「あっ、ありがとうございます……! でも、サムさんも冗談を言うんですね」


 急にパッと明るい表情になってサヤが言った。

 さっきまで絡められていた手の指先は今度は両の掌が重ね合わせられている。


「なんだ? 私が冗談を言うのがそんなにおかしいのか?」

「ええっ!? い、いやその……そういうわけじゃ……で、でもやっぱり意外なのは本当で……はうあうう……」


 と思ったらサムのその言葉でまた動揺した顔になって目をキョロキョロとさせ指先をコソコソと擦り合わせ始める。

 随分と表情とコロコロが変わる少女だと、サムは思った。

 でもそこに嘘がないのはよく分かっていた。

 リクリーが聖女の名を聞き王国の未来を考え婚約してから二年、最初は形式上の関係だった二人が本当に恋仲になるのを彼はすぐ側で見てきた。

 サヤは本当に良くも悪くも純粋な少女だった。誰よりも人の優しさを信じ、幸せを願い、そのためなら自分が多少傷ついても気にしない。ここぞというときに芯の強さを見せて、本当に悪い人間なんていないと思っている。

 おとぎ話の中から飛び出してきたお姫様と形容するのが彼女には最もふさわしい言葉だと、サムはサヤに対して思っていた。そしてそんな彼女に対しては主の相手として好意を、また若干の嫉妬を抱いてもいた。

 

「まったく……。正直な女だな、本当に」


 僅かに呆れたようにいいながらもサムは大雑把にサヤに近づくと、急に彼女の手を握ってグイと自分の顔に近づけた。

 サムとサヤは頭二つないぐらいの身長差故に自然とサヤの頭もサムの顔の方に上げられる事となる。


「はうっ……!? サ、サムさんっ!? な、なななな何をっ!?」

「……やはりな。この手、今日も随分とボロボロじゃないか」


 彼の視線の先にあったのはサヤの指先である。

 先程から目まぐるしくその動きを変えていた彼女の指は、その細さを肌の綺麗さとは相反するように固く、そして荒れていた。

 サムはこの荒れ方を知っていた。村で自分を育ててくれた母親と同じ、働き者の指だった。


「あー……あはは……まあその……ついメイドさん達のお手伝いをですね……」


 サヤはバツが悪そうな苦笑いで視線を逸らしながら言った。

 うっすらと冷や汗を垂らす彼女に、サムは彼女に向かって何度ついたか分からないため息をつく。


「はぁ……。何度言えば分かる。今のお前は侯爵令嬢でありリクリー様の婚約者なのだぞ? つまりこの国でもとりわけ丁重に扱われる貴族になったのだから、それ相応の振る舞いというものをしろ。そうでなければ、他の貴族に舐められてしまう」

「そ、それはそうなんですけれど……はうあ……」


 サヤは再び目を泳がせる。だが二、三秒程そうしたかと思うと、すっと彼女はサムに瞳を合わせてきた。美しい深紫色の瞳が、サムの金色の目と重なった。


「私は結局私ですから。他の人にお洗濯とかを任せて何もしないのは落ち着かないし、困っている人がいれば助けてあげたい。力を使っても使わなくても、私の手の届く範疇で私が頑張れるなら頑張りたいんです。……まあその、それでリクリー達を困らせる事があるのは、その、ごめんなさい……」


 とてもまっすぐな顔で自分の行いを語る彼女の姿。

 最後は少し自信を失ってしまっていたが、それでもそう言った彼女の姿は間違いなく輝いていて、貴族がその地位と引き換えに課せられた義務への心構えを無意識に体現した姿でもあった。

 ただの田舎娘がここまで高潔な姿であることに同じ田舎産まれのサムはとても尊敬し、かつ出世欲や生まれのコンプレックスから来る今の立場や役割に自己陶酔感を抱いている自分とは違う根っからの気高さに少しの劣等感をも感じていた。


「……いや、お前はそれでいい。別にリクリー様も私もお前に困らされるのは嫌いではないからな」


 そうした色々と混ざった感情を抱きつつも、サムはサヤにそう言った。

 ここで変に悩まれても大変なだけだと、そう思ったからだ。


「サムさん……! はっ、はい! ありがとうございます!」


 サムの言葉に満面の笑みになるサヤ。

 彼女のそんな顔を見て、彼は心中で「やれやれ……」と呟きながらも、悪くない笑みを浮かべる。


「だが、その手はさすがにもうちょっと綺麗にケアしてくれ。あまりにも令嬢の手ではない」

「はうあ……確かにそうですけれど、でも、サムさんの手だって結構ゴツゴツで……」


 サヤはいつの間にかサムの指先をそっと彼女の細い指先で握っていた。

 じっと自分の指に視線を向けて可愛らしい表情で言うサヤに、サムは軽く目を見開きつつも、すぐさままた「はぁ……」とため息をつく。


「……私は騎士だからいいのだ。後、こういう事も含めて、令嬢がやる事ではない。もっと慎みを覚えろ」

「えっ……? あっ……! ご、ごめんなさい……!」


 サヤは自分がやっていた事に気づいてすぐさま手を引っ込め、顔を真っ赤にする。

 彼女の姿にサムは「こういうところがなんというか、まったく……」と心の中だけで呆れ言った。


「はうう……で、でもサムさんの指、とてもかっこ良かったです……」


 きっと混乱しているのだろう、彼女も自分で言っていることがよく分かっておらず「あ、でもそういう意味じゃなくて……! はうあうあ……!」とすぐさま慌てふためいた。

 だけれども先程彼女が自分の指を褒めたときに見せた優しく柔和な微笑みは悪くないなと、サムはそんな事を思ってしまったのであった。



   ◇◆◇◆◇



「う、ぐ……」


 遠く過ぎ去った日々を思い返す夢から、サムは目覚める。

 どうやらしばらく気を失っていたらしく、すぐさま気を失う直前に化け物に追われ、穴に転げ落ちた記憶が蘇ってくる。


「っ!? ここ、はっ……ぐっ……!」


 起きようとしたサムはまず体に痛みが走るのを感じた。

 それだけで長い距離を転がり落ちてきたのが分かった。

 また同時に体が異常に冷えているのも感じ、震えた。一度座り込むように姿勢を直した彼が見下ろすと、そこは水たまりであった。

 尻の一部と片膝を上に向けた足が足首まで、横にした足がおおむね浸かるほどの深さであった。

 おそらくこの穴ができた後に雨などが振り、ちょうどくぼみがあったためにできた水たまりである事が分かった。


「おっ、目覚めたか……ったく、死んじまったかと思ったよ……」


 と、そこで横から声が聞こえてくる。

 自分と同じく穴に落ちてきたカイルだった。彼はサムと違って体は濡れていない。


「カイル……無事だったか」

「ああ。先に転がって行ったお前がクッションになってくれたおかげでダメージはお前より少なかったし体も濡れずに済んだ。ちなみに装備も無事だ」


 彼はそう言って軽く笑いながらランタンを振った。

 サムが自分の腰につけていたものを見ると、見事に壊れていた。


「そうか……。しかし、これからどうするか……」


 サムは周囲を見回す。

 当然だがそこは地下だった。周囲を岩壁や土に囲まれており、しかし天井にいくつか開いた穴が赤焼けた光を地下に取り入れていた。相変わらず、外は夕方らしい。


「どうするって……どうにかして出られる場所を探すしかないだろ。まあ、あの化け物共の巣だろうから一筋縄じゃいかないだろうが」

「ああ、だな……。何としてもこの事を生きて王国に伝えねば」


 サムの言葉にカイルが頷く。

 これほどの異常事態を絶対に見過ごしてはいけないと二人の気持ちは一致する。二人は国家への忠義が若くして――むしろ若いからこそ――その身に染み付いていた。


「よし、先導は任せておけ。お前は俺よりダメージが大きいだろうし、俺の方が装備は整っているしな」

「ああ、すまないが任せた。体もだいぶ冷えてしばらくはうまく動かせそうにない」


 サムは謝りながらもなんとかその場から立ち上がる。

 その過程で「ぐっ……」と声を上げたがなんとか声は抑え込んだ。下手に大声を出したらあの悍ましいという言葉すら生ぬるい『顔のない首長蛙』達が群がってこないとも言えなかったからだ。


「……さて、落ちてきたところは滑って登れないだろうし、しないとけない脱出路探しだが……さすがに天井のこの光だけじゃ無茶があるよな」


 カイルは苦い顔で天井を見上げた。変わらず差し込まれる夕暮れの陽光であるが、それは当たり前ではあるが地下全体を明るくしているわけではない。

 彼は天井と唯一無事なランタン、そしてサムの顔を見比べる。サムは彼の視線にただコクリと頷いてみせた。


「おし……じゃあ、ちょっと危険かもだが点けるぞ」


 カイルはそう言って手持ちの魔法着火装置を使ってランタンに火を付ける。

 灯りを灯したランタンを慎重に腕を伸ばし彼は周囲を照らした。今のところ、それで彼らが襲われる気配はなかった。


「よし、行くぞ……」

「ああ……」


 サムに答え、カイルは中腰で歩き出す。サムもまた、同じように腰を落としてついていく。未だ体が悲鳴を上げているが、そんなのに応えている暇はなかった。

 二人はゆっくりと、気を張り詰めながら地下世界を進んでいった。

 地下世界は思ったよりも広く障害物は少なくて、これなら化け物達が近づいてきてもすぐ分かる作りをしていた。

 彼らはそんな中で、とにかく歩いた。何か指針があったわけではないが、とりあえず広い空間の中で見つけた壁に左手を当てて進むことにした。

 迷路ではこうすればいいと、昔サヤ達と雑談した記憶がサムにはあったため闇雲よりかはいくばくかいいと思い提案したのだ。

 

「…………」


 そんな中で、サムは先程夢に見たのもあってサヤの事を思い出していた。

 彼女を見捨てる判断をしたあのとき、躊躇いが無かったわけではなかった。サヤ・パメラ・カグラバという少女には間違いなく好印象を持っていたし、一緒にいる時間も悪くはなかった。

 だが、自分よりもサヤに気持ちを抱いていたのは間違いないリクリーが切り捨てる事を受け入れたわけだし、それが国家のためとならば反対する理由もなかった。

 彼女が実際に悪女として仕立て上げられ自分達に助けを求める瞬間はさすがに罪悪感が芽生えたが、だからと言って自分達の判断は間違っていない、むしろ正しい選択肢であった事は疑う事はなかった。

 そこには、きっと自分が彼女に抱いていたちっぽけな嫉妬心や劣等感もあるのから目を逸らしているのも、同時に自覚しながら――


「――止まれっ!」


 と、サムがそんな思案をしているさなか、目の前のカイルが自分に右の手のひらを突き出して小声で叫んだ。

 顔の向きを変えずに言った彼の視線の先を見ると、そこには天井からの光でライトアップされた『顔のない首長蛙』がいたのだ。限られた光源から見えるその数は、だいたい三匹程に見えた。

 何度見ても本能的恐怖が心を支配するその姿に、サムは思わずヒュ……と息を呑んだ。

 二人がその姿を視認した直後、カイルはランタンを吹き消した。

 光で察知されるかもしれないと思っての行動であった。そして、二人はそのまま岩のように動かなくなった。

 音で襲ってくるかもしれない、ならば過ぎ去るまでじっとしているのみだと判断したためである。

 双方、言葉は交わさずとも判断と行動は一致していることを理解していた。


「…………」「…………」


 ただじっと黙ってソイツが通り過ぎるのを待つ二人。

 視界の先にいる、ノシノシとゆったり、気色悪く歩く『顔のない首長蛙』。

 息をするのも忘れ、ただ怯えながら耐える二人

 ふと、その中の一匹が足を止める。何匹か重なっていたうちの真ん中ほどにいたソイツが、くるっと首をこっちに振る。

 距離にして十メートル以上はある。大丈夫、まったく動かず灯りもなく、音を立てていない自分達は気付かれないはず。

 二人はそう信じ、少しでもバレないように口元を手で覆う。

 そうして、そんな二人に首を向けていたソイツは――突然飛び跳ねてきて、カイルをその口で頭から咥え込んだ――!


「――……っ!?!?」


 サムは今すぐにでも叫びたくなったのを両手で鼻まで口元を抑えてなんとか留めた。

 一方でカイルは「~~~~っ! ~~~~っ!」と化物の口の中に上半身を咥えられた状態で叫んでいて、その声がとてもくぐもった小さな声でしか聞こえなかった。

 同じように、もう二匹がソイツの側に飛び寄ってくる。


 ――自分も、やられるっ……!?


 サムはそう思った。だが、彼は動く事ができず、ただ口元を抑えてその姿を見上げる事しかできなかった。

 だが、意外な事にソイツらは一匹が咥え込んだカイルの足元を弄ぶようにベロベロと両脇から舐めて、そのまま去っていく。


「どうし、て、だ……?」


 サムは思わず言葉に出してしまう。だが、それでも化物共は来る気配はなく、いつしか完全に気配を消した。

 理由も分からず動けなくなるサム。だが、そこで僅かに動かした手がその場に残ったまだ温かいランタンに触れたとき、彼は気付いた。


「そう、か……温度か……!」


 目も耳もない『顔のない首長蛙』達がどうやって自分達を認識し、そして先程サムだけが助かった理由がそれだった。

 蛙達は温度で人間を判別していたのである。

 そのため、常人の体温を保ちかつランタンを持っていたカイルは発見され、一方で体を凍えさせていたサムは彼らに見つからなかったのだ。

 なんという運命の悪戯か。今でも彼の体を苛む寒さが、彼を救ったのだ。


「……クソッ!」


 もっと早くこの事に着づければ、とサムは思う。そうすれば別の道があってカイル達が助かっていたかもと。

 だが後悔しても仕方がない、今は先に進んでこの事を報告せねばとサムはまた動き始める。

 ただ一人、壁に手をついて進む。音も動きも関係ないと分かった以上、慎重になる理由はなくむしろ体温が戻る前にと立ち上がって歩を進めた。

 彼がそうして進んでいると壁は途中いくつか折れ曲がり、その先に彼は歩いていく。

 すると、急に大きく視界が開けた。

 そこは天井に穴は空いていなかったが、壁自体が光り輝いていのだ。正確には、壁に張り付いた緑色の肉塊が、である。そして、その肉塊にはそれ以外のモノも張り付いていた。

 それは、人だった。人の体が肉塊に取り込まれ、体の上半身だけをそこから出していたのである。そこには彼の知った顔もたくさんいた。村の住人達だ。彼らは皆どうやら生きているらしく、言葉にならないようなうめき声を上げていた。


「……うっ、おええええええっ……!」


 その中の一人が、突然声を上げて何かを吐き出した。それは全長二十センチ程の既に手足が映えたオタマジャクシだった。指は八本あり、ヤツらの幼体である事が一発で分かった。


「おぞましい……」


 サムはそんな事を言いながらも再び壁を見渡す。そこで、彼はその姿を見つけた。


「……カイルっ! ジョンっ! ピーターっ……!」


 見つけたのは化物共に襲われた彼の仲間達だった。

 仲間達がまだ死んでいないことに安堵しつつ、同時に村人達のように化物を増やすための“巣”の一部にされている事に彼は震えた

 サムはそれにとことん恐怖を覚えながらも、なんとかできないかと肉壁に近づいてみる。すると、彼はさらに大声を上げて驚愕する事となる。


「かっ、母さんっ!!」


 サムは見つけたのだ。彼の母親が、同じように緑の肉壁と一体になっているのを。

 故に彼は母親のところに脇目も振らずに走った。母親を実際に触れられる距離まで寄って、その顔を見た。


「母さん! 私だ! サムだっ……!」

「……サ、サム……?」


 サムの母親は力なく顔を上げ、虫の羽音のような小声で応えた。

 とても衰弱しているが、間違いなく生きていた。


「大丈夫だよ母さんっ! 今、助けるからっ……!」


 サムは剣を抜き、その肉塊から母親の体を切り離そうとする。まずは手からと、手と肉壁の間に差し込もうとする。


「だ……め……サ…………にげ……」


 母の本当に弱々しい声が聞こえる。自分をこんな状況でも心配してくれる母の愛に泣きそうになりながらも、サムは救出の決心をさらに固め、ついにはその剣で肉壁を貫いた。


「――っつあっ!?!?」


 直後、突き破り剣で開けた肉壁の裂けた場所から、真っ白な蒸気が吹き出してきた。

 その勢いと量は凄まじく、体を包み込んだそれに彼は思わず飛び退いた。


「なんだこれはっ!? 火傷する程ではないがとても熱……」


 すぐさま、気づく。

 その蒸気は、何かがあって“巣”に取り込んだ人間に異常があったかを伝える仕組みとして働いていた事を。母はこれを忠告していたという事を。そして、その仕組みをモロに受け、自分の体はすっかり熱を帯びてしまったという事を。


  ――ヤァァァマァァァノォォウゥゥゥミィィィーーーーー――


 鳴き声が聞こえてきた。自分が着た方向から、いくつもの。


「あっ……うわあああああああああああああああああああああああああああああっーーーっ!?!?」


 サムは狂乱に陥り、声とは反対方向に走った。

 仲間も親も見捨てて、走った。

 ドタドタグチョグチョと、背後から追っ手の足音がする。何匹も迫ってくる足音が聞こえてくる。

 まだ幸い距離があり、わずかな光に照らされる目についた道を曲がり走るおかげでまだ背後に姿は見えないが、それも時間の問題だと思っていた。


 ――このままでは、自分もあんな姿に……!


 そんな恐怖に支配されていた、そんなときだった。


「……あれはっ!?」


 そこには、小さな坂があった。化物達が作った穴とは違い、ギリギリ手足で必死に掴んで登れる程の険しいが不可能ではない程の坂で、その先からは夕日の光が差し込んでいるのが見えた。

 どうやらそこは天然の道らしく、これは村近くの山の中にあるものだとサムは気付いた。化物達の巣は山の下にまで続いていて、自分はいつの間にかそこまで迷い込んでいたのだと。

 サムにとってそれは最後の希望だった。

 すぐさま彼は坂を登り始める。途中で傾斜は更に急になり、ゴツゴツとした岩の突起が増え始める。

 彼はその途中で手足の鎧を捨てて、素手と素足で岩肌を掴み登っていく。

 すると、背後からいつしか化物達の鳴き声が響いてきた。どうやら坂の下までは着たらしいが、奴らはそこから自分を追ってくる様子は無かったようだった。


「は、ははは……!」


 思わず笑みがこぼれる。

 自分は助かったのだと確信する。

 ついに赤く染まった空の光は眼前にまで届き、彼の顔を夏の暑さで焼く。そして、ついに地上へと届くその手を伸ばした、そんなときだった。


 彼の手が、そっと別の手を掴んだ。


 とても細く真っ白で、皮も爪も剥がれた見るに耐えない程にボロボロに傷ついた、そんな指だった。


「…………え?」


 サムは、静かに顔を上げる。そこには、“彼女”がいた。

 光を逃さない黒いドレスとは正反対に髪は色がないと言えるような白さであるが、その長い髪の隙間から見える深紫色の瞳、そしてなにより優しく可愛らしい顔つきは、彼がよく知るものである。


「サ、ヤ……?」


 サヤが、そこにはいた。

 自分達が裏切り殺めたはずのサヤが。

 昔と変わらない優しい笑みを向けていくれている純粋な少女のサヤが、夕日を背にしてしゃがんで自分に影を作って笑っていた。

 サムは再びサヤの手を見る。


『はうう……で、でもサムさんの指、とてもかっこ良かったです……』


 彼が伸ばした左手をその右手の指で握る傷つきながらもなお繊細な指は、まるであの日の再現のようで。

 そう、きっと彼女もあの日のようにまた恥ずかしながらも可愛らしく笑ってくれていて――


「――アアアアァアアァァァアアァア……」


 見ただけで魂まで凍りつきそうな邪悪な嗤い顔が、そこにはあった。この世の者とは思えない異音が、その口から漏れていた。だけれども、見ただけで動けなくなるほどの顔だと言うのに、間違いなく彼女は幸福だと言うことは伝わってきて……


「…………あ」


 瞬間、彼女の指はサムの手を軽く持ち上げ、ひっくり返した。

 それは、その動作には見合わない程のとんでもない力があって、結果的に彼はこれまで登ってきた道を真っ逆さまに落ちていって――


「――うわああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!? 助けてっ!? 助けてええええっ!!! ひえあああああああああああああああああああああああああああっ!!!!????」


 サムの悲鳴は、地の闇の中に消えてもずっと山まで響き渡っていた。ずっと、ずっと、ずっと……。


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