12.Victim 1st:終末類 PART Ⅰ
サム・コッカーは今でこそ王国騎士団に所属し第一王子であるリクリーの側に仕えているが、彼は元々アイゼンハワー領にある小さな村、ランドネットの生まれである。
何も無い村で生まれた彼は親の持つ畑の手伝いをしながらも、日々武芸の鍛錬に熱を入れていた。
というのもルマルシャン王国は戦争が終結したばかりであり、平和になったとは言え未だ情勢は予断を許さず、またステファニー女王が政策として行っている軍事力の強化は終戦後も継続していたため、騎士となることは生まれが悪くとも成り上がる最短の道だったのである。
それは女王が騎士の適性があるならば生まれの貴賤は問わない、と宣言していたのも追い風だった。
とは言え平民が騎士になるのは貴族以上に困難な道だった。しかし、それでもサムは自らが騎士になる事で家族に少しでも楽をさせてやれるならばと日々武芸を磨く事を続けた。
そうした中でサムは十二歳のとき、村の衛兵を通じその剣の腕を認められ、首都で開かれている武闘大会に出ることになる。彼はそこでまだ幼いと言える年齢だったのに優勝、そこで歳が近かったのもありリクリーの側仕えの一人として選ばれた。
年の近い友人と呼べる相手がいなかったリクリーと己の力を証明したかったサム。
そんな二人が仲良くなるのに時間はあまりかからなかった。
こうしてサムはリクリーを生涯使える主として認め精進していく。そしてそんな時に、彼は出会ったのだ。
主が将来の結婚相手として認めた聖女、かつ自分と同じくただの田舎育ちで純朴な一人の少女であるサヤに。
◇◆◇◆◇
「……やっとここまで来たか」
サムが学園を出立してから一ヶ月半もかからなかった程度で、彼はついに自らの故郷であるランドネットへの道筋に至り、だいぶ荒れ道になっていたそこを馬を歩かせ辿っていた。
時間にして午後三時過ぎ、夏なのもあってまだまだ太陽の光が明るい時間帯である。
ランドネットの村は側にちょっとした山がそびえ立っており、首都のある東側から向かうとなるとある程度街を経由して大回りするか、危険を承知で途中の平野を突っ切るしかなかった。
そして、彼が取った道はもちろん少しでも時間を短縮できる後者であった。
「さっすが早馬で飛ばしたかいがあったな」
「まあそのおかげで装備は最小限だけれどな」
「メシも水もギリギリだったから途中はどうなることかと……」
サムの後ろから賑やかな声がする。
それぞれカイル、ジョン、ピーターと言う。
カイルは短い黒髪も相まって快活そうに笑っていて、ジョンは対して半端に伸びた茶髪を揺らし不満げ、ピーターは一人兜をかぶったままソバカスだらけの顔で困っている。
皆、サムが故郷で何かがあったという報告を受けて飛び出していくのについてきてくれた面々だ。
彼の同期であるカイルとジョン、まだまだ入りたてのピーター。三人ともサムと団内で親密な間柄の同僚だった。
すべては第二騎士団の団長がサムに配慮し同伴させてくれたメンバーであり、サムは改めて感謝の気持ちを抱く。
「すまないみんな。私の勝手に突き合わせてしまって」
「いいっていいって。そりゃ故郷の事が心配になるのはしゃーないよ。それになんかヤバそうだったんだろ? 例の通信」
カイルの言葉にサムはコクリと頷く。
「ああ……。録音を確認したが内容はとても短く『とにかく王国騎士団を呼んでくれ!』という連絡だった。あとは不鮮明なノイズのみで、途中で途切れてしまった。何かがあったのは間違いない」
「でも周辺の街には今も特に影響はないんですよね? だから派遣も僕達だけが限界で……」
「王国騎士団をまるまる国の西側まで初手で動かすってのは相当に大事になっちまうからなぁ。下手に隙を見せると付け込んでくる奴もいる、って事だな。んま、政治だよ政治」
ピーターの声量が低めな言葉にジョンが実感深そうに言った。
彼らの言葉にサムは僅かに眉間の皺を作りつつも「……仕方ない」とこぼす。
「だが、それでもこうして私達四人は来ることができている。これも団長、そしてリクリー様のご配慮のおかげだ。ならば私は、このいただいた機会を活かすまで」
強張った面持ちで言いながら手綱を握る手に力が籠もるサム。
そうして話している中で、ようやくランドネットの村がぼんやりと見えるぐらいの位置まで彼らはやって来た。
小さい村であるので、その全景を掴むのもそれなりに近づかないと駄目なのだ。
だが、だんだんと村に近づいていきその姿がはっきり見えてくると、サムは顔を青ざめさせた。
村の入口近くにある家屋が、明らかに倒壊していたのである。
「……急ぐぞ!」
サムの言葉に後ろにいた三人はすぐさま表情を引き締め、四人は馬を走らせる。
馬で走るにも難儀する程に整備が放って置かれている道を駆けて村の前まで行くと、サムは絶句した。
「なんて、ことだ……!」
入口に辿り着きはっきりと確認できた村の姿は、完全に崩壊していたのだ。
多くの家屋が崩れ、形を維持している建物も扉や窓は派手に壊されている。
壊れた家々の中には途中火事が置きたのか真っ黒に炭化しているものもいくつかあった。
そして、少なくともそこから見渡せる光景において、人の姿はなかった。
「こいつは……ただ事じゃねぇな」
ジョンが冷や汗を垂らしながら言った。横でカイルも「一体何が……」と口元を手で抑えながら厳しい目つきになり、ピーターは明らかに怯えが入った表情になっている。
「とにかく……生存者を探そう。何があったか、調べなければ」
サムが声を震わせながら言った。
この村が故郷であるというのにあくまで冷静に努めようとする彼の姿に三人はつい同情の言葉をかけたくなる。
けれども、一番辛くすぐにでも家族の安否を確かめたいであろう彼がそうであろうとしているのを下手な言葉で揺らがせたくないともなり、三人は口を噤んだ。
サム達は馬を降りて入口のまだ形を保っているアーチに留め、村の中に入る。
先頭はサム、右後ろにカイル、左後ろにジョン、最後尾にピーターの順で、四人でちょっとした方陣を組んで進む。
まず感じたのは、村の地面が妙に柔らかく感じた事だった。
軽装備で来た彼らであったが、一歩一歩踏みしめる地面が妙に沈むのである。
「なんだろうなこれ……別にこの村って地盤が弱いとかじゃないよな?」
「ああ。そもそも村に入る前は荒れていたとは言え普通だったんだ。それがこんな急に変わるのは、妙だ……」
険しい表情のカイルに対し、より難しい顔で応えるサム。
さらに別の奇妙な感覚が、彼らを襲う。
村の中に踏み入るほどに、生臭い臭いが強くなっていったのだ。
彼らの鼻に不快感をもたらすその臭いに最も近いのは、水の流れがなく淀み腐った沼であろうか。
少なくとも山側にあり近くに大きな川すらない村でするような臭いではなかった。
「おわっ!? なっ、なんだ!?」
四人の足取りが自然とゆっくり、慎重になっていたときに、後ろにいたジョンが大声を上げた。
「どうした!?」
「い、いや……なんか足の感覚でグチャってして……うわ、マジでなんだよこれ……」
ジョンが左足を上げてみると、彼の足から地面にねばぁ……と透明な粘液が糸を引いたのだ。
足を絡め取られる程ではないにしろ、はっきりと不快になるぐらいには粘ついていて、上げられたジョンの左足からはなかなか地面に落ちていこうとしない。
「ほ、本当になんなんですかそれ……? なんかこう、ナメクジとかカタツムリとか、そういうのが出すやつにも見えますけど……」
「やめてくれよ……てかこんな量を出すナメクジがいてたまるかっての……いたら人間サイズだぞこれ……」
怯えが強くなったピーターに、彼程ではないにせよ不気味さに顔を歪めたジョンが応える。
そんなこれまでの光景を見て、サムは自分が生まれ育ったはずの村がまるで別世界になってしまったかのうような感覚にまで襲われていた。
「……おい、見てみろ」
と、そこで比較的冷静な声が響く。カイルだ。
彼の指さした方向を三人は見る。そこには壁が崩れて家の中が綺麗に丸見えになっている家屋、そして横に広がる野菜畑があった。
「……やはりこれは、只事じゃないな」
「ああ……そうだな」
「えっ? どういうことですか?」
厳しい視線をそれらに向けるカイルとサムに、ピーターが聞く。
すると彼の横からガッとジョンが彼の頭に手を置き、ぐいっと頭を前に出すような形を取った。
「おっ、おわっ!? な、なんですかジョン先輩……!」
「ほら、よく見てみろ。まず野菜畑。あれ見てどう思う?」
「え? いや別に変な所はないっていうか、ただ夏野菜が取れ頃だなってぐらいしか……」
「そうだな、何も変じゃない。でもそれがおかしいんだよ。……なあ、最初この村の有り様見てどう思った?」
「え、えっと、もしかして野盗か何かにでも襲われたのかと……あっ」
と、そこでピーターは気づいて声を出す。それに横のジョンも頷いた。
「そうだ。賊がこの村を襲撃したんなら、あんなのは全部狩り尽くされてるはずだ。でも、一切手つかず。なんならそこらで壊れてる家屋よりずっと形を留めてる。しかもだ、横の崩れた家を見てみろ。ほらあのベッドの横」
ジョンが指を差しながら言うのでピーターは目を凝らす。そしてそれに気づくと、すぐさま「あっ……!」と先程よりもより強い驚きの声を出した。
「貴重品が散らばってて、そのまんまだ……!」
その視線の先にあるのは倒れた金庫、そしてその中から崩れた山のように広がる宝石やアクセサリーの類だった。
そのどれもが綺麗に輝き、手つかずで残っている。
「きっとこの家の住人はこの村をこうした“何か”から逃げるときに財産を持ってこうとしたんだろうな。でもその“何か”は住人だけを襲って、金品の類には目もくれてねぇと来てる。これはどう考えても賊の類の襲撃じゃない。それにしてはあまりにも欲が見えねぇ」
「…………じゃあ、一体、何が……」
ピーターの疑問に、誰も答えを持ち合わせていなかった。
この村で何かが起きたことは間違いない。だが、その『何か』が一体何なのか、サム達には想像すらできなかった。
そんな不気味で心地悪い沈黙が続いていたときであった。
ふと顔を上げたサムの視線に、とある姿が映ったのだ。
黒いドレスで白く長い髪を靡かせる誰かが、まだ形を残している家屋を横切って進んでいくのを。
「っ!? 待てっ!」
それを見た瞬間、後を追うためにサムは駆け出していた。
「お、おいどうしたサムっ!?」
「生存者らしき姿を見つけた! 後を追うから誰か一人ついてこい! 他二人は待機!」
「なっ……!? ったく! 分かったよ俺が行く! お前ら待ってろ!」
走っていくサムにそう言ってついて来たのはジョンだった。
二人はその場にカイルとピーターを残し進んでいく。
進むたびに、サムは白い髪の毛が道を曲がっていく姿を目にする。
鎧を身にまとっているとはいえ、騎士として鍛えてきた彼がなぜだかその後ろ姿に追いつく事はできなかった。だが、彼はその違和感にも気づかずに追い続ける。
「おい! 待て、お……」
と、追い続けていく中で、彼は急に足を止め、同時に声も途切れた。
「おいおい、どうしたんだよ……」
後ろからついてきていた軽く息を切らしながらたどり着いて聞いた。
それに、サムは振り返らずに答えた。
「……ここは、俺の家だ」
「えっ……?」
サムの目の前にあったのは、まさしく彼の生家であった。
他の家々よりも変わらぬ小ささで、その小ささに見合わない広い土地の中にポツンとある平屋。
横には緑生い茂る畑があり簡素な案山子がポツンと刺さっている。
そんな彼の家を、真っ赤な夕暮れが染めていた。
「…………」
「お、おいサム……」
無言で家に入っていくサムの後を不安げにジョンが追う。
中に入ると、外側は他よりも綺麗だった彼の家も実際は相当に荒れている事が分かった。
椅子やテーブルの類はすべて壊れ、様々な日用品が散乱している。
一歩一歩足を進めるたびに、ギィ、ギィ……と木の床が悲鳴を上げる。
そんな家の中を、サムはとても苦悶に歪んだ顔で歩いていた。
「これは……ここにも、ないな。人の気配は」
サムの背後で、ジョンが言った。
冷たい言葉かもしれないが状況を整理するためのきっかけは必要だろうと彼は思ったのだ。
「ああ……そうだな……父さんも、母さんも、妹のリンダも、誰もいない……」
消え入りそうな、しかしはっきりと聞こえる、サムの声。悲しみをなんとか押し殺しているのが痛いほど分かる、そんな声。
感情的になれば分かるものもわからない。そうと分かっているけれどもサムは自らの感情の制御ができていなかった。
「サム……。……ん? おい、サム。あれを……」
と、そんなときふとジョンが何かに気づいたような声を上げた。
サムは彼の声でいつの間にか俯いていた頭を上げ、彼の視線の先を見る。
そこには大きく壁に空いた穴があった。どうやって開けたか分からないほどの大穴だった。
だが、より視線を引き付けるものがその先にあった。
そこは本来寝室なのだが、本来ベッドがあったはずのところには何もなく、代わりに床が抜け、その先の地面にこれまた大きな穴が空いていたのだ。
直径二・五メートルと言ったところだろうか。とにかく大きな穴が地面に空いていて、それはまるで洞窟のように地の底へと続いていたのだ。
「なんだ? あれ……?」
ジョンが腰に下げたランタンを掲げ、火をつけて近づき始める。
サムもまた、その後ろに続いていく。
壁の穴を越えて地面にできた洞穴とまで言えそうな穴により近づいてみると、その穴の表面はとてもすべすべとしている事に気づいた。
いくらスコップなどで丁寧に掘ってもこうはならないだろう。壁面が硬質化までしているそれは、まるで長い年月を経た鍾乳洞のようでもあった。
あまりにも異質。
あまりにも不気味。
近づいていくたびに、この穴に近寄ってはいけないという気持ちがサムの心を侵食していく。
だがサムも、そしてなによりランタンを掲げて近づくジョンも、まるで魅了されたかのように穴に近づくのを辞められない。
「マジで、なんだんだよこれ……どうなってるんだよ……」
ジョンがボソボソと小声で言いながらついには穴の目の前まで来てランタンを穴の先の闇に向ける。
と、そこでサムの目にとあるものが入った。
それは置き時計だった。家族がいつもベッドから起きたときに時間を確認するために置いていたものだ。
置き時計はまだ元気に生きているようで、針が示す時間は午後の四時過ぎ。そんな時計が示す時刻を見て、サムは気付いた。
この時間で既に陽が傾いているのは、明らかに異常である、と。
ジョンがランタンに灯りを点けたのは純粋に暗かったからだが、それはつまり外から入る光では室内では心許なくなってしまったわけであり、そしてサムの生家の間取りは日差しがよく入るように設計されていたはずだった。
つまり、この時期のこの時間ではランタンを掲げる必要はないはずなのだ。
それなのに今、村はランタンの灯りが欲しくなる程に昏い夕暮れ時になっている。
――これは、一体……。
とてつもなく嫌な予感を、サムは感じた。
真相なんてどうでもいいからこの村から逃げないと、とまで思う程のモノを。
「お、おいジョン……もう帰還し――」
――ジョンの体が、突如何かに巻き取られて、穴の底に引き込まれた。
「……は?」
一瞬で目の前から消えた、サムの大切な仲間。
彼の後を追うように、手放されたランタンがコン、コン、コン……と軽い音をさせながら滑らかな斜面を転がり落ちていく。
悲鳴すら、聞く間もなかった。
「……あっ、うあ……う、ああああああああああああああっ?!」
対してサムはこれまでの人生で出したことのないような情けない絶叫を尻もちをついて上げた。
そして、これまた情けなく手足をバタバタさせながら向き直り、立ち上がって家から逃げ出した。
彼はとにかく走って、走り続けた。一度も止まらずに、待たせていたカイルとピーターのところにたどり着いた。
「サ、サム!? どうしたんだそんな慌てて!?」
「あれっ!? ジョ、ジョン先輩はっ!?」
驚き質問を投げかけてくる二人。
だがサムは目を見開き、真っ青になった顔で必死に叫ぶ。
「にっ、逃げるぞっ! 駄目だ! この村にいちゃいけないっ!」
「に、逃げるってお前……何も分かってないし、それにジョンはどうしたんだよ!?」
「そんな事言ってる場合じゃないんだ! 今のこの村は不味――」
――ベシャリ。
気色悪い音が、彼らの耳に入ってきた。
それは水気のあるものが潰れた音――粘液にまみれた手足を地面についた音のように思えた。
ベシャリ、ベシャリ、ベシャリ……。
それは四方から聞こえてくる。
夕暮れの村の中、建物の影から、背の高いトウモロコシ畑の中から、村の中にもある木々の後ろから聞こえてくる。
とっさに背中合わせにあって剣を抜く三人。
だんだんと近づいてくる耳障りな音と共に、この村に来てから鼻についていた異臭もまた強くなってくる。
ベシャリ、ベシャリ……ベシャリ、ベシャリ、ベシャリ……。
今、自分達はどれだけの数に囲まれているのか?
わからないが、“何か”が自分達に狙いをつけているのだとサム達三人は確信していた。
そして、それは不意に姿を現す。
近くの家の影から、ぬっとその姿を現したのだ。
それは、長い首だった。顔のない、緑色のテカテカとした突起のような頭だった。目も耳もなく、ただ大きく開く口だけはあり、たまに開くその口から長い舌が見える。
ジョンはあの舌に絡め取られたのだと、サムは理解した。
その首の長い頭はおおよそ一メートルはあって、その次に今度は手が出てくる。
首を除いた体の長さは一・五メートルほど、縦の大きさは一メートルもなく九十センチ程度に見える。
そんなアンバランスとも言える体を支える「手」は四本で這いつくばるように折れ曲がっている。
手足ではなく「手」としかサムが思えなかったのは、地面につくそれが四本共まさに人の手のような形をしていたからであった。
しかし人の手と違うのは合間に水かきがあること、そして指の数が八本である事だった。
これらの特徴を総じて一言で言い表すなら、目の前に現れた化け物は『顔のない首長蛙』と言うのが一番感覚的に正しいだろう。
――ヤァァァマァァァノォォウゥゥゥミィィィーーーーー――
サム達の前にそうして姿を現したソイツらは、まるで地響きのような低い“鳴き声”をそうして響かせる。
この村に来る発端となった衛兵の通信の録音。その後半にかかっていた不鮮明なノイズと、同じ音だった。




