1.ハッピーバースデイ 前
『サヤ・パメラ・カグラバ! 君との婚約破棄を今ここに宣言する!』
肌に痛みが走る程の鋭い雨が降りしきり、幾度となく響く雷鳴と共に閃く雷光が闇を裂く夏の夜。
地を這う彼女の耳にずっと響き続けるのは、共に未来を誓い合ったはずの想い人からの言葉。
瞳に焼き付いて離れないのは、信じていた友人達の保身に走った裏切りの姿。
心に絡みつくのは、申し訳無さそうに俯くも結局手を差し伸べてくれなかった親友の顔。
「……どうし、て」
サヤ・パメラ・カグラバはとても長い黒髪が伸びる頭からだらだらと血を流し、首に地を擦るほどに鎖が伸びている分厚い首枷を嵌め、慎ましながらもよく仕立てられた白いドレスをどろどろになった地面で汚しながらかすれたか細い声で呟いた。
彼女は亀が歩みを進めるが如き遅さで必死に泥を掻きながら前に這って進む。
爪も剥げた指を必死に動かす彼女に、ガチャリ、ガチャリ、とゆっくりとしたリズムの金属音が近づいてくる。
呼吸を荒くし震えながらもサヤが振り向くと、そこには甲冑姿の男達が四人程いた。
一番近くにいる男の手には簡素な戦鎚が持たれており、背後にいる男達はランタンや剣を手にしている。
サヤは再び前を向いて必死に這い進む。だがその先にあるのはせいぜい石積の古井戸で、森の中にぽっかり穴が空いたかのように草木が生えていない井戸周辺には彼女を助けてくれる者は誰もいない。
真後ろにいた男は戦鎚を片手で揺らしながら緩慢な足取りでサヤの前に回ると、すっと大きくその手の戦鎚を振り上げた。
「どう、して……どうし……て……」
閃光で照らされる煤けた甲冑姿を見上げ、大きく見開いた深紫の眼から流れ落ちる涙が尾を引く死への恐怖でグチャグチャになってしまった顔――かつては誰もが見惚れる程に美しく、今はその面影だけになってしまった憔悴した顔で、サヤは呟いた。
「どうして、こん、な……事に……」
彼女は思い出す。今まで彼女が歩んできた幸せだったはずの人生を。明るい未来が待っていたはずの残影を。
それは紛れもなく、サヤの人生における走馬灯であった。
◇◆◇◆◇
サヤは大陸において西側に位置し、世界最大の版図を持つ国であるマルシャン王国のさらに西端にあるブレスドウォーターという山中の村で生まれた。
母の名はパメラ・マイヤー、父の名はクニヒコ・カグラバと言う。
村で育ったパメラは、時折見られる極東にある島国からの流れ者であるクニヒコと恋に落ち、結ばれ、すぐにサヤを授かった。サヤと名付けたのはクニヒコで名は彼の国の言葉であり、一方でパメラは今では田舎に残るだけになってしまったミドルネームを与える風習から自らの名を与えた。
だが父であるクニヒコはパメラがサヤを産んですぐ、彼女の物心がつく直前に突然の病に倒れ亡くなってしまった。
それ以降はパメラが女手一つでサヤを育ててきた。そうした中、幼いサヤはすぐ自分が特別な力を持っていることに気づいた。
それは人々が天性の才能を基に扱う魔法とはまた一線を画した力であった。
魔法はせいぜい火を出したり風を出したりちょっとした怪我を癒やしたりといったもので常人なら日常生活に役立つ程度、一部強い力を持つ者が戦争で活躍するようなものであったのだが、彼女の力はそんな魔法の領域を遥かに超越していたのだ。
彼女がその力を振るえば死に至る病や助からない重症もまるでなかったかのように回復し、村で時折被害を出していた嵐による鉄砲水や土石流すらも操り防ぐ事ができたのだ。まさに“奇跡”と呼ぶべき力であった。
サヤは自らの力が人と違う事にすぐに気づき驚いたが、母のパメラは赤い瞳をサヤに優しく向けて彼女に優しく言った。
「それはきっと私とお父さんの血が混ざって産まれた力ね。私の赤い瞳とお父さんの青い瞳、その色が混じった紫の瞳と同じで、あなたが私達の子であることの証拠だわ」
話によると母であるパメラは村でもとりわけ力のある魔法を扱える特別な家系の娘であり、父であるクニヒコもまた同じ様に東の島国において連綿と受け継がれてきた独自の術を操る家系の末裔なのだと言う。
そんな二人の娘であるサヤが魔法を凌駕する力を発現させたのはその賜物、二人の愛の結実なのだと。
またパメラはこうもサヤに常々言っていた。
「サヤ、その力を正しい事に使いなさい。人の事をいつでも思いやれる子になりなさい。そうすればきっとあなたにも幸せが返ってくるわ」
穏やかな笑みで言う母の言葉は幼いサヤの胸に響き、母の言う事を守って彼女は心優しい娘に育っていった。
サヤは奇跡の力を人助けのためだけに使い私利私欲に扱おうとは一切思わなかった。
彼女が九歳の頃、パメラが一人で山に焚き木を拾いに行った際に山道で足を滑らせ運悪く死んでしまったときも、彼女は奇跡の力で母親を蘇らせようと試す事すらしなかった。
世の理を無視するような事をしてしまえば絶対に大きな災いの元になってしまうし、そもそもそういう事は人の世界でしてはいけないと彼女は理解していたからだ。
「お母さん……私、頑張る。頑張って、お母さんに教えてもらった通りこの力を人のために使うから……!」
サヤは母の墓前でそう誓い、子供一人で苦労をしながらも生きる中で、村だけでなく遠くの街にも出向いて奇跡で人々を救うようになった。
数多の奇跡を人々の前で起こした彼女は、いつしか“聖女”と呼ばれるようになった。
サヤはその呼び名を気恥ずかしく思う事はあっても驕る事はなかった。それが当然の行いであり、奇跡の力の正しき使い道だと思っていたからだ。
少しずつ活動範囲を広げながら行く先々で聖女として滅私奉公で奇跡を起こしていたサヤ。
そんな彼女が十三歳になった年に、ある少年が現れてこう言った。
「聖女よ。どうか私の未来の妻としてこの国を支え、共に未来を作って欲しい」
そうサヤに求婚してきたのはマルシャン王国第一王子、リクリー・エドキンズであった。
現在王国は絶大な権力を持ち最近まで行っていた大規模な戦争を勝利に導いた女王であるステファニー・エドキンズによって統治されており、リクリーは第一王子という立場だけでなく若くして既に頭角を現しつつあるその才覚からも、ステファニーの正統な後継者とみなされていた青年だった。
炎のように赤く、それでいて清潔に整えられた髪、海のように濃い青の瞳、彼の敏さを表すような鋭い顔立ち、すらっと伸びる高い身長、白コートの下に着た生半可な値ではないであろう真紅のベスト。そのどれもが彼の気品を反映していた。
村生まれの自分とは天と地の差ほども身分の違いがあるそんな少年からの求婚にサヤは最初戸惑った。しかし同時に、その立場差があっても田舎の庶民に過ぎない自分に求婚するほど彼は国の未来を考えているということを察した彼女は「まずは友人からはじめましょう」と彼の手を取った。
そうして始まった彼との新たな日常は、様々な驚きをサヤに与えた。
まずリクリーは自分と一緒にいても問題にならないようにとサヤに爵位を与えた。方法としては彼女の生まれ育った村から最も近い侯爵家の養子に入れるという荒業であった。
侯爵令嬢サヤ・パメラ・カグラバの誕生である。
同時に国教たる聖光輝教とも話をつけ、教会は聖女に対し不干渉の立場を取るという約束も彼は取った。
自分と同い年の少年でありながらもそれらの根回しを行う彼の姿に、サヤは驚く事しかできなかった。
また、サヤが彼と少し過ごして気づいたのがリクリーは表向きの性格は紳士だが実際の中身はなかなかに腹黒いという事である。
「俺を外面でしか判断しない奴らなど所詮その程度の相手だ。その点サヤ、お前は意外と面白い」
彼は身近な者に対しては「俺」という一人称を使って乱暴に喋り、その姿をサヤにも見せていた。
サヤはリクリーのそんな二面性を持ちながらも国を想う気持ちは本物な彼に次第に惹かれていき、共に過ごす時間の中でついに本当に恋に落ちた。
そうしてサヤとリクリーはお互い十五歳の頃に婚約を交わした。
また、そうして彼と過ごす過程で通い始めた貴族向けの学校、首都ブレアプロの一等地に学び舎がある王立ケドワード学園において、サヤは友人を多く作った。
その中でもとりわけ仲良くなり、気心の知れた友として三人の青年、そして一人の親友の少女ができた。
一人目は、リクリーが腹の中をさらけ出せる数少ない親友であり、若くして王国騎士団の任に就いている天才剣士、サム・コッカー。リクリーの一つ上の十八であり、彼よりも高い背丈に引き締まった肉体、色鮮やかな青髪に獣のように輝く金眼が特徴だ。
「私が忠義を誓うのは国でありリクリー様だ。私はそのための盾であり剣としてここにいる」
いつも顔をムスっとさせており、その顔から受ける印象そのままに堅物で融通の聞かない男だったが、それゆえいわゆる成り上がり者であるサヤにも分け隔てなく接してくれた。サヤはそんな彼の不器用だが真っ直ぐなところを素敵だと思っていた。
「妙な女だな……だが貴様といるとリクリー様は随分と楽しそうにされる。まあ、気持ちは分からんでもないがな」
二人目は、サヤの父と同じく極東の血筋の子である同い年の青年、カゲトラ・タカガワ。
陽気でいつもヘラヘラと笑っている彼だったが、同時に計算高く事を進められる策士であった。
ボサボサの黒髪と茶色の目は彼が純粋に東の血がそのまま流れている事を証明しており、何よりその細身にまとう黄色の着崩した和服がその生まれを強調していた。
「へへっ、俺の値踏みで高値を出せる女なんてなかなかいねぇぜ! だから自慢してもいいんだぜ、サヤちゃん?」
軽薄で女好きの守銭奴などと言われる事も多いが、サヤは彼の周りを見て空気を読み、うまく立ち回ってときには場を和ませ間を取り持てる動きができる事を尊敬していた。父と同じ国の生まれで同じ黒髪なのも彼女に親近感を与えた。
「サヤちゃんは純粋だねぇー本当に。少しは人を疑う事を知ったほうがいいぜぇ? ま、俺っちはサヤちゃんのそういうとこ、好きだけどね」
三人目の名は、イゴール・エクト・スペンサー。
年はサヤの一つ下の十六歳で、彼女と同じく田舎出身だが没落寸前の貧乏貴族の出でもあり、ミドルネームはそれゆえである。
本来ならば彼はケドワード学園に通える身分ではなく金もなかったが、その卓越した魔法の才能見込まれ特待生として学園に通っていた。
瞳も髪色も灰色で、長く伸びた髪を乱暴に質素なゴムでまとめて肩から体の前に垂らしていた。目つきは悪くそれでいて目の下に隈ができていて、ついでに顔つきも暗い。そんな彼がダボダボの紫のコートをまといながらだいたい前傾姿勢で本を抱えながら歩いているのだからあまり学内の評判はよくなかった。
「せ、聖女様なんかが僕に関わらないでくれよ……君達とは住む世界が違うんだ……」
始めは袖にされたサヤであったが、彼女は自分の興味のある事への研究に没頭する彼の姿が素敵だと思い、そこから仲良くなりたいという気持ちで根気強く接触を続けるうちにだんだんと打ち解けていった。
「僕の研究を笑わないでくれたのは君が初めてだよ……やっぱいると思うんだ、幽霊って……。え? モンスターはいないよ? そんなのはおとぎ話さ。変なこと聞くねサヤは」
幽霊の研究なんて周囲からは笑われている題材についても折れずに突き進み、その点においては無学だったサヤにも分かりやすく研究内容を教えてくれるイゴールの姿にサヤは自らも更に研鑽を積まねばならないと決意を新たにさせた。
そんな男子達に加え、サヤは同年代の一人の少女と親友になった。
名をアリア・アバークロンビーと言った。聖女と呼ばれるサヤに次いで、その美貌と若くして重ねた功績から王国中から羨望を受ける同い年の少女であり、 “叡智の才姫”という二つ名で呼ばれていた。
ブロンドの短いポニーテール、爽やかな色合いの碧眼、中性的でどちらかと言うならば男性寄りな美貌を持つ顔立ち、常日頃から白の軍服と言った目立った格好をした彼女は貴族の中でも選ばれた子達が集まる学園の中でもとりわけ眩しく輝いていた。
彼女の二つ名は公爵家の令嬢であり、かつリクリーの幼馴染として育ってきた程の身でありながらも天才的な頭脳によって数々の発明で国の発展にあらゆる分野で貢献してきた発明家である事から来ていた。風景をそのまま動く写真として映し見せる動画の技術、数々の難病に対する特効薬、遠くの相手と会話ができる魔法通信……その中でも王国から最大の功績として称えられているのは、以前から使われてはいたが製造体制に難があった銃をより使いやすく作りやすいものにした事であった。
更に知性だけでなく卓越した身体能力と魔法の才を持ち、自分専用に作った魔法の二丁拳銃を操るその姿で“魔銃士”という別の二つ名も持っていた。
「君がサヤ・パメラ・カグラバか。私はアリア・アバークロンビー、これからよろしく頼む」
見た目だけでなく性格もまた気高い紳士と言ったアリアは、最初からサヤに気後れしたり逆に蔑んだりすることなく対等に接してきた。サヤもそんな彼女の態度が嬉しく、二人はすぐさま親友と呼べるほどに仲良くなった。
「サヤ、君は本当に素晴らしい人間だ。その奇跡の力は言わずもがな、君の持つその優しい心は聖女として呼ばれるにふさわしい。私も見習わなければな」
アリアの気高い振る舞いに、むしろ自分が彼女のようになりたいとサヤは何度も思い、憧れた。
サヤはそんな一人の婚約者、三人の友人、そして一人の親友に囲まれながら中等部と高等部が一体になっている学園で笑いあり涙ありと言ったような濃い学園生活を送ってきた。
彼女はその中でよくこんな事を言っていた。
「私、みんなと会えて本当によかった。私の力は人とは違うけど、みんなこうして仲良くしてくれている。それがとっても嬉しくて……だから私はもっと頑張りたい。世界中の人が幸せになれるぐらいに。だってどんな人にも幸せになる権利はあるんだから」
サヤは心からそう思い、笑顔で語っていた。
だが、彼女はその純粋過ぎる心のせいで、人を疑う事を知らぬ箱入りの愚かしさのせいで、気づく事ができなかった。
彼女によくない目を向け疎ましく思う人間が少なからずいることを。そしてその中に、彼女の住まう国で、それどころか、今や世界で最も力を持つ人間がいることを。
彼女が大きく実ったその悪意を無垢の代償として叩きつけられたのが、十七歳になってから一ヶ月ほど経った、春の中頃の事であった。
サヤはその頃には美貌に磨きがかかっていた。父親譲りの黒髪を流れ輝く清流のように美しく長く伸ばし、母親譲りの軟雪のような白肌と高貴さを感じられる深紫の瞳で微笑む姿はまさに絶世の美少女であった。
幸せの中にいたはずの彼女に突然の破滅がやって来た舞台はブレアプロの中心にある王家の居城、エルメア城であった。
王国中の貴族が集められ開かれる、年に一度ある国家最大の舞踏会での出来事だった。
「サヤ・パメラ・カグラバ! 君との婚約破棄を今ここに宣言する!」
「……………………え?」
舞踏会もいよいよ最高潮と言ったタイミングで、大勢の貴族の前でサヤは突然リクリーにそう大声で告げられたのだ。大ホールから二階に続く階段の二又に分かれる踊り場から、ホールにいる彼女を見下ろし、明確に晒し者にするように。
「リ、リクリー……? それは、一体どういう……」
彼女がまとっている純白のドレスよりも顔を白くし驚くサヤ。周囲にいた貴族達はみなサヤから距離を取っており、それゆえ彼女は一人ぽつんと立つ事になってしまっていた。
未だ信じられないサヤだが、彼女に婚約破棄を言い放ったリクリーの顔はいたって真面目であり、普段の鋭い顔もいつも以上に鋭利に引き締まっている。
またそんなリクリーの横に、いつもとは違ってきらびやかなドレスを着たアリアが沈痛な面持ちで立っているのもよりサヤを混乱させた。
「ね、ねぇアリア……リクリーがおかしいの……あなたからも、なんとか言って……?」
「…………」
アリアは答えない。彼女は眉間に皺を寄せたままただサヤを見るだけである。
「貴様の罪状は既につまびらかにされているのだ、偽りの聖女よ! 貴様が邪法によって奇跡を騙ってこの国を惑わし、いずれはすべての富と権力をその手に収めようとしていた事はな!」
「……え、え? そ、そんな事なんてしてないよ……? わ、私はただ……みんなのために、なれたらなって……」
「まだそんな虚言を吐くかこの悪女め! すべて証拠は上がっているのだ! サム、あれを!」
「はっ、直ちに」
するとリクリーの横からサムが現れ手元に長い羊皮紙を広げ、普段と変わらぬ厳つい顔で言った。
「ここにはそこの女が犯してきた数々の罪について証拠となる証言と共に記されている。私が持っているこの羊皮紙はほんの一例の列挙にすぎず、そいつは星の数ほどの悪逆を尽くしてきた。今、諸侯にそれを書き写したものを渡そう」
「サ、サムさん……!? な、何言ってるの……!? 私、別に悪いことなんて……!」
目を見開き震えた声で叫ぶサヤの言葉を無視し、サムと他の騎士達が集まっている貴族達に羊皮紙を渡している。その中にはなんとカゲトラの姿もあった。
「カ、カー君!? どうしてカー君まで……!?」
「へへっ、御覧ください諸侯の皆様方。これの裏を取ったのはこのカゲトラ・タカガワだと言うことを是非覚えておいて下さいね」
サヤを無視しニヤニヤと笑いながら羊皮紙を配っているカゲトラ。
羊皮紙を手渡された貴族達はみな一斉にそれを読み始める。すると、読み終えた貴族達は一気にサヤに対し侮蔑するような目を向けひそひそと話し始めた。
「見ろ。盗み、姦淫、殺し、なんでもやってるじゃないか……」
「まるで国中の悪党の罪をかき集めたみたいだ、あんな顔してなんてひどい女なんだ」
「わたくし実は思ってましたのよ、聖女なんて嘘臭いって。とうとう化けの皮が剥がされましたのね」
「えっ……? え……?」
まるで別世界に来てしまったかのような冷たい空気。実際に刺さっているのではないかと感じる程の視線。自分を罵倒している言葉が絶え間なく聞こえてくる囁き声。
サヤはそこでいよいよ、今の状況が現実だと思い知る事になった。
「サムさんっ! サムさんなら分かってるはずだよね!? そんなのデタラメだって! 曲がった事はしないサムさんなら――」
「――黙れ売女」
サムなら自分を助けてくれる、そう思ってすがるように叫んだ彼女に帰ってきたのは、冷酷な言葉だった。
「我が主君が嘘をついているなど、図々しいにも程がある。貴様のような薄汚れた女の言葉など聞く耳持たん」
「そ、んな……」
あまりに冷たい言葉をサムから受け、わなわなと手を震わせるサヤ。
次に彼女はいつものようにニヤニヤ笑いながらサヤを囲んでいる貴族の中に立っていたカゲトラを見た。
「かっ、カー君なら分かってくれるよね!? 私はそんなことしないって……いや、できないって! 私、そんな器用じゃないし……!」
「……あー、なんか野良犬の遠吠えが聞こえるや。こんな街中にいるんだねぇ」
しかしカゲトラはそっぽを向きながら露骨に聞こえていないような素振りを取って言った。
「……あ、あぁあ……。……ハッ……ハッ……ハッ、ハッ……! ハアッ、ハアッ……!」
彼のその態度がとてもショックで、サヤはだらだらと汗を流し始め、胸を押さえて過呼吸になってしまう。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ……! だ、れか……! ……そ……そうだっ……! イ、イゴール君……! イゴール君、なら……!」
サヤはなんとか呼吸を整え、最後の希望と周囲を見回しイゴールを探す。彼もまた舞踏会に来ていたが、人混みは嫌だと一人離れていたのを彼女は知っていたからだ。
「あっ! イゴール君……!」
するとサヤはやはり壁際にいたイゴールを見つけ叫ぶ。彼はいつもよりも暗い顔で背中を曲げていた。
「……。…………」
だがイゴールは一瞬ホール全体を見下ろせる二階をチラっと見たかと思うと、ばっとサヤに背中を向けてしまったのだ。
サヤはそれに再びショックを受けつつも、彼が見た視線の先を見る。そして、そこにいたその人物の表情を見て、サヤは悟った。
「…………あ、あああ……!?」
そこにいたのは、僅かに、だが確かに愉悦の笑みを浮かべているリクリーの母、ステファニー女王の姿があったのだ。
長いブロンドヘアーと宝石の様に綺麗だが同時に背筋が凍えるほどに鋭い青の瞳を持つ世界最強の国家の女王ステファニー。
彼女はサヤの視線に気づくとすっと手に持っていた扇で顔を隠し、背中を見せ奥に消えていく。
それがすべてを物語っていた。この偽りの断罪を指揮し演出したのは、世界最高の権力を持った支配者、ステファニー女王なのだと。サヤの想い人も、友人達も、親友も、彼女の書いた脚本で動いているのだと。
みんな、その脚本を受け入れ、彼女を追い落とすのを受け入れたのだと。
「あああああ、あああああああ……」
サヤは絶望し、ガクリと膝から崩れ落ち両手を床につける。サヤの破滅を物語った姿だった。
「認めたか悪女め。貴様は自身の産まれた山奥の村で永久に閉じ込められ死んでいくのだ。生かしておいてやるのはかつて婚約を誓った者のせめてもの情けだ」
「あ……あああ……あああああ……」
演劇のクライマックスのセリフをリクリーが高らかと言う。その失望と悲しみの混じったような演技は、まさに彼こそが主演俳優と言わんばかりのものであった。
未だ動けぬサヤの近くにいつの間にか豪華な銀の甲冑を着た騎士達が現れる。王宮親衛隊と呼ばれる者達である。その一人がサヤの首に素早く分厚い鉄の首枷を嵌めた。
「うぐっ……!? コレ、は……!?」
首枷は喉を圧迫する苦しさを彼女に与える。それで苦しむ彼女に今度はサムが言う。
「それは魔道士の犯罪者につける魔力を封じる首枷だ。貴様に奇跡の力を使われて暴れられたらかなわんからな。それをつけて貴様はこの国最大の悪女として晒し者にされながら村まで送られるのだ」
サムがそう言って手を振ると親衛隊がサヤの両腕を乱暴に掴み、力ずくで彼女を引きずって行く。
「い……いやっ……いやぁっ!?」
それまで動揺と悲しみで身動きが取れていなかったサヤだったが、その痛みと恐怖で再び感情が溢れ出す。
「いやっ!! やだっ! やだよぉっ! ……誰か! 誰か助けて! 私は何もやってない! やってないのぉ! みんな! みんなっ! リクリーっ! サムさんっ! カー君っ! イゴール君っ! アリアっ……! 誰か、誰か助けてよぉ……!」
誰も彼女の言葉に答えない。ただ、アリアがこっそりと『すまない』と口だけを動かして伝えてきただけだった。