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「朗々禱る」

(いの)る、と読みます。













「氷見原さん」







彼が逝った。


私は彼の眠った顔を見て、途方に暮れかけたのち、約束を思い出した。

そうして病室をでると、後から追いかけてきたらしい先輩の看護師に呼び止められた。

「はい」

振り向き、飽くまでも事務的に答えると、白いものを差し出された。

「『私が死んだら、渡して下さい』って」

四角い白い紙。裏は糊付けされ、表には何も書いていない。ただひたすら白い封筒。

彼が欲しいと言ったのは白い花だったなと改めて思った。

「ありがとうございます」

深く一礼して、去った。

何処へとは問われなかった。



()の公園に来ていた。

花壇の脇に、こっそり咲く白い花たちを手折ってゆく。一本、二本と。

「二十二本……二十、三本」

両手の中には小さな花束。白い、雪のような花束だ。

あまり花の名には詳しくない。ただ、とにかく色々な種類を摘んでみた。その所為で花束としてはあまり見栄えが良いとは言えなくて、後悔した。

雑然とした花束をベンチの上にそうっと置いて、その隣に腰掛けた。ポケットから薄い封筒を取り出す。その無機質な白をまじまじと眺めてから、慎重に指で破いていく。1㎝ほど残して、中から便箋を取り出した。

封筒の薄さから推測した通り、一枚。

そのことに小さく失望する自分を見つけて、驚いた。

彼は、相手に関わらず長い手紙を寄越す人物のようには思われなかったし、そもそも筋肉が上手く働かなくなっていた最期数週間は長文を書くことを不可能にしていた。それを知っていて尚、何を期待していたのだろうか。

ぱらり、と便箋が開く。

――思ったよりずっと綺麗な字だ。

見ていた限り、とてもじゃないが字を書くことは難しいような状態だった。だが、今目の前に並んだ文字は読みやすい。時間をかけてかかれたことは一目瞭然だった。

ああ、馬鹿だなぁとため息を零す。

彼はこんなにも私に誠意をつくしてくれたのに、私は、何を考えていたのだろうか、と。

目を閉じ、息を吸う。

身勝手な不満を抱えたまま読みたくはなかった。

息を吐く。

目を開いた。


『氷見原様』


  約束をもし守ってくださったなら、その花たちを、病室の屋上からばらまいてください。

  それで貴女の心が、少しでも明るくなれば幸いです。

  私がこの先生きていればあったであろう、すべてのさいわいをかけて。

  貴女のこれからの幸せを、

  こころから願います。


最後の行に、書き慣れているからか他よりも流麗な文字が書かれていた。彼本来の字のような気がした。


『大倉景二三』



ルール違反ですよ、と呟いた。

先に約束を破ったのは私だけれど。

無表情のまま立ち上がり、歩き出した。


途中、スタッフルームに寄り、机にあった目的のものを手に取った。

そのまま屋上に上がった。

足取りは重くもなく軽くもなく。ただ淡々と、義務のように歩いた。



――屋上は、抜けるような晴天だった。

腹が立つよりも拍子抜ける。こんな重大なことも、世界にとってはなんでもない日常の一環なのだと思わされる。

何も変わらない。

私は明日からも、この病院に勤めて同僚と笑ったりしながら過ごしていく。

何も変わらない。

私の生活すらも変わらないのだ。

ちっぽけ、とは思わない。ただ、この世界があまりにも全てに無関心すぎるのだ。あまりにも全ての変化をあっさり『日常』に併呑していってしまう。『日常』はあまりにも不可視で強大だ。

或いは世界の方が早過ぎるのだろうか。世界があまりにも早く変わっていくから、私たちがどれほど変わろうとそれは『日常』であり、変わらずにいれば置いていかれる。


私は花束を傍に置いた。もう片方の手に持っていた本を、ひらいた。

何度も読んだ頁には癖がついていて、すぐに開いた。

息を吸う。



けふ(きょう)のうちにと()くへい()てしま()わたくしのいもうとよ」


蒼穹(そうきゅう)に向かって、せめて朗々と聞こえるように読み上げる。

約束を破って、ごめんなさい。

貴方は分かっていただろうけれど。


「ああとし子」

「死ぬとい()いまごろにな()て」

「わたくしをいつしやう(いっしょう)あかるくするために」

「こんなさ()ぱりした雪のひとわんを」

「おま()はわたくしにたのんだのだ」




雪のような白い花束に、私はそっと目を向けた。

こういうことでしょう?

そう言いたくて。

こう答えたくて。


「ありが()うわたくしのけなげないもうとよ」

「わたくしもま()すぐにすすんでいくから」


そして、ルール違反を責めるように、最後まで読み上げる。

祈るように。


「わたくしはいまこころからいのる」


貴方が『とし子』なら、私が『わたくし』だ。

だから、これは私に言わせてほしい。


「どうかこれが兜率(とそつ)の天の(じき)(かわ)()て」

「やがてはおまえとみんなとに」

(きよ)資糧(かて)をもたらすことを」


「わたくしのすべてのさいはひ(わい)をかけてねが()



貴方の幸せを。



雑然とした、あめゆきの代わりを掴む。

駆け出して、フェンスから腕を突き出した。こんな時、事故防止の高いフェンスが憎らしいが、腕を出せるくらいに粗い金網で良かった。

彼は一度も屋上に来なかったから、フェンスの存在を知らなかっただろう。


突き出した腕、その先に揺れる雪。

眼下には、彼を忘れた世界たち。


それを切り裂くように

風が吹く。


手を、開いた。





花が





白が





飛んでゆく。



どこまでも風に吹かれてゆく。








くるりと背を向け、私は詩集に顔を押し付けた。



fin.

ここまで読んでいただきありがとうございました!

話はこれで完結です。参考までに、テーマ?であった宮沢賢治の「永訣の朝」をのせておきます。知っていた方も多いとおもいます。

ちなみに今回もお題サイト「揺らぎ」様のお題を使わせていただきました。毎回毎回すみません;;

「太陽と死にたい」

揺らぎ様→http://hp.xxxxxxx.jp/flickerss/test01/


けふのうちに

とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

(あめゆじゆとてちてけんじや)

うすあかくいつさう陰惨(いんさん)な雲から

みぞれはびちよびちよふつてくる

(あめゆじゆとてちてけんじや)

青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた

これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

   (あめゆじゆとてちてけんじや)

蒼鉛〔さうえん〕いろの暗い雲から

みぞれはびちよびちよ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになって

わたくしをいつしやうあかるくするために

こんなさつぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまつすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

…ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまってゐる

わたくしはそのうへにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系〔にさうけい〕をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらつていかう

わたしたちがいつしよにそだってきたあひだ

みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

あああのとざされた病室の

くらいびやうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまつしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

   (うまれでくるたて

    こんどはこたにわりやのごとばかりで

    くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜率の天の食に変わつて

やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


兜率の天の食→天上のアイスクリーム

となっている場合もあるみたいです。どっちが本当なんだ…

他にもちょこちょこ違うところがあるみたいですが、私が読んだ方(高校の教科書)を参考に書かせていただきました。


コメ・評価いただけると嬉しいです^^

ありがとうございました!

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