「再び生まれてくるならば」
すみません、短いです。
病状が悪化した。
僕は個室に移され、僕の世話をしてくれる看護師は二人に増えた。
彼女は中々僕に付きっきりになり、申し訳なかった。
「貴方は……」
「はい?」
ある時、唐突に彼女は言った。腕が思うように動かなくて苛々しているときだった。
「綺麗ですね」
やはり作ったところの見当たらない言の葉を、しかし笑顔ではなく真顔で、彼女は言った。それの意味を取れず、首を傾げる。
「初めて言われました」
「ああいや、外見がどうとかではなく……あ、いや外見は綺麗でないて言う意味ではなくてですね」
慌てたように言う彼女を見て、つい唇の端が持ち上がる。
彼女はそんな僕を見て、一瞬呆気にとられたような顔を見せた。そしてため息をつくように、「綺麗ですね」と繰り返した。
「"死んでいく人は美しい"――」
知っていますか、という目をする。
「太宰治だったかと」
ええ、と神妙に頷いた。
「近頃、本当にそうだな、って思うのです。貴方を見ていると。」
僕は黙っていた。
それは間違いだとも、同意できないとも思ったが、とにかく黙っていた。
「言いましたよね、『太陽と死にたい』って」
それは半月くらい前の話で、まさか覚えていようとは思わなかった。ひどく自分勝手でみっともない、きたならしい言葉だったので、忘れていてほしかった。
僕は頷かなかったが、本心から同意を求めての言葉ではなかったらしく、彼女は続けた。
「太陽と死ぬのは、不可能です。………でも、」
私なら、一緒に死ねます。
吐息混じりの声だった。
****
かすれた声。
薄暗い病室。
世界にはもう誰もいない気がして。
貴女が死んだら、もう本当に誰もいなくなってしまうのに、どうしてそんなことを言うのか分からなかった。
「看護師さんが、患者に一々入れ込んではまずいんじゃあないですか?」
冗談交じりに聞こえるよう尽力しながら、下手くそに笑った。
「患者じゃ、ないです」
彼女の声は掠れたまま。
それが妙に、ぞくりとするような甘さを含んでいるように錯覚させられる。
「貴方に、です」
甘美な囁き。優しい誘い。
一緒に死にましょう?
背徳的な快楽。それは愛撫に似た優しさを以て僕を誘い込む。
「―――」
息を吸い込んだ時、ガタンと大きな音がした。びっくりして二人で音の方をみる。どうやら、廊下で何かを落としたらしい。すぐに誰かがゆっくりと去っていく気配がした。
再び顔を見合わせた時、不思議な空気は霧散していて、それと共に言おうとした言葉は胃酸に熔けていて、もう形も判らなかった。
「"Ora Orade Shitoride egumo."」
彼女は、モルモットか或いはネズミのようにきょとんとして私を見た。
「『私は、私一人で逝きます』……おんなじ詩です。宮澤賢二の。」
詩だったんですか、と言う。もう、掠れてはいなかった。
「とし子と言う、妹が死ぬんです。彼の。……彼は妹のことを健気だと、半ば尊崇するかのように言うんです。だから、私も、彼女のように、なりたくて」
尊崇されたいわけじゃあないけれど。
惜しまれて…あんなに惜しまれて亡くなる彼女が羨ましくて。
あんなにうつくしい彼女が羨ましくて。
「貴女が私を美しいと思うのだとしたら、それは、私がそう振る舞っているからなんです」
錯覚です。と言い切った。
彼女は傷付いた顔をした。
けれど、まさか、一緒に死んでくれなんて言えない。一緒に死のうなどと言わせてはいけない。――なんて。
頷いていたかもしれない僕を、僕は取り繕いたいだけなのかもしれない。
そうして彼女を傷付ける僕が、いる。
「この間の科白……」
彼女から目を逸らし、病室の白すぎる壁を見つめた。
「『再び生まれてくるならば、今度はこれほど己のことばかりで苦しまぬよう生まれてきます』――って、そういう意味なんです」
僕は笑う。
僕は笑うようになった。此処に来てから……彼女に会ってから。
でもそれはとても嘘臭くて、ひどい笑顔だ。
「次こそは、誰かのことで苦しみたい…だなんて素晴らしいじゃあないですか?………でもね、私は、違うんです」
自分のことで苦しむより、誰かのことに苦しみたい、なんて。思ってもない。
あれを言ったのは、
「……苦しみをも共感してしまうほど、大切な誰かがいたら良かったのに」
馬鹿みたいにつまらない、卑屈なコトバ。
ほら、僕は美しくなんかないでしょう?
唐突に、温かさにぎゅっとにぎりしめられる。
驚いて自分の右手を見ると、小さな彼女の両手が僕のそれを包むようにして握りしめていた。
「大丈夫ですよ」
そう言って笑った。
本当に、なんてきれいに笑う人なのだろうと思う。
「貴方は、私の『とし子』です。 貴方が何と言ったって、変わりません。」
だから、大丈夫ですよ、と笑う。
その笑顔があんまりにもきれいだったから、眩しくて涙が出た。そうしたら止まらなくて、でも、彼女は止まるまで背中をさすってくれていた。
(もう少しだけ長く、この世界を見ていたかった――)
掠れた願いは、吐息に掻き消された。
(――あなたと。)