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幸せな刻<黒のシャンタル外伝>

作者: 小椋夏己

幸せな刻(フェイの物語)


 フェイがシャンタル宮の侍女募集に応募した年は選ばれた者が多く、十五名が新しく侍女見習いとしてこの先の人生を尊い女神に捧げる道を選ぶことになった。


 選ばれた子の年齢は8歳から11歳まで。フェイはその中で最年少の8歳、体も一番小さく、他の人と打ち解けることもあまりない内気な子だった。どうして自分が選ばれたのか分からなくて、喜ばしいことだと言われても戸惑うばかり。他の女の子たちが選ばれたことがいかに素晴らしいことかと胸を張って誇らしくするのを、遠くの出来事のように見ているだけだった。


 宮に入って侍女教育を受ける時に、それぞれが違う色の衣装を選ぶことになり、衣装係の先輩侍女が何枚かの衣装を持ってきて、好きな色を選ぶようにと新しい侍女たちの集まっている部屋に置いていった。基本的にこの時選んだ色がその侍女の生涯の色になる。もちろん、途中で変えることもできるし、役職が就いたりすればその色に変わることにはなるが、やはり一生使う色、ゆっくりと選ぶようにと言って先輩たちは退室していった。


 他の女の子たちがそれぞれ好きな色を選ぶのをフェイはやはりじっと黙って見ているだけ、その輪の中に入って「自分はこれが」と主張することもできない。黙って最後に残った青い色を手に取る。先輩侍女はとりあえず何色かを候補に持ってきただけなので、気にいった色がなければ言ってくるように、他にもあるからと言ってくれていた。実際に選んだ色ともう少し違う色が欲しいと言って行った子もいたが、フェイはそれすらできず、黙ってその日からその青い色がフェイの色となった。


 フェイが宮の侍女に応募したのは自分の意思ではない。フェイの父とその妻の意思だ。父の妻はフェイの実の母親ではない。

 フェイの実の母はフェイを産んだ後で体調を崩し、そのまま一年ほど寝付いて亡くなったそうだ。その後フェイは商家で働く父と二人で暮らしていたが、フェイが4歳になった頃に父が再婚をした。その後妻とフェイは折り合いが悪く、フェイの下に弟と妹が生まれた頃には、フェイはすっかり一家からはじき出されたように、いつも隅っこでじっと一人でいるようになっていった。そして奉公にでも出してしまおうかと父と継母が話をしていると侍女の募集があり、もしも受かればその方が世間体もいいしと受けさせたところ選ばれたのだ。


 父と継母は家の誉れのように周囲に触れ回ったが、フェイにはこれからは宮の人を自分の家族と思うこと、新しい家族を大事にして、もう古い家族のことは忘れるようにと言い聞かせ、宮にもフェイはもう神の家族になったのだから、何かあっても連絡は不要と実質縁切りをして去っていった。


 フェイは自分が宮に捨てられたのだと理解はしたが、だからといってそれを特にさびしいとか悔しいと思う気持ちも沸かなかった。だって、家ではずっと一人だったのだから、一人で生きるのならその場所などどこでもいい、これまでとこれからは何も変わらない、そう思っていたからだ。


 そしてその通り、フェイは宮に入ってからも一人だった。同期の侍女見習いとも他の先輩侍女とも特にうちとけることもなく、必要最低限の関わりを持つだけ。いつでも皆の輪から少し離れたところでぽつりと一人で座っている。気を遣って話しかけてくれる人はいるが、他人とあまり話したことがないフェイとは話が続かず、気がつけばいつの間にか離れていってしまう。

 そんな繰り返しだったがフェイは特にさびしいとかつらいとか思うことはなかった。だって、家にいた時と特に何かが変わるわけではなかったから。これが自分の人生なのだと静かに受け入れていたから。


 フェイの一日は他の侍女たちと同じく、宮の1つ目の鐘で目覚めるところから始まる。シャンタルとマユリアがお目覚めになられる2つ目の鐘までに身支度を整え、一日の準備をしておくのだ。

 フェイは多くの侍女見習いがそうであるように「小物係」に配属された。仕事の基礎の基礎、宮にあるあらゆる物を整えて不備がないように整える、最も人が多く、宮に入った全員が一度は経験をする部署だ。その日によって扱う物や多少手順は変わるが、ほとんどやることに変化はない。

 ただ黙々と仕事をこなして一日を終えたら、侍女見習いはシャンタルがお休みになられる1つ目の鐘で仕事を終えて寝る支度をする。遅番でない限り大部分の侍女は2つ目の鐘までが仕事の時間だが、侍女見習いはなんといってもまだまだ幼い、大人と同じ時間まで仕事をさせるのは酷だということでそうなっている。


 フェイも1つ目の鐘を聞いたら仕事を終えて侍女見習いたちの大部屋へ戻るが、その時もほとんど誰とも話すことはない。入浴をしたり片付けをしたりして2つ目の鐘がなるまでには寝てしまう。明日の朝も早いのだ、やることがないのなら起きていても仕方がない。


 宮に入ってから二年間、フェイはただただ、そんな生活を繰り返していた。そしてこれからもずっと繰り返すのだろうと思っていた、あの時までは。


「託宣の客人の世話役を務めているミーヤを手伝ってください」


 ある朝突然侍女頭のキリエに突然そう命じられ、あまり物に反応しないフェイもさすがに驚いた。


 ある日一人の男がカースという村の海岸に流れ着いた。乗っていた船が嵐で沈み、ただ一人だけ生き残ったのだという。託宣によりその男は「託宣の客人」として宮に招かれ、女神の勅命で衣装係のまだ年若い侍女が付くことになった。

 最初の話ではその男は船乗りだと思われていたが、本当は護衛として船に乗り込んでいた傭兵であったと明らかになった。


 傭兵という単語は物語などで耳にしたことがあったとしても、長きに渡って外の国との戦争もなく平和なこの国シャンタリオでは、一部に物語に登場する英雄のように憧れの目を向ける者もあるが、衛士や憲兵のように主に仕えることなく金で動く兵として、卑しく無頼の者と蔑む者も多い。

 フェイは自分とは全く関係のない世界の話だと聞き流しながらも、なんとなく恐ろしげな響きを感じていた。


 その傭兵に自分も世話係して付くようにと言われ、さすがに少しばかり恐怖を感じた。だが、その後に続く言葉にますますフェイは萎縮することになる。


「そしてミーヤと託宣の客人がどのような話をしていたか、どのように接していたか、それをつぶさに見て毎日報告するように」


 これはつまりミーヤという侍女の方とその託宣の客人を見張れということだとフェイにでも理解できた。


 どうしてそんなことをしなければならないのか。疑問に思っても相手はこの宮の人の中で最も偉い侍女頭だ、フェイは「はい」と答えるしかなかった。


 フェイはオレンジ色の衣装のミーヤという侍女に紹介されたが、とてもやわらかな優しい方だったのでほっとした。託宣の客人は恐ろしい傭兵という仕事をしている人だ、乱暴者に違いない、そばにいたらどんなつらい思いをするか分からない、侍女たちはそんなことを言っていた。そんな人のお世話をするのにご一緒させていただく侍女の方まで厳しい方だったらどうしよう、そう思って恐れていたので安心したのだ。


 ミーヤに付いて客殿の最も上位の部屋、シャンタルの交代の時などには国王陛下や皇后陛下が滞在されるという部屋へ足を踏み入れると、そこにはごく普通の若い男性がいた。どんな怖い人かと緊張していたフェイはそれでもまだ心臓がドキドキ言っているのを感じていたが、ミーヤに紹介された後、思わぬほど優しく、そして楽しく声をかけられて拍子抜けをした。


 その日からフェイは託宣の客人トーヤのもう一人の世話役、そしてトーヤとミーヤの監視役となった。


 始まりはそんな風に緊張から始まった務めであったが、想像もしなかったことにトーヤはフェイに対してとても優しく接してくれた。トーヤだけではない、先輩で自分を指導する立場のミーヤも同じことだった。二人ともまるでフェイが自分の家族ででもあるように扱ってくれて、誰からもそんな扱いを受けたことがないフェイは困ってしまうほどだった。


 キリエに毎日の報告はしていたが、まずキリエはミーヤにその日の報告をさせ、フェイに内容に違いがないかを確認する。それがフェイはとても嫌だった。ミーヤは正直にその日あったことを報告していて、フェイはほとんどそれが正しいと言うだけのことだが、たったそれだけのことがどんどんと苦痛になっていった。


 だって、お二人ともとても優しくて、一緒にいると気持ちが柔らかくなるのだ。キリエに呼ばれ、ミーヤに隠れてその様子を見ていると柔らかくなった気持ちがまた固まるような気がしてくる。おまえの使命は二人を見張ること、心を許してはいけない、誰かにそう命令されているようで。


 そんな日々が続いていたある時、事件が起こった。トーヤの要望でリュセルスの街へ行くことになった。


 特に何かをするわけではない。トーヤがマユリアに街でも見てきたらどうかと言われたので行くことになった、それだけのことで目的も何もない。トーヤと世話役のミーヤ、フェイ、そして護衛のルギの四人で小さな食堂に入って食事をし、後は街を見て歩いただけだ。


 フェイは王都リュセルスからそれほど遠くない町の出身だ。だが二年前、8歳の時に侍女に応募する時に通っただけで、その後は宮から一歩も外には出ていない。住んでいた町もそれなりの大きさだったがリュセルスは桁違いだった。見たこともない大きな建物、たくさんの人、広い道。フェイはそんな物に圧倒されそうになりながら、必死で三人に付いて歩く。

 前を歩くのはトーヤとミーヤ、その後ろにフェイとルギが並んで歩く。前で二人が話すことが流れるように聞こえてくる。そのうちトーヤがなんだか恐ろしげなことを口にして、くるりと後ろを振り向いてルギに話を振ったらルギは知らない顔をした。


 その後はあまりいい雰囲気ではなくなり、前の二人ももう何も話さないまましばらく歩いていたが、


「とりあえず今日はもう帰るか。疲れた」


 そう言ったトーヤが振り向きざまぽいっとフェイを掴んで抱き上げ、方向転換をした。


 驚いて動けずにいるフェイに向かって、次にトーヤはこう言った。


「ようちび、おまえも疲れただろ、その小さい足でご苦労だったな。さ、帰るぞ」

「は、はい……」


 フェイはそれ以上のことを何も言えず、トーヤの腕の中で固まったまま、今まで見たこともない高い位置、ちょうどルギと同じぐらいの高さの視線から景色を見ることになった。


 トーヤは少し調子のはずれた鼻歌を歌いながら街を歩く。なんだか通りすがりの人たちが全員自分を見ているようで、フェイは恥ずかしくなってきた。


「あ、あの……」

「ん、どうした?」


 フェイが声をかけるとトーヤは鼻歌を続けながらそう返事をする。


「あ、あの、自分で歩けますから、あの、降ろしてくださって、大丈夫です」


 どう言えばトーヤの気持ちを損ねずに降ろしてもらえるか、必死に考えながらフェイがそう言うと、


「おい、ちび、おまえ、今日はずっと大人と同じように歩いてて疲れただろうが、足が痛くなってねえか? いいから馬のところに戻る間ぐらい大人に甘えとけ」


 そう言ったきり、トーヤはまた鼻歌を歌いながらリュセルスの街を歩き続けた。


 フェイはふいにあることを思い出した。前にもこんな風に高いところから町の景色を見たことがあった。あれはいつのことだっただろう。


 そうだ、お父さんがこうやって自分を抱き上げたり肩車したりしながら歩いてくれたことがあった。お祭りか何かで町に出た時だった。人混みに小さなフェイが紛れてしまわないように、そうやって歩いてくれたんだった。


 新しい母親が来て新しい家族ができるとそんなことはすっかりなくなってしまい、忘れてしまっていた。お父さんと二人でいた頃、よく大きな手で頭を撫でてくれた、楽しいことを言って笑わせてくれた、そしてこうして抱っこしてくれた。


 フェイはふいに戻ってきたその記憶に胸が苦しくなる。もう二度とそんな日が来ることはないと思っていたのに、あの時の幸せな刻が戻ってきたような気がした。


 フェイの思いには気がつかず、トーヤは言ったように馬に乗るまでずっとフェイを抱っこして歩いてくれた、少し音のはずれた鼻歌を歌いながら。その歌を聞きながらフェイの目に沈みかけた夕日が赤く映っていた。


 フェイはいつからかトーヤとミーヤと過ごす時間を幸せに感じるようになりながらも、同時に侍女頭のキリエから命じられていること、二人を見張れという役目を自分が負っていることも自覚していた。だが、リュセルスから戻ったその夜、ある出来事があり、色々なことが一気に変化する。


 翌日、フェイはキリエにこれからは毎日の報告はせずともよい、何か変わったことがあったらその時に報告しに来るようにと言われた。一気に肩の荷が降りたが、同時に今度は他のことに気がついてしまった。

 トーヤとミーヤの間になんとなく隙間ができたように感じる。二人とも自分には今までと同じように接してくれているが、二人だけで話すことが減った。今までトーヤがミーヤをからかって怒られたり、お行儀が悪いと怒られたりしていたのに、ほんの少しだがそんなことが減った気がする。

 ほんの少しだけだし、他の人の前では前から二人はそれほど親しそうな姿は見せていなかったからかも知れないが、フェイの前でもよそよそしくなった気がした。


 フェイはあの夜にあったこと、ミーヤが夕飯をこぼしたこととキリエが自分に報告は不要と言ったことが関係ある気がして仕方がなかった。もしかしたら自分のせいで二人は距離を取っているのではないか、そう思えた。


 そんな息苦しい日が続いたある日、カースからダルというトーヤの友人だという人が宮を訪れた。


「ダル、こいつが俺の第二夫人のフェイだ、よろしく頼む」


 驚いたことにトーヤはダルにフェイのことをそう紹介したのだが、第一は誰だとの質問をミーヤに否定され、


「そんじゃちびが第一に決まりだな」


 とそんなことを言った。その日から何かがあるとトーヤはフェイを「俺の第一夫人」と呼ぶようになった。


 ダルが宮を訪れるようになり、トーヤもカースを訪れる。ミーヤとルギ、そして自分ももちろん一緒だ。宮から西の海岸にある小さな村、フェイはそこで予想もしないほど暖かく迎えられることになった。

 村人は皆、トーヤにもミーヤにもルギにも気さくに話しかけ、フェイもまるで村の子のようにフェイちゃんと呼ばれ、子どもらしく扱われる。


「子どもは黙って座っとけって」

「フェイちゃん、お菓子食べるか?」


 家ではいない者のように扱われ、宮に入ると侍女の一人としてその日から大人と同じ扱いをされるようになったフェイには驚く出来事だった。


 フェイの心は厚く氷が張った湖が春を迎えたように次第に溶け、表情も豊かに子どもらしくなっていった。

 なぜだろう、毎日朝起きるのが楽しい。以前は鐘の音と同時に起きて後は流されるまま、命じられるままに動き、また鐘の音とともに眠る、それだけの日々だったのに。


 そんな生活の中、フェイが唯一心を痛めたのがトーヤとミーヤの距離だ。フェイはできるだけ二人に接点をもたせようと色々なことを考えた。


 ある時のことだ、トーヤはミーヤが近くにいなくて気を抜いたのか、だらりと長椅子の背に右手をもたれさせたまま、左手でカップを持ってお茶を飲んでいた。


「トーヤ様」


 フェイはつかつかと近寄ると両手を腰に当て、上から叱るようにこう続けた。


「またそんな座り方をして、ミーヤ様に叱られますよ」


 トーヤはフェイがそんな言い方をしたのでびっくりした顔になったが、すぐにニヤリと笑うと肩をすくめ、両手を広げてこう言った。


「おいおい、俺の第一夫人はいつから第二夫人の真似をするようになっちまったんだ? ここにはもう俺が安らげる場所はなくなっちまったのかよ」


 この言葉は少し離れていたところにいたミーヤの耳にも届いたようで、


「フェイ、トーヤ様は一体どんな座り方をなさっていたんですか?」


 と、ミーヤがすたすたと近づいてきた。


「いや、何もしてません!」


 急いでトーヤが姿勢正しく座り直したが時すでに遅し、ミーヤにお説教をされるはめになり、それが終わるとため息をついて、


「フェイ、おまえは本当にフェイか? 本当は小さい頃のミーヤじゃねえのか?」


 と言ったので、フェイはミーヤと顔を見合わせて吹き出した。


 その日から、フェイはできるだけトーヤとミーヤが話をできるように間に入るようになった。自分がいることで二人が仲良く話ができるようだと思ったから、そうして三人でいる刻が幸せでもあったから。ずっとずっとこうして一緒にいられたらいい、そうまで思うようになっていったがフェイにはまたこうも分かっていた。


 トーヤはいつか遠くに行ってしまう人だ。フェイは心のどこかでそう思っていたが、そんな時にあらためて侍女頭のキリエに同じことを言われた。


「あの方は託宣の客人、今はお役目があってこの宮に滞在なさっているのです。そのお役目が終わったら宮から去る方、そのことを忘れぬように」


 フェイは小さく「はい」とだけ答えたが、言われるまでもなく知っていると思っていた。


 いつまでその刻が続くか分からない。だけど今だけは、トーヤがここにいてミーヤがその世話役を務め、自分がその手伝いをするその間だけは笑っていたい。幸せな刻を今だけ、今だけは……


 フェイはトーヤが去る日のことは心に封じこめ、考えないようにしていた。そんなある日、また事件が起こった。


 カースでトーヤがダルのカップと間違えて飲めない酒を飲んでしまい、昏倒した。村のみんなで慌てたが、すぐに回復したのでそのままトーヤはダルに任せ、フェイもミーヤと共に与えてもらっている部屋に戻って休んだが、なんだか心がざわざわしてなかなか寝られなくなってしまった。

 

 フェイがトーヤに頼まれて頭を冷やしていた手ぬぐいを冷やしに井戸端に行き、戻ってきたらトーヤとミーヤの間の空気がなんだか違っていたのだ。


 なんだろう、二人の間に何か大事な約束事でもできたような、まるで何かを誓っているような、そんな感じがした。フェイは自分がその中に入れてもらえなかったことを少しさびしく思うと同時に、もしかしてその時が、トーヤがこの地を去る時が来たのではないか、そう思うと苦しくてたまらなくなった。


「フェイ、眠れないのですか」


 眠っていると思っていたミーヤがそう声をかけてきた。


「トーヤ様は大丈夫です。ダル様が付いてくださっているでしょう?」


 ミーヤのその言葉の奥にはやはり何かを知っている響きがあった。あったがフェイには何も言えない。


「はい……」


 そうとだけ答えてミーヤと共に眠りについたが、朝、目を覚ますとトーヤは思った通りいなくなっていた。

 フェイはミーヤの様子を伺ったが、ミーヤは白い顔をしながらきゅっと唇を噛み締めて何も言わない。やはりミーヤは何かを知っているのではないか、そう思ったが何も言えない。 

 村の者たちはダルもいないところから、二人で散歩にでも行ったんだろう、そう言ってあまり心配をしていないようだったが、宮から来たミーヤとフェイと、そしてルギは黙ったままダルが戻るのを待った。


 しばらくするとトーヤはダルと一緒に村に戻ってきた。酔い覚ましに散歩してきた、笑いながらそう言うトーヤにフェイは安心すると同時に涙が出てたまらなかった。


 その夜、宴席でまたトーヤが間違えて酒を口にしないかとハラハラし、フェイは思い切って行動に出た。


 トーヤが他の人のカップと間違えないように、トーヤにだけ持ち手がついているカップが渡されていたが、それだけでは心配で、フェイは自分の髪を結んでいた青いリボンをその取っ手に結んだ。


「これで間違えませんよね?」


 フェイがそう言うとトーヤは目をパチクリした後、


「間違えねえよーさっすが俺の第一夫人だ! ちび、いや、フェイ、おまえはいい女房だな!」


 そう言うとフェイを持ち上げるとくるくる回り、周囲もどっと(はや)し立てた。


 その後はフェイを中心に宴は盛り上がるだけ盛り上がり、フェイはそんな場の中心にいることが恥ずかしく、だがとても誇らしく、今はおそらく人生で最高の刻なのだろう、この刻を絶対に忘れないと深く心に刻んでいた。


 だがもっともっとうれしいことが起こる。


「よう、ちび、手出してみろ」

 

 ある日リュセルスを訪ねた時、ある店の前でトーヤにそう言われ、言われるままに手を出したところ、


「これ、この子……」


 フェイの手の上にガラスでできた青い小鳥がちょこんと乗った。


 リュセルスに来た時に店の外から見つけて好きになった青い小鳥。それをトーヤは、


「リボンの礼だ」

 

 と言って買ってプレゼントしてくれた。


 触れることも考えていなかった青い小鳥、その子をもらったことはもちろんうれしい。だがフェイがそれ以上にうれしかったのは、誰にも言わず密かに見ていたことをトーヤが知ってくれていたことだ。それだけ心を配ってくれていたことだ。


 物心ついた頃から誰にも顧みられず一人だった。この先のそう長くはない人生もずっと一人なのだろう。いつからかフェイはそう考えるようになっていた。

 だったら誰とも関わりを持たず一人でその短い時間を過ごせばいいだけのこと。諦めるというわけではないが、フェイはそれが自分の人生なのだと静かに受け入れていた。だが、青い小鳥がそうではないと教えてくれた。自分を見ていてくれた人がいるから、大切に思ってくれる気持ちがあったから、この子は今ここにいるのだから。


 フェイの人生は光と喜びに包まれたものだ。青い小鳥はそのことを証明するようにキラキラと光る。


 フェイはその日からずっと青い小鳥、初めてできたお友達と一緒だった。青いリボンを付けてずっと身につけている。ガラスなので壊さないようにハンカチで包んでそっと上着の隠しに入れている。


 まだたった十年しかこの世界にいないけど、今が一番幸せだとフェイは思っている。それと同時に、なぜだか自分はきっと大人になることはない、それほど長い人生ではないのだとも、いつからか確信を持っていた。

 

 以前はその短い人生を特につらいとも悲しいとも思わなかった。そういうものだとなんとなく思っていたから。だけど今は、手放したくない、ずっとこの幸せな刻が続いてほしい、続けばいいのにと思っている。


 フェイは青いガラスに話しかける。


「お友達、もしも私がいなくなっても、あなただけはトーヤ様とミーヤ様とずっとそばにいてくれるかしら。そうしたら私はきっとお二人とずっと一緒にいられる、そんな気がするの。もしもそうしてくれるのなら、私は何も怖くない。怖いのはお二人と永遠に会えなくなってしまうこと。だけど、あなたがいてくれたら、私はずっとずっとお二人と離れなくてよくなる、そんな気がするの」


 フェイはそう言うと青い小鳥を両手で包み、そっと額につけて祈る。


「ずっとずっと幸せな刻が続きますように、一日でも長く今の幸せが続きますように」


 青い小鳥はフェイの願いを分かったというようにキラキラ、キラキラと輝き続けていた。

フェイが登場する「黒のシャンタル第一部・過去への旅」はこちらになります。


https://ncode.syosetu.com/n0290gp/


ぜひご一読ください。

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