第四話 烏達の休暇
今回は日常回兼水着回です。
第四話 烏達の休暇
7月19日(水) コンビニ前 放課後
照りつける日差し。街路樹にとまる蝉の声。うだるような暑さ。行きかう人波……。
「あちぃ……」
梅雨が明けた途端、この惨状だ。まだ夏休み前なのにこの暑さとは、今年の夏はどうなってしまうのだろう。
集団自殺事件から、約一カ月がたった。初めのうちは騒いでいたマスコミも、その謎の解明に進展が無くなってくると、自然と落ち着いていった。できれば、もう、ああいう被害者は出したくない……。
コンビニで買ったイチゴソーダアイスの封を開け、急いで口に入れる。じんわりと広がる冷たさが気持ちいい。とりあえず、どこか冷房のある場所に避難しよう。コンビニでもよかったのだが、店員の視線が刺さってきたので、アイスを買って退散することとなった。とりあえず、行きつけのカフェである「かしわもち」にでも行こうと思いながら、横断歩道を渡った時だった。
一瞬、暑さにやられて幻覚でも見たのかと思った。だが、歩きながらその異常さに改めて気が付いた俺は、思わずもう一度振り返っていた。
そこにいた少女は、ただ当てもなく、ふらふらと歩いていた。
ウェーブのかかった、セミロングの髪は、少し緑みがかった黒色。
こんなに暑いというのに、真っ黒なワンピースに、真っ黒なローブ。
なにより、その背中から突き出した二本の黒い大きなものに、俺は目を奪われた。
周りの人々が、その少女を奇異の目で見ながら通り過ぎていく。だが、少女がそれを気にしている様子、というか、それに気づいている様子は全くない。
「ちょっと、そこのお前! こっち、来い!」
たまらず、少女の手を引いて、人目のつかない場所まで引っ張っていく。対する少女は、きょとんとした表情で俺を見つめるだけだった。とりあえず、聞きたいことが山ほどある。
「お前、クロウ、なのか? その羽は、カラスの羽だよな」
「うん、そうだよ」
そんな簡単に答えていいのか……? 少女に悪びれた様子はなく、今もじっと俺の眼を見ている。
「じゃあ、なんでお前は、あんな羽の生えた姿で町中をうろついてるんだ?」
「ん? だめなの? カラスに戻るのが、面倒くさかったから、そのままでいいかって、思ったんだけど……」
少女は小首を傾げながら、大真面目、といった風に答えた。
これはたぶん、天然ってやつだな……。まともな返答は期待しない方がいいかもしれない。
「町を歩くときは、せめて、羽をしまってくれ」と頼むと、少女はこくりと頷き、羽をしまった。
「お前にも、契約したクロウディアはいるんだよな? なら、そいつはどこに行ったんだ?それとも、まだ契約してないのか?」
「わたしのクロウディアなら、いるよ。でも、さっきこの姿で少し話して、別れたから、どこにいるかは、わからない」
そいつは放任し過ぎだろ。少女がわかっていないのも悪いが、だからって、放っておき過ぎだ。こういうところから、七不思議が広まるのだろう。どちらにせよ、少女をそのクロウディアの下まで送り届けなければ、俺が安心できない。
「……とりあえず、名前、なんていうんだ? 俺は、後藤日奈太っていうけど……」
「ごめん。その質問は、前にもされたけど……わからない。自分の名前が何なのか、ずっと前からわからない……。覚えてない……。本当に、ごめん。ひなた……」
少女がしおれた様に落ち込む。
わからないということは記憶喪失だろうか? クラウドは、そんなこと言っていなかったが……。
どうやら、名前がわからないことは、少女にとってかなり痛いことなのだろう。名前の話になった途端、少女の瞳は下を向いてしまった。
「なら、お前が良かったら、俺が付けてやろうか? お前の名前」
少女の顔がゆっくりと持ち上がり、「いいの?」と言って、笑顔に染まった。
「んーと……、あ、『ヤタ』っていうのはどうだ?」
「ヤタ?」
「日本神話で、道に迷った天皇を導くために、天照大神が遣わした三本足のあるカラスの名前が、『ヤタガラス』っていうんだよ。だから、そこからとって、ヤタっていうのは?」
少女は少し考えて、「わたしは三本足じゃないけど……」と呟いた後、こくりと嬉しそうに頷いた。
その後、暑かったので、とりあえず当初の目的通り、「かしわもち」にヤタを連れて向かうことにした。いつの間にか、イチゴソーダアイスはどろどろに溶けていた。
それはかなりの偶然だった。「かしわもち」の前で、たまたまクラウドを見つけたのだ。
夏になっても冬制服のままではおかしいということで、再び俺が貸すことになった夏制服の白いカッターシャツを身に着けている。
じっと中を覗いたままなところを見ると、何か食べたいものはあるが、金がないのだろう。
「おい、クラウド」
「うわあぁっ‼ って、後藤!」
クラウドがここまで驚いたところは、初めて見た気がする。さっきのを見られたのがよっぽど恥ずかしかったのか、ずっと俺を睨んでいる。ヤタは、現状がよくわかっていない感じで、クラウドを見つめている。クラウドに聞けば、ヤタのクロウディアのことも何かわかるかもしれない。
「と、とりあえず、クラウドも中に入れよ。何か、おごってやるから」
クラウドの顔色が変わったのも一瞬で、あとはいつも通りの表情で店の中に入っていった。
三人で席に座ると、ようやくクラウドがヤタのことを尋ねてきた。
「でさ、何でそいつが後藤と一緒にいるの? まだ、紹介した覚えはないけど」
やっぱり、知り合いだったか。まあ、クロウ同士だし、少しくらい面識があってもおかしくは無いだろうと思ったが、当たっていたようだ。
「ねぇ、ひなた。この子は、誰?」
「ああ、この姿で会うのは、初めてだっけ。今までは基本、カラスの姿だったし。僕だよ、クラウドだ。久しぶりだね」
ヤタは、なるほど、という風に手を打って、「久しぶり、くらうど」と笑った。そのまま、ヤタの手がクラウドの頭の上に伸びていったが、クラウドがそれを掴んで机に下ろした。
「ん? なでなでは?」
「しなくていいよっ!」
思っていたより、仲が良さそうでよかった。
俺は頼んだ飲み物を口に運びながら、本題に入ることにした。
「それで、クラウド。ヤタのクロウディアが誰か知ってるか?」
「ヤタっていうのは?」
ヤタが自分を指差しながら、「ひなたが付けてくれた、わたしの名前」と補足した。クラウドは、少し意外そうな顔をしたが、話を続けた。
「もちろん知っているけど、後藤も知っている人物だと思うよ。そいつ、いや、ヤタって呼んだ方がいいの? ヤタのクロウディアは……」
がらんと音を立てて、開いた店の入り口には、いつもの見知った顔が並んでいた。
「あ、れんやだ」
そう呟いたのは、ヤタだった。
その声で、向こうの三人もこちらに気づいたらしく、向かってきて同じテーブルに座った。
「お、後藤とクラウドと……なんだ、オマエもいたのか。それじゃ、紹介する手間が省けちまったな」
「れんやも、偶然だね。さっき会ったばかりなのに、また会うなんて」
てことは、もしかしてヤタのクロウディアって……。
「烏丸なのか⁉ ヤタのクロウディアって⁉」
「あの……話が全く読めないんですが、こちらの方は?」
「あと、ヤタってなんだ? どういうことだ?」
そ、その話はさっきクラウドにもしたんだが……。仕方ない。ちょうど全員そろっていることだし、俺は始めから全て話すことにした。
「それにしても、後藤が付けたんだね、名前。大体は、契約したクロウディアが付けるものだけど。僕の『クラウド』っていうのも、えりさが付けてくれたくれたし」
おおよその話が終わったところで、クラウドがそう呟いた。
ヤタが烏丸のクロウであることは、間違いないらしい。烏丸が寿命をヤタに渡す時や、必要な時以外は特に会っていなかったとのことだ。
「いや……別にそんなに会ってなかったし、名前が無くても会話は成立してたからな。コイツが自分の名前を思い出せるようになるまで、そのままにしておいてやろうと思ってな。でも、ヤタ……か。まー、良い名前なんじゃないか? でかしたぜ、後藤!」
「クロウには、もともと名前という概念がないと聞いたので、思い出すも何もないと思うのですが……。でも、確かに、あたしも必要な時以外は、契約したクロウと会ってないですね。むしろ、黒森さんとクラウドさんのように、いつも一緒にいるほうが珍しいと思います」
一緒にいるっていうよりは、クラウドが付きまとってるように思えるが……。
今の神楽の説明だと、クロウには最初から名前が無いようだが、ヤタは何かを忘れている感じだったような気がする。気のせいだろうか?
「じゃあ、烏丸の話だと、ヤタもこれからの戦闘に加わってくれるってことでいいの?」
「おう。その話をしようと、さっきヤタと打ち合わせしてたんだが、まさかその前に後藤と会ってたなんてな。ヤタの能力は『予言者』だ。端的に言うと、未来予知の能力。だから、かなり活躍が期待できると思うぜ」
ヤタはガッツポーズを作ると、「任せて。わたし銃も使えるから、みんなはわたしが守るよ」と、それまで通りの真顔で言った。その時の俺は、冗談だろうと聞き流していたが、実際、ヤタはハンドガンからショットガン、スナイパーライフルに至るまで、全てを使いこなしていた。しかも全て実弾銃である。「さすがに危険だ!」という俺の抗議も虚しく、流れ弾に当たった場合は、神楽に治してもらえるから大丈夫、という結論に至った。
クラウドの時同様、重苦しい黒服では目立つので、えりさの予備の制服をヤタが借りることとなった。
そんなこんなで、いつの間にか夏休みが始まり、七月が過ぎ去っていった。
8月13日(日) 迷灯町外港町 午前10時頃
打ち寄せる波に、太陽の光が反射して輝いている。
青い海と青い空。
吹き抜ける海風が、汗をかいた肌を冷やしていく。
「うわぁ。広い……」
ヤタが目を輝かせながら、言葉を呟く。
迷灯町から、電車で四十分。駅から、徒歩15分。そんな港町の海岸に、俺たち六人は遊びに来ていた。
聞くところによると、お盆の期間は、「御影還り」といい、なぜかレストが出現しなくなるらしい。昨年までは特に予定もなく各自休養を取っていたらしいが、せっかくの休みなんだから、どこかに出かけようと俺が提案したのだ。
結果、ヤタやクラウドが海に行ったことが無いと言うので、行先は港町に決定し、三泊四日の旅行にみんなで行くこととなった。お盆のため人も多いが、ここならいい息抜きが出来るだろう。
長い間、遊んだりもしていなかっただろうし、俺も海に来るのは久々で少し楽しみだった。
「ほら。先に旅館にチェックインするから、遅いとおいていくわよ。それに、着替えないといけないでしょ? その後にたくさん遊べるから……」
えりさがヤタの肩を叩く。この二人は、いつの間にか、かなり仲良くなっていたようだ。というか、えりさがヤタの世話を焼いているうちに、一緒にいるようになったみたいだが。とりあえず、海近くに予約した旅館に荷物を置いてからだ。はやる気持ちを抑えながら、俺たちは駆け足で旅館へと向かった。
「お決まりかもしれねーが、こういう時の女子の着替えは、やっぱ遅いんだな」
砂浜に敷かれたビニールシートに座り、ビーチパラソルの下で烏丸は俺に話しかけてきた。
男子組はすでに水着に着替え、ビーチパラソルを準備したり、荷物を整理したりと、先にいろいろやっていたのだが、女子組は一向に来なかった。クラウドは水着でいることに抵抗があったのか、カラスになってどこかへ飛んで行ってしまった。全員が集まる頃には、戻ってくると言っていたので、大丈夫だろうが。それより、さっきから気になっていることがあった。
「お前、いつも学生帽かぶっているのに、今はかぶってないんだな。てっきり、そういうキャラかと思ってた」
「当たり前だろ……頭になんかあるとか、そういうオチはねーよ」
そんな風に烏丸と話していると、いつの間にかクラウドが戻ってきていた。相変わらず、少し不服そうな顔をしているが、諦めて戻ってきたのだろう。
「あの、遅れてすみません!」
声のした方を振り向くと、そこには神楽が息を切らして立っていた。清楚な白フリルのワンピース型水着を身にまとっている。体の線が細いためか、よく似合っていた。
「おお! 可愛いんじゃないか?」
烏丸に褒められた神楽は、顔を少し赤く染めてはにかんだ。
「でも、他の二人の方が素敵だと思いますよ。黒森さんの後に出たら、あたしも自信喪失しそうですから……」
現役のアイドル歌手にここまで言わせるえりさって……。神楽は胸元につけられたリボンをいじりながら、パラソルの下に入ってきた。
「着替え終わったよ」
次にやってきたのはヤタだった。リングで胸元に布をまとめた黒色のビキニだった。それにしても奥手そうなヤタにしては、結構露出が多いな。白くてきれいな肌が、黒い水着でより際立っている。
「後藤。何いやらしい目で見てるの? 気持ち悪いんだけど」
「み、見てない‼ ただ、肌が白いなと思っただけだ!」
よく解っていない様子のヤタは、素直に「ありがとう、ひなた」と微笑した。もともと、ヤタは表情があまり変わらないので、わかりづらいのだが……。ヤタは、ほとんど何も考えていないので、放っておくと危険だ。どこに行ってしまうかわからない。実際、全員が目を離した隙に、ヤタがいなくなってしまったことも何度かあった。
「なあ。ちょっと前から気になってたんだけど、なんでクロウのヤタやクラウドの指にも、鳥の足跡マークがあるんだ? それって、クロウディアである印みたいなものなんだろ?」
「その認識は、間違ってはいねーぜ。この印は、俺たちが契約するときに、クロウが指にとまった痕だ。それが契約の証にもなる」
「その印が僕らの指にある理由は、僕もよく知らない。物心ついた時には、もうあったよ。でも、僕の知っている限りで、この印の無いクロウはいないと思う」
気づいた時にはあったってことは、クロウディアと契約したりした時に、付いたわけじゃないんだろうな。だけど、偶然クロウディアと同じ場所にできるっていうのは、ちょっと不自然すぎる。いったい、どういうことだ?
「よかった……ヤタが先に出てっちゃったから、心配したけど、ちゃんとこっちに来てたのね。遅れてごめんなさい。私が最後みたいね」
長い黒髪をなびかせて、その少女は俺たちの前に現れた。薄桃の水着に、腰には、花柄のスカーフのような物を巻いている。健康的な足がすらりとのびていた。
「…………綺麗だな……」
「え? あ、ありがとう……」
えりさは頬を赤らめながら、うつむいた。思わず漏れ出てしまった心の声に、俺もたまらず視線をそらす。
「いやーそれにしても、さすが、えりさだな! それに思ってた通り、やっぱでか……」
――ゴオンッ!
いつの間にか出現していたデスサイズが、烏丸の頭部を的確に叩いていた。もちろん、刃じゃない部分でだが、音的にも、かなり痛いだろう。
「えりさに近づく不届き者は、この僕が許さない。今回は、殺さなかったけど、次は絶対、始末するから。いいね、烏丸?」
たぶん、殺すというのは冗談だろうが、クラウドは顔が笑っていない。まあ、さすがに、クラウドだってやっていいことと、悪いことの判別くらいできるだろう。冗談、だよな? 頼むから、冗談であってほしい……。
烏丸は頭をさすりながら、「一瞬、花畑みたいな所が見えたぜ……」と言い、そのまま何もなかったかのような、いつもの調子に戻った。
「とりあえず、全員そろったんだから、早く海に入ろうぜ!」
その言葉を合図に、俺たちは一斉に海に向かって走り出した。
泳いだり、潜ったり、あれだけ動いたのに、こういう時の体力は底なしだ。海から上がった後もみんなスイカ割りやら、ビーチバレーやらに明け暮れていた。現在は、クロウ&クロウディア契約コンビの、えりさ、クラウドチーム対烏丸、ヤタチームでビーチバレーを行っていた。俺と神楽の二人は、審判をしつつ、ビーチパラソルの影で休んでいた。
「そういえば、後藤さんには、あたしのことあまり話していませんでしたよね?」
神楽はバレー組の方を向いたまま呟いた。こんな風に、神楽の方から話しかけてくることは珍しい。そのせいか、俺はあまり神楽のことを知らなかったように思える。
「そうだな。じゃあ、質問してもいいか? 答えたくないことは、答えなくていいから」
神楽は微笑んで、ゆっくりと頷いた。
「なんで神楽は、クロウディアになったんだ? 何を願って、契約したんだ?」
「ふふ、その話ですか。たぶん、黒森さんや烏丸さんに比べたら、あたしの願いなんて、すごくちっぽけだと思いますけど……」
そう言って、神楽は自嘲気味に笑った。
そんな神楽の姿を、俺は見ていられなかった。
「ちっぽけなわけないだろう! 神楽が、寿命や自分の時間をなげうってまで、叶えたかった願いなんだ。そんな風に言うなよ……」
神楽は驚いたように顔をあげると、大きな目を見開いて、今度は安心したように笑った。
「ありがとうございます、後藤さん。そんな風に言ってくれたのは、後藤さんがはじめてかもしれません。そうですね……。じゃあ、ちゃんと最後まで聞いてくださいね?」
俺は頷き、真剣に神楽の眼を見た。
それを見て、神楽は言葉を紡ぎ出した。
「あたしがクロウディアになった理由は、友達が欲しかったから、なんです」
神楽はそこで、一呼吸置くと、昔を懐かしむように穏やかな表情になった。
「あたし、昔は本当に地味で、暗くて、全然、人ともしゃべれなかったんです。それで、友達も少なくて、唯一仲のいい子も、本音で話すことは、出来なかったんです。本当のあたしを知って、それで独りになるのが、怖かったから……。
だから、あたしが契約したクロウが、クロウディアの話を持ちかけてきた時に、真っ先にそのことが頭に浮かびました。
自分の能力を引き出してもらう代わりに、自分の寿命を捧げる。
不老の身体を得る代わりに、ほぼ永遠の時を生き、レストを倒すという役目にその身を捧げる。
一つの望みを叶えてもらう代わりに、通常の人間としての生活や日常を諦める……。
クロウディアは、そんな等価交換で成り立っています。
その判断に後悔したこともありますが、その時のあたしにとっては、まさに夢を叶えるための契約でした。
『あたしのことをちゃんと見てくれる、あたしが本当の自分をさらけ出せる、そんな人物が欲しい』そのためなら、何だってする。そう言ったことを憶えています。
あたしが町中で、歌手にスカウトされたのは、それからすぐだったと思います。……ちょっと裏切られた気分でしたけど、また違った意味で本当の自分を見せられるし、見てもらえる場所が、その時出来たんです」
……長い話の後に、一度神楽は一息吐いて、もう一言付け足した。
「……でも、今はそれ以上に楽しい場所が出来たんですよ! 皆さんのおかげで、最近は本当に毎日が楽しいんです! こんな風に、あたしと同じくらいの歳の子と海に来るのなんて、初めてですから。これも、後藤さん……日奈太さんが、あたしたちの仲間になってくれたからだと思います。ありがとう、日奈太さん」
神楽はそう言うと、本当に幸せそうに笑った。
「全部俺のおかげ、ってわけでもないだろ。神楽やみんながここまで頑張ってきたから、今があるんだと思う。それに、楽しいのは、俺もだから」
「あの……それですけど、そろそろ変えてくれませんか?」
なぜか不服そうな神楽に、一瞬、俺の頭は混乱した。
「ヤタさんは仕方ないにしても、黒森さんのことは、えりさって呼んでいるんですから、あたしのことも、そろそろアン、って呼んでほしいです。あたしはこれから、みなさんのことをもっとよく知りたいし、あたしのこともよく知ってもらいたい……そう思ってるんです。あたしも、変わらなくちゃいけないんです。あの子が来たってことは、たぶんそういうことなので……」
神楽の目線の先には、ヤタがいた。それが何を意味するのかは、俺にはまだわからない。
「それがどういう意味なのかは、きっとまだ、教えてくれないんだよな」
神楽はうつむいて、そのまま黙った。
そこからは、迷いが感じられた。
自分を知ってもらいたいと断言した神楽が躊躇うのだから、簡単に済む話ではないのだろう。
「アンが言いたくないのなら、今はまだ言わなくていいんだと思う。アンが、それを話したい、話すべきだと感じた時に言ってくれればいいんだと、俺は思うよ」
結局、俺はアンを信じることにした。どうやら向こうの勝負がついたようだ。俺はそのまま立ち上がって、パラソルの影から出ていった。その時に、アンが呟いた気がした。
「いつか、必ず話します。それで、あたしがどう思われたとしても」
「つっかれた…………」
旅館の部屋に入ると同時に、床に倒れこむ。昼間消費した体力のツケが回ってきたようだ。他の二人も同じようで、体を床に預けて、そのまま動けないでいた。しばらくして、ゆっくりと起き上がった烏丸は、押し入れの布団を出しにかかっていた。
「オマエらも手伝えよ。さすがにこのまま寝るわけにはいかねーだろ……」
と、烏丸が言う間にも、クラウドは寝息を立て始めていた。仕方がないので、俺も烏丸を手伝って布団を引っ張り出す。床に布団を敷きながら、ふいに烏丸が話しかけてきた。
「そういや、オマエ、今日神楽ちゃんのこと、アンって呼んでただろ。これじゃ、オレだけ名字で呼ばれてるじゃねーか。オレのことも、どうせなら名前で呼んでくれよな。代わりに、オレも日奈太って呼ぶからよ」
「別に俺は頼んでないんだが。はあ……しょうがないな。連夜……だったよな? それにしても、えりさといい、連夜といい、変わった名前ばっかりなんだな、クロウディアって。アンのは、芸名だと思うが、本名はなんていうんだ?」
連夜は、「そのことは、まだ言ってなかったか」と呟いて、置いてあった枕を俺に投げた。顔面に当たるギリギリでキャッチすると、その向こうで満足そうににやける連夜がいた。
「オレらの名前は、みんな偽名だ。本名だと、名乗った時に、身元がばれちまう可能性があるだろ。変わった名前なのは、本当にその名前の人と被らないようにするためだ。ありきたりな名前だと、誤解されたりして面倒だからな」
こういう話を聞いていると、こいつらもいろいろ考えて活動しているんだな……と、思ってしまう。連夜だって、いつもふざけているように見えても、ちゃんとみんなのことを考えているんだと思う。
「とりあえず、今日はさっさと寝よう、連夜。まだ明日も、明後日もあるんだから」
「やっぱり、いいな。自分を名前で呼んでもらえるって。初めて呼んでくれたのが、オマエでよかったよ、日奈太」
布団を出し終えた連夜は、荷物を整理しながらそう言って笑った。いつもの笑顔とは違う、心からの自然な笑顔だった。
「男同士で、何やってるの? 気持ち悪いよ」
いつの間にか復活したクラウドは、床を這うようにして一番左の布団の中に入っていった。
「オマエも、オレのこと連夜って呼んでいいんだぜ? もう結構長い付き合いだろ」
「ああ、じゃあ、俺も」
しばらくの沈黙の後、布団の中からクラウドの素っ気ない返事が返ってきた。
「そもそも、僕らは種族が違うんだ。僕はクロウ、烏丸はクロウディア、後藤なんかまだ人間なんだ。そんな風に、なれあっていても仕方ないよ。でも、そうだね……」
クラウドの顔は見えなかったが、その言葉を呟いた時、クラウドが少し、嬉しそうな顔をしているように思えた。
「もしも、僕が君たちに悩み事でも話すことになる日が来たら、その時は、呼んであげてもいいけど。ま、そんな日は絶対に来ないだろうけどさ。僕はもう寝るよ。……おやすみ」
俺も明かりを消して真ん中の布団に入ると、暗闇の中の二人に呟いた。
「ああ、おやすみ」
8月16日(水) 電車内 夕刻
いろいろあった旅行も四日目となり、疲れ切った体で俺たちは、帰りの電車に揺られていた。俺も座ってすぐに眠ってしまったので、よくわからないが、俺たちのほとんどが、電車に乗っている途中で眠ってしまったのだろう。
夢うつつの中で、俺が聞いた会話は、普段はあまり聞かない、珍しい組み合わせのものだった。
「今回の旅行は、本当に楽しかったですね、黒森さん」
「ええ、そうですね。私も久しぶりに、息抜きできましたし……」
「あの、その事なんですけど、黒森さんが、あたしによそよそしくする理由。というか、あたしに対して、一線を置く理由、なんとなく、気づいています……」
「……え?」
「なのであたし、コンサートで寿命を取るのは、もうやめにします! 自分の為に、誰かを騙すのって、やっぱり良くないですよね。これだけで黒森さんに信用してもらえるとは、思っていません。でも、あたしもみなさんに信用してもらいたいんです! まだ話せていないこともありますけど、そのことも、近いうちに必ず話します! あたしの能力で、他にどんなやり方があるかは、わかりませんけど、もっとフェアな方法があるはずですよね」
「神楽さん……いや、神楽、だと変ね。アンでいいかしら? あなた、少し変わったわね。ううん、かなり変わったかも。なんだか、ごめんなさい。私の方も、あなたを避けすぎていた気がする。初めて会った時から、少し苦手だったから、そうやって過ごしていたら、いつの間にか素直に接することが出来なくなっていたみたい……」
「いいんですよ、そんなこと! あの頃は、あたしも全然周りが見えてませんでしたから。あらためて、これからもよろしくお願いしますね、えりささん! 女の子同士でしか、出来ない会話とかもありますし!」
「え?」
「ほら、好きな人の話とかですよ! えりささん美人ですから、昔はモテたんじゃないですか? このメンバーの中でえりささんと合いそうなのは、やっぱり一番仲のいい日奈太さんですかね。それとも、同時期に入った烏丸さんですか? 今までずっとパートナーだった、クラウドさんもいますし……」
「え、あ、ちょっと、アン?」
その後も楽しく会話を続ける二人に安心した俺は、再び眠りへと落ちて行った。
「御影還り」も終わり、いつものようにレストを倒す日々へと戻った。
そうやって、何日も何日も過ごしているうちに、鬱陶しい蝉の声の数は徐々に少なくなっていき、蒸しかえるようなあの夏の暑さも和らいでいった。
夏が終わる――。その言葉に、何か切ないものを感じたのは何時ぶりだろうか?
だけど、大丈夫だ。夏が終わったって、みんなと別れることになるわけじゃないんだから。来年の夏にも、またみんなで海に来よう。