第一話 黒き鳥との契約者
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・およびその他名称とは一切関係ありません
迷灯町。その町には奇妙な七不思議があった。
学校なんかにあるあの七不思議のようなものが町単位であるのである。
そんな奇妙極まりない町のど真ん中に建つ、「私立迷灯高校」という学校があった。家が近かったこともあり、一年前にこの高校に進学した俺は、待ち受ける非日常に期待を膨らませていた。
だがなんてことはない。校則が少し緩い以外はごく普通の学校だった。当時は希望を打ち砕かれた感があったが、まあ噂なんてそんなもんだろうと思い、一年間を過ごしてきたわけだ。
その概念がくつがえされる、つい最近までは。
第一話 黒き鳥との契約者
5月22日(月) 私立迷灯高校 昼休み
「なあなあ、『情報屋』って知ってるか?」
そう切り出してきたのはクラスメイトの澤野だった。
「情報屋って、あの七不思議の情報屋か?」
久しぶりに話題にのぼった七不思議に驚きながら、俺、後藤日奈太は聞き返した。澤野はうなずき、さらに続けた。
「なんでも、商店街の路地裏にビニールシートを広げた迷灯校の男子高校生がいるらしい。そいつに頼むと、おかしな噂でも、気になる子のことでも、なんでも教えてくれるらしいぜ。噂によると報酬が必要らしいがな」
そのことは俺も知っている。迷灯町七不思議の一つ、「情報屋の男子高校生」。
対価を支払えば必要な情報を教えてくれるという。
しかしその対価は人の命。情報を知った者は次の日死んでしまうという噂だ。
「でなでな、昨日有川のやつがそれっぽい人物を見かけたらしいんだよ!」
有川こと有川由香は、俺の幼馴染で昔から付き合いが長い。
嘘を言うようなやつじゃないから見かけたのは本当だろう。ここまで来ると大体話はわかった。
「つまり、その情報屋を探そうってことだな」
「その通り! いや~話が早くて助かるぜ」
澤野は頭をかきながら、満面の笑みでかえしてきた。全く、こういうことには積極的だなコイツ。
深くため息をつくと不思議と笑みがこぼれた。
「しょうがないな。付き合ってやるか」
「そう来なくちゃ! じゃ、放課後、公園前集合な!」
片手をあげて澤野が自分の席に戻る。ふとどこかでなにかを期待している自分に気づく。
きっと、またただの噂だろうとわかっているのに、これから何かが始まることを、ひどく期待してしまっていた。今のこの退屈な日常が打ち破られたら、どんなに充実していることだろう。そんなことを考えて、放課後を待った。
「おい、遅いぞ。おまえから誘ってきたんじゃないか」
「わりぃわりぃ。ちょっといろいろ用意してたら遅くなっちまって……」
そう言うと澤野は大きな袋から金属バットを取り出して俺に渡した。
「もし噂通り情報屋が情報と引き換えに俺たちの命を狙うなら、これでぶっ叩いてやるん
だ。後藤は野球推薦で迷灯に入ったんだし、頼りにしてるぞ!」
「随分荒っぽいな……。ていうか、バットの使い方違うし」
情報だけ聞いてボコボコにして逃げるって、情報屋のほうが理不尽な気がする……。
「ま、とりあえず行こうぜ。有川の話によると、情報屋は学生帽をかぶっているらしい。
裏路地に入って、それらしい人物を探そうぜ!」
夕方の路地裏となるとかなり危険な気がするが、澤野はそういうことを全く気にしていないようだ。ここまでついてきてしまった俺が言えることじゃないが。そうしていくつもの路地を曲がって探し回ったのだが、残念ながらそれらしい人物に会うことは出来なかった。
いよいよ日が沈むと、商店街の人通りも少なくなってきた。
「そろそろ帰らないか、澤野? やっぱり有川の勘違いだよ。それに今日はいないのかもしれない。第一、そんないろんな情報知ってるやつなんて現実にいるわけ……」
「後藤が帰りたいなら、帰れよ。俺は見つけるまで帰らない。絶対に知らなきゃいけない情報があるんだ。冗談抜きでな」
澤野の顔はいつもと違って、ずっと真剣だった。
何かを心に決めたような、覚悟を決めた表情。その表情に事の重大さを俺は感じた。
「わかった。俺も最後までついていくよ」
澤野の表情がほどけてゆるむ。踵を返した澤野は背中越しに「サンキュな」と呟いた。いつもは子供じみているのに、今だけはとても大人びて見えた。
「他に何か情報はないのか? 情報屋が現れる時間帯とか……。って、澤野?」
前方を歩いていた澤野はそこで停止していた。
「あ、あれ……あいつは……」
ゆっくりと指をさした澤野の目線の先。
雑にしかれたビニールシートの上にあぐらをかいて座る一人の青年。
目深にかぶられた学生帽と長めの黒い前髪のせいで表情がよく見えないが、どこか冷酷で、寂しげな雰囲気が漂っていた。自分たちとそう歳のかわらないその青年が、情報屋なのだろうか。
「……おい、お前が情報屋なのか? 聞きたいことがあるんだ」
さすがに真剣な澤野は、すごまずに問いかける。一方青年は、ゆっくりと体を動かし、ため息をついた後にこちらを見た。その眼光は月明かりにてらされて鋭く光っていた。
「夜遊びは良くないぞー少年たち。親が心配しねーうちにさっさと帰りな」
明らかにはぐらかすような態度。澤野が今にも怒鳴り出しそうだったので慌ててもう一度言った。
「いや、俺たちはお前に情報を聞きに来たんであって……」
「聞こえなかったのか? さっさと帰りな。ここはオマエらなんかが来る場所じゃねえ」
有無を言わせぬ語調と高圧的な態度に澤野がキレた。俺が止める間もなく思い切り青年に掴みかかる。
「俺は真面目に言ってるんだよ! 好奇心なんかで来たんじゃない!」
「……のようだな。母親のことか?」
そう言われた瞬間、澤野は青年からだらりと手をはなした。俺も一瞬戸惑った。澤野は、母親の話どころか自分の名前すら言ってないのである。相手の異質さを感じた。
「まーまーそう身構えるなよ。しゃーない、教えてやるか。その前に、詳しい話を聞かせ
てくれよ」
青年はニッと笑うと、地面に手をついて姿勢を楽にした。俺たちもシートの上に座り、澤野は全てのあらましを話した。
二年前、澤野の母親は事故に遭ったらしい。しかしその日澤野は修学旅行に行っており、家族や先生の配慮から、家に帰るまで澤野はそのことを知らされなかった。澤野の母は病院に運ばれた後亡くなったが、最期まで笑顔だったという。人通りがあまりない道路だったために目撃者がいなかったのだが、事故をした車の運転手によるといきなり道路に飛び出してきたそうだ。その理由も結局わからないままになってしまったらしい。
「だから、母さんが死んだ理由が知りたいんだ。なんで母さんが道路に飛び出したのかを」
澤野は一息つくとゆっくりと顔をあげた。
青年は息を吐き、俺は頭を抱えた。澤野の態度から大事だとは思っていたが、まさか人の生死に関することだとは思っていなかった。
俺も物心ついた時から母親はいなかった。だが、最初からいないのと途中で失うのとでは大きく違うだろう。
「なるほど。じゃ、話してやるか。正直、オマエの母さんにはオレも昔に世話になったからな」
青年はそう言うと、昔を思い返したのか少し苦い顔をした。
しかし、すぐにもとの何を考えているのかわからない表情に戻り、口を開いた。
「このことを知っている人はほとんどいない……というかオレくらいしかいないかもしれない。オマエの母さん、澤野梨恵子はな、小さな子どもを助けたんだよ。それこそ全く見ず知らずの子どもをな。子どものほうもだいぶ小さかったらしくて、起きた出来事が理解できなかっただろうし、運転手にも見えなかったんだろう。その子が車道に飛び出したのを見て、アイツ、いやあの人は自分も車道に飛び込み、やさしく子どもを突き飛ばしたそうだ」
青年は、「全く本当にお人好しだよ」と呟いて下をむいた。
俺は恐る恐る澤野を見た。澤野はただ、前を向いたまま音もなく静かに泣いていた。
「いろいろ助かったよ。俺もまさか本当に情報屋がいるとは思わなかったけどな」
そう言って笑う澤野はとてもすっきりとした顔をしていた。
「オレも久しぶりに楽しかった。ときどきだったら、また来いよ。ああそうそう、お代をまだ貰ってなかったな」
やはり代価はいるのか。青年の顔はさっきより明るかったが、俺たちは身構える。
「い、命か?」
青年は一瞬驚いた顔をすると、声をあげて笑い出した。
「くっ、ははははは! そんなわけないだろ! ま、当たらずとも遠からずだがな。オレが欲しいものっていうのは……」
そこで今まで笑顔だった青年の顔が凍りついた。
しばらくそのまま止まっていた青年は、咳払いを一つして続けた。
「いや、今回は初回サービスだ。タダにしといてやるよ。それより今日はもう帰りな。この辺は夜は危ないんだ」
さっきまで少し温かい雰囲気だった青年は、その前の冷たい雰囲気に戻ってしまった。青年の言ったことは気になるが、時間が時間だ。さすがに帰らないとまずいだろう。
「オマエら町外の生徒だろ? 駅まで送ってやるから早くいくぜ」
そう言うと青年はビニールシートを片付け、すたすたと歩き始めてしまった。気遣ってくれているのだが、その気遣いの裏に何か隠し事がある気がした。って、俺は何を考えているんだろう? 今日初めて会った奴に隠し事があるのは当たり前だ。澤野の話を聞いた後だからだろうか?
「ちっ、少し遅かったか……」
駅まであと少しの直線歩道で、前を歩いていた青年が呟き、振り返る。その顔は少し焦っているように見えた。
「いいか、オマエら。今からオレの言う事をよく聞け。オレが合図したら駅まで全速力で走れ。今からいけば終電には間に合う。ただ、絶対に、後ろを振り返るな。それがオマエらのためだ」
聞きたいことは山ほどあったが、そのどれも尋ねさせないオーラが出ていた。
そのため、俺も澤野も了承せざるを得なかった。俺と澤野は駅の方を向き、青年は俺たちに背を向けて反対方向を向いた。すれ違いざま、青年は俺に言ってきた。
「友人は大切にしろよ、少年」
青年はそのまま俺たちの後ろにいる「何か」に正対した。
「さあ、行け!」
青年が合図を出す。弾かれたように俺たちは駅に向かって走り出した。
途中後ろで獣の叫び声のようなものが聞こえたような気がしたが、そのまま走る。改札をぬけ、ちょうど来ていた電車にギリギリ飛び乗り、ようやくそこで一息吐いた。
「ふぅ、今日はお前のおかげで大変な一日だったよ」
肩で息をしながら俺は微笑した。だが気持ちはとても満ち足りていた。
あれほど夢に見ていた非日常体験をした今日という日を、俺は絶対に忘れないだろう。
「悪いな。けど、最後まで付き合ってくれてサンキュな」
澤野は満面の笑みで返した。その笑みは情報屋に会う前より、ずっと輝いて見えた。そうこうしているうちに、俺の降りる駅に着いた。
「わ、もう降りる駅だ。じゃ、今日は楽しかった。また明日」
「おう! また明日な、後藤!」
電車から降りると澤野が手を振っていた。反射的に青年の言葉が思い出される。
『友人は大切にしろよ、少年』
ドアが閉まる。手をあげて応えると澤野が嬉しそうに笑った。そのままゆっくりと帰路に着き、ぼんやりと今日の出来事を思い返した。
「あっ……」
しまった、澤野に渡された金属バットを返していなかった!
まあ、明日クラスで返せばいいかと、俺は思いながら家に帰った。
その時にまた、不思議な今日の出来事の話をしようか……。
だが、その明日は、永遠に訪れなかった。
5月23日(火) 迷灯町商店街路地裏 放課後
「どういうつもりだ」
ビニールシートに座り込む青年に向かって、俺は問いかけた。
「どういうつもりって言われてもなー」
最初に会った時と同じような、はぐらかすような態度に、俺ももう我慢が出来なくなっていた。
「お前昨日、お代はいらないって言っただろ! なのに! ……なんで……!」
最後は言葉にならずに、その場に崩れ落ちた。
くっそ……なんでだ……なんで……。
「なんで……澤野は死んだんだよっ!」
今日学校で急に心臓発作を起こした澤野は、救急車で病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。持病的なものではなく、急性の不整脈発作だったらしい。
いつの間にか俺と澤野が情報屋に会いに行ったという話も広まり、やはり七不思議は本当だった、と冗談半分に言うやつもいた。
ふざけるな。澤野が昨日どんな気持ちで情報屋に行ったか知らないくせに。
別にそいつらの言ったことを真に受けたわけじゃないが、それにしては昨日の青年は今日の出来事を暗示するようなことを言っていたなと思い至った。
『友人は大切にしろよ、少年』
大切にしろだと? お前がやったんだろ!
その時はもう自分を抑えられなくなっていた。ただ情報屋が澤野を殺したと思い込み、あいつの元へと急いだ。
「なんであの少年が死んだのかはオレにはわからない」
そう青年が言った時には、俺の頭もだいぶ落ち着いていた。
「だがあの少年が今日死ぬことはわかっていたんだ。ある方法でな」
俺は顔をあげ、青年を見た。澤野が死ぬことがわかる、方法?
「それについて詳しく話すことは、一応ルールで禁止されているから言えないが、まーオレは『情報屋』だからな」
そう言って青年はニッと笑ったが、俺には意味が解らなかった。
「つまりお前は、そのことについて話すつもりはないってことか?」
「そーゆー意味じゃなくてだな……。っていうか、そろそろその『お前』ってのをやめてくんねーか? オレは、烏丸連夜っていうんだ」
学生帽のつばを少し上げて、烏丸は続けた。
「情報屋として買い手が欲しいと思う情報は、売らなきゃならねー。それがオレにとって一番大切なことだ。『ルール以上に』な」
烏丸の意図していることはなんとなくわかった。烏丸がそのルールにしばられている以上、俺はこう聞くしかないだろう。
「じゃあ、なぜ烏丸がそんなことがわかるのか教えてくれ。それから、この迷灯町についても聞きたいことが山ほどある」
烏丸はもう一度ニッと笑い、「あいよっ」と返事をしてビニールシートから立った。
目の前に立った烏丸は、思ったより背が高かった。
「言っておくが、この先は本当は立ち入り禁止区域だ。絶対に無事では帰れないぜ。それでもいいのか?」
俺は目を閉じる。まぶたの裏には澤野の満面の笑みが浮かび上がった。
リュックには、あいつに返せなかったバットがある。あいつはもういないけど、この迷灯町であいつと最後に体験した非日常の秘密を、少しくらい解き明かしたいと思った。俺は目を見開いた。
「ああ。頼む」
「りょーかいだ。いやー、これから楽しくなりそーだぜ。っと、まずどこから話そうか……。七不思議の一つ、『カラスと契約した人間』は知ってるか?」
そう言って烏丸は左手の甲を見せた。中指の付け根あたりに鳥の足跡のような印がある。
「カラスと契約した人間」については知っていた。
カラスと契約し、不老の体と不思議な能力を手に入れた人間がいるという噂。まさか烏丸の正体って……。
「その通りだぜ、後藤日奈太君。オレは、カラスと契約した、『クロウディア』ってんだ」
クロウディア?
っていうか今こいつは俺の名前を言ったのか⁉
昨日も今日も俺は名乗った覚えなんかないんだが……。
そういえば、昨日も澤野の母さんの話をいきなり理解してたな……。
「あーそれはだな、オレの能力が『心眼者』だからだ。端的に頭に浮かんだことから、その人の記憶まで能力を使えば見ることができる。クロウディアになると、もともと自分の中に眠っていた力を呼び覚ましてもらえるんだよ。だから、人によって能力も違う」
「烏丸以外にもいるのか⁉」
「まー、そうだな。オレが知っている限りで、迷灯町にはあと二人はいるぜ」
こんなおかしなこと出来る奴がまだ二人もいるのか……。
いよいよファンタジー小説か何かみたいになってきたな。
「ファンタジーじゃないぜ。これは現実だ。と、話を戻すぜ。でな、面倒なことに『不老』であっても『不死』ではないんだよ。だから、必要なんだ、『寿命』がな」
寿命? だとしてもどうやって寿命を手に入れるんだ? まさか、こいつが澤野の寿命を奪って……。
「ちげーよ。てか今さらそのオチだったら最低だろ、オレ。ま、オレがもらうお代っていうのは寿命だがな。オレたちは、契約した時にカラスに大量に寿命を渡す。その後も定期的に渡さなきゃなんねー。で、必要なんだ。だが、アイツの寿命を頂こうとしたときにわかったんだよ。アイツがもうそんなに長くないってな。だから、タダにしてもらった、それだけだ。理解できたか?」
理解しようとするにはあまりに突飛な話だが、信じないわけにはいかないだろう。
「運命ってのは時に残酷なんだよ。人なんて、本当にいつ死ぬかわかんねー。後藤、オマエもな。……とりあえずこんなもんだが、まだ聞きたことはあるか?」
そこまで言って、烏丸は一度一息ついた。運命か……。見た感じ烏丸は嘘をついてはぐらかしているようには見えなかった。烏丸が相手の考えていることがわかるというのは、おそらく本当だ。そうすると、いろいろなことに説明が付く。モヤモヤしていた心が、少しすっきりした気がした。
「ああ、もう大丈夫だ。それにしても、案外、不可思議なことなんて身近にあるもんなんだな。お前にももう会わないかもしれないが、今日はありがとう。えと、お代は寿命、でいいのか?」
烏丸は一瞬ぽかんとしていたが、やがて呆れ笑いしながら頭に手をやった。
「オマエ、やっぱりさっきオレが言ったことの意味、わかってなかったな……」
「は?」
「まーオレが言わなくてもそのうちわかるか。あと、お代もいらねー。あ、オマエが死ぬわけじゃねーぞ! ただ、これからのことを考えるとな……」
なんだ、俺の身にこの先何があるっていうんだ。
「なんとなく予想できるからな。夜道にはせいぜい気をつけろ」
烏丸はいつも通りニッと笑い、「じゃあな」と呟き、立ち去って行った。とりあえず、ろく
な目に合わないうちに帰った方がいいだろう。
昨日と今日で思い知った。俺にはやっぱり日常の方があっている。これ以上何かに遭うのはごめんだ。
いつもの直線歩道まであと少し。よし、このまま行けば何事もなく……。
「ちょっと、そこのあなた。こんな時間にここで何をしてるの?」
高圧的な女性の声だった。
さっきまで後ろには誰もいなかったはずなのだが……。
「い、いや、ちょっとある人に会ってしゃべっていたら、遅くなっ……」
言い訳をして早めに帰ろうと振り返ったところで、俺の思考回路は停止した。
そこにいた女、詳しくは俺と同じくらいの歳の顔立ちの整った少女は、迷灯の制服を身にまとっており、墨色の長髪が風に揺れていた。
そんなことより、俺が驚いたのは彼女の手に握られているものだった。
神々しさをまとった白い杖、その先には薄紫色の球体が着いていた。RPGゲームの魔法使いが使っていそうだ。そして、右手の薬指には鳥の足跡の印があった。
「ある人に会って?もしかしてあなた、烏丸が言っていた……」
どうやら烏丸の知り合いのようだ。ちゃんと事情を話せば、もしかしたら何事もなく帰してくれるかもしれない。見るからに物騒な人だが、話せばわかってくれるだろう。
「あ、はい。さっき烏丸から情報を教えてもらって、それで……」
「そう」
少女は俺の話の途中だというのにそう短く言うと、さらに俺に近づいてきた。
何をされるのかと身構えた時にはもう遅かった。
「じゃあ、死んでもらうわ」
「へ?」
少女の持っていた杖の球体が、棒状に変化し、鋭い刃となって俺の首元めがけてとんできた。
とにかくかわさなくてはと重心を後ろに移すと、思い切り体勢を崩した。が、なんとか避けることができた。しりもちをつくと同時に、半開きだったリュックの中身がこぼれ出た。
「運が悪かったと思ってここで死になさい。クロウディアのことも迷灯町のことも、口外されてはいけないから」
「おっ、俺は人に言ったりなんかしないっ!」
「信用できないわね。口では何とでも言える。それに、これから生きていくより、ここで死んでしまったほうがあなたも楽だと思うわよ。これからは、こんな災難に見舞われることの連続。そんなのあなたも望まないでしょう?」
少女は徐々に俺に近づいていき、杖のような槍のような物を振り上げた。
あと数秒すれば、俺は本当に殺される。これからはこんな災難の連続……か。
確かに、俺の望みとは正反対の未来だが、それでも俺は……。
「こんなとこで死ぬわけにはいかないっ!」
全ての力で体をねじらせ、横転する。
薄紫の閃光は地面のタイルをえぐり、深い痕を残していた。
「往生際が悪いわね。そろそろ諦めなさ……っ!」
突如、少女の動きが止まった。
その目線の先には散乱した俺の教科書や参考書。
「後藤……日……奈太……」
少女が驚いたように呟いた時だった。
周りの異様さに俺は気付いた。影なのか闇なのか。人なのか獣なのかもわからない、異形のものが跋扈していた。
「……もうそんな時間なのね。どうやら、こっちを先に始末する必要があるみたい」
少女は異形のものに武器を向けた。奴らはこちらに気づいたようで、一斉に襲いかかってきた。少女は武器を駆使して異形を倒していく。
「死にたくないなら、戦わないと知らないわよ!」
「はあ!? いや、そんなこと言われても……」
という間に異形の一部が俺に襲い掛かってきた。
何か無いかと探していると、澤野の金属バットが目に入った。すかさずバットを手に取り、両手で構える。よし、これで!
「でやあああああああああっ‼」
精一杯の力で異形をぶっ叩くと、若干怯んだように異形が変形した。
しかし、それもつかの間、異形はすぐに元の姿を取り戻した。ダメだ、全然効いてない!
その後何度もたたいたものの、異形は変形を繰り返すだけだった。ふいに背後からの気配に気づく。振り返るとそこには、大きく禍々しい爪で襲い掛かる異形がいた。まずい、このままだと……。
一瞬ののちに浮遊感が体をおおう。頭が現状を理解できないうちに、目の前に紅い液体と、あの少女が飛び込んできた。少女に抱えられ、そのまま地面に叩き付けられる。ようやく頭が現状を理解しだした。少女の背中には爪痕がつけられ、血が流れ出ていた。
「……ぐっ、はあっ……」
少女の顔には苦悶の表情が出ていた。先ほどまで俺を殺そうとしていたのに、どうして庇ったのだろう。彼女は無理やり体を動かそうとしたが、そのたびに血があふれ出る。
「そ、それ以上動くな! 死ぬぞ!」
「何を言っているのよ……。私がやらなきゃ、あなたも私もここで死ぬわよ……」
「じゃあ、俺がやるっ!」
少女は目を見開き、「本気で言ってるの⁉」と語調を強めた。俺自身も自分の口から出た言葉に驚いていた。でも、その言葉が、本心なのはわかっていた。もう一度バットを握り直し、立ち上がって異形に正対した。
うごめく無数の異形たちがこちらに来たと同時に、俺も走り出す。足で地面をけり、全身全霊賭けて叩く! ドゴォッ! という音とともに、異形が霧散した。なぜかはわからないが、今なら、倒せる!
「この力は……『気闘士』? でも、なんで……?」
少女が何かを呟いた。俺はとにかく金属バットを振り回し、次々と異形を倒していく。よし、もう少しで殲滅できる! しかし、他の奴よりもひときわ大きな異形が俺の前に立ちふさがった。
「これを使いなさいっ!」
少女はどこから取り出したのか、黒い剣を俺に向かって放り投げた。
剣には金色の装飾がなされ、刃先とつばの中央には赤い宝石がはめ込まれている。確かに金属バットよりは、ずっと倒しやすいだろう。剣なんて握ったことはないが、両手で構えて思い切り、放つ!
巨大な異形は叫び声をあげながら霧散し、しばらく静寂が辺りを包んだ。
「あの、さっきは庇ってくれてありがとう。理由はわからないけど……お前は、俺を殺したかったんじゃないのか?」
少女はそれには答えず、傷をかばいながらゆっくりと起き上った。血ももうほとんど止まったようだ。
「それよりあなた、後藤日奈太、っていうの?」
「ん? いやそうだけど……あ、さっきも俺の教科書とかの名前見てたな。それがどうかしたのか?」
少女は「そう……何でもないわ」と呟くと、背中越しに俺に話しかけた。
「あなたを殺すのは……やっぱりやめるわ。だけど、代わりにあなたを監視させてもらうから。私の名前は、黒森えりさ。これからよろしく、後藤君」
「えっ、あっ、ちょっと、勝手に決めるな! てか、傷はもう大丈夫なのか?」
黒森は、「治してもらえる当てがあるから平気よ」と言い残し、まだ色々言いたげな俺に付け足すように言った。
「ゆっくりしてるのはいいけど、遅くなってお父さんに何か言われても知らないわよ」
しまった、と思い近くにあった時計を見ると、すでに午後11時をまわっていた。昨日も今日もこの時間はさすがにまずい。黒森は、フッと笑うと「じゃあね」と呟いた。
「あっ、ああ。じゃあな」
そう返した時には、黒森はもう姿を消していた。
俺は散らばっていた荷物を片付けようとしたが、さっきの黒い剣がそのままだという事に気づいた。家に持って帰るのもあれだが、ここに置いてくのもちょっと物騒だな……。
「しょうがない……」
リュックの中に入っていたタオルで剣身の部分を覆い、リュックに入れ、終電を逃さないためにも、俺は急ぎ足で駅へ向かった。
そして、俺の非日常は幕を開けたのだった。