罪深き 隣の人は 何歌う人ぞ(前編)
さすがに平日の、それも昼間となるとカラオケ店の部屋は二つ使われている程度だった。まだ不慣れなメンバーでカラオケに来たことと、この後のことを思い、村藤は少し緊張している。案内された部屋でそれぞれ無言のまま思い思いにソファーに腰を下ろすと、おずおずと松村が口を開いた。
「えっと……今日は一体どういう集まりなのか、そろそろ訊いてもいいかな?」
「それはですね」
と、針ヶ峰は松村が言い終わるや否や答える。
「松村さんがこの前見たという『隣の女』の件について、この村藤くんが解き明かしたことがあるので、今日は皆さんにお集まり頂いたわけです」
わざとらしい恭しさで、両手を村藤に向け言葉のバトンを彼に託す。
「村藤くんが?」
「はい」
「あれは夢……じゃなかったの?」
「……はい」
離れた部屋から淡い初恋を歌う流行りのポップスがくぐもって聞こえてくる中、村藤は語りだした。
「まず結論から言います。あの時松村さんが見たという女性、あれは真崎さん、あなたですね?」
村藤に名指しされた真崎は先程まで強張らせていた表情を緩め、どこかホッとした面持ちで静かに頷いた。
「ああ、そうだよ」
「はあ!?」
思わず松村は席を立ち上がり真崎と山中を交互に見やった。
「なんで!?」
「単純な話で、松村さんが目覚めたのは自分の部屋ではなく、真崎さんの部屋だったんですよ」
「いや、たしかにあの部屋は俺の──」
「では松村さんが自分の部屋だと思った理由は何ですか?」
「なんでって……カーペットが同じだったからだよ。それに、女が立っていた台所周りも完全に俺の部屋だった」
「たしかにその部分は松村さんの部屋とほぼ同じだったと思います。でも、それ以外は?例えば……松村さんの部屋にはアイドルのポスターが貼ってありましたが、それはありましたか?」
「……いや、見てない。女の方ばかり見ていたから」
「松村さんは台所の方だけが見えるように寝かされていて、女の存在を認識してからずっと、彼女──いや真崎さんから目を離せなかったんじゃないですか?」
「……でも、声は」
「それは多分……予め録音していた真崎さん自身の声をボイスチェンジャーアプリを通して再生したんだと思います」
「……」
「種も仕掛けもない話なんです。山口さんと真崎さんは協力して、酔いつぶした松村さんを真崎さんの部屋へと運びだし驚かせた後、気絶した松村さんを再び山中さんの部屋へと戻しただけだったんですよ。──そして、松村さんに見える範囲だけ部屋を似せたのは、……田中さん、あなたの協力あってこそですね?」
村藤は田中を見た。田中は両手を膝の上において、少し俯いている。
「いくら造りが同じとはいえ、部屋全体を完全に松村さんの部屋にするのはきっと無理です。でも、女装した真崎さんを台所に立たせることで松村さんの視界をそこに限定すれば、用意する必要がある物は近場で揃えられるものや自作で誤魔化せるものばかりだったはずです。きっと一万円もかからなかったんじゃないですか?そして買い集めた素材を使って、松村さんの私物に似せて準備していたんでしょう」
ぐるりと真は部屋を見回した。
「……つまり、友人であり松村さんの部屋の様子を簡単に知ることができる山中さん、道具を揃準備して『松村さんの部屋の一部』を作り出し、更にヘアウィッグや衣装を用意し『隣の女』を生み出す役割の田中さん、そして『隣の女』を演じる真崎さん……三人が協力することで今回の事態を起こしたんです」
「ねえ村藤くん」
針ヶ峰が口を開いた。
「その理屈なら山中さんはともかく、田中さんや真崎さんである必要はないんじゃない?何故この人たちだと思うの?」
「それは……松村さん、怒らないでくださいね」
「?」
「松村さんの生活音──というか、音楽、歌声が原因だったんじゃないかと」
松村はキョトンとした顔をしている。
「松村さん。この前おじゃました時、アイドルソングを歌って踊ってことを前から時々してたって言ってましたよね?」
「えっ…………うん」
何かに気がついたようにしばし押し黙った後、松村は頷いた。
「この三人はその音に悩まされて、こんなことをしたのだと思います。山中さんと真崎さんは歌声に、田中さんは足音に」
松村は立ったまま腕組みをして目を瞑り唸っていたが、釈然としない様子で、
「……でも、俺、左右の部屋の音あんまり聞こえなかったよ?だからあのマンション、結構防音してるんだなーと思ってて……」
「自分らが気を使ってあまり大きな音を出さないようにしていただけだ」
真崎がメガネを押し上げて松村を見た。山中も申し訳なさそうに頷いている。
「ならなんでこんな回りくどいことを!?直接言ってくれたら……」
「スマン、それは俺が悪いんだ」
山中が頭を松村に向かって両手を合わせた。
「真崎さんから友人でもある君から注意してあげたら、と大分前から言われていたんだけど、直接注意するにせよ管理人さん経由にせよ、俺がまっちゃんのことを嫌ってるように受け取られるのが怖かった。それに注意することでギクシャクしてしまってまっちゃんと仲が悪くなるの、嫌だったんだよ」
「……本来はあの時に『あんまりうるさくしないでほしい』と松村さんに伝える予定だった」
真崎がため息をついて続けた。
「ただ、その前に松村さんが気絶してしまって……」
「──田中さん。あの時ぼくらが運んだあのバッグは、真崎さんの部屋を松村さんの部屋に偽装するために使った道具類だったんですね」
「カーペット以外はほとんどね」
田中がうなずく。
「村藤くんが言った通り、私は上の階の二人のように歌声ではなくて、ドンドンと踏み鳴らす足音にうんざりしてて……でも、それ以上に、自分の技術で松村さんを欺けることができるのか、知りたくもあって……ごめんなさい」
と、松村に謝った。
「そうだったのか……」
ドサ、と音を立てソファーに沈み、すっかり両手で頭を抱えてしょげてしまった松村に、針ヶ峰が声をかける。
「これからは、自室で大声で歌うのは控えてくださいね」
「うう……三人とも、今まで気づかずに騒いでいて、ごめん。……本当にすいませんでした」
再び立ち上がると、松村は三人に向かって頭を下げた。
「……さて、一件落着したわけだし、時間がもったいないわ。みんな歌いましょう?今回はそのために、カラオケに皆さんを集めたんですから。松村さんもここなら大声で歌いたい放題ですよ」
などと言いながら針ヶ峰は自分がマイクを握る。
「待った!」
と、それを松村が制止した。
「ごめん、今ちょっと歌う気になれないわ……」
自分の知らないところで迷惑をかけていただけでなく、自分の歌声が意図せずして漏れていたことも恥ずかしかったのだろう。松村は顔を耳まで染めて、勘弁してください、という調子でまた頭を下げた。
「あらま」
再び静かになったカラオケボックスに田中の携帯電話から着信音が響いた。
「──あ、私サークル仲間から呼び出しかかっちゃいました」
メッセージを確認すると田中は立ち上がる。
「すいません、これで失礼します。佳奈、あとはよろしくね」
「ええ。終わったら後で連絡する」
そして彼女は部屋から出ていこうとしたが、扉の前でふと立ち止まり、松村に再度謝った。
「松村さん、本当に先日は申し訳ありませんでした」
「いや、ぼくの方こそ」
松村も立ち上がり頭を下げる。
「これからも下の階にいる隣人として、よろしくお願いします」
「もう不必要に大きな音を立てないようにします、約束する」
田中は頷き、部屋から出ていった。扉は静かに閉められ、再び部屋に静寂が戻る。遠くの部屋の重低音だけが聴こえる中で、
「──うーん……あの、もし二人が構わなかったら、これからどこかで飲まない?もちろん、俺のおごりで」
と、松村が言葉に迷いながら切り出した。
「さっきケンが俺に嫌われたくなかった、って言ってたけど、それは俺も同じで。これからも友人として、隣人としていたいしさ……もちろん、マサさんとも。だから二人がよかったら──」
「……自分は山中さんがいいならそれでいい。カオリンのことも、詳しくなれたしな」
と、真崎は嫌味なのか冗談なのかわからないことを言い、ニヤリと笑った。
「行こうぜ!そして、たくさん飲もう!」
ふーっと大きく息を吐き胸をなでおろし、山中も笑う。
「よーし行こう!」
「──松村さん」
出ていこうとする松村を霧ヶ峰が呼び止め、立ち上がると両手を揃えて頭を下げた。
「今回のこと、無駄に怖がらせてしまったこと、心からお詫びします」
「?……ああ、君たちにも迷惑をかけたね。村藤くん、針ヶ峰さん。でもおかげで、隣人を──大事な隣人をこれ以上苦しめないで済みそうだよ。じゃあ、俺らはこれで」
「ええ、さようなら」
三人は村藤と針ヶ峰に手を振り、カラオケボックスから出ていく。皆、憑き物が落ちたような晴れやかな顔だ。そして、二人だけが残った。