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四階の住人たちと『隣の女』

 部屋の中は特にこれといって代わり映えのしない、男子大学生の部屋といった趣だった。玄関から入ってちょっと進んだ右手に台所があり、洗って放置されたままの食器や三角コーナーの空のカップ麺の容器が目に入る。そこから左手にはトイレと風呂場につながるドアが二つあった。更に進むと奥は六畳ほどの居室が広がっていて、中央にはカーペットが敷いてある。壁際に置かれた二人がけ用のソファーの前には足の短いテーブルが置いてあり、その上には入学時に大学生協で買ったのだろう、ノートPCがぽつんとたたんである。部屋の隅にはカラーボックスが置いてあり、講義に使われたレジュメがケースに詰められ、本や雑誌と共に立てられていた。この部屋で特徴的で目を引くのは壁に貼ってある大きめのポスターだった。今売り出しているアイドル、カオリンこと今里(いまざと)香織(かおり)が笑顔煌めかせ、見る者に手を振っている。それ以外は食器も家具も、近場の家具量販店や百円ショップにあるような物ばかりで、中には村藤が使っている物もあった。部屋はロフトが付いており、村藤が下から見上げた様子だと寝床兼物置として使われており雑然としているようだった。


「誰もいないな……」


 部屋の主は傘を片手に用心深くトイレや風呂場のドアを開け覗きこみ、窓の鍵を開けベランダをキョロキョロと見回し、更に手狭な階段を昇りロフトも確認している。


「変な女の夢を見た、ってそれでぼくたち、というか二人を見て驚いたのかな。どちらかが似てたとか」


「……私にしろ美紀にしろ、美女が出たなら楽しい夢に決まってるでしょ。そんな感じじゃなかったわ」


 自分で美女と言う?と眉をひそめ首をひねるジェスチャーを無言で田中は村藤にして見せた。針ヶ峰さんが夢に出てきたら楽しいというより疲れそうだな、と村藤も心の内でこっそり思う。そうやって村藤たちが所在なさげに立ち尽くしていると、自分の部屋に何も異常がないことを確認し終えた男がようやく話しかけてきた。


「さっきは驚かせてしまってすいませんね」


「いえ……」


 どうぞ、と適当に座るよう勧めながら男は傘を玄関に戻して、テーブルのそばに腰を降ろした、そして各々が慣れない感じに名前だけの自己紹介をし、静かになったところで彼はポツリポツリと語り始めた。


「実はさっき──」


***


 この日、四〇三号室に住む松村(まつむら)紀彦(のりひこ)は講義をサボって、友人であり隣人でもある四〇二号室の山中(やまなか)健人(けんと)とともに、午前中から四〇二号室で酒を飲みながらゲームをして遊んでいた。買い込んだチューハイ缶がビール缶が空になり、つまみも菓子も腹に収め……やがて夕方近くになって、大分酒が回ってきた松村が耐えきれず横になると、彼はすぐに眠りについた。


 ふと松村が目を覚ますと、彼は己が山中の部屋ではなく自分の部屋に横たわっていることに気がつき、ぎょっとした。松村が驚いたのはいつの間にか自室にいたせいだけではない。知らない長髪の女が台所に立っていたのだ。その女は包丁で何かを切りつけて、あるいは何かに叩きつけているような音を一定間隔でダン、ダン、と立てている。


「──どんな顔でした?」


「それが、床に寝そべってて横から見上げる形で見たから、髪で顔が隠れていたんだよ」


 松村は話を続ける。


 彼があまりの事態に驚いて声も出せず身動きも取れずにいると、女は彼の方を見向きもせず何かを勢いよく投げた。幸いそれは松村には直撃せず、カーペットに嫌な音を立てて叩きつけられた。血のようなものが跳ねたという。松村が見る限り、それは何かの肉だった。


「──もう、俺、怖くってパニクっちゃってさ。『あ、これ俺の肉だ』なんて意味不明なこと思っちゃって。そう思ったらもう一度『ダン』って大きな音がして──」


「ちょっと待て」


 と、山中が松村の話を遮る。


「確かに俺も酔っていたし、今も若干そうだけど、まっちゃんが横で寝ていたのは確かだよ。目を覚ました時はたしかに俺の部屋に居たでしょ?」


「その通りなんだよなぁ」


 松村は頭をかく。


「その『ダン』って音で、俺、これからこの女に何かされるんだと思ってさ。そうしたら、その女が『隣の者です──』って気味の悪い声で話しだして……で、情けない話なんだけど気を失っちゃった。次に目を覚ました時はこいつの部屋にいたんだ」


「だから、最初から俺の部屋にいたんだよ」


「いやでもなあ……」


「それに『隣の者』って言ったって、まっちゃんの部屋の隣って俺と──この真崎さんじゃんか。二人とも男だろ?」


「ううん……」


 松村の煮え切らない返事をすくい上げるかのように、針ヶ峰は「それで」と、松村の方を見た。


「自分の部屋の様子を見に戻ってきたわけですね」


「ああ、そうだよ」


 あの時田中さんの部屋の前で聞こえた叫び声は松村さんが目を覚ました時のものだったのか、と村藤は考える。


「ところが、部屋には誰も居ない。窓や玄関には鍵がかかっていた。部屋も特に変わった様子はない」


 真崎は松村の確認を取るように、ゆっくりと話しだした。


「あの女が片付けていったのかな」


 松村が首を伸ばし台所の方を見たのに合わせて、全員でそちらの方を見た。台所はもちろん、話に出てきた「何かの肉」を叩きつけられたというカーペットのあたりも特に変わったところはない様子だ。


「いや──普通に考えれば、夢だろう」


 眼鏡の位置を整えながら真崎は松村を否定した。


「そうそう夢だよ、夢。悪酔いしたのさ」


 と、山中も真崎に同調し腕を組み一人でウンウン、と頷く。


「いいや、絶対あれは夢じゃない。あんなリアル夢があるかよ。ケン、何か隠してるだろ?」


「は?いや?いや、何も隠してなんかないよ」


「……もし仮に、仮にですよ。山中さんとその『隣の女』がグルで、女が松村さんを脅かした後片づけて立ち去ったとして──どこに行くんです?私たちさっきまでずっと一階のエントランスにいましたけど、出て行く人どころか入ってくる人もいませんでしたよ。だっれも」


 巻き舌気味にそう言うと、針ヶ峰は「ねえ」と、田中に同意を求めた。


「ええ、そうね」


「『ずっと』、って一時間くらい?」


「いえ、そこまでは……でも20分くらいは確実にいたと思います。この村藤くんを待っていたんです」


 山中はまた頷いている。


「玄関も窓も鍵がかかっていて、その上肝心の女がマンションを出入りしていないんなら、やっぱり夢だよ」


「うーん……そこまで言われると自信ないんだけど、夢とは思えない迫力だったんだよなぁ……」


 松村は首をひねる。


「まあそういうことだったのなら、もう大丈夫みたいだし自分は失礼しようかな」


 そう言うと真崎は立ち上がった。松村が申し訳なさそうに謝る。


「あ……すいませんでした。お騒がせしてしまって」


「いえ、気にしなくていいですよ」


「私たちも帰りましょうか」


「そうだね」


 村藤にしても何事もない以上深入りする理由はなく、そそくさと立ち上がった。


 挨拶をして四人は松村の部屋から出、真崎とも別れると三人は黙って外の階段を降りて田中の部屋へと戻った。それから村藤は三和土にとりあえず置いていたバッグを部屋まで運び込み、ロフト階段の裏下へと置いた。田中の部屋も松村の部屋と同じ構造だ。そのまま村藤は帰ろうとしたのだが、田中がせめてお礼にお茶でもと言うので、彼女が用意してくれた紅茶を飲みながら三人は先程のことを語り合った。


「何だったんでしょうね、アレ」


「もし夢じゃないとしたら、松村さんが山中さんとその女の間に何か問題抱えていたりとか。どうかしら?」


「三角関係とか?たしかに松村さんが見た通り自分の部屋に女の人がいて……となると山中さんが協力しないことには無理だけど。うーん、どうなんだろうね……」


「……村藤くんはあまりこういう事態に血湧き肉躍らないタイプ?ミステリー読んでたじゃない」


「いや、ミステリー読むからといって探偵の真似事に憧れがあるわけではないよ」


「村藤くんは犯人の方に入れ込む人だったのね」


「違うよ、もう」


 まったく、と思いながら村藤は携帯電話で時刻を確認した。もう十八時半を回ろうとしている。


「『隣の女』が四〇四号室の住人ってセンはどうかしら」


 閃いたわと、針ヶ峰がピンと指を立てて呟いたのを田中が即座に否定する。


「そんな部屋、無いよ」


「わからないじゃない。四〇三の松村さんの部屋と四〇五の真崎さんの部屋の間に、実は隠されていた四〇四の部屋が……」


「それこそ現実味の無い夢じゃない」


 田中がふうっと脱力したように笑みを漏らした。


「──にしても、上の階の人と話してそのうえ、お部屋におじゃますることなんて初めてだったから、少し緊張しちゃった」


 そう言って天井を見上げた。


「今まで上の階の人なんて、意識したこともなかった」


「ああ確かに。ぼくなんか、上階どころか両隣の人の名前さえ知りませんよ」


「まあ、そういうものよね」


「出かける時なんかに、ちょうど玄関ドアを開けるタイミングが重なって微妙に気まずい感じになったりね」


 うんうん、と頷きながら用意されたクッキーを一つ、二つ、三つと針ヶ峰は口に放り込む。


「お話する機会でもないと、顔すらうろ覚えよね」


「そうそう」


 初めて会った女性の部屋にいるという奇妙な居心地の悪さを感じながら、村藤は透き通る琥珀色をした紅茶を啜った。だが、彼には味のほどがよくわからなかった。少し緊張している今の彼の味覚は何も感じることなく液体を素通りさせていたのだ。ほんの少し、熱さを感じさせながら。

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