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呼び出しは十七時(時間厳守でお願いします)

 それから数日後の午後のこと、針ヶ峰は予告していた通りに村藤に連絡をよこした。大学からさほど遠くないマンションに十七時ぴったりに来てほしいという。送信時刻は十六時四十五分。自室でだらだらとしていた村藤は慌てて身支度をすると、指定されたマンションへと向かった。そのマンションは学生が多く住んでいる、小高い立地にあるクリーム色の外壁をしたマンションだ。幸い彼が部屋を借りているアパートからでも歩いていける距離にある。


 村藤が早足で時刻通りにそのマンションへ着くと、針ヶ峰はエントランスの外で待っていた。隣には背の高い長髪の女性がいる。二人は知り合いらしく、近づいてくる村藤に気がつくまで何事か話し合っている様子だった。


「──あら、遅かったわね村藤くん。もう少しで遅刻扱いにするところだったわ」


「急に呼び出しておいて、それはないよ針ヶ峰さん。それに時間通りじゃないか」


 針ヶ峰さんがこういう軽い調子の人だと知っていたら自分から連絡するべきかどうか悶々と悩むこともなかったな、と思いながら五階建てのマンションを見上げ村藤は一息ついた。


「一体、どんな用事なの」


「ごめんなさい、私が用があったんです」


 針ヶ峰の隣りにいた女がペコリと軽く頭を下げた。


「あ……私、田中(たなか)美紀(みき)って言います」


「村藤真です、はじめまして」


 と、会釈をしながら彼も挨拶を返す。


「さあさあ、二人とも。のんびり自己紹介なんかしてないで、ちゃちゃっと片付けちゃいましょう」


「だから何を──」


 先に入り口をくぐり中へと進む針ヶ峰の後を追った村藤の視界に飛び込んできたのは、エレベーターの脇に置いてあるこんもりと膨らんだ三つのボストンバッグだった。「これかあ」と村藤が若干呆れたように息をついたのが伝わったのだろう。田中は村藤の背後に立ったまま、


「本当にごめんね。男の子の手が必要で……」


 と謝った。



 「ここまでは知り合いが車で運んでくれたんだけどね?用事が急に入ったとかなんとかで、『後は頑張って!』ってここに置いていっちゃって……」


 よいしょ、と両脇に二つ、バッグを抱えた村藤に田中は事情を説明する。彼は鍛えているわけではなかったが、それでもバッグは二つ同時に持てる程度の重さだ。村藤は一度バッグを下ろし、


「──とりあえず二つ運んで、後でまたもう一つを取りに来ることにしようかな。それでいいですか?」


 と、振り返って二人に尋ねた。


「ああ、それなら私達二人で一つを運ぶわ。どれが一番軽いのかしら」


「これじゃない?」


「うーん……」


 二人でバッグの軽重を計り始めた彼女らを脇目に、村藤は上階に止まっているエレベーターを呼び出すためにボタンを押した。頭上の各階を示す番号が、4、3、と明滅しこのマンションに一台しかないエレベーターの箱がゆっくりと降下してきていることを示している。


「村藤くん、村藤くん」


「なに?」


「説明がまだだったわね。この子、舞台サークルの道具係なのよ。バッグの中身はその舞台道具ってわけ。ま、小道具ね」


 手持ち無沙汰な村藤に針ヶ峰がひらひらと手のひらを振って事情を説明する。


「で、美紀から部屋に道具を持ち帰ってメンテしようと思ったけど、立ち往生してるって私に連絡が入ったの。こんな重いバッグを抱えて困っている友人を無視するわけにはいかないじゃない?でも私も美紀も頼れる彼氏っていないし」


「それでなんでぼくが……」


「頼れる男友達ってことよ」


 先日連絡先を交換したばかりの村藤にニッコリと微笑んで冗談を言うと、針ヶ峰はくるりとその場で回りポーズを決めた。


「村藤くん、そういうわけでバッグの中身は彼女の大事なものなんだから、バッグを落としたり蹴ったり殴ったりしちゃ、やぁよ」


「『やぁよ』って」


 田中がこらえきれず吹き出し、針ヶ峰の背中をパシパシと叩く。


「殴らないよ」


 苦笑しながら村藤も返す。そうこうしている間にエレベーターは到着した。チャイムと共にドアが開くと、待っていましたとバッグの片側の持ち手を持った針ヶ峰がもう片側を持った田中を引っ張るように乗り込む。続いて村藤がバッグを二つ抱えて乗り込んだ。


「何階?」


「三階です」


 緩やかに上昇を始めたエレベーターの駆動音を聞きながら、三人は無言で扉のそばの階数を示す電光板を見上げた。


「エレベーターって、なんでこう、黙って見上げちゃうんだろう。不思議」


「重力に逆らうって不自然なことをしてるから、自然に喋ったり振る舞ったりできなくなるのよ」


「へえ」


「知ってる?統計的に、エレベーターの昇りより降りの方が談笑している人が多いそうよ。重力に従っていた方が人間楽なのかもね」


 背後で自然に適当な話を吹かせている針ヶ峰に呆れながら、村藤は三階に到着するのを待った。余裕そうに抱えてみせたバッグだったが、じわじわと肩に重みを感じ始めている。


 三階に着くと、乗り込む時と同様に針ヶ峰がそれっと我先にと田中を引きずるように飛び出していった。先に行く二人が三〇三号室の前で立ち止まったのを少し後ろから村藤が追いつく。


「あ、ちょっと待ってくださいね」


 と、田中が玄関の鍵を開けようとした時だった。「うわあっ」と、男の驚き叫ぶ声があたりに響いた。思わず三人は顔を見合わせる。


「あれ、今……」


「何かあったのかな」


「……」


 針ヶ峰は廊下の手すりから少し身を乗り出し上の階を見上げ、更にそこから階下も見たが、二人に向き直ると首を振った。特に異常は見当たらないようだ。


「一つ上の階から聞こえたように思うけど……」


 田中は鍵を開けた自室のドアノブを握ったまま首をひねる。


「……村藤くん、あなた、ちょっと上の階の様子を見てきたら。バッグはそこに置いて」


「あ、それなら、そこに階段あります。一つ上なだけなら階段の方が早いかも」


 田中が少し先の階段を顔を向けて示す。村藤は少し逡巡したが、女性二人を前にして怯む様を見せるのも情けないと考え、持っていたバッグを玄関の三和土に置き上階へと早足で向かった。


 上階も先程までいた田中の住まう階と同じ構造をしていた。廊下はシンとしており異常な事態が起きている気配はない。さてドアを一つ一つノックして住民の安否確認をするべきだろうかと、誰もいない通路を村藤が迷いながらいったりきたりしていると、遅れて後ろから二人もやってきた。


「大丈夫?……静かね」


 針ヶ峰はキョロキョロと見回すと冗談っぽく眉を上下させて、


「部屋に大量のゴキブリでも出たのかしら」


と呟いた。田中がわざとらしく顔をしかめる。


「えーやだぁ」


「……なんだ、結局二人とも来たんだ」


「まあ、ね」


 ヒソヒソと話していると、四〇二号室のドアが勢いよく開き、中から赤ら顔の男が出てきた。酒に酔っているのだろう。少し、足元が覚束ない感じで出てきた彼と三人は顔を合わせた。すると途端に彼は、


「うわあああっ!」


 と、声を張り上げ、隣の四〇三号室に入ろうとドアノブを回しだした。だが鍵がかかっているため、ガチャガチャと音がするばかりでその男はドアを開けられずにいる。この声はさっきの叫び声の主だなと村藤は考え、


「あの、大丈夫ですか。どうかしたんですか」


 と、そっと声をかけた。すると四〇二号室からもう一人、やや小太り気味な男が頭をかきながら出てきて、


「あー……いや、こいつ、変な女が出た夢見たみたいで……なんかビビってるんですよ」


 と、村藤たちに話した。


「夢なんかじゃなかった!」


 四〇三号の部屋の前の男は、すぐに頭を振ってそれを否定する。


「本当に。夢じゃなかったよあれは……」


 するとそこに、隣の四〇五号室もドアが開き、面長でやや神経質そうな眼鏡をかけた男がそこからぬっと顔を出した。


「あのー、何なんですか?さっき叫び声聞こえたけど」


「あ……どうも……えっと」


真崎(まさき)です」


 と、四〇五号のその男は上下ともにラフな格好で部屋から出てきた。


「実は──」


 四〇二号の男が事態を説明しようとしたが、それを四〇三号の男が遮った。


「とにかく、まずは部屋の確認がしたいんだ。ケンも来てくれ」


 と玄関をそっと開け、玄関の脇に立てかけてあったビニール傘を持ち、まるで木刀のように構えた。


「……わかったよ、まっちゃん」


 ケンと呼ばれた、四〇二号の男はサンダルをつっかけて自室から出てくる。


「あの、私たちもお邪魔してもいい?詳しく話を聞かせてもらいたいのだけど」


 言うが早いか、針ヶ峰は四〇三号の前に立つと田中と村藤に手招きをした。


「ちょっと、いきなり無関係なぼくらが行っても」


「いいじゃない。面白そうだし」


「面白そうって……」


「……どうぞ」


 ちらりと三人の方を見ながら、まっちゃんと呼ばれた、四〇三号の男が頷いた。四〇五号の真崎もそばまでやってきて、


「自分もいいですか?なんだか気になるんで」


 と、開いている玄関から部屋の主の背中越しに中を覗き見た。


「さあ、村藤くんも」


 よくわからないことになったなあ、と思いながら村藤は四〇三号の入り口をくぐった。


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