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7.秘密の関係

 朝日が昇りはじめる気配を感じ、メリンダはそっと瞳を開けた。

 普段使っているものよりも数段柔らかい寝具に、高い天井。隣には己とは異なるぬくもりがあり、メリンダの心臓がドキッと跳ねる。



(ああ、ついに……)



 流されてしまった。



 ――――なんて、そんなの嘘。


 ここに来れば、こういうことになるかもしれないと、メリンダはきちんと分かっていた。

 寧ろ、それ以外の道はないと気づいていた。

 だからこそ、きちんと身支度を整え、気持ちの整理をしてからここに来たのだ。



『違うんです! わたしはただ、こういうことをされては困ると伝えたくて……』


『本当に?』



 ステファンはそんなメリンダの本音をしっかりと見抜いていた。彼女の心が本当は自分の元にあると気づいていた。本当はメリンダも彼の手を取りたがっていることを利用したのだ。


 そこまで分かっていながら、鈍いふりなどとてもできない。愚かな言い訳ができる立場にないことを、メリンダは強く自覚していた。



(だけど……)



 王太子であるステファンはこれから、公爵令嬢であるリズベットとの婚約を控えている。


 申し訳ない。取り返しのつかないことをしてしまった――――そういう気持ちは当然ある。



 しかし、ここまで来てしまった以上、メリンダには開き直ることしか出来ない。そうしなければ、罪悪感や幸福感、焦燥感などなど、色んな感情に押しつぶされてしまうから。



(……よし。そろそろ戻らなきゃ)



 そろそろサルビアが起きてしまう。メリンダが居ないことに気づいて、騒ぎになってしまうかもしれない。その前に、何食わぬ顔をして部屋に戻らなければ――――。



「――――メリンダ?」



 メリンダがベッドから滑り降りようとしたそのとき、ステファンが唐突に彼女を呼んだ。

 彼はひどく焦った表情で、メリンダの腕をギュッと掴む。



「メリンダ――――!」


「おはようございます、ステファン殿下」



 メリンダが微笑む。ステファンはホッと胸をなでおろした。



「起こさないよう気をつけていたのですが……申し訳ございません」


「そんなことは別に良いんだ。寧ろ、メリンダが勝手に僕の元から居なくなってしまう方がずっと困る」



 ステファンはメリンダを抱き込み、はあ、と大きなため息を吐く。



「そういうわけには参りませんわ。城の皆が起き出す前に、寮に戻らなければなりませんもの。それに、殿下のお目覚めの時間にはまだ早いので、眠っておいていただかないと」


「そんな寂しいことを言わないでくれ。僕は君がここに居る喜びを噛み締めたいんだ。これからここを出るときは必ず、僕に声をかけるように。いいね?」



 額に、頬に口づけながら、ステファンは穏やかに瞳を細める。メリンダは静かに頷いた。



「……っと、殿下! そろそろ放してください。仕事に遅れてしまいます」


「もう少しだけ、良いだろう?」



 昨夜散々抱きあったというのに、ステファンはちっともメリンダを放そうとしない。一方、放してと言いつつ、メリンダも嬉しそうにステファンの胸に顔を埋めた。



「メリンダ、好きだよ。昨夜も伝えたが、僕が愛しいと思うのは君だけだ」



 甘い言葉。甘い口づけ。

 夢よりも甘い現実に、メリンダはうっとりと酔いしれながら、涙を流す。



「わたしも、ステファン殿下のことが好きです。心からお慕い申し上げております。このままずっと、貴方と一緒に居たい」



 素直な気持ちを認めてしまえば、これまで苦しかったのが嘘のよう。驚くほどに楽になった。


 二人の関係を咎めるものも、邪魔をするものも、この世に一つもなかったのではないか――――そんなふうに思えてくる。



「今夜も昨日と同じ時間にこの部屋に来てほしい。待っているから」



 欲に濡れた瞳を前に、メリンダは微笑む。返事の代わりにステファンの唇に口づけを落とし、二人は互いを抱きしめあった。



***



 その日から、二人の秘密の関係がはじまった。


 ステファンはこれまでどおり、朝も、昼も、夜もメリンダに声をかけ続ける。



「おはよう、メリンダ。今日も世界で一番可愛いね」


「こんにちは、メリンダ。君のお茶は美味しいと妹が褒めていたよ。僕も一緒に飲めたら良いのに。今度淹れに来てくれないか?」


「おやすみ、メリンダ。――――僕も君と同じ夢が見たい」



 メリンダも相変わらずお世辞が上手いと笑い飛ばしつつ、二人は誰にも見られぬよう、物陰に隠れて手を繋ぐ。


 互いの首筋には他人には見えないように残した唇の跡。

 去り際には耳元でこっそりと愛を囁く。


 そうして、真夜中には誰にも邪魔されることなく、二人きりで逢瀬を重ねた。




 メリンダは決してリズベットとの婚約がどうなっているのか尋ねはしない。

 そんなこと、知りたくないし、考えたくもない。


 メリンダはただ、ステファンのそばにいたいだけ。

 彼に愛されたいし、愛したいだけだ。


 この関係がいつまで続けられるのか、どこに行き着くのか――――それらを考えることを、メリンダは完全に放棄してしまっていた。




 対するステファンは、水面下でリズベットとの婚約の見直しに向けて動いていた。


 父王に対し、他に結婚したい女性がいることを打ち明け、重臣たちに根回しをする。公爵家の権力が増すことに反対していた者たちは、すぐにステファンの味方についてくれた。愚かな君主でいてくれた方が御しやすい――――そういう思惑も合ったのかもしれない。



 けれど、メリンダとの恋に夢中で周りが見えなくなっていたステファンには、そんなことはどうでも良かった。

 メリンダとの結婚の道が存在することに歓喜し、執着し、それ以外のことを考える余裕がなくなっていたのである。




「愛してるよ、メリンダ」



 毎夜、当たり前のように囁かれるようになった愛の言葉。メリンダはそっと涙を流す。



「僕は君が大切だ。誰よりも幸せにしたいと想っている」


「それは――――この国の民よりも?」



 冗談めかしてメリンダが尋ねれば、ステファンは躊躇うことなく「ああ」と答えた。



 すると、何故だろう――――ふわふわと微睡んでいたメリンダの意識が少しだけ浮上する。甘えるように擦り寄ってきたステファンの髪を優しく撫でつつ、メリンダはそっと目を瞑った。



「ステファン様、貴方はいつ、どうしてわたしのことを好きになったのですか?」



 しばしの沈黙。ややして、返事の代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。

 メリンダは大きく息を吸いつつ、ステファンのことをギュッと抱き締める。



「わたしは――――誰にでも公平で、優しくて、気高く美しい貴方を好きになりました。民を想う心に溢れた、理想の王子様だと思いました」



 果たしてそれは、誰に向けられた言葉だろう――――? 言葉は静かに夜の闇に飲み込まれていく。



「好きです、ステファン様」



 メリンダの声がポツリと響いた。


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