8.ジェラルドの縁談
それから約一年ほど経った麗らかな春のある日のこと、メアリーはとても浮き足立っていた。
(もうすぐジェラルドが帰ってくる!)
アカデミーの長期休暇に合わせ、多くの貴族令息たちが帰省する。ジェラルドからも『もうすぐ帰る』と直接手紙を受け取っていた。
伯爵家嫡男の久々の帰省とあって、使用人たちは彼を出迎えるための準備を嬉々として進めている。メアリーも掃除や洗濯、色んな仕事に精を出していた。
「――――ただいま、みんな」
「おかえりなさいませ、ジェラルド様」
ジェラルドを乗せた馬車が到着する。
玄関の前には、伯爵家の面々や、使用人一同による盛大な出迎えの列ができている。メアリーは列の隅っこに加わり、みんなと一緒に深々と頭を下げた。
(ジェラルドったら、また少し身長が伸びたのかしら? 更に大人っぽくなったみたい)
前回会ったときよりも精悍な顔つき、凛とした佇まいに、なんだか惚れ惚れしてしまう。
アカデミーに入学して以降、彼は本当に見違えるように成長していた。
貴族たちに囲まれている環境がそうさせるのか、努力をしているという自負のためなのか、彼の表情には自信がみなぎっている。
嬉しい――――けれど、自分との違いを思い知らされているようで、メアリーの胸が小さく軋んだ。
『……そうやって、簡単に線を引くなよな。
俺は別に爵位を継ぐために頑張ってるわけじゃないし』
以前ジェラルドはそう言ってくれた。
けれど、身分の差というのは大きいものだ。
血が違う。
価値観が違う。
背負っているものが全然違う。
彼は、その高い身分に見合うだけの努力をしているのだ。自分と一緒にしたらいけない。そう思っているのだが――――。
「ただいま、メアリー!」
ジェラルドはメアリーを見つけるなり、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
メアリーの鼓動が早くなる。頬が熱を持ち、瞳にじわりと涙が滲む。
(嬉しい)
こうしてジェラルドに会えたことが。
彼に声をかけてもらえたことが。
名前を呼んでもらえたことが。
とびきりの笑顔を見せてもらえたことが。
どれだけ線をひこうとしたところで、メアリーの心はジェラルドを求めている。ジェラルドが――――メアリー自身がたやすくそれを消してしまう。
「おかえりなさいませ、ジェラルド様」
けれど、この場には今、他にも沢山の使用人たちが並んでいる。メアリーは丁寧にお辞儀をしつつ、緩みきった表情を引き締めた。
出迎えの挨拶を済ませた後、ジェラルドはすぐに伯爵の執務室へ向かうことになった。
(久しぶりだものね。つもる話が色々とあるんだろうなぁ)
ふふ、と小さく微笑みつつ、メアリーは他の使用人たちとともにジェラルドの荷物を片付けはじめる。
「メアリー、ちょっと良いかい?」
けれどそのとき、ふいに伯爵から呼び止められた。
「はい、なんでしょう?」
「執務室に二人分、お茶を準備してくれるかい?」
「承知しました。けれど、わたしでよろしいのですか?」
メアリーの主な仕事は掃除や洗濯であり、伯爵や伯爵夫人の身の回りの世話は担当していない。そういうのはもっとベテランの侍女たちの仕事だ。自分が準備して良いものか、念のために確認してしまう。
「もちろん。久々の再会だし、メアリーが淹れてくれたほうが息子も喜ぶだろう。よろしく頼むよ」
「お任せください」
伯爵の返答を聞き、メアリーは快く仕事を請け負った。
***
厨房でティーセットと茶菓子を受け取り、いそいそとカートを準備する。
メアリーは足取りも軽く、意気揚々と執務室へ向かった。
執務室の前、扉の向こう側からは、ジェラルドと伯爵の声が聞こえてくる。穏やかな談笑。入室しても差し支えない様子だ。
「失礼致します」
ノックをし、扉を開ける。
すぐに伯爵とジェラルドから温かく迎え入れられた。
「ありがとう、メアリー。待っていたよ」
伯爵が微笑む。メアリーは恭しく礼をして、その場でお茶を淹れはじめた。
「君たちがまだ幼かった頃、ここでお茶を飲んだことを覚えているかい?」
「もちろんですわ、旦那様。あの頃から変わらず良くしていただいて、本当に感謝しております」
この部屋にジェラルドと共に呼び出されたのは9年も前のこと。けれど、メアリーにはまるで昨日のことのように思い出すことができる。
当時のメアリーは今とは違い、侍女として働きはじめたばかりだった。
そのせいで遊び相手がいなくなってしまったジェラルドが、父親を使って仕事を止めさせようとしていたのである。
(あのときは嬉しかったなぁ……)
伯爵はメアリーのことを実の子供のように思っていると話してくれた。大人になった今もあの頃と同じというわけにはいかないが、彼からは未だに親愛の情を感じている。
「ふふ……そうだね。
けれど、君たちはすっかり大人になった。そろそろ、将来のことを考える時期だ」
伯爵はそう言って、ジェラルドのほうをちらりと見遣る。彼はほんのりと目を見開きつつ、父親のことを見つめ返した。
「父上、将来のこととは……」
「ジェラルド――――おまえに縁談を用意したんだ」
その途端、執務室に奇妙な沈黙が落ちる。メアリーはティーポットを抱えたまま、呆然と目を見開いた。
(え……?)
心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。
伯爵の言葉が、状況が受け入れられない。メアリーはゴクリと唾を飲みつつ、ジェラルドと伯爵とを交互に見遣った。
「縁談? ……俺に縁談? 本気で言っているのか?」
「そうだ。お前ももう17歳。婚約者がいてもおかしくない年齢だろう?」
淡々と言葉を紡ぐ伯爵に対し、ジェラルドの態度はどこか反抗的だ。
(――――いけない。わたしはわたしの仕事をしなきゃ)
二人の会話の内容は気になるが、本来ならばメアリーが聞いてはいけないことだ。
メアリーはジェラルドたちから意識を逸し、必死にお茶を淹れようとする。しかし、身体が思うように動いてくれなかった。
プルプルと手が震えてしまう。目頭がグッと熱くなる。
なんとかカップにお茶を注ぎ、二人の前にそっと差し出す。
「相手は?」
「アンジェルジャン侯爵家の長女で、アリティア様と仰る方だ。お前の2つ年下で、愛らしく賢い女性だと聞いている。またとない良い話だ」
伯爵が言う。メアリーは密かに肩を落とした。
(――――わたし、馬鹿だな)
メアリーは愚かにも『もしかしたら自分がジェラルドの結婚相手に選ばれるんじゃないか』、『自分の名前を呼んでもらえるのではないか』という妄想を抱いていたらしい。そうでなかったら、縁談の相手の名前を聞いただけで、こんなにも胸が軋むはずがない。
「それではわたしはこれで、失礼いたします」
平気なふりをしなければならない――――そんなことは分かっている。
それでも、メアリーの声は情けなく震え、涙が零れ落ちそうになった。
「おい、メアリー」
ジェラルドが彼女の名前を呼ぶ。先ほどは嬉しくてたまらなかったのに、今は違う。辛くて辛くてたまらない。
彼の声を聞こえないふりをして、メアリーは執務室をそっと後にした。
ここから完結まで、毎日投稿をさせていただく予定です。
最後までよろしくお願いいたします。




