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7.心の準備

 ジェラルドはそれからしばらくの間、メアリーのことを抱き締めてくれていた。

 はじめはそれで良かったものの、段々と精神状態が落ち着いていくにつれ、メアリーは居たたまれない気持ちになっていく。



(どうしよう……これ、どうしたら良いの?)



 背中を、頭を優しく撫でられ、ちっとも止まる気配がない。放って置いたら、ジェラルドは延々とメアリーのことを甘やかし続けるだろう。


 嬉しい――――けれど恥ずかしい。


 なんと言えば良いかも分からず、メアリーは真っ赤に染まった頬をジェラルドの胸に埋め続けた。



(……良い香り)



 彼の服から香ってくるのは上品で甘いコロンの香りだ。王都で流行っているものだろうか? 昔はちっとも洒落っ気がなかったのに、いつの間にか色気づいてしまったらしい。



(一体何の……誰のために?)



 思わずそんなことを考えて、メアリーの胸がツキンと痛む。


 誰か好きな人でもできたのだろうか? その人のために変わったのだろうか?


 ――――仮にそうだとしても、平民の自分には関係ない。主人の私生活を詮索するなど侍女失格だ。愚かなことを考えた自分が、メアリーはひどく腹立たしかった。



「ありがとう、ジェラルド。もう大丈夫だよ」



 胸を押し返そうとして、拒まれる。メアリーは先ほどよりも強く、ジェラルドに抱き締められていた。



「ジェラルド、あの……」


「せっかくだし、もう少しこうさせてよ。前にも言っただろう? お前のこと、抱き締めたいって」


「あ……」



 ジェラルドを王都へ送り出したときの記憶がありありと蘇る。メアリーの全身がカッと熱を帯びた。



「だけど……」


「――――俺にこうされるの、嫌?」



 耳元で響く掠れた声音。メアリーはゴクリと唾を飲み、小さく首を横に振った。



「嫌じゃない……けど、ダメだと思う」


「ダメ? なんで?」



 相変わらず、ジェラルドの声音はどこか普段と違っている。甘えるような、縋るような――――それでいて、メアリーから何かを引きずり出そうとしているような、そんな印象を受けてしまう。



「だってわたしたちは……」



 雇い主と侍女だから――――そう言おうとしたところで、メアリーははたと口を噤む。


 ジェラルドは以前、メアリーのことを使用人とは思っていないと話していた。同じ話を繰り返すことは建設的ではない。第一、この話題を深掘りするのは危険だと直感していた。



「アカデミーはどう? 楽しい?」


「え? ……ああ、楽しいし充実してるよ。だけど、あそこにはメアリーが居ないから」



(〜〜〜〜またそういう……)



 せっかく話題を変えたのに、甘い空気から中々抜け出せない。メアリーが小さく息を吐くと、ジェラルドがクスクスと笑い声を上げた。



「周りは俺なんて目じゃないぐらい優秀な人ばかりでさ。すごく勉強になるし、行ってよかったと思ってるよ。再来年には王太子も入学してくる予定だしな。

俺、今のうちにアカデミーと王都で人脈を作って、今後に役立てたいと思っているんだ」


「そっか……すごいね。ジェラルドはいつか伯爵様になるんだもんね」



 メアリーとは違い、ジェラルドはしっかりと将来のことを見据えている。

 こんなふうに抱き締められていても、段々とメアリーの手の届かない人になっていく。メアリーの胸が小さく軋んだ。



「……そうやって、簡単に線を引くなよな。

俺は別に爵位を継ぐために頑張ってるわけじゃないんだから」


「え? 違うの?」



 ジェラルドは嫡男だ。当然伯爵位を継ぐ予定だし、そのために頑張っているものだと思っていたのだが。



「違うよ。俺はただ、大事なものを守るための力が欲しいだけだ。そりゃ、父上はまだ認めてくれていないけど、それでも俺は自分の考えを曲げるつもりはない」



 その瞬間、二人の視線が静かに絡む。

 何故だか居たたまれなくなって、メアリーはそっと顔を背けた。



「そっか……よくわからないけど、頑張ってね」


「ああ、頑張る。……だけど長いな。あと二年半か」



 切なげに響くジェラルドの声。なんと答えればいいか分からず、メアリーは静かに目を伏せた。



「手紙、書けよ」


「……うん」


「次、頼ってくれなかったら、怒るからな」


「…………うん。ごめんね」


「謝らなくて良いんだって。俺はただ、メアリーに甘えてほしいだけだから」



 あんなに甘えん坊だったジェラルドが、今度は甘えられる側になろうとしている。それがなんだかおかしくて、メアリーはクスクスと笑い声を上げた。



「――――帰りたくないな」


「……? 頑張るんじゃなかったの?」



 そう思ったのも束の間、ジェラルドはやはりジェラルドだった。先ほどとは正反対のひどく甘えた口調で呟くものだから、メアリーはついつい意地悪な表情を浮かべてしまう。



「それはそうなんだけど! 一緒にいると欲が出るっていうか……本当は俺、結構ギリギリなんですけど」


「ギリギリ? なにが?」



 不思議に思いつつ、メアリーはジェラルドをそっと見上げる。

 すると、濡れた瞳がメアリーのことをまじまじと見つめていた。


 熱い眼差し。ジェラルドの喉が上下する。

 唇を、頬を、額を優しく撫でられているかのような心地がし、メアリーはそっと身を捩る。それはまるで、捕食される直前の動物のような気分だった。



(ギリギリって……ギリギリって…………)



 先ほどの問いかけに明確な答えを貰えたわけではない。けれどメアリーは、これ以上詳細を尋ねたいとは思わなかった。



「……長いな。あと二年半か」



 先ほどとまったく同じ言葉を繰り返し、ジェラルドは大きくため息を吐く。

 彼はメアリーをちらりと見遣り、それからギュッと抱き締め直す。



「――――今のうちに、ちゃんと心の準備をしておけよな」



 次いで紡がれた別の言葉に、メアリーの喉が熱く焼け付くような心地がした。



(準備ってなんの?)



 ついついそう尋ねたくなるが、聞けば後戻りができなくなる。

 メアリーはグッと言葉を飲み込みながら、何も分からないふりをした。


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