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6.俺がいるだろう?

 ジェラルドは宣言どおり、まめまめしく手紙を送ってきた。


 学園や学友、王都の様子や日々の生活など、彼の暮らしぶりが活き活きと、頻繁に伝わってくる。ジェラルドが新しい生活を心から楽しんでいることが伝わってきた。



 それなのに、彼の手紙にはいつも、メアリーへの想いが綴られている。『会いたい』と、読んでいるだけで胸が切なくなるような、そんな筆跡で書かれているのだ。



(わたしのことなんて忘れてしまって良いのに)



 心のなかでメアリーが呟く。

 けれどそれは、彼女の本心ではなかった。


 ジェラルドからの手紙を懐に入れ、毎日、何度も読み返す。

 彼から手紙が届くたびに、せっせと返事を書き綴る。


 『わたしも会いたい』と書くことはできなかったが、日々の出来事や感じたことを伝えることで、彼と繋がっていられるような気がしてくる。そんなふうにして、メアリーはジェラルドのいない寂しさを紛らわせていた。




 けれど、ジェラルドが王都に移り住んで数カ月後のこと、メアリーの日常が一変する。

 母親が風邪をこじらせた末、亡くなってしまったのだ。



 唯一の肉親を亡くしたことは、メアリーの心に大きな影を落とした。


 自分はこの世に一人きり――――これから先何が起ころうと、誰も頼ることができない――――そんなふうに感じられてしまう。



(わたし、このまま伯爵家でお世話になっていて良いのかな?)



 母親が居たからこそ、メアリーはこの屋敷で何不自由なく暮らすことができた。

 雇用契約を結んでもらえたことだってそう。メアリー自身の力ではない。全ては母親がジェラルドの乳母を務めたおかげだ。


 それに、母親が亡くなったことで伯爵に大きな迷惑をかけてしまった。申し訳無さのあまり、メアリーは息苦しくなってしまう。


 これまで自分を支えてくれていた土台がグラリと崩れ落ち、急激に心もとなくなっていく。それはまるで底なし沼に飲み込まれていくような心地だった。



「メアリー、無理をしないで。まだ休んでいていいんだよ?」



 伯爵や同僚たちがメアリーに優しく声をかける。誰もがメアリーを気の毒に思っていたし、彼女を責めるつもりなど微塵もなかった。


 けれどメアリー自身は『休んでいい』と言われるたびに、大きな絶望感に襲われてしまう。



(わたし、ここに居たらいけないの?)



 働かなければ――――このままでは、ここに居る理由が無くなってしまう。奪われてしまう。

 メアリーの全てが消えてなくなってしまう。



 そう思うからこそ、寂しさ、悲しさを誤魔化しながらでも、メアリーはがむしゃらに働く。

 少しでもメアリー自身に価値を見出してもらえるようにと願いを込める。



 そんな彼女の姿は見ていてとても痛々しい。

 周囲は段々と声がかけられなくなっていく。孤独感が一層強まっていく。

 完全な悪循環に陥っていた。




(わたし、これからどうしたら良いんだろう?)



 生まれてからずっと母親と二人で使っていた部屋で一人、メアリーは膝を抱える。


 いつ暇を出されるのだろう? そのまえに自分で出ていくべきなのだろうか――――考えれば考えるほど、悪い方向に思考が働いてしまう。



(お母さん……)



 メアリーの母親は明るく優しく、いつも楽しそうに笑っていた。事あるごとに『私は幸せ』だと口にし、メアリーのことを抱き締めてくれた。こうして幸せに生きられることを感謝しなければならないと、いつもそう口にしながら。


 だから、メアリーも母親のように生きるべきだ。分かっている。分かっているのだが――――。



「メアリー!」



 そのとき、今この家から聞こえるはずのない声がして、メアリーは勢いよく顔を上げた。



「――――ジェラルド様……?」



 勢いよく開け放たれた扉の向こうに、王都に居るはずのジェラルドの姿が見える。メアリーは目を見開きつつ、ジェラルドの姿を呆然と見つめた。



「……どうしてここに?」


「どうして、じゃない! なんかあったら俺に言えって言っておいただろう?」



 ジェラルドはメアリーへ歩み寄ると、彼女の頭に手を乗せる。メアリーの目頭がぶわりと熱を持った。



「おふくろさんのこと、聞いたよ。なんで俺に教えてくれなかったんだ?」


「だって……言っても心配かけるだけだだと思って……」



 メアリーはジェラルドに、母親が亡くなったことを伝えられなかった。

 そもそもしばらくの間、手紙を読むことも、書くことだってできなかった。

 なんと書けば良いか分からなかったし、彼に心配をかけたくなかった。

 それに、手紙を読めばジェラルドに会いたくなってしまう。彼の温かさを思い出し、縋りつきたくなってしまう。

 だからこそ、考え事をせずに済むよう、ひたすら仕事に打ち込んでいたのだが。



「心配? するよ! 当然だろう? だけど俺は、お前を一人で泣かせたくない。悲しんでいるのに、側にいれないなんて嫌だよ」



 ジェラルドがメアリーを抱き締める。メアリーは静かに息を呑んだ。



「わたし、平気よ。ちゃんと仕事だってできてるもの。泣いてだっていないし」


「平気じゃない。母親を――――大好きな人を亡くして悲しくない人なんて居ないよ。だから、平気なふりなんてしなくていい。落ち込んでいい。悲しんでいいんだ」



 ぬくもりが、ジェラルドの言葉が、メアリーの心に染み込んでいく。

 けれどメアリーは、大きく首を横に振った。



「だけどわたし、仕事をしなくちゃ……! 頑張らないと、お母さんだけじゃなくて、わたしの居場所が、仕事までもがなくなっちゃう! わたし、もう一人ぼっちなのに。他に頼れる人も居ないのに。ここが無くなったら、わたし……わたしは…………」


「俺がいるだろう?」



 ジェラルドが笑う。それはあまりにも明るく、憂いの全くない表情で。

 メアリーは瞳を震わせ、それから顔をクシャクシャにした。



「メアリーの居場所はなくならないよ。絶対、ずっとなくならない」


「……本当に?」


「ああ、メアリーには俺がいる。他の誰が要らないって言っても、俺がメアリーを必要としている。だからお前は一人ぼっちじゃない。絶対、一人ぼっちにならない。一人になんてしてやるもんか」



 その瞬間、底なし沼が唐突に消え、地に足がついた心地がする。メアリーはジェラルドを見つめつつ、ポロポロと涙を流した。



「わたし……一人じゃない?」


「ああ、何があっても俺が側にいる。だから安心して」



 ジェラルドの言葉は力強い。不安なんて抱きようがないほど力強く、メアリーは静かに息を呑んだ。



「わたし、怖くて…………もう、ここには居られないんじゃないかって。誰にも必要とされていないんじゃないかって思って、苦しくて」


「大丈夫だ。父上も母上も、お前のことを追い出そうなんて思っちゃいない。むしろすごく心配していた。

それに、メアリーの働きぶりは誰もが認めている。この屋敷にはメアリーが必要なんだ。

だから、無理なんてしなくて良い。ちゃんと悲しみと向き合って良いんだ」



 母親が亡くなったそのとき、メアリーは底しれぬ不安感に襲われ、自分の存在意義が分からなくなった。漠然とした不安はやがて、目から光を、耳から音を奪い、心をがんじがらめにしていく。



(そっか……みんなが『休め』って言っていたのは、わたしが要らないからってわけじゃなかったのね)



 ジェラルドの言葉を聞き、メアリーはようやく、周囲がメアリーを心から心配して声をかけてくれていたことを思い出すことができたのだった。



「ありがとう、ジェラルド。本当はわたし……お母さんが居なくなって寂しかった。とても……悲しかった」



 この数日間、メアリーはずっと強がってきた。張り詰めていた糸がぷつりと切れたかのように涙が溢れ、メアリーの頬を止めどなく濡らす。



「そうだろうな。俺も悲しい。……もう会えないなんて寂しいな」



 母親が亡くなって以降、沢山の人にお悔やみの言葉をかけられてきた。ジェラルドのそれはとてもシンプルだが、メアリーの胸にまっすぐ突き刺さる。彼がメアリーと真に同じ気持ちなのだと伝わってきた。



(悲しいのはわたしだけじゃない)



 母親を失ったという事実は変わらない。けれど、その喪失感は形を変え、埋めることができるものらしい。慰め、慰められているうちに、心が少しずつ穏やかになっていく。


 メアリーはジェラルドを抱き締めつつ、ボロボロに欠けた心が修復されていくのを実感していた。


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