3.侍女たちのお節介
その日以降、ジェラルドはすっかり不貞腐れてしまった。
伯爵との会話を最後まで話を聞いていないため想像でしかないが、おそらくはこってり絞られたのだろう。彼の主張は、貴族が決して口にしてはいけないことだったから。
(なんだかなぁ……気の毒ではあるのよね)
ある日突然、仲の良かった遊び相手が居なくなってしまった――――子供にとっては結構大きな出来事だ。ジェラルドには2歳差の弟がいるが、彼と過ごす時間よりもメアリーとの時間のほうがずっと多かった。今更、という気持ちが強いのだろう。
あんなに活発で明るかったジェラルドが、ここ最近いつもシュンと肩を落としているし、寂しそうにしている。伯爵家で飼っている犬がちょうどあんな感じだ。主人にかまってもらえず、いじけているかのように見えて、メアリーの心が揺さぶられる。
「メアリー、ちょっと良い?」
「はい、何でしょう?」
そんなことを考えながら仕事をしていると、先輩侍女から声をかけられた。
年配のベテラン侍女で、主にジェラルドの身の回りの世話を担当している。彼と一緒に遊んでいるときに、メアリーも相当世話になった。包容力に溢れていて、頼り甲斐のあるおばあちゃんのような存在だ。
「そろそろおやつの時間でしょう? これをジェラルド坊ちゃまのお部屋に持っていってほしいのよ」
ベテラン侍女はそう言って、お茶菓子とティーポットの入ったカートをメアリーに指差した。
「え……? だけどわたし、お茶は淹れたことがないし、こういうのはちゃんとした侍女の人の仕事で……」
「まあまあ、固いことを言わないで。貴女が行ったら坊っちゃまが喜ぶでしょう? 主人の願いを叶えるのも、侍女の仕事よ」
クスクスと笑い声を上げながら、ベテラン侍女はメアリーの背中をポンと押す。
「良い? 坊ちゃまから同席を求められたら、断らずにちゃんとお相手するのよ。それだって侍女の仕事なんだから」
「本当に? そんなことをして良いんですか?」
「ええ、もちろん! 坊ちゃまったら、最近は本当に寂しそうにしていらして、旦那様も奥様も、みんなが心配しているんだから。元気づけてあげて」
ベテラン侍女の言葉に、周りの侍女たちも一斉にウンウンと頷く。メアリーは申し訳なくなってくると同時に、なんだか嬉しくなってくる。
「分かりました。それじゃあ行ってきます!」
足取りも軽やかに、彼女はジェラルドの部屋に向かった。
***
ジェラルドの部屋の前に立ち、深呼吸を一つ。コンコンコン、とノックをする。
これまではこの部屋を訪れるのに緊張など一つもしなかったのに、仕事だと思うと妙にかしこまってしまう。周囲をソワソワと見遣りつつ、メアリーはじっとその場で待った。
「……は〜〜い?」
待ち続けることたっぷり数秒。ややして気だるそうな声が返ってきた。
メアリーはゴクリと唾を飲み、「お茶をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」と声をかける。
すると、すぐにバタバタと足音が聞こえてきて、扉が勢いよく開けられた。思わぬことに、メアリーは目をパチクリと瞬かせ、そっと首を傾げてしまう。
「あの、お茶を……」
「メアリーが淹れてくれるんだよな、な?」
ジェラルドが食い気味に確認してくる。メアリーはおずおずと頷いた。
「ちょうど飲みたいと思っていたんだ! 入ってくれ!」
それは本当に久々に見る嬉しそうな表情で、メアリーは思わず笑ってしまった。
テーブルの側までワゴンを運び、メアリーはいそいそとお茶の準備をはじめる。
事前に手順は習ってきたが、人に振る舞うのははじめてのため、とても緊張してしまう。それなのに、ジェラルドはメアリーの手元を嬉々として覗き込んでくるため、余計に気が散ってしまった。
「あの〜〜」
「なんだ?」
「そんなに見られると用意しづらいんですけど」
というか、ソファに座ってほしい――――決して声には出さず、メアリーはジェラルドをじとっと睨む。
「良いだろう? こうして二人でゆっくりできるの、久しぶりなんだし」
ジェラルドが笑う。見ていて気持ちが良くなるような満面の笑みだ。
余程寂しかったのだろう。メアリーは改めて申し訳なくなってくる。
「気持ちは分かるけど、失敗しちゃいそうだから止めてください。渋いお茶は嫌いでしょう? ……まあ、はじめてだし、慎重に淹れたところで失敗しちゃうかもしれないけど」
「別に良い。メアリーが淹れてくれたお茶なら、何杯でも飲むよ、俺。お茶の間はずっとここにいてくれるんだろう?」
「……うん」
同い年のはずなのに、メアリーにとってジェラルドは随分幼く感じられる。まるで手のかかる可愛い弟のような存在だ。身分について考えたことのない頃は、こういうときはよしよしと頭を撫でてやったのだが、今となっては絶対に無理だし恥ずかしい。メアリーはほんのりと頬を赤らめた。
一杯目のお茶は、実に上手く淹れられた。色合いも香りも、先輩侍女たちが淹れてくれたとおりだ。
「メアリーも飲んでみろよ。自分で淹れた記念すべき最初の一杯だろう?」
「そうですね、それじゃあ……」
ジェラルドに促され、メアリーはジェラルドの向かい側に座る。それから、彼と同じタイミングでお茶を口に含んだ。
「……! 良かった、ちゃんと美味しい!」
安堵のあまり、メアリーはついつい声を上げてしまう。ジェラルドはケラケラと笑いながら、「ホントだ、美味い!」と口にした。
「茶菓子も一緒に食べよう。これ、完全に二人分入ってるだろう?」
「どうだろう? 坊ちゃまに同席を求められたときはお相手するようにって言われたわ」
「ならそうだよ。一人で食べても美味しくないし、メアリーも食べて」
茶菓子の入った皿をズイとメアリーに寄せつつ、ジェラルドは嬉しそうに瞳を細めた。
(一人で食べても美味しくない、か)
もうずっと、そういう気持ちでいたのだろうか? メアリーはコクリと頷きつつ、小さなクッキーを口に運ぶ。
「……そうだね。二人で食べると美味しいね」
ほんのりと甘いクッキーはなんだか懐かしく、とても優しい味がした。
メアリーはふと、最近食事が味気なくなったことを思い出す。意識して考えないようにしていたけれど、メアリーだって本当は、ジェラルドと距離ができて寂しかったのだ。
「だろう? っていうか、その坊ちゃまっていうのも止めろよな。せめて二人きりの時はジェラルドって呼んでよ。じゃないと寂しいし……悲しいだろう?」
ジェラルドの話を、声を聞いてくると、メアリーまで心が苦しくなってくる。
「……分かった。みんなには内緒ね。周りに誰もいないときに、コッソリとなら」
その瞬間、ジェラルドが勢いよくテーブルに突っ伏した。
「ジェラルド⁉」
メアリーは慌ててジェラルドに駆け寄り、彼の顔を覗き込む。
するとジェラルドは顔を真っ赤に染め、ふにゃっと目尻を和らげた。
「良かったぁ。もう二度と呼んでもらえないかと思った」
「大げさだなぁ、わたしに名前を呼ばれないくらいで」
「俺にとっては一大事なんだよ。ホント、良かった」
大げさだと言いつつも、メアリーの胸はキュンと疼く。それがどうしてなのかはちっとも分からなかったが、悪い感情ではないことだけは確かで。
そうこうしている間に淹れた二杯目のお茶は、渋みが出すぎてとても苦かった。
けれど、ジェラルドは嫌な顔ひとつせずにそれを飲み干してくれて。
メアリーは嬉しさのあまりニコニコと笑うのだった。




