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10.真夜中の来訪者、再び

 伯爵がアリスから話を聞いている間中、レヴィはとても気が気じゃなかった。

 ホールとアリスの部屋とを何度も往復し、事情をうかがうタイミングを待つ。


 その間、衰弱しているアリスのために、温かいスープやミルクを準備させた。心を落ち着けるためのアロマオイルや、追加の毛布、柔らかな夜着など、思いつく限りのものを手配した。少しでもアリスの心と体が安らぐように、と。



(本当に、一体何があったんだ?)



 通常ならば、ほんの数ヶ月であんなに痩せ細るなんてありえない。侯爵家できちんと食事を与えられていなかった――――そうとしか考えられない状況だ。



 何故?

 どうして?

 一体なんのためにそんなことをするんだ?



 どれだけ自問自答をしても、レヴィにはちっとも答えに行き着けそうにない。


 本当は今すぐにでもアリスの夫を――――侯爵を問い詰めに行きたかった。


 アリスの想いを踏みにじり、苦しめ、こんな状態に陥らせた元凶を、この世から消し去ってやりたかった。


 けれど、なけなしの理性がレヴィをこの場に縫い止める。


 彼が侯爵に報復をすれば、国全体を揺るがしかねない大問題に発展するだろう。平民が高位貴族に手を上げる――――とても許される行為ではない。伯爵家だって無事では済まない可能性もある。

 兎にも角にもアリスに話を聞いてからだ。


 ――――そう思っているのだが、どうしたって気持ちは逸る。全身をどす黒い感情が支配し、ちっとも抑えきれない。



(どうして、どうして! どうしてお嬢様が!)



 彼の怒りが爆発しそうになったそのとき、伯爵がアリスの部屋から出てきた。伯爵は心底まいったという様子で、深いため息を吐いている。



「旦那様、お嬢様に一体何が……!」


「レヴィ……。すまない、心配させたね」


「そんなことは良いのです! お嬢様に一体何があったのですか?」



 伯爵は視線をさまよわせ、肩を落とす。



「――――ついてきなさい」



 二人はすぐに執務室へと場所を移した。

 しばらくの間、伯爵は何事かを逡巡しながら眉間に手を当て続ける。



「旦那様」


 レヴィの焦れったさが頂点へと達したそのとき、ようやく伯爵は、重い口を開いた。




 アリスの夫である侯爵には、数年前から身分違いの恋人が存在した。

 しかし、貴族の義務として、身分の見合った女性との結婚は避けられない。


 そんな彼が結婚相手として選んだのが、政略結婚に最適の相手――――アリスだった。


 一見対等に見えるものの、この政略結婚による旨味は、侯爵家よりも伯爵家のほうがずっと大きい。宝石の産地である侯爵家との繋がりにより、安定した需要が見込まれることがその理由だ。


 逆に言えば、もしも侯爵が伯爵家への宝石の供給をストップすれば、伯爵家は大きな経済的打撃を受けることになる。


 侯爵は、父親の事業をいわば人質にし、アリスに対して契約結婚を突きつけてきた。

 アリスは当然断れなかったのだろう。侯爵の契約を飲んだのだという。



 それだけならまだ良かった。



 侯爵はアリスを冷遇することで、自身の愛情が恋人にしか存在しないことを示そうとしたらしい。

 話しかけても無視をするし、アリスの姿を、存在を嘲笑う。身分だけのつまらない女だと散々に詰ったそうだ。


 主人の対応というのは使用人たちにも伝染するもの。誰もがアリスを見下し、軽んじるようになった。


 結果、アリスは侯爵家で完全に孤立し、禄に食事を与えられず、心身ともに衰弱をしてしまったのである。



「――――そうと知っていたなら、娘を嫁がせたりしなかったのに!」



 伯爵は激しく憤り、泣いていた。

 当然だ。

 大切に大切に育ててきた我が子をないがしろにされ、平然としていられる親は居ない。


 レヴィだって当然平気ではいられなかった。手のひらに爪が食い込み、全身が燃えんばかりに熱い。



(許せない)



 許せるはずがない。

 レヴィのただならぬ様子に気付いたのだろう。伯爵は手のひらを下に向け、落ち着くようにと合図する。



「ひとまず、アリスはしばらくここで療養させることにしたよ。これからのことは私と侯爵とで話し合う。

レヴィ――――あの子のためにも、どうか今は堪えてくれ。頼む」



 伯爵にはレヴィの考えがお見通しなのだろう。深々と頭を下げ、懇願されてしまった。



「旦那様、しかし……」


「それより、朝になったらアリスの話を聞いてやってほしい。そのほうがあの子はずっと喜ぶからね」



 理屈は分かる。

 だが、心で理解ができない。

 レヴィは頷くことも首を横に振ることもせず、自室に戻った。



 窓を開け、夜風に当たってみるものの、ちっとも怒りが収まりそうにない。

 アリスの婚約が決まった夜とは全く別の意味で、レヴィは眠れそうになかった。



(お嬢様……)



 こんなことになるぐらいなら、あのとき、アリスを攫ってしまえば良かった。


 彼女とともに街を出て、二人のことを誰も知らない遠い土地へ行き、慎ましく暮していく――――そうすれば、アリスはこんなふうに悲しまなかっただろう。苦しまなかっただろう。

 そう思うと、レヴィは後悔してもしきれない。

 本当に、自分が不甲斐なくてたまらなかった。



(私はただ、お嬢様に幸せになっていただきたかっただけなのに)



 どうしてそんな、ささやかで当たり前の願いが叶わないのだろう?


 レヴィは本当に、アリスに幸せになってほしかった。――――幸せになれると思っていた。


 誰よりも、何よりも。世界で一番幸せになって欲しいと願っていた。

 それなのに。



 そのとき、扉から今にも消え入りそうなほど小さな音が聞こえてきた。ともすれば聞き間違いかと思うほど小さな音だというのに、レヴィの耳に、心に、やけに強く響く。



「レヴィ、私よ」



 あの夜よりもずっとか細く、弱々しい声音。

 レヴィは驚きに目を見開く。



「アリスお嬢様……」



 レヴィの心臓がまた、ドクンドクンと大きく跳ねた。


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