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9.涙の帰宅

 アリスが侯爵家に嫁ぎ、数ヶ月が過ぎた。

 レヴィの日常は変わりなく――――というわけにはいかず、実に空虚な毎日を送っている。



(お嬢様は今頃、どうしていらっしゃるだろうか?)



 朝も、昼も、夜も、屋敷の何処に行こうとも、アリスの姿がない。声が聞こえない。

 そうなることは結婚前から分かっていたはずなのだが、いざそれが現実となると想像以上に堪える。


 それだけならいざしらず、無意識のうちにアリスのお茶の準備を指示したり、彼女の好みそうなものを取り寄せてみたりと失態続き。アリスがどれだけ大きな存在か、レヴィは改めて実感したのだった。



(せめて、結婚後の暮らしぶりだけでも知りたいのだが……)



 領地同士はさほど離れていないとはいえ、アリスは既に嫁いだ身の上。簡単にこちらに帰ってくることはできないし、婚家に遠慮して手紙も書けずにいるらしい。レヴィ自身あちらの使用人に知り合いがいるわけでもなく、彼女の様子はうかがい知れずにいる。


 社交界の噂についても積極的に集めているが、結婚以降はお茶会や夜会に参加していないらしく、今のところアリスの話は聞こえてこない。外交的で明るいアリスに侯爵夫人として期待するのは、そういった側面だと思っていたのだが。



(もどかしい)



 本当は今すぐ、アリスの様子を見に行きたい。彼女が楽しそうに笑っている姿をこの目で確かめたい。

 そうすれば、こんなふうに気を揉む日々から抜け出せるだろうか?



(いや、無理だろうな)



 どちらにせよ、レヴィはアリスのことを生涯考え続けるのだろう。

 もはや病的としか言いようがない。なんだかんだ言いながら、こうしてアリスのことを考えているときがレヴィは一番幸せなのだから。


 彼はアリスの育ってきた伯爵家をもりたてることで、間接的に彼女の幸せを守ることを誓った。




 それから数日後、唐突に転機が訪れた。



「奥様が侯爵領に……?」


「ああ。我ながら過保護だと思うが、アリスの様子を見に行ってもらおうと思っているんだ」



 伯爵から呼び出されたレヴィはそんな話を聞かされた。

 その途端、レヴィの心が興奮で高鳴り、一気に活力がみなぎってくる。



(これでお嬢様の様子を知ることができる!)



 この瞬間をどれほど待ち望んでいたか――――思っていた以上に、レヴィはアリスの近況を渇望していたらしい。あまりの嬉しさに、大声で叫びながら庭中を走り回りたい気分だった。



「過保護だなんてとんでもない! とても素晴らしいことだと思います! みなが――――私はお嬢様のことを本当に心配しておりましたから。

しかし、そうと決まったなら急がなくては……お嬢様へのお土産を準備しなくてはなりません」



 レヴィは指を折りながら、アリスに贈るべき品物をリストアップしていく。


 ドレスに宝石、流行りの本や、孤児院の子どもたちから届いたアリス宛ての手紙。他にも、アリスに渡したいものがたくさんある。



(喜んでいただけるだろうか?)



 いや、それじゃダメだ。必ずアリスを喜ばせなければならない。



「ふふ……頼んだよ、レヴィ」


「はい! お任せください」



 レヴィはドンと胸をたたき、瞳を輝かせる。

 久しぶりに呼吸ができたような――――生き返ったような心地がした。



***



 それから数日後、伯爵夫人は馬車に乗り、アリスの待つ侯爵領へと向かっていった。お土産話を楽しみにしていてね、と伯爵とレヴィに微笑みながら。



(ああ、本当に楽しみだな)



 仕事をしつつ、レヴィはソワソワしてしまう。



 急ごしらえではあるが、レヴィはアリスのためにできる限りの準備をした。

 喜んでほしい。想いが伝わるようにと願いを込めて。


 品物を選んでいる間中、レヴィはとても楽しかったし幸せだった。彼にもまだアリスにできることがある――――そう思えることが、本当に嬉しかった。



 夫人の帰宅は夜遅くになる予定だ。レヴィがアリスの様子を聞けるのは明朝になるだろう。

 ――――そう思っていた。



 けれどその夜。



「おかえりなさいませ、奥様」



 レヴィは夫人を乗せた馬車を恭しく出迎え、ニコニコと微笑みを浮かべる。



「ああ、レヴィ……! アリスが……アリスが…………!」



 しかし、夫人の悲痛な叫び声にレヴィは急いで顔を上げる。

 それから彼は、驚きに目を見開いた。



「……お嬢様?」



 侯爵家に嫁いだはずのアリスが夫人の横に座っている。


 しかし、レヴィが驚いたことはそれだけではなかった。


 あれほど美しく、可憐だったアリスが見る影もない。レヴィは愕然としてしまった。


 虚ろな瞳、顔色は青白く、表情から彼女の感情が全くうかがえない。

 艷やかだった髪の毛も、しっとりと潤いのある肌も、鮮やかだった頬や唇も、すべてが失われてしまっている。

 アリスは心ここにあらずといった様子で、伯爵家に着いたことすら気づいていないようだった。



「レヴィ、お願い。アリスを部屋に運んでくれる?」


「もちろんです、奥様。しかし……」



 アリスに一体何があったのだろう?

 疑問の言葉をグッと飲み込み、レヴィはアリスを抱き上げる。



(軽い……)



 最後にアリスを抱き上げたとき――――アリスの婚約が決まった夜よりもずっと、ずっと。ショックのあまり、レヴィは目頭が熱くなる。



「レ、ヴィ?」



 そのとき、ようやく状況が飲み込めたのだろう。アリスがレヴィの名前を呼び、彼の顔をまじまじと見つめる。



「レヴィ……!」



 途端に流れ出す大粒の涙。アリスはレヴィの身体に取り縋った。



「お嬢様!」



 レヴィの胸が強く軋む。怒りのあまり、視界が真っ赤に染まって見えた。



(何故だ? どうしてこんなことになっている?)



 結婚して以降、アリスは幸せではなかったのだろうか?

 ずっと一人で苦しんでいたのだろうか?


 分からない――――レヴィにはどうしても分かりたくない。



 幸せになってほしいと願っていた。誰よりも、何よりも幸せになってほしいと。

 それなのに、アリスはとても悲しそうに涙をポロポロと流している。見ているだけで発狂しそうだった。



(許さない)



 ふつふつと燃え上がる怒りを必死にこらえ、レヴィはアリスを優しく抱き締める。



「レヴィ……」



 アリスが何度も彼の名を呼ぶ。悲しげに、嬉しげに。レヴィの心が切なく軋んだ。


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