6.本当は私も
伯爵との話を終え、レヴィはしっかりと礼をし、執務室を後にする。
「レヴィ!」
と、その時、アリスが彼のもとに駆け寄ってきた。レヴィのことを待っていたのだろうか。ソワソワとどこか落ち着かない様子だ。
「お嬢様……」
「お父様と何を話していたの? ――――どうだった?」
期待と不安の入り乱れた表情。レヴィはほんのりと目を見開き、それから眉間に皺を寄せる。
(これは……私がお嬢様の結婚を見直すよう、旦那様に進言をしたと思っているのだろうな)
アリスだけでなく、レヴィもアリスとの結婚を望んでいると――――そのために動いていることを期待していたのだろう。
レヴィはいつものように微笑もうとし――――それではいけないと思い直す。
「それはもちろん、アリスお嬢様の結婚の段取りについてでございます。ドレスの手配等、これから準備することがたくさんございますから」
「…………え?」
白々しいほどの満面の笑み。アリスは驚きに目を見開く。
きっと、恐ろしいほど傷ついただろう。けれどそれで良い。レヴィの言動は、行動は、アリスの望みとは真逆の方向にあるのだと思い知ってもらわねばならないから。
「どうして? 私、結婚なんて嫌だよ? 昨日、そう伝えたよね?」
「もちろん、聞いておりましたよ。しかし……」
「前に言っていたじゃない! 私の願い事は全部叶えてあげたいんだって! 私を幸せにしたいって! あれは……あの言葉は嘘だったの?」
「嘘ではございません。けれど私は、この家の執事として、貴女の幸せをお守りする義務があります。
お嬢様の幸せは、アンゼルジャン侯爵と結婚することにございます。ですから私は、結婚の準備を……」
「私の幸せを勝手に決めないで!」
アリスはそう言って、レヴィの胸に飛び込んでくる。レヴィはゴクリと唾を飲みつつ、すぐにアリスを引き剥がした。
「お嬢様の幸せは、貴族の、素晴らしい男性と結婚をし、その相手に愛されることでございます。
そして私の幸せは、貴女の幸せを見守ることにございます」
淡々とした言葉、取り付く島もない雰囲気に、アリスは涙をぐっとこらえ、そのままくるりと踵を返す。
「レヴィの馬鹿! 私の幸せはそんなんじゃないのに!」
走りゆくアリスの後ろ姿を見送りながら、レヴィの胸が強く痛んだ。
***
それ以降も、アリスは決して諦めなかった。
事あるごとにレヴィを呼び止め、必死にその想いを伝えようとする。
レヴィはその度に淡々と受け流し、彼女に応えることはなかった。
そのかわりにアリスの結婚をいかに楽しみにしているかを説き、彼女を深く傷つける。
(お嬢様、私のことなどどうか早くお忘れください)
本当はレヴィだってアリスのことを傷つけたくはない。悲しんでいる顔を見たいはずもない。
アリスにはいつだって笑っていてほしいし、喜んでいてほしい。
どんなささやかな願いでも叶ってほしいし、可能ならばレヴィ自身が叶えてやりたい。
だからこそ、アリスにはレヴィを諦めてもらわねばならない。
アリスの幸せは、未来はレヴィとは相容れないのだと理解し、受け入れ、新しい幸せをその手で掴み取ってほしい。
そのためには、レヴィを忘れてもらう必要がある。
嫌われる必要がある。
だから、レヴィは心を鬼にして、アリスの望みとは真逆の自分を演じる。
アリスの結婚を心から望み、喜び、活き活きとその準備を進めていく。
アリスの想いをなかったことにする――――自分の想いを存在しないことにする。
それらはレヴィにとって、死に等しいほど苦しいことだった。
人はみな、好きな人に好かれたい生き物だ。
自ら嫌われに行くような馬鹿は何処にもいない。
それでも、アリスのためだからと言い聞かせ、心に血を流しながら、レヴィは必死で自分を騙し続ける。
「どうして分かってくれないの?」
結婚が押し迫ってきたある日のこと、痺れを切らしたアリスがレヴィの元へとやってきた。
アリスの瞳には涙がたまっている。とてもじゃないが見ていられない。
苦しい。
切ない。
もどかしい。
アリスはまだ、レヴィのことが好きなのだ。
好きで好きでたまらないのだ。
レヴィは大きく息を吸い、それから首を横に振った。
「分かるとは、具体的に何をすれば良いのですか? このまま私と二人で、この家を飛び出すのが良いと、本当にお思いですか? 全てを捨ててまで?」
「――――ええ、そうよ! 一緒にお父様を説得して! ダメだったら私と一緒にこの家を出てほしいの。
だって、私はレヴィじゃなきゃ嫌だもの。他の人じゃダメなんだもの。反対されても構わない。誰にも祝福されなくたって構わない。だから――――」
「お嬢様は私のことを誤解していらっしゃいます」
レヴィはため息を吐きつつ、アリスの元へと歩を進める。彼女の頬をそっと撫でる。
アリスは驚きつつ、期待と不安の入り乱れた眼差しでレヴィのことを見つめた。
「私は――――貴女が望むような誠実な男ではございません」
そう口にしつつ、レヴィは自分に呆れてしまう。
本当ならば『アリスのことを女性として見れない』、『そういう意味で好きになれない』と伝えれば済む話だ。もちろん、アリスは傷つくだろうが、下手にこの状況を引き伸ばすよりもずっと良い。
けれどレヴィは、アリスへの想いだけは、どうしても嘘を吐くことができなかった。
アリスの結婚が決まって以降も彼はアリスのことが大切だと、幸せになって欲しいと言い続けていたし、完全に突き放すことができなかった。想いを殺すことができなかった。
何もかもが中途半端。本当に、自分が嫌になる。
このままアリスを攫って、一緒になる道を想像したことは一度や二度じゃない。
けれどその度に、アリスが幸せになれるかを想像し――――『否』という結論に達する。
(私ではお嬢様を幸せにできない)
分かっている。
分かっているのに、こうして結婚までの日々を重ねながら、どこかに違う道が落ちてないものか――――それを探している自分がいるのだ。
「レヴィの馬鹿」
アリスがレヴィを抱き締める。
レヴィは胸が苦しくなる。目頭が熱く、涙で前がちっとも見えない。
(お嬢様……本当は私も)
決して打ち明けることのできない想いを胸に、レヴィは肩を震わせた。




