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11.愛の獲得と、愛の証明(1章最終話)

(朝か……)



 絶望感に苛まれつつ、ステファンは目を覚ました。


 身体が鉛のように重く、とても苦しい。いつも隣にあった小さな温もりが、メリンダの姿がここにない。



(メリンダ……)



 彼女に別れを告げられたのはほんの数時間前のこと。ステファンには、とてもじゃないが現実を受け入れられそうにない。


 目を瞑ると、メリンダの笑顔が、声がありありと浮かび上がる。彼女の細い体を腕の中に閉じ込め、甘い香りを、柔らかさを堪能し、何度も何度も口づける――――ステファンにとって、それは当たり前の日常だった。ずっと続くものだと思っていた。

 けれど、そんな彼の日常は、願いは、ほんの一瞬で失われてしまった。虚しさが、心と身体を支配する。



「メリンダ」



 広い部屋の中、ステファンの声がポツリと響く。



「そこに居るんだろう?」



 しかし、どれだけ待ったところで、返事は返ってこなかった。


 ステファンはグッと拳を握り、ベッドから勢いよく立ち上がった。



(今すぐメリンダの顔が見たい。声が聞きたい。――――抱きしめたい)



 昨夜メリンダは『ステファンはメリンダのことを愛していない』と口にした。


 だが、それだけは違う――――断言ができる。



 ステファンはメリンダを愛していた。

 たとえ世界中の人々に認められなかったとしても、否定されても、敵に回そうとも、その想いは揺るぎない。


 メリンダが同じ気持ちを返してくれなくても、ステファンはそれで構わなかった。



(僕はメリンダに側に居てほしい)



 伝えよう。もう一度。

 ステファンが諦めない限り、道はある。


 みっともなくとも、人から後ろ指をさされようとも、メリンダを失うよりはずっとマシだ。今頑張らなければ、きっと一生後悔する。




「朝早くにすまない! ゾフィー、今からメリンダを貸してくれないだろうか? 大事な話が有るんだ! 頼む!」



 意気込み、妹の元に乗り込んだステファンは、やけに静かな部屋の様子に思わず息を呑んだ。


 王女の朝は忙しい。いつもならゾフィーはこの時間、何人もの使用人たちに囲まれ、傅かれ、姫君としての体裁を整えているずだ。


 けれど、ゾフィーの側には今、誰も居ない。

 メリンダの姿だって見当たらない。

 嫌な予感がステファンの胸を突く。



「――――メリンダなら居ないわ。昨夜遅くに城を発ったの」



 ため息を吐きつつ、幼い妹姫は窓の外をちらりと見遣った。

 ステファンは乾いた笑い声を上げつつ、キョロキョロと視線をさまよわせる。



「城を発った? 一体どこに……」


「お兄様に見つからない場所」



 嫌な予感が当たってしまった。

 ステファンは室内を走って見て回り、メリンダの姿がないことを確認し、部屋を飛び出そうとした。けれど、すんでのところでゾフィーに腕を掴まれてしまう。

 彼女は首をゆっくりと横に振り、視線だけでステファンを諌める。ステファンは目を見開き、ぺたりとその場に座り込んだ。 



「ゾフィー……君はメリンダの行き先を知っているんだろう?」


「知らないわ。馬車だってわたくしが用意したものではないもの」


「そんな馬鹿な! 昨日の今日で……君じゃなかったら、一体誰が手引を?」



 ステファンが問う。ゾフィーは何も答えない。

 焦れたステファンは、首を横に振りつつ、妹の手を振り払った。


 

「――――もう良い。僕はメリンダを迎えに行く! しばらく城には帰らない! 国中に触れを出して、それから――――」


「お兄様!」



 ゾフィーは大きく声を張り上げたかと思うと、そのままポロポロと涙を零した。



「いい加減目を覚ましてください! どうしてメリンダが居なくなったのか……ここを去ると決めたのか、よく考えてみてください」



 悲しみに満ちた瞳。昨夜のメリンダの表情と言葉がチラついて、ステファンは思わず言葉を失った。



『わたしはあなたを――――民ではなく、己の恋心を優先するステファン殿下を見て、幻滅してしまいました。王太子としての責務を忘れ、一人の男として生きようとする貴方を、愚かだと思ってしまいました。

わたしが好きになったはずの貴方は、この世界のどこにも存在しない。

わたしが愛していたのは貴方じゃない――――自分自身だったのです』



 メリンダの言葉が胸を刺す。

 ステファンは己の手のひらを呆然と見つめ、それから鏡に写った自分の顔を見て――――絶望した。



(今のままでは、メリンダは僕を愛してくれない……?)



 メリンダがステファンを捨てたのは、彼が恋に溺れすぎたあまり、国民を顧みなくなったからだ。理想の王子様として存在できなくなったからだ。


 今ここで、己の責務を放棄し、メリンダを迎えに行ったとしたら、彼女の心は永遠に手に入らなくなるだろう。



(だけどメリンダ……それでも僕は、君に側に居てほしいんだ)



 たとえば恋人という形じゃなくても良い。

 顔が見たい。声が聞きたい。

 存在を身近に感じ、小さな幸せを噛み締めていたい。


 そんなささやかな願いすらも叶わないというのだろうか?



「――――分かった。自分自身で探しに行くことは諦める。

だが、僕は諦めない。メリンダはきっと、僕の元に戻ってきてくれると……」



 そのとき、ゾフィーが無言で一つの封筒を差し出してきた。表面には見覚えのある愛らしい筆跡が並ぶ。



(メリンダからだ!)



 ステファンはすぐに封筒をひったくり、静かに瞳を震わせた。


 何が書かれているのだろう?

 ステファンの胸が高鳴る。目頭がぐっと熱くなる。



「――――わたくしにできるのはここまでです。あとはお兄様の判断に任せますわ」



 ゾフィーはそう言って、そっと部屋を後にした。


 残されたステファンは胸をざわめかせつつ、急いで手紙を広げた。

 それから紙面に視線を落とすと、息をするのも忘れて読み耽った。



【親愛なるステファン殿下

短い間でしたが、わたしは貴方と共にいられて、とても幸せでした。

はじめて殿下に声をかけられた時、名前を呼んでいただけた時は、夢を見ているんじゃないかと――――夢なら覚めないでほしいと、心から願いました。

そのうえわたしは、貴方に求めていただけた。愛していただけた。本当に、心から嬉しかった。殿下が側に居てくださるなら、他にはもう何も要らないと……そう思っていました。

だけどわたしは、王太子としての貴方が何よりも大切で、大好きなのです。

いつも凛としていて、上品で、威厳に満ちていて、誰にでも公平で、優しくて、キラキラと輝いていて――――わたしはそんな貴方が大好きでした。貴方が国を治める姿を見たいと、心から望んでいました。

ですからどうか、わたしの愛する貴方に戻ってください】


(メリンダ……)



 ステファンの瞳から涙が幾筋も零れ落ちる。


 己が間違っていたことは素直に認めよう。

 冷静になった今、周囲にどれほど醜態を見せていたのか、呆れさせてしまったのか、容易に想像ができる。


 けれど、過ちを正していくことは、メリンダが側に居ても可能なはずだ。

 ステファンは涙を拭いつつ、手紙の続きに視線を落とす。



【もう一つ、殿下にお願いごとがございます。

もしも貴方がわたしのことを愛していると――――これからも愛し続けてくださると言うならば、わたしがこの国のどこに居ても、幸せに過ごせる――――そんな国にしていただきたいのです。

わたしはこれからも貴方のことを想い続けます。貴方のことをずっと見ています。

どうかわたしに、ステファン殿下を愛していると――――胸を張ってそう言わせてください。

それがわたしの一番の望みです】


「メリンダ!」



 ステファンはメリンダからの手紙を強く抱き締め、唇を寄せた。


 メリンダはもうここに居ない。この手紙はメリンダ自身ではない。


 それでも、メリンダは居る。


 ステファンと共に。

 ステファンの中でこれからもずっと生き続ける。



 ステファンはメリンダの願いを叶えること――――王太子として正しく国を導くことで、彼女からの愛情を勝ち取ることができる。

 なにより、自身の愛情を証明することができる。



 だったら、こんなところでうずくまっている暇はない。


 立ち上がれ。前を見ろ。

 自分が今、本当にすべきことは何なのか、考えろ!


 ステファンの瞳に失われていた光が宿る。



「――――愛しているよ、メリンダ。これからも、ずっと。僕の一生をかけてそれを証明するから」



 泣きぬれた笑み。

 甘い言葉は風に乗り、空気に溶けて消えていく。


 きっと届く――――いや、絶対に届けられるとそう信じて。


 ステファンは力強く地面を蹴り、真っ直ぐに前を見据えたのだった。


 1章【男爵令嬢メリンダの場合】はこれにて完結となります。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 明日からは2章【伯爵家執事レヴィの場合】がはじまります。よろしくお願いいたします!

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