九、
九、
美しい雀が私にさえずりを贈る。
「これも、美味しいよ。」
「...お肉食べないから。」
皿を目の前の青年に押しやりつつ、立食式のパーティ会場をぐるりと見渡した。オーケストラの人々は壇上で軽く音出しをしている。紳士淑女らは、話に花を咲かせつつ少量の肉をつついていた。
「美味しいけれど、食べられないのなら仕方ないかな。」
キンポウゲが添えられた野菜サラダに、美味しいソースが味を添えて、ついでにハムをのせてみる。普段、食べているものよりも格段に美味しいので、沢山食べられそうな気がするが、胃もたれを起こさないように、肉は断っておいた。
甘そうな糖蜜が滴るパイや、白く縮んでいる雲の欠片...のようなもの。食べてみると、味はしないが食感の良さに、思わずいくつか口の中に入れてしまった。キャンディやチョコが置かれたテーブルの横には、巨大なチキンや胡椒で味をつけた肉が鎮座していたが、そこは通り過ぎて、フルーツサンドやケーキが並ぶ場所まで向かった。
「私は、お肉も少し食べようかな。サラダしか食べていないけど、大丈夫かい?海鮮の類もあるようだけど。」
「...食べたことない。」
「お腹は壊しそうだよね。」
止めとこうかと言って笑った青年は、ウェイターから貰ったワインを飲みつつ、すぐ側にあったローストビーフを皿に盛り付けた。
私は、フルーツでお腹を満たすため、目に付いたcolorfulから順番に、お皿に取り付けて食べていく。噛む度に新鮮な美味しさがシンデレラの魔法を彷彿させた。
「お酒は飲めないから。ジュースね。」
黄金の流水に、目を奪われてボンヤリしていると、彼が林檎ジュースらしきものを持ってきてくれた。
「うん。」
ジュースを手に取って後、食べることにエネルギーを使って疲れた体を椅子に座らせた。夜会らしく少し薄暗さのある中で、徐々に曲を弾き始めたヴァイオリンに合わせて、人々がシャンパンを味わう。仄かな蝋燭の明かりでも輝きが一等星を超えるだろう、オーダーメイドのドレス達が、互いを主張して言い争った。それが面倒で視線を返せば、隣で食後のデザートに顔を緩める婚約者が、どうしたのかと問い掛けるように首を傾げる。
「飽きちゃった?」
「ただ、副流煙に巻かれているみたいな気分だったから。」
「…それは、どんな気分なんだい?」
私の言葉が余計、彼の思考をややこしくさせたらしい。秘密裏に受け取った鍵のありかを、黒髪の侯爵夫人から奪い取る怪盗。宝石より価値のある七つ星が見えないことが、罪であると知っているが故の行為。私は、胡乱に肩を揺らすと、何でもないという様に首をすくめて見せた。
「そろそろ、演奏も始まるだろうし。飲み物も片づけちゃおうか。」
林檎ジュースとワインを近くにいた制服姿の男性に渡し、彼は私を連れて音楽隊がよく見える場所まで移動した。
「せっかくなら舞台上にいる彼らを見たいけど、フルート吹きが旅の途中で子ヤギを捕まえるように、船の一室に奏でられる音楽もいいのかもしれない。」
「まあ、席に座って音楽を聞くのは、ゆとりが持つことが出来ていいよね。船に揺られながら、聞くのもまた然りって感じがするよ。」
「うん。」
新聞社に勤め始めたと言っていたから、忙しくて音楽を聞く機会もなかったのだろうか。家に置いてある蓄音機でもレコードを聴いているだろうに、楽しげに本格的に始まった演奏を聞く姿を見て、私は少し頬が緩むのを感じた。
「最初はバラードだろうから、ゆっくり聞いて。少し人の波がはけてきた所で一曲踊って帰ろうか。昼間から待たせてしまって疲れただろう?」
「足が少し痛いけど、大したことないわ。」
そう言うと、すまなそうな顔をした栗色が、今日はよく休んで欲しいと私に訴えた。夜景を見て、絵のインスピレーションを工作してみようかと思っていたのだが、今日はやめておくことにする。私は適当に頷くと、上品に体を揺らし始めた人々を見つめた。
「ダンスはどうだい?上達した?」
「未だに、何のために踊るか分からないわ。庶民の形のないダンスの方が、よっぽど色があって楽しいもの。」
「私も、十代のうちはそう思っていたけれど…。案外、こういうコミュニケーションを取りながらのダンスも楽しいものだよ。」
優雅さだけがクラシックを渡り歩く。幼いころに見た、白鳥の湖を思い出す光景だが、あまりに秩序だっていすぎて私が入り込めるような隙が見つからない。
「まあ、ここにいるのは社交界の人々じゃなくて、ただの観光客だから。あまり、緊張しなくていいよ。君ぐらいの年齢の女の子じゃ、せいぜい貴婦人が喋りかけてくる程度だろうし。…もっとも、見た所によれば緊張しているようではなさそうだけどね。」
苦笑する彼の隣で、私は曲調が踊りやすく親しみやすいものに変わっていくのを感じた。旅行に行く前に夢で見つけたフルート奏者を探してみるが、いない。
ヴィオラとヴァイオリン。チェロが全てを内含していったと思えば、星屑代わりの様々な楽器が繊細に足りない景色を付け足していく。
「そろそろ、一曲ぐらいは踊らないとな。」
いつの間にか熱心に演奏を聞いていた私は、宵の明星に心を動かされる金属機械の妖精達を連想していた思考から、意識を呼び戻した。
「あ、うん。」
手を取られて、中央よりも少し離れた場所へ向かう。私は、気乗りしないまま久方ぶりの婚約者のダンスを終えたのだった。
「じゃあ、ゆっくり休むんだよ。おやすみ。」
「おやすみ。」
夜風の心地よさに、もう少し外に居たくなったが、早々に部屋に送り込まれてしまったので、私はため息をつきながらもベッドの上に座った。明かりが点いていないため、パーティー会場から漏れ出ている光だけが私の泊まる部屋を照らしている。髪の飾りを取り外し、適当に脱いだドレスを、丁寧にクローゼットに仕舞い込んだ私は、中に来ていた下着のままにベッドに体を預けた。
普段なら小言を言ってくるメイド達が居るが、彼らは両親の面倒を見て、今頃は残ったワインでも飲んでいることだろう。一人ぐらい傍についてきてもらえばよかっただろうかと少し後悔もしたが、婚約者と二人で船旅をするプランを練り上げて私を送り出した親の意向に逆らうことは、少々めんどくさかった。
「はぁ。」
成長した婚約者は、そんなに頻繁に会っていたわけでもないので、記憶がおぼろげではあるが、昔に比べれば大人らしくなったとは思う。将来の展望、実際にやっていること。それぞれが、きちんと今の彼を形作っているのだろう。けれど…、
「やっぱり、昔から語る言葉を理解してはもらえない…よね。」
新聞社に入社したとはいえ、私がしていることを肯定してはもらえないだろうし、綴る言葉を彼が許容してくれたとしても、共感してくれる日が来るとは思えない。
「…。」
ふかふかの生地に、美しいレースで装飾が施された白い布団。明日の朝焼けは、私にどんな感動を呼び起こすのだろうか。私は、握り締めるように布団の隅を掴むと、枕に頭をのせると共に目を瞑ったのだった。
次は、少女の夢の話を書こうかな…。物語調に、ナザレを意識して。