十、
十、
朝の陽。心做しか、それとも瞼の重みか。寝起きの悪い頭を揺り動かして、私は欠伸を咬み殺すように起き上がった。
夢の内容も昨日の事も一瞬、分からなくなってしまう眠りの余韻。窓から射し込む太陽の光に手をかざしてみてから、私は支度をして朝ご飯を食べるために立ち上がったのだった。
「ああ、起きたのかい。ふわぁ...。ごめん、朝は眠くて...。ご飯食べに行こうか。」
「...。」
隣の部屋のドアをノックすると、寝癖はついたままだが、服はきちんとしたものを身につけた青年がでてきた。若干、呂律が回っていないし、昨日のように気を使って色々、喋りかけてくる様子もない。かく言う私も、黙りこくってしまって何かを言う元気はなかった。
「気持ちいい朝だけど...。眠くて仕方ないな。」
「...うん。」
重い瞼を開けて、辺りを見渡せば一面の青とカモメが見えたが、眠気と空腹で感動が湧き上がってこない。食堂へと繋がる廊下から見渡せる窓越しの絶景を二人で暫く眺めていたが、何か言葉を口にすることはなく、黙って食堂へと歩を進めたのだった。
「美味しいなぁ。」
スクランブルエッグに、固めのパン。彼はコーヒーを。私はレモンティーを飲みながら、徐々に生き返っていく体を感じていた。
「このジャム美味しいから少しつけるといいよ。」
「分かった。」
バターの上に赤い色のジャムをのせてみる。鍵に埋め込んだ、血晶の様に美しい。冷やし固めた暁のクリスタル。恐らく、イチゴか何かだろうと予想を立てて、口に入れた私は首を傾げた。
「これって、サクランボ?」
「正解だ。」
食べたことは一度しかないが、これほど美味しい物だったのか。船室に飾られた絵画をブランデーと共に味わう、午後の余韻すら感じる様だ。朝ご飯だと言うのに、思わずティータイムのお菓子なのではないかと勘違いしてしまうほどに、口の中が甘いサクランボで、いっぱいになる。
食べすぎてはいけないと思いつつも、私は硬いフランスパンにジャムを塗り付け、朝の眠気を覚ますかのように、少し苦みのある紅茶と共に味わったのだった。
「今日は何をする予定なんだい?」
コーヒーを飲んだことで頭が冴えてきたのだろう。青年がほほ笑みを浮かべて、私に問いかける。私は、片づけられた食器の行方を少し目で追いながら、彼の問いに答えた。
「プレイルームも充実しているし、バーや喫茶店もあるようだよ。どこか行きたいところがあれば...。」
「ううん。デッキの椅子にでも座って、本を読んでいるからいい。その後は、適当に船内を散歩するから。」
「あー、そっか。」
少し困ったような表情を浮かべたが、彼は直ぐに笑みを私に返した。
「久しぶりに会ったんだから、一緒にいようかと思ったけれど...。今日ぐらいは疲れてるだろうし、別々でもいいかな。私は、コーヒーでも飲んでいるから、気が乗ったらおいで。」
食器は、そのままに。素敵な朝ごはんを、婚約者と共に過ごした私は、微かに頷き返して食堂を去ったのだった。
桃色の飽和水蒸気液。鯨が私を呼び、夜のパーライトが秘密の花園で一輪の輝きを魅せるだろう。青く何処までも続いてしまう海は、その深海に幾つもの命を宿した。開かれない絵本の挿絵に、金髪の少女が炎を抱く魔法をかけるだろう。
潮騒の満ちた海岸すら見たことのない私は、まさに大海原と呼ぶに等しい目の前の光景に、思わず感嘆の声をもらしたのだった。
「すごい…始めて見たわ。」
水平線が船を取り囲む。1つぐらいは大陸が見えないかと目を凝らしたが、あいにく私の目には緑の大地は見えなかった。
「こんなに広く映るのね...。」
大航海と呼べるほどの距離を航海するわけではないので、そこまで期待していなかったが、これほどまでに深海を澄み渡した青があることを予想していただろうか?
蒸気を吹かして、永遠の湖を進んでいく巨体。確か、NAZARATHと言っただろうか。海を横断する白い船舶は、どの国を目指してゆくのだろう。
「楽しみ…。」
そう呟いて、私はテラス席に腰を掛けた。絵本を書くために、紙とインク。それに何本かの絵筆と水彩絵の具を取り出す。この海を見つめながら、どんな物語を描くことが出来るのだろう。沸き立つ心は、抑え切れず。私は、一文字目の言葉を紙に記したのだった。
朝ご飯にスクランブルエッグなんて、優雅でいいなぁ。食堂に居た他の人の描写はしなかったけれど、紅茶を飲む人もいただろうし、新聞紙が備え付けてあったり、海を見渡せる大きな窓もあって。本当に素敵な食堂なんですよね。まあ、眠すぎる二人の描写に忙しくて情景の細かいところまで書けなかったんですが。もう一回くらいは、登場させたい…。
ちなみに、僕の今日の朝ご飯はコンビニの野菜サラダでした。
(2022/10/31 一部、改稿しました)