06 宿屋の代わり
俺の偏見だが、面倒事は重なる傾向にあると思う。
朝起きると、父は熱を出していた。
大怪我の後に発熱すると、聞いた事がある。
所謂強面だが、心底嬉しそうに笑うので愛嬌がある、快活な父の面影はどこにもない。
直毛の濃い茶髪は変わらないが、金色の鋭い目つきが弱り切っている。
やや昼を過ぎた頃に、出発した伝令が馬車を連れて帰って来た。
街まで片道半日を考えると、かなり急いでくれたのがわかる。
夜道は暗さ以外にも、盗賊や獣で大変危ないのに、わざわざ昨日の早い夕方に出立した伝令に感謝だ。
魔獣が出たので、干し肉等の日持ちする食料を積んだ商人が来てくれた。
騎士団は現在街には居らず、早く見積もっても2週間かかるようで、ギルドにも依頼を出してきた。
結論から言うと医者は運悪く不在だったが、医療に精通している学者が来てくれた。
「初めまして。魔獣について調べています。」
ノクスと名乗る女性だが、違和感を感じる。
好みの外見をしている事が邪魔をして、上手く言語化できない。
美人で線が細く、日本人の俺に馴染み深い黒髪から覗く、赤い瞳が印象深い。
ルックスが非常に良い事もそうだが、俺は可愛い子より美人が好きなんだ。
さて、我が村はどこに出しても恥ずかしい、ド田舎である。
観光地ねえ、街灯ねえ、医者もいねえ、おまけに商店1つだけ。
勿論宿屋もねえわけだ。
商人が行商に来たら、泊まるのは商店になる。
騎士や街の査察に来た役人等の、身元がしっかりしている人は、村長の家に泊まる。
ノクスさんは何処に泊まるのか?
医者を呼んだ我が家じゃないか?!
俺はこんな村嫌だったが、初めて良かったと思っている。
しかし子供が言い出すのはおかしいので黙っていると、母も大体同じ事を思ったようだ。
「来て貰う前に説明されたかもしれませんが、この村に宿屋はありません。」
「確かに、言ってた気がしますねー。」
「我が家に泊まりに来て頂く形になるんですが、よろしいですか…?」
申し訳なさそうに話す母と対照的に、自分のペースを崩さずに話しだす。
「嫌って言ったら、どうなりますか?」
「えっ?!」
断られると思っていなかった母が茫然としている。
周りで聞き耳を立てていた村人も、幾人か驚きが顔に出てしまっている。
「えっと、立ち話もなんですし、泊まらなくても1度家に来ませんか?」
「そ、そうね。診て頂きたい怪我人も、我が家に居るのでどうですか?」
俺が無理矢理絞り出した提案に、母も動揺を残しながら便乗する。
商人の馬車が出立するのは、明日の朝なので、どうやっても村の何処かに1泊しなければいけない。
なあなあで、我が家に泊まって貰うしかないのだ。
この提案も断られたら、どうしようと思っていたが杞憂に終わった。
着いてきてくれたノクスさんの荷物は非常に多く、近くから馬を借りて運ぶ。
大きめのトランクケースが3つと、手持ちの鞄が1つだ。
医療に通じているとは言ったが、かなりしっかりした医療器具が出てくる。
母や祖父は応急手当が出来るので、手伝いとして一緒に父の部屋に入った。
外見だけ子供の俺は手術中の部屋から閉め出された。
何も出来ないから、余計に不安が募ったが、父の苦しそうな声は聞こえてこなかった。
麻酔は高価だがノクスさんは持っていたのか、意識が戻る前に終わったのかは判らない。
ただ日が落ちかけていて、早々に宿泊先を決めねばいけない事は確かだ。
「離れとかないんですか?」
来て貰った手前思いたくないが、儚げな見た目に反して、ノクスさんの神経は図太い。
互いに顔を見合わせるが、父が居ないので、祖父が一家を代表して口を開く。
「…離れはありますが、今は森に魔獣が出ています。」
「それに離れは、この家以上に村から遠いので不便ですよ。お風呂とお手洗い、机と椅子に、ベッドと暖炉はありますけど、とても狭いんです。」
母が見事な補完をする。
雪が積もる冬に休む用の離れなので、吹雪が酷い時に泊まれるくらいには、しっかりした家だ。
しかし立地最悪の木造ワンルーム、魔獣も出るなんて、心も体も休まらない。
「いいじゃないですか。是非そこでお願いします。あ、どれくらい居ていいですか?」
一切顔色を変えずに言い放ったこの変人は、世間知らずか命知らずだ。
言葉に詰まった母は、目だけが雄弁に動いている。
子供の俺が口を出せずにいると、祖父は俺が感じた違和感の正体を、言葉にしてくれた。
「魔獣の研究をしていると言ってましたが、あんた本当に1人なンですか?」
魔獣は突然出現するので、研究の為に現地に行こうとすると、長距離移動を余儀なくされる。
彼女自身、屈強そうにも見えないし、護衛が出来そうな人間も同行していない。
この世界の結婚の適齢期が早いのに、伴侶と共だっていない違和感が些細に思える。
初めて笑顔を見せたノクスさんは、唾を呑む程に美しかった。
俺の心臓は、大きな音を出して鳴り響く。
恋なんかではない。
これは恐怖だ。