10 少女の逃げ場所
結局その場で答えは出ず、持ち帰って検討させてもらった。
上司に指示を仰げないのが、子供の辛いところだ。
ネットがあれば、ハウツー本や自己啓発本を注文できたりもした。
日本に居た頃とも、今の暮らしとも真逆の事を求められている。
何時から何処でこの講義です、今月のノルマはこれなので沢山売りましょう、将来的に家業を継ぎましょう。
今思えば、全部自分で選んだと思っていても、どこかしらは指示の範疇にあった。
「アディーレはどんな本が書きたいんだ?」
「…あら!あらあら!イデアも本を生産する側に、興味が出てきたのね!」
「お、おお…というより、何もないところから、何かを作ろうとするのって凄いなーって。」
勢いにたじろぐが、俺に足りないものは、まさにこれだろう。
スマホなりで簡単に調べられないなら、自分の足を使う。
自由研究で睡眠時間の研究をしたのが懐かしい、沢山の人に聴いたものだ。
アディーレが本に生きてるのはわかっているので、掘り下げて質問していきたい。
「まあ。そういう事ね。」
露骨に肩を落として、優雅に紅茶を口にふくむアディーレは、年齢以上に大人びて見える。
この趣味人の中身を知らなければ、片想いの騎士に想いを馳せるお姫様、と言われても信じてしまう。
ゆったりと立ち上がり、書斎の中央に位置する机から、原稿用紙を持ってくる。
「少し恥ずかしいけれど、作家を目指しているなら、そんな事言ってられないわ。」
「……もしかして、アディーレが書いた小説?!」
流し見で見た原稿用紙を2度見して、目を見開く。
そこまで信頼されている事に吃驚したが、気の利いた感想を言える自信がない。
未開地では珍しい、文化人の思想に触れる。
「わたくし、他の作家希望者に会った事はないのだけれど、完全な無からは書いてないと思うの。」
「俺も、君以外の作家になりたい人は知らないね。」
漫画家になりたい友達ならいたが、決まって絵を隠して見せてくれなかった。
小説の概要は、冒険者が傷ついた魔獣を助けたら懐かれ、禁断の友情を育む話だ。
恐らく魔獣は懐かない、懐いても小説にある通りいばらの道で、これは異世界のファンタジー小説なのか?
「村で魔獣が出たって聴いた時に、この話が書きたくなったわ。」
「1週間も経ってないのに、こんなに書いたのか…。」
1冊分には満たないが、手に乗る紙束は結構重い。
同じ髪色の友人は、今まで見た事がない程、せわしない。
それでも8歳にしては品が良い。
「現実の事件じゃなくても、詳しく何かを伝えたい時に、人は筆をとるのよ。」
「アディーレも何かを伝えたくなったから、これを書いたんだね。」
「ええ、でもそれを作家に聴くのは無作法ではなくて?」
手紙ではなく物語にしたのだから、その言い分はなんとなくわかる。
小説を書いた事がないので、なんとなくとしか言えないが。
1文だけ、2人称視点ではなく1人称視点があったので、その部分が伝えたい事だろうか?
「報告書、家系図、商品の製法。詳しく伝えたいのなら、小説じゃなくてもいいの。」
「確かに。アディーレのお父さんとかが、そういう仕事だな。」
「わたくしは他の人に楽しく読んでほしいから、物語形式が好きなの。」
頬を赤くして楽しそうに話す少女の口は、止まらない。
紙に物語を綴っている時も、1度筆がのったら止まらなかったのだろう。
「本の中でなら、誰の人生にもなれるし、なんだって出来るのよ。誰もがここでは自由で、現実で不可能なら本の中に逃げてしまえばいいの!」
遂に立ち上がった少女は、両手を固く握って、ファイティングポーズのなり損ないみたいだった。
ハッとして咳をする彼女は、優雅に取り繕い話を続ける。
「…書きたい物語が決まってなくても、伝えたい事から考えるのでもいいのよ。難しい内容じゃなくてもいいの。こんな人いたら面白そうとか、こんな台詞ドキドキするんじゃないかしら?でもいいの。どう?イデアも小説を書いてみませんこと?」
「ええ~、いつかね。いつか。」
「わたくし一生忘れませんわ。」
一生は重くない?
少しだけ気が楽になったが、好きな事に突っ走れる彼女がいやに羨ましくなった。