68 混乱と快感
「はあ……はあ……はあ……」
隣で男に剣を突き立てている部下から息遣いが聞こえて来る。その音に混じって滴り落ちる血液と汗の匂いが、この通路に充満しているようだ。実際、それらの発生源の近くにいるからそう感じるだけで、この通路のほとんどは土と石の匂いだろう。音と匂い、その中でも特異な種類のものがこの地点に存在しているのは間違いなかった。何よりも、部下の腕が地面に転がり、二人は大量の血液を失っている。私の鼻には、錆びた鉄の匂いが感じられた。
「ああ……」
もう限界だと言わんばかりに、二人の部下たちはその場に崩れ落ちた。彼らが持っていた剣が床に落ち、カランと音を立てると共に、先ほどまでの息遣いが荒くなっている。
「はっはっはっはっ……」
陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせ、二人は空っぽの片腕を抑えようと残りの腕を動かしている。だが彼らはもう何も掴む事ができない。私は男の頭部に突き刺していた短剣を左右に捻るようにして取り出し、勢いよく振って血を払う。そして自分の鞄から紐を手に取り、座り込む彼らの腕を持ち上げて地面と平行にしてから、傷口の近くをキツく縛る。
「大丈夫か、おい!」
カラシャも男から刀剣を離し、こちらへ駆け寄って来た。私はそれを横目に、これでもかと縄を締めたが、彼らはそれに反応しなかった。腕を切断された痛みの方が凄まじいために、これぐらいでは反応しないのかと思ったが、私は二人の顔を見て考えを変えた。
「隊長……」
目の前の部下はそう呟き、私を虚ろな目で見ている。彼は今意識が朦朧とし、失血死寸前だ。こうなっては努力のしようもない。そんな彼は、視界の真ん中に映る私の顔すらぼやけて見えているだろう。最期に見るものが、私の顔で申し訳ないと、心の中で思った。
「なんです?」
私は孤児院の子供達に接するように、優しく彼の呼び声に答える。
「ハチミツ……食べたい、です。」
「ハチミツ?」
そう聞いた私は一瞬不思議に思うも、すぐに鞄の中を探って代替品を探す。すると、品々の間に羽アリを数匹見つけた。おそらく袋からこぼれたものだろう。私はすぐにそれを、彼の口へ当てがった。
「ほら、甘味です。」
彼のご要望通りのものではないが、甘いものであるには違いない。
「貴方も……クソっ……」
もう一人の方を見ると、彼はすでに事切れていた。カラシャがなぞるように彼の目を閉じる。その間に、彼はもごもごと口を動かして咀嚼している。戦闘中に切ったのか、彼が口を動かすごとに、中から血液が溢れ出てくる。
「ははっ、血の味でわかんねぇ。」
口元と中を自分の血で真っ赤に染めながら、彼は笑うように言った。
「もう喋らんでいい。」
「いやカラシャ隊長、腕もげてから、あれだけ興奮して、動き回ったんですから、そりゃあ助からん事ぐらいわかりますよ。」
だから彼はかすれた声で最期の時を喋るというのだろうか。死に際の気分というのはそういうものなのだろうか。私が見てきた人の最期は、どれも喋る暇がほとんど無かったから、こうして死に瀕する者と話すのは不思議な気持ちになり、疑問ばかり浮かぶ。
「ああ、看病してもらった時の、ハチミツ、食べたかった……で……す……」
彼の声は段々と小さくなっていった。私はカラシャと同じように、彼のうっすらと開いた、力のない目を優しく閉じた。
何人もの戦友が、これより酷い死に様を晒していったはずだが、やはり私は永遠に慣れる事はないだろう。ましてや、いつぞやに私が看病した部下がこうして目の前で死んでいくのだ。残酷な事実だが仕方がない。そしてもっと酷いのは、私が彼を看病した事があるのか、はっきりと思い出せないという事だ。痴呆症によるものなのだろうか。今まで彼の事を忘れていたように、明日には彼の死について気にも留めていないはずだ。そしてまた戦友が同じように死んだ時、今と同じ気持ちになる。それの繰り返しだ。
「はあ、各員後片付けを……」
「あああ!」
その時、通路の奥から叫び声が聞こえて来た。この場所で、私の三人の部下を殺した男と同じような叫び声だった。
「ちっ……まだ、いるのか。」
「全体、戦闘準備!」
部下達は隊列を組み直し、前列が弩を構える。私も彼ら同様に弩を構えるが、若干、いつもより手が震えているのが分かった。先ほどまでは微塵にも震えていなかったというのに、私は自分の手がいう事を聞かない感覚を覚えた。すると、私の前方にカラシャが刀剣を下段に構えて出る。彼は屈むように姿勢を低く保ちながら、私に目配せした。
「ああ、助かります。」
私は彼に礼を言って、その強靭な肩に弩を乗せた。これで幾分か安定性は保たれるだろう。
「三列目、接近戦に切り替えて準備! 盾を構えて前方に!」
私はまた、部下に死ねと指示を出した。だが彼らは迷う事なく、私の前へ進み、盾を構える。私はこちらへ近づいて来る無数の叫び声を耳にし、目の前の部下達を見ながら、小さくため息をついた。そして、再び息を吸い込んで、次は狙撃のために、大きく息を吐きだした。
向かってくる敵の頭に照準を向ける。身体から邪魔な空気を大きく掃き出し、ブレを最小限にまで縮める。やがて弩に備え付けられた照門が、敵の目を捉えて止まったように見えた時、引き金を引く合図だ。右人差し指に少しだけ力を入れると、弓矢は簡単に飛んで行く。そして敵の目を抉り、脳みそを破壊する。そのような作業を二、三度繰り返した後に私は死んだ部下の片手半剣を手に取り、カラシャ達と共に戦っていた。
「おおお!」
ここでは男達の大声と金属音、液体と何かがこぼれる音が存在していた。通路の奥、闇の中から狂戦士がこれでもかと突撃してくる。
私に剣を振り下ろそうとする戦士の首元へ叩きつけるように鉄の塊を横払いする。鍋の蓋のような兜頭を吹き飛ばし、丈の長い鎖鎧を来た戦士が倒れる。こちらに向かって来たからきっと敵だろう。護衛兵と敵の区別が曖昧だが、狭い通路での戦闘、取り分け混戦では仕方のない事だ。私達の部隊は現在、バラバラに戦っている。
本来であれば隊列を組み直し、亀のように固まって少しずつ前進していくのが最適だ。盾を隣の仲間と重なるように前へ出し、剣身を盾の上側へ置く。後列が弩を装備して敵の先方を打ち砕き、焦りながらも突撃してきた敵を盾で受け止める。そうやって統率の取れた集団的な戦法こそ、この狭い通路では必要だろう。
だが目の前の狂戦士どもにはそれが有効ではないと分かる。先ほどの戦いで防御した部下の盾がいとも簡単に壊れた。奴らは人間からかけ離れた筋力を持っているようだ。相手の盾を、まるで積み木の山を崩すように打ち破るなど、まず有り得ない。十数年戦場に身を置く熟練の戦士がようやっと習得できるほどの技術だろう。傭兵達の間で伝説になるぐらいは高度なものだ。しかも彼らは盾破りを純粋な力で押すのではなく、戦闘で脆くなった箇所を重点的に狙うか、盾の構造に精通していなければ出来ないらしい。それを力のみで破壊するのはもはや人間ではなく、怪物の為せる業だ。
故に木盾主体の防御隊形では、敵の両手斧の一振りで粉砕されるのが目に見えていた。こうして仲間と連携しながら散開し、適度な距離を保ちつつ、攻勢に出ている。
「囲め!」
「囲んで殺せ!」
私と共に、隊列の前に出て戦っている部下たちがそのように叫ぶ。普通の敵であれば自分の作戦を口に出す事はないが、どう見ても相手は理性や思考力がある生物とは考えられなかった。先ほどの男と同様に白目を剥いて、大量の涎を垂らし、狂ったような大声で暴れている。それに、専業傭兵とはいえ、普通の人間がそのような怪物に立ち向かうには、何かしら奮い立たせる強制力が必要なのだ。戦闘中に大声を出す事は良い事なのだ。
「ゴッ!!」
私は敵が振り下ろした両手斧を受け止めず、ギリギリのところで回避する。相手の動作をよく見て、人体の構造的に相手が攻撃しにくい位置、脇腹あたりへ、自分を潜り込ませる。そして身体を捻りながら片手半剣を両手に持ち替えて血で染まった敵の両手斧を攻撃した。鐘の音を数段鈍くした金属音が耳に響き、鼓膜が震える。だがそれに怯む事なく、自分の力と私の攻撃による勢いに体幹を持って行かれた狂戦士が、地面に獲物を突き刺して一瞬硬直した隙を突いた。
すぐさま半剣を翻し、狂戦士の顔に向けて下から斬り込む。相手もそれに反応して背を反りながら顔を逃がすが、間に合わず鼻が削がれた。赤みがかった大きな鼻がポトリと石床に落ちる。今、敵の態勢は私にとって良いものだった。まるで薪割りに失敗した素人が、頑張って台の上から斧を引っこ抜こうと、背を反って力を入れている態勢だ。つまり、奴は殺してくださいと公言している。
「死ねえ!」
私は最後と言わんばかりに、その敵の頭部へ渾身の一撃を放った。顔出しの三角に尖った兜が登頂からへこんでいく。頭蓋を通り、脳みその柔らかい感覚が手に伝わる。形容するなら、ケーキを箱ごと叩き割った時の感触だろうか。それから目玉がポンっと二穴から飛び出して、私の服にへばり付き、頭から垂れた血液混じりの脳みそ汁が飛び散る。
頭から剣を縦に引き抜こうとするも、頭蓋の破片と肉塊に深く刺さっているため中々取り出せない。
「あああ!」
そこへ別の敵の叫び声が後ろから聞こえて来たため、私は剣を諦めた。
「くそったれ!」
私が後ろに振り向くと、敵に片手で顔を掴まれた部下がそのまま押し出されながら、後ろ向きに向かって来た。
「があ!」
私は謎のうめき声を上げながら無理やり身体を動かす。バスケ選手のように、左側面へ踏み込んで、敵の肉壁作戦を突破する。その踏み込みの途中で、腰に下げていた短剣を右で逆手に取り、人質にされた味方と敵の間に潜り込んで、がら空きになっている首元へ攻撃した。
しかし敵は鎖帷子と羊毛の頭巾を二重に装着していたようで首元はしっかりと守られており、短剣の突きは浅かった。そして頭が丸い兜を身に着け、顔部分は首と同じく鎖帷子に包まれている。斬撃は無駄だろうと判断して、私はすぐさま腰に付けてある、それほど大きくない弩用矢筒から矢を取り出した。そして左手で持ったそれを、敵の片目に突き立てた。
矢がズブズブと入った瞬間、相手はこれでもかと咆哮しながら暴れた。むしろ傷口が広がるため暴れるのは有難いと考えながら、私は斜め十字の形になった腕を動かし、自分の拳と拳を引き合わせるように力を入れる。
「ガガガ……」
いびきに近いかすれ声を出しながら、狂戦士は片方の目でこちらを見ように、顔を向ける。その力たるや、尋常ではなかった。それから相手はゆっくり顔を右へ向けたかと思うと、次に勢いよく左へ頭を振った。その衝撃で私が突き立てていた矢が折れ、短剣がすっぽ抜けてしまう。
「まずい!」
私は態勢を崩してしまう。狂戦士は持っていた両手斧を落としてしまったようだが、私を殺すのであれば素手で足りるのか、手をこちらへ向けた。しかし、その手が私に近づく事は無かった。
「じね!!」
敵に片手で掴まれていた部下が、くぐもった声で呪詛を吐き、そのまま自分の剣を相手の顔面へ突き立てた。彼は顔を掴まれ出血しながらも、反抗の意志を見せて、敵へ致命の一撃を与えたのだ。私はそれに答えなければならない。
「おおお!」
私は叫びながら敵の首元へ再度、攻撃を仕掛ける。すでに大きく広がった傷口から大量の血液が流れ出していたが、私はそこへ蓋をするように短剣を刺した。そこから短剣を両手で握りしめ、さらに深く突き刺す。しかしトドメを刺すにはまだ足りなかった。敵が部下を掴んでいる手に力を入れる。
「ぎぃたいいいい!」
部下の悲痛な叫びが聞こえて来る。私の短剣は決定力を欠いていた。何かあるか、と周りを一瞥した時、私の目に敵が落とした両手斧が目に入る。私は顔を歪めながら素早く動き、両手斧を拾った。そして動きが鈍くなった敵へ最大の力を込めて、それを振り下ろした。
「ごぉ!」
骨を砕く感触、それに比べて柔らかい人肉の切れ方、いくら怪物であろうと、それは人間と変わりなかった。斧で相手の頭部を破壊して動かなくなった時、私は快感を覚えた。厄介な敵を始末できた幸福感が電流のように私の身体を駆け巡った。
敵は両手斧が刺さったまま前に倒れ、掴まれていた部下は地面に座り込むように解放された。そして彼はゆっくりと仰向けに倒れる。倒れた先には別の仲間の死体があり、それが枕のように彼の頭を支えた。
「大丈夫ですか!」
快感から離れ、すぐに部下を起こす。私は彼の顔を見た時、心臓が高鳴った。
「隊長……ハイエナ隊長……」
親から離れた子供のように、弱弱しい声で私の名前を呼ぶ。そんな彼の顔はぐちゃぐちゃになっていた。兜が顔の肉にめり込み、骨が変形している。圧に耐え切れず、目玉が飛び出しているが、辛うじて何かの肉糸がそれをつなぎとめていた。そしてよく見れば、皮がぺランぺランに骨から乖離しており、彼は両手でそれを正しい位置に戻そうとしていた。もう手遅れだというのに、必死になって戻そうとしている。
「あ……」
私は頼りなく呟いていた。彼をどうするべきか迷ったのだ。こうなってしまっては顔は元に戻らない。だが死にそうになっているかと言われればそうではないかもしれない。顔の皮が剥がれた程度ではまだ生きていられる。しかし脳みそに損傷を受けているかもしれない。衝撃で喉が変形しているかもしれない。そもそも顎を砕かれているため、これからまともな食事は取れないだろう。かもしれない、という言葉がひたすら頭に浮かんでくる。
「いい……いたいぃ……」
彼はまたか細い声で呟いた。周りでは激しい戦闘音が響き渡っているというのに、それははっきりと私の耳に残る。
「すまん……」
私は短剣で彼の喉を突いた。その時、私は目を閉じていた。
「ハイエナ!」
私が時間を無駄にしていると、背後からカラシャの声が聞こえて来た。その声に反応して目を開ける。私はその方向へ向くと、今まさに彼が複数の狂戦士に取りつかれていた。彼の近くには負傷した味方が大勢いる。
「うおおおお!」
カラシャはだいぶ疲弊している。私が援護しなければ確実に押し負けて殺されるだろう。私は装填済みの弩を抱えたまま死んでいる部下を見つけ、それを手に取った。そして短剣を持ったまま構える。呼吸を整える時間は無かった。




