67 戦士と狂戦士
鉄と石が擦れる音、おそらくはこの通路の石床を硬い物が引きずられ、傷つけられる音だろう。しかし疑問なのはそれを発している者が何なのか、それが誰なのかという事だ。何、の場合をあまり考えたくはないが、ここは異形の怪物が森奥に潜み、人を食らう世界なのだ。何が来ても不思議ではない。出来る事なら先遣部隊の隊員が引き返してきただけであって欲しい。
「全体起床、集合せよ!」
カラシャの号令で、今まで半分寝ていた状態の部下達が一斉に起き上がり、装備を身に着ける。目をパチパチと開閉させたり、兜を身に着けてから自分の頬を叩く者等、皆それぞれが慌ただしく戦闘準備をしている。当然その中で、彼らの動きから発生する雑音があるわけだが、私の耳にはそれらよりも通路の奥から聞こえてくる音の方が、より鮮明に認識できた。一定のリズムで重い物を引きずるように、段々と近づいて来る。それはまるで耳鳴りが大きくなっていくような感覚だ。
「急げ急げ! 準備が出来たら3列縦隊で整列しろ!」
「配置は突入時と同じように前列が盾、後列が弩です。3列目以降は2列目と同様に弩を装備して待機、撃ち終わったら最後尾に並び直して装填してください。それから動きやすいように、ある程度間隔を空けて展開するように。」
私が細かな指示を出す頃には部下達の目から眠気は消え去り、鋭い目つきになっていた。私とカラシャは指示を出すために少し後退して本隊の前列側へ向かう。見張り役の数人はまだ職務をまっとうしているようだ。
そうして陣形が整うと、一列目が盾を前に出し、防御の姿勢で剣を突きやすいように構える。その間から装填を完了した弩兵が奥を狙う。三列目以降は矢を仲間に誤射しないように弩を少し上に構え、待機する。
「間違っても命令があるまで指を引くなよ。ハイエナ、見張り部隊はもう戻すか?」
「ええ、見張り部隊は戻ってください。」
彼らはすぐさま弩と盾を両手に持って後退してくる。そして縦隊の間を通って最後尾に付いた。
「今の三人は後方を見張ってください!」
私が後列へ大声で指示を飛ばした後、カラシャと共に部隊を指揮するため二列目に移動し、交代の邪魔にならないよう互いに部隊の側面にいた。カラシャは曲刀を両手で構えている。私も自分の弩を構えるが、完全には集中しなかった。部隊の指揮のために全ての意識を狙撃に使うわけにはいかないのだ。このひたすら縦に長い通路では挟撃や罠の危険性があるため、柔軟に対応しなければならない。
私は弩を軽く構えたまま、前方の通路を凝視していた。今いる場所から雑音は消え、ただ目の前から来る音が先ほどより大きくなっていた。そしてついに、その発生源が壁にかかった松明で露になった。
通路の奥に見えた影は、人の形をしていた。
「あれは……人、先遣部隊か?」
「何かを……引きずっていますね。両手斧を2つ持っている?」
「どうするハイエナ、殺すか?」
「いえ、一応警告はしましょう。」
私は弩を降ろして息を吸い込み、目の前から来る人間に大声で叫んだ。
「止まれ、止まらないと殺す!」
こちらへ向かってくる者との距離は目算七十歩ほどだろうか、その者が私の呼びかけに応じる事はなかった。そのまま一歩一歩確実にこちらへ向かってくるだけだ。私はカラシャほど声が大きいわけではなく、かといって透き通るよな美声も持ち合わせてはいない。それでも人並みに声は出せる。特に地下通路という音が響きやすい場所において、この程度の距離で聞こえなかったという事はないはずだ。
「止まらないな、耳がイかれてるのか?」
仕方なく私はその者の近くの壁を狙い、矢を放った。風切り音と共に石壁から破片がポロポロと崩れる音が聞こえて来る。
「止まれと言っている、最後の警告だ! 次は当てるぞ!」
私は息を吸い込んで渾身の大声でそう言った。その時点で、その者との距離は五十歩ほどまでに縮まっており、風貌がはっきりと見えた。長髪で体格の良い戦士だった。そして、彼は立ち止まり、矢が刺さった壁の方に上半身を向けて凝視した。
その間、私は男の装備を見ていた。胴体には大陸北東の戦士がよく身に着けている鱗鎧を纏っており、その下に半袖の鎖帷子も着込んでいる。赤い腰布から下には、動きやすいように股間部が割れている鎖帷子のスカートがあり、膝まで覆い隠している。そして裂鉄のすね当てを履いており、その横には、彼が両手で引きずっている二本の両手斧が見えた。見るからに柄の長い両手斧だが、普通は片手で持ち歩く事はない。何を考えているのだろうか。
いや何も考えていないのだろう、と男の動作を見てすぐに思い直した。もしくは恐れ知らずかだ。まともな思考があれば一度目の警告で止まる。例えそれが聞こえていなかったとしても矢を撃たれれば何かしらの反応はあるはずだ。しかし目の前の男は飛んできた矢に怯える事はなく、ただ壁を見ているだけなのだ。
「そうだ、そのまま止まっておけ。所属はどこだ?」
出来れば先遣部隊であって欲しいと思いながら誰何する。そうなれば、地下遺跡の詳細な情報を手に入れられるかもしれない。
「あうあう……」
しかし、男は呆けたようにうめき声を上げて、ずっと壁を見ている。
「あうあうあー」
さらに声を上げたかと思うと、男は斧を持ったままの両手で顔を覆った。告白された生娘のような態勢で、さらにわけの分からない行動を取り続ける。
「うあうあー、あうあう……あー」
そして男は膝をついてうずくまり、顔をかきむしり始めた。ガリガリと肉を抉る音が通路に響く。食用肉を短剣で荒く削って小さくする時のような感じだろうか。
「何だこいつは……」
部下の一人が啞然とした声でそう言い、私を含めた他の隊員もそれと同じ気持ちだったはずだ。人間は普段目にしないものを見た時に、それを合理化しようと脳が働く。しかし目の前の男の異様な行動を説明できる者はこの場に誰一人としていなかった。
「あうあうあう……あうあうあう! あああああああ!」
急に金切りのような奇声を放ちながら、男は勢い良く立ち上がった。頭を激しく左右に振り、残像が出来た。それは首があらぬ方向へ向いているように見えた。 そして男は頭がちぎれ飛びそうな勢いのまま、両手斧を振り回し、こちらに全力疾走して来た。
「っ……撃て!」
どう考えても普通の人間ではない。私は部下に攻撃命令を出した。二列目の弩兵が引き金を引き、矢が男の身体に吸い込まれる。全ての矢が男の腹部と右腕に命中したが、一瞬衝撃で態勢を崩しただけで、そのままこちらへ突っ込んで来る。
「クソっ、前列!」
重装備にしては異常な速さで接近して来た。そのため弩兵の交代が間に合わず、私が一言だけ命令すると、一列目の部下達が盾を全面に突き出して構えた。そして、敵方向の正面と左右に素早く移動して接近戦を仕掛ける。三方からの同時攻撃だ。
まずは正面の兵士が、向かってくる男を裏拳のように盾で殴ろうとする。下から上へ突き上げる盾の攻撃的な防御が敵の顔面を襲い、怯んだ隙に間髪入れず、剣の突きが喉元を狙う戦法だ。さらに左右から攻撃のタイミングを合わせてもう二人、敵の腹と頭に素早く剣を振り下ろす。両側の攻撃は、両方とも突きで内臓を狙って確実に殺す方が良い場合もあるが、それでは即死させられないため、一人が頭部を狙うのだ。
「なっ!?」
次の瞬間、部下の盾攻撃は空振りに終わり、代わりに左右からドゴッと鈍い音がした。敵は正面の兵士に向かって来ると見せかけて、すんでのところで後ろへ脚を蹴り、その勢いのまま左右の二人に両手斧を振り下ろしたのだ。もちろん彼らは攻撃する間もなく、また正面の兵士の突き攻撃も当たらなかった。
「がぁ!」
「うぉ!」
両側の二人も男を見ていたため、すぐに盾で両手斧の攻撃を防ごうとした。しかし攻撃を受けた盾は粉砕され、二本の腕が木片に混じってボトリと落ちた。二人とも痛みに怯んだようで態勢を崩して膝をつく。サルナシのツルから水が出て来るように、腕から血液が辺り一面に吹き出し、正面にいた兵士の兜にも付着した。しかし彼は怯まずに敵の頭部目掛けて剣を振り下ろそうとする。
「あっ……」
死ぬ瞬間、彼はそのように呟いた。気づいたのだ。左右に分かれていた両手斧の真ん中に、わざわざ足を踏み入れてしまったという事、敵がまた後ろへ下がったという事、そして左右で抱擁するように動く両手斧の存在だ。
「ぐぉご!」
彼の頭部と肩に斧の刃先が刺さった。最期の抵抗か、彼は盾と剣を両側に出して攻撃を受け止めようとしたが、その装備ごと粉砕されてしまった。盾は砕かれ、剣は折られる。そうしてある程度は威力が軽減されたのか、敵が狙った位置より少しずれた。どちにせよ、彼が致命傷を受けて死ぬ事に変わりはなかった。
そうしてあっという間に前列の三人が殺されてしまい、私達には隙ができた。敵はそれを見逃さず、二列目の弩兵に切りかかっていく。私は咄嗟に男の頭部へ照準を合わせて引き金を引いた。矢は命中したものの、男の頬を貫通して顎を破壊しただけにとどまった。赤黒い骨の欠片がどこかへ飛んで行く。普通の人間であれば尋常でない痛みによって戦闘不能になるはずだが、目の前の狂人が止まる事はなかった。痛みなど、どこかに落としてしまった、と言わんばかりに突撃してくる。
二列目の部下達も剣を抜いて接近戦を試みようとするが、間に合いそうにない。
「らあああ!」
その時、敵を挟んで私の反対側にいたカラシャが曲刀を勢い良く振り下ろした。雷の一閃のような速度で、振り下ろされた攻撃は敵を倒すかと思われたが、男は読んでいたかのように態勢を変えて、カラシャの攻撃を片手で受け止める。曲刀と両手斧がぶつかり合い、鈍い金属音が響いた。私はその時、始めて男の顔が見えた。目は完全に充血しており、瞳孔部分だけは濁った白色になっている。さらに顔中が傷だらけで、肉を抉った痛々しい跡がはっきりと見えた。
しかし男は笑顔だった。
両手による刀剣の振りは防がれ、男は片手で足りる攻撃だと嘲笑するような顔でカラシャを見ていた。そしてもう一方の両手斧が動き出す。私は弩を捨てて、走り出していた。短剣を抜き、逆手に持ち替える。そしてその勢いのまま、男が今振り下ろさんとしている両手斧、その持ち手目掛けて切りつけた。
「あががあああー!」
男は吠えた。狂暴な獣が猟師の弓矢に倒れる時、あるいは墓守の刃物で滅多刺しにされるような声を出した。私は男の片手の指を全て切り落としてやったのだ。五本の肉片がポロポロと落ちていく。私はその中の一つに指輪が嵌めてあるのを見た。どこかで見たことのある指輪だった。しかし今の私に記憶を呼び起こす暇などありはしなかった。
男が両手斧を落とし、私は次に男の首目掛けて短剣を差し込もうとする。男は怒り狂ったようにカラシャを跳ねのけて、残った一方の両手斧を私に向けた。
「おらああああ!」
その時、腕を切り落とされたはずの二人が加勢に入って来た。一人が振り下ろされる両手斧を攻撃して起動を逸らし、斧は床に叩き付けられた。もう一人がその腕を足で踏み、渾身の一撃で切り落とす。
「おら! やり返してやったぞ!」
二人の活躍によって男は屈むように態勢を崩した。もはや両手斧を扱う事は出来ない。私は男の首元に短剣を突き刺す。それから何度も何度も突き刺し、そして最後の一撃と言わんばかりに男の充血した目を抉るように刺した。手首を回すように動かしてトドメを刺そうとするも、男はまだ激しく息をしていた。鼻と口の熱い息が私の腕にかかる。
態勢を立て直したカラシャや前列の二人、二列目の人員が男の身体にこれでもかと剣を突き立てる。そうして段々、男の獣のような息遣いは消えていった。




