65 処刑者と侵入者
黒の斑点がついている灰色の石床に、真っ赤な血が広がっていく。その光景を見て、前にラーサ院長と一緒に食べた果物を思い出した。彼女がどこからか貰ってきたもので、赤く大きな果実だった。私は何日も虫しか食べておらず、それを口に入れて空腹を満たしたいと思った。そうして慌てて果物にかじりつくと、硬い皮が私の歯を拒んだが、私はそれを気にせず懸命にかじり続けた。すると口の中に甘酸っぱい汁と果肉がこれでもかと溢れ、ついには口の外に出てしまった。その時の汁の勢いは、出口を締め付けられたホースのように強力だった。
目の前には、ゴロゴロと果物のように転がっていく人間の頭部、その傷口から溢れ出てくる血しぶきが見え、それらが繋がっていたはずの胴体には無数の弓矢が刺さっている。
「いや、でもどっちかというとラーサ院長の手料理に近い感じが……」
「ハイエナ様?」
目の前の死体を片付けている部下が不思議そうに私の名前を言った。
「あ、何でしょうか?」
「いえ、こいつらの死体はどうするかお聞きしたいんです。」
そう言って部下は持っていた剣で死体の顔をつついた。鎖帷子と剣が擦れ、金属音が鳴る。それら二体は先ほどまで話していた案内人だ。なぜ味方を殺したのか、彼らと共に螺旋階段を降りている時、私は違和感を感じた。
彼らが身に着けていた鎖帷子の中から緩衝材の分厚い布鎧がはみ出ていた。丈が合っておらず不格好な装備の仕方であるため私は指摘するべきかと思ったが、思いとどまった。その代わり彼らに
「そういえば、今朝の朝食は美味しかったですね。」
と言った。すると彼らは
「うまかった。」
と答えたのだ。だが、今朝私達を含めた傭兵部隊は何も食べていなかった。数日前、教会から朝食を控えるように厳命されていたのだ。一応は教会に属する傭兵部隊であるため、教会の教えである朝食の禁止に配慮する必要があった。しかし現実的に考えれば前線で働く傭兵にとって食事は何より大切なものだろう。
おそらくは遺跡周辺に集まって来た民衆と商人への宗教的示威、あるいは跡片付けの効率性を重視したのかもしれない。前者は教会の人気取りのための民衆へのパフォーマンスだ。野蛮な傭兵部隊ですら教会の教えを従順に守っているという事を知らしめる。逆に私達が教えに背いているところを大勢に認知されれば、教会の支配力に疑問を持たれる事になる。弱者への思いやりに溢れる教会、影響力のある強い教会、それらのイメージを死守したいはずだ。
もしくは後者の通り、胃袋に食事が詰まったまま死なれると片付けが大変だからという最もな考えの可能性もある。ともかく、私はその回答を聞いて弩で彼らを殺した。その後、念のために首を切り落としたが、普通に刺すだけでよかったと自分の服についた血を見て後悔している。
「ああ、そうですね。うーん、死体は放置すると酷いですからね。出来れば上まで持って行きたいんですが……」
「そんな悠長な事はしてられないだろ?」
「その通りですカラシャ、死体運びのために人員は分割できないし、かといってここに放置すると腐って疫病の元になるかもしれない。どうしましょうか。」
私は自分の額に手を当てて考え込む。地下遺跡というこの密閉空間での伝染病はなんとしても避けたい。
「おお、こいつ良い靴履いてるぞ。もらい!」
「あ、ずるいぞ! なら俺はこっちの短剣貰うからな!」
部下達は殺した盗賊の残党から装備品をはぎ取っている。もっとも、先行した傭兵部隊の装備品を盗賊が身につけている可能性もあるが、私はそれよりも死体の処分が気がかりだ。
「おお、ハイエナの教育が護衛兵たちにもしっかりと届いているな。」
「カラシャ……」
「すまんすまん。ちょっとからかっただけだよ。それよりも、そんなに死体の事は気にしなくていいと思うぞ。」
「というと?」
「この地下遺跡はとてつもなく冷えてる。まあ文字通り地下にあるからだが、そのおかげで死体の腐敗はそこそこ遅れると思うぞ。少なくとも俺たちの心配をして、あの変人司教代理が後続部隊を突入させるまでは持つさ。」
「確かに、ここはよく冷えてます。」
「ああ、ここに酒樽を運び込んで冷やしておきたいくらいだよ。俺地上に出たら、次は防寒具持って来るんだ。」
「ふふっ、出られたら……ですけどね。」
「うるせー、縁起でもない事言うんじゃない。」
カラシャはツンッと私の腰を肘でついた。褐色の戦士はあまり怖気づいているようには見えないが、この寒さだというのに額に一滴の汗が滴っている。
「ほらほら、死体漁りはそのくらいにして、片付けをお願いします。すぐに探索に戻りますよ。」
私が手を鳴らしながらそのように言うと、部下はにやけた笑みを止めて手際よく死体を処理した。装備品を全て剝ぎ取った後、血と内臓で鎧が汚れないよう死体に麻袋を被せ、それを通路の脇に置く。そして彼らは隊列を組み直し、私の前に整列する。
「前進。」
部隊は再び前進する。未だに松明が灯る通路の奥へと進んでいく。
「ハイエナ、今更だがあいつら殺してよかったのか?」
「いいんですよ。不穏分子は殺すに限ります。私が今この場所で信頼できるのは、ここにいる面々だけです。仮に彼らが本当に先行した傭兵部隊だったとしても、どうせ消耗前提の使い捨て部隊ですからね。まあ、私達が彼らと同じようにならないよう、私は努力しますよ。」
「そうか。」
カラシャは軽く返事し、黙った。普段の彼なら行動中に話したりなどしない。常に周りを警戒しているはずだが、それだけ動揺している証拠だ。
私は歩きながら考えていた。あの二人が本当に盗賊だったとして、何故あそこで待機しており、私達を案内しようとしたのかという事だ。先行した部隊は彼らを見つけられなかったのだろうか。もしくは、待ち伏せによって部隊が壊滅したのだろう。私は先ほどの彼らの目的が、部隊間の分断であり、まだ先遣隊が残っている事を望んだ。
それにしても、盗賊はもはやまともな戦力が残っているとは思えない。この遺跡で多少抵抗するより降伏した方が良いとは考えないのだろう。もしかすると、あの連射できる弩のようにまだ何か秘密兵器を持っているのかもしれない。あるいは、ここに何かがあるのか。不明な事ばかりだ。
何歩歩いた事だろうか。幅三十歩ほどの石造りの通路は確実に私達の不安を煽り、士気を落しに来ている。いつまでも続く薄暗い通路は、古代帝国の建造技術の栄光を感じさせると同時に、何のためにこの合理性を欠くような、長く忌々しい通路を作ったのかと考える。ただ私は自分が侵入者である事を思い出した。私達は盗賊の追撃のためにここにいる。入口を燃やし、綺麗な遺跡を汚い靴で汚している。古代の亡霊が怒りに任せて私達を殺しに来そうな状況ではある。
もしくはこの帝国遺跡が軍事目的で作られたものだとしたら、私達はまんまとその胃袋の中へと進んでいるのかもしれない。帝国全盛期、帝国軍の精鋭達は敵城を落とすために城を作ったという。その時、魔法や物理学等の多岐に渡る土木技術によってあらゆる罠を用意したと、ニセノルトは言っていた。
その罠について考えた時、私は思わず身震いした。正体の分からない嫌悪感が、心の底から蘇った感覚だ。そして私の拙い想像力が、多少なりとも働いたのだ。自分の死に顔というのは、間違っても想像するものではない。
「ハイエナ。」
「何ですカラシャ?」
「何かがおかしい。一旦戻るか、休息するべきだ。」
「全体、止まれ!」
私の合図で部隊は脚を止めた。それから部下達が半分に分かれて前後に展開し、安全領域を確保する。行動を終えると、松明の燃える音を残して辺りは静寂に包まれる。次に、私は口を開いた。
「おかしい、とは?」
「お前も分かるだろう。あまりに通路が長すぎる。何百、いや何千、何万歩進んだ? たかが通路でこんなに長いはずがあるか。途中には何もない。ただ同じような通路な延々と続いているだけだ。」
「古代帝国の土木技術の凄さが伝わって来ますね。」
「ああ、それは確かにすごいがな。あまりに不可解すぎる。物理的に可能なのか?」
「それは……確かに不可解です。まるで狐に化かされたようだ。」
「きつね? なんだそれは……ともかく、一度態勢を立て直すべきだろう。」
私は彼の提案に思わず顔をしかめた。しかし部下達の方を見て、考えを改める。彼らはだいぶ疲れているようで、荒い息遣いや汗をかいているのが分かった。感覚的に、私達が歩いた距離は一日の行軍訓練と同じほどだ。疲労の蓄積は無視できない。そして彼のいう通り、絶対にこの通路はおかしい。兵たちもその事は当然分かっているようで精神的に参っているはずだ。
「分かりました。一度休息を取りましょう。全体広がって班ごとに休息、交代で前後の見張りをするように。」
心なしか、部下達の表情が和らいだ気がした。




