60 待機と関心
味方弓兵が盗賊の砦へ攻撃をしかけている間に、攻城兵器は着々と組み立てられていた。教会の技術者達は時間をかけずに設置場所を決め、そこに人員と資源を惜しみ無く投入した。シュパレーから連れてこられた労働者が肉体を酷使し、その横にて技術者達は涼しい顔で話し合っている。並べられた資材に目を向けると水車ほどの大きさの歯車があり、横には大きな縦長い木板やチーズの切れ端のような形の木造物が横たわっている。
どの資材も綺麗な形をしており、そこらへんの一般家庭の建材より丁寧に設計、製造されたのだろうと一目でわかる。もし建材として目の前のものを買いとった場合、金貨が大量に飛ぶ事になるかもしれない。それほどまでに教会が用意した攻城兵器は質が桁違いであり、また私はそれらのきっちりとした材質管理から技術者達が数学を用いたのだろうと理解した。
この大陸において文字を書ける者は少ないが、数学ができる者はもっと少ない。一昔前ではその身を学問に捧げる者達、その中でもより偏屈な者が人間性を捨て去りながら、薄暗い部屋の奥でひたすら孤独に探究する。この世界において数学とはそのような分野であった。かつて数学者とはこの世界の真理を追い求め、全ての尊敬を一身に浴びていた。やがて都市国家連合から帝国へと覇権が移ったように、数学者は帝国末期には重要視されていなかった。
それが近年では徐々に変化が訪れている。混乱の時代から人々が覚め、権力者達は軍備を固める。ひたすら影響力拡大のための戦乱を繰り返す諸侯とその世俗的な行為とは無縁だったはずの学者達は自身の研究を続け、発展させるための資金と引き換えに多くの知識を世俗領主へと提供した。
学者は研究者から軍事技術者へ、都市の城壁は木造から石造りへと変化し、それは武器や防具にも波及した。熟練鍛治屋の職人業は数字によって数ヶ月の弟子に習得され、既得権益を守りたい商人は焦り始める。そこへ領主の手が加わり、その手を掴むために商人と職人は争い合う。その変化を喜んだのは学ぶ意欲のある新人と出納係、一部の権力者達だ。
技術革新による戦争の変化、その絞り滓から経済が変化し、世界の有り様に大きな影響を及ぼす。私はその状況をどこかで経験し、覚えていたはずだ。今となっては夢の奥底にしか存在しない。
一斉に放たれた弓矢が敵陣地へ向かっていく。私の目にはそれがゆっくりと見え、その矢じりが泥にまみれているところまで肉眼ではっきり捉えた。無数の弓矢が空から雹のように降ってくる。敵も負けじと矢を放ち、互いの矢が空中で交差する。そして双方の弓兵隊は同時に遮蔽物へ隠れ、遅れた何人かが悲鳴をあげる。ここではそのような状況が毎日続いている。
「待機時間、流石に長いな。」
私はそよ風の心地よい草原で仰向けになりながら、戦場を横目に身体を休ませていた。普通なら命令があるまで臨戦態勢を取り、陣地後方の天幕にいるべきだ。もしくは負傷者の看護や戦闘時の詳細な計画を部下達と話し合わなければならない。しかし私は横で気持ち良さそうに横になっている友人同様、南スラーフの自然を満喫している。
「仕方ないよ。攻城兵器の完成に2週間以上かかって、しかもそれから数日間は敵に消耗戦を強いるんだから......今のうちに体力を温存しとけって事でしょ。」
マカは目を瞑りながら若干眠たそうな声でそう言う。私は彼の顔を見るが、瞼と長いまつげに閉ざされ、緑色の瞳を見れない事に少し不満だ。何故か私は昔から彼の綺麗な目に惹かれている。気づけば彼の目を見ていて、それが無意識的にいかなる時も発生する。基本的に私は話す時に人の目を見るが、彼に対しては何気ない日常で見てしまう。自分でも理由は分からない。
「そうかもな、しかし一応ここは戦闘地域で、自分がこんなに寛いでいいのかと不安になってしまう。もっと作戦について話し合うべきだとか、物資の搬入や訓練をするべきではないかと考えてしまうんだ。」
「でも、ニセノルトさんから草原に寝ころんで休めって具体的に言われてるんでしょう?」
「ああ、その通りだ。」
ニセノルトは交代で傭兵部隊に休息を取らせながら敵砦へ弓矢を鋳掛け続けている。もっとも、それらのほとんどは耐久に難の来ている弓矢ばかりで、粗悪品による散発的な一斉射撃ばかり行っている。また、城壁から顔を出した敵に対して、熟練弓兵が獲物を待つ狩人のように目を光らせており、これによって敵はいつ来るか分からない攻撃に神経を割きながら、その様子を伺う事も困難になっている。彼は消費するべき粗悪な弓矢を敵の安眠と引き換えに押し付け、費用対効果という面で勝負に出ている。
そしてそんな経営的な司教代理人は麻袋を被った芸術家と和気あいあいしつつ、私と配下の部隊にほとんど仕事を与えなかった。代わりに彼は優秀な狙撃手を各部隊ごとに一人提供するよう言ってきた。志願しようとした私をマカが止め、代わりに彼が狙撃手の任務に着いた。しかし彼はあまりにも優秀過ぎたため、城壁から顔を出す盗賊は皆無となった。
「はやく僕の番来ないかなぁ。」
「ニセノルトが、マカの狙撃は正確すぎて敵が顔を出さなくなるから使いにくいって......それで敵が完全に顔出さなくなって、敵弓兵をちまちま削れないと言ってたな。」
それを言った途端彼は目を見開き、勢いよく身体を起こした。
「それじゃあ、もう僕は敵を狙撃できないの!?」
「かもしれん。」
「はあ、そんな。もっと盗賊狙撃したい。」
「そんなに良いものかね、お前は目が良いから敵の顔なんかよく見えてしまうだろう。その、いくら敵とはいえ人間を殺した罪悪感とか感じないのか?」
「うーん、まあ無くはないけど、別に慣れたから良いかな。それよりも矢が当たったっていう快感の方が強いかも。前までは吐いてたんだけどね。それにほら、前にエートルの農村で戦った時、僕と同じぐらいの子が敵側にいて、こっちの人間を殺そうとしてた。その時に罪悪感で引き金を引けなかったから、死ぬべきじゃなかった仲間が1人死んじゃたんだ。だから罪悪感は持つべきじゃないって思ったんだ。」
マカは自虐的に自分の苦い体験を笑い飛ばした。ここは彼の成長を喜ぶべきだろうか、それとも自分が彼に比べて未だに人殺しを慣れていない点に落胆するべきかもしれない。何年も何人も人を殺しを続けても、最初の頃に味わった罪悪感は拭えない。それを一時的に打ち消す事ができるのは忠誠心だけだ。それは酔いと言うべきかもしれない。
「しかし何でニセノルトさんは部隊を突撃させないのかな。敵がこっちの狙撃を警戒して顔を出さないなら、絶好の攻め時だと思うけど......数はこっちが有利だよ?」
「それはたぶん、彼の経営的な面が強いのかもしれん。何があるか分からないところに安易に突撃は敢行できないし、地道だが確実な方法を取りたいんだろう。それに敵の連弩は健在だからな。十分な投射力の前に歩兵の突撃は無駄だよ。」
「そっか、そういえば連弩があったね。あれ城壁の隙間から射って来るから狙撃できないんだよね。三方向の同時突撃にも対応してたから個人で携帯できる連弩だと思うけど、凄い技術だよ。」
弩は通常の弓に比べて射程は劣るが、こちらが接近すれば並みの盾を貫通し人を殺せる。それが連射できる場合、歩兵単独での突撃は大きな損害を覚悟しなければならない。
こちら側がとれる確実な方法とは攻城兵器と火壺によって城壁と敵弓兵を焼き払って穴を開け、向こう側が混乱している間に突撃する事だろう。そうすれば敵の投てきに攻撃される事なく砦へ侵入できる。場合によっては一方的な火攻めで敵と戦わずに済むかもしれない。
「そろそろ日が傾いてきた。」
「じゃあ食事の用意しに行こうか。今日は僕が作るよ。」
「一流料理人の今日の献立は?」
「さっきそこら辺で採ってきた山菜と今朝がた僕と狩人の皆で仕留めた獣肉の合わせ汁物、それと教会の支給品だね。」
「出来れば前者を食べたいな。」
私は身体を起こすと着いていた草の切れ端を手で払う。マカが私の背中を軽く叩くよう綺麗にしてから、私も彼の背中を綺麗にした。そして楽しそうに料理について話す友人の目を見ながら、緩い傾斜の丘を下って行った。
少し高い丘の砦に見えるのは、ぼんやりとしたごく少数の灯りが内部を移動している様子だけだ。その下では明るい包囲陣からもうもうと夕煙が立ち込めている。墓守や夜番の傭兵達が敵を監視する中、大半の者は人生で数少ない楽しみである食事をゆっくりと取っていた。
これから仕事仲間となる者達と顔合せ程度の交流はするべきだと判断し、私と部隊は他の傭兵団と夜の食事を共にしている。初めは互いに固い雰囲気があったが、多少の酒が入るうちに段々気が抜けて最後には鍋を囲みながら互いに肩を組んでいた。
それでも戦場にいるという意識はしっかりあるため必要以上に酒は飲んでいない。全員が水分補給として少ない酒をちびちび飲んでいる。傭兵にとって酒を好きなように飲めないのは精神的に良くない事だが、今はそれ以上に目の前の食事が彼らを惹き付けていた。
「おお、この汁物旨いな。」
「肉汁がたまらん。山菜も十分旨い。」
「まさか戦場でちゃんとした肉料理が食えるなんてな。」
どうやらマカの料理は好評なようで、他の傭兵達は犬の群れの食事のように誰かに取られまいと器の中身を掻き込んでいる。対して部下達はいつもどおりの表情で楽しそうにしている。私はカラシャと今日の戦闘について話し合っていた。
「どうやら敵に近づき過ぎた部隊が壊滅したらしい。接近戦に持ち込まれたようで被害は30人程度だ。部隊の指揮官は敵も同じぐらい殺したとニセノルトに直訴してるけど相手にされてないな。」
「へえ、それで敵は小競り合いの後に砦へ撤退したんですか?」
「いや、何人かの盗賊は接近戦を避けて後方の攻城陣地を狙う素振りを見せたようだ。ただ戦闘が長くは続かなかったから本当に素振りだけだがな。」
「敵も何とかして攻城兵器の完成を止めたいようですね。まあ気持ちは分かりますよ。あれが完成したら自分達の兵器が届かない距離から一方的に攻撃されますからね。」
「盗賊どもの兵器じゃ、射程足りないからな。そりゃ怖いか。しかし教会は新型の攻城兵器まで用意して、金かけてるな!」
そう言いながらカラシャは杯の果実酒を飲み干す。彼は自分で作った酒がお気に入りなようで戦場にまで持ち込んでおり、それが他の傭兵団との良き交流材料となっている。やはり酒を飲むという交流の仕方は人を繋げやすいのかもしれない。
「飲んでるか、お前さんたち!」
突然後ろから大柄な傭兵が酒を片手に話しかけてきた。よく見れば彼はニセノルトとの作戦会議にいた部隊長だ。
「どうも、適度に飲んでますよ。」
「それが良い。それが傭兵ってもんだ。酒や旨い飯、女も大切だが、何よりそれらに集中しすぎて戦争ができなくなるのは辛い。一番辛いのは金を貰えない事だがな。」
「確かにその通りです。でもその場合、楽しい略奪の時間が貴方達を待っているでしょう?」
「まったくその通りだ。略奪は人生で最高の時間よ。しかし教会と常時契約してるからどんなお高くとまった野郎かと思えば、こうやって交流してみると立派な傭兵団と団長じゃねーか。」
傭兵隊長の濃い髭が焚き火に照らされ、酒で濡れていた。彼は仕事中だから節度を守って飲んでいると言ったが、実際は飲み過ぎてたいぶ酔っているのではないだろうか。もしこの陽気な態度が素面であるなら、天幕での作戦会議では相当苛ついていたのだろう。
「褒めているんですか、それ?」
「あったりめーよハイエナ隊長。お前さんは立派な男だよぉ、年齢を聞いた時は驚いたが、まさか俺の子供と同い年の癖に見た目はもう成人だなぁ。そっちの美人さんも、男じゃなきゃここにいる傭兵達が襲ってたかもしれん。」
「いやぁ嬉しいよ、おじさん。襲うかもしれない宣言以外は......」
マカは傭兵隊長の言葉を流すように笑いながら杯の酒を仰いでいる。いつもより上機嫌そうに飲んでいる友人はより人懐っこい表情を浮かべている。
「ははは、安心しろよ少年。ここにいる奴らの大半は子供がいるんだ。まあ娼婦との子供だがな。だから娘とか息子ぐらいの年頃の奴を襲う奴はいねぇ。まあ一部にはそういう奴もいるかもしれないし、もしかすると男好きの傭兵もいるかもしれねぇ。用心に越した事はないぜ。それにお前さんが作ってくれたこの飯旨いからな、こいつが食えなくなるのは他の奴らも望んでないだろう。」
「おうとも!」
「その通りだぜ隊長、この飯は旨い!」
傭兵隊長はマカの料理を称賛しながら喉に流し込むように食べ、周りの傭兵達は彼に賛同している。まるで狼が仲間に、狩りで得た肉をとられまいと早食いするように品はないが、その豪快な食べっぷりは見る者の食欲をそそるようだ。きっとこの傭兵達はこの隊長にかなり影響されているのだろう。
「うっぷ......」
「大丈夫か、マカ?」
気づけばマカは前屈みになりながら気持ち悪そうに口を押さえていた。いつも以上に酒を飲み過ぎたのだろう。
「うん、大丈夫。なんか具合悪いかも。」
「そりゃきっと一部の奴がお前のケツを狙ってるんだろう。しかしまあお前さんらは凄いよ。教会の連中から支給される飯も粥か野菜汁ばっかりだし、朝飯も許されない。けどお前さんの弓兵のおかげで食卓に肉が並んだぜ。ありがとうな!」
隊長は豪快に笑って酒を飲む。彼の称賛に元狩人の弓兵たちも満足そうにしている。彼は思った事がすぐ口に出る裏表のない人物だろう。しかし傭兵にしては多少なりは市民に近い倫理観かもしれない。
私はそう考えながら、マカに肩を貸す。
「ごめんハイエナ。」
「大丈夫だマカ。カラシャ、彼を天幕まで連れていくから後は頼みます。」
「おう、こいつらと楽しく飲んでるぜ。そういえばフォルンツは?」
「彼ならずっとニセノルト殿と話してますよ。食事も取らないで、よほど馬が合うんでしょうね。」
天幕に到着すると、私はマカの身体を毛皮の寝床へ下ろし一息つく。彼の顔を見るが吐きそうにはなっておらず、先ほどよりも安らかに見える。
念のため貴重な飲み水を持って来る。近くには麻袋を用意し、もしもの時の備えをした。その袋をよく見ると二つの穴が空いており、それらは被った時にちょうど目にくる位置だ。私は気にせず、横を向いて休むマカの側に置いた。
「ハイエナ、飲み過ぎてごめんね。ありがとう。」
「大丈夫だ。狙撃でも料理でもマカは役に立ってくれたからな。だがちょっとだけ気を付けてくれよ。」
「うん、ハイエナ頼みがあるんだけど。」
「なんだ?」
「今夜は......いや、戦場にいる間はここで一緒に寝ない?」
「なんでだ。もしかしてあの傭兵が言ってた事を気にしているのか?」
「うん、まあそれもあるけど。今の場合だと吐いた時人がいると助かるからね。あと、その......」
マカは苦笑いしながら何か言いづらそうにしている。何か後ろめたい事でもあるのだろうか。しかし言いづらそうな彼を見ていると問い詰める気は起きない。
「分かった。何も言わなくて良い。昔の孤児院とそう変わらない。いつも一緒に寝てたからな。あとこの水を飲め。」
「ありがとう、やっぱりハイエナは優しいね。」
「部下と友人の要望には出来るだけ答える。あと、お前もしかして幽霊とか気にする人間か?」
「そんなんじゃないよ。」
しばらく私はマカと話していた。もしかすると、彼と話している最中は誰よりもここが戦場だと言う事を忘れていたかもしれない。私は彼との交流を心の底から楽しんでいるのだろうか。いや、きっと楽しいはずだ。
今、私は彼の側にいる事が何より重要だと思っている。敵が夜の闇に紛れて逆襲してきた場合、彼だけでも守る必要があるのだ。彼が死んでしまうとラーサ院長は悲しむだろう。
私にとって、自分の生存よりもマカの命の方が忠誠を示すために重要なのだ。




