57 馬と人
黒緑の布鎧を身に纏う三十人余りの兵士達とその飼い主が数台の粗末な荷台を、これまた輸送には不向きな山岳馬に引かせて商業都市シュパレーへ続く街道を進んでいる。行軍中には着心地の良い布鎧を使用し、準備期間のある戦闘時に鎖鎧を着用する。これで兵士の負担はかなり軽減できるだろう。
私は山岳馬の横を歩きながら、ゆっくりと息づく馬の目線ほどの高さから頬を撫で、軽く小刻みに首元を叩く。すると彼女は喜んでいるのかこちらに顔を向け、目を細くしながら私の匂いを嗅ぐような仕草をする。
「ハイエナ様は馬がお好きですか?」
馬と触れ合っていると、部下の一人が穏やかな声色でそう聞いてくる。私の記憶が正しければ、彼はエートルで輸送用や軍用問わず馬達を愛でていたはずだ。私は馬に触れ、部下の方を見ながら、よほど馬が好きなのだろうと考えつつ返答する。
「嫌いではありません。馬はこちらが理解を示せば何も文句を言わず働いてくれます。」
「ははは、まあハイエナ様の場合はそう打算的に考えるのも仕方ありませんか。でも何も考えずに動物と触れ合うのも案外悪くはありませんよ。」
「マカはヤタを......狼の子供を持って帰ってきて嬉しそうに育ててますが、何も考えないというのは彼のような感じでしょうか?」
「まあその通りです。マカさんとは動物の話で盛り上がりましたよ。彼はエートルの女たちとよく話していますが、あれらが夢中になる気が分かった気がします。」
マカは誰にでも分け隔てなく接するという点で凄い人間だと思う。そのような部分はラーサ院長か、快活なカラシャの影響かもしれない。そしてその公平さに話の面白さが加わり、まるでフォルンツのような話し方をするようになっている。あの優男風の芸術家が貴婦人に好かれる話し方に特化しているとしたら、マカは皆に好かれる人間だろうか。
「まあ彼は分け隔てありませんからね。そのおかげで歩兵と弓兵の微妙な関係を改善してくれたり、商人と兵士の連携を密にしたりと、かなり貢献してくれてます。しかし疑問なのは、何故私と一緒に来てくれるのでしょうか。確かにエートルの外は刺激が多いかもしれませんが、相応の危険があります。話す能力はあるんだからせめて都市内でいてくれたら安全なんですが、他よりかは金を稼げるからですかね?」
「幼なじみでも分からないのですか、本人に聞いてみてはいかがですか?」
「何度か彼に聞きましたがはぐらかされてますよ。気づいたら別の話になってます。ところで、私達何の話をしていたんでしょうか。」
「ああ、馬の話ですね。しかしこの山岳馬達は通常に比べてゆっくりとしてますね。この分だとだいぶ遅れませんか?」
彼の言う通り、現在私達が遠征の物資輸送に使っている山岳馬はその名前の通り、山岳地帯で用いられる品種であるため平坦や丘陵地帯での運用には微妙なのだ。
山岳馬の特徴として傾斜地帯での移動という点で足腰が太く、しっかりとしているため重い荷物でも難なく運ぶ。また、山岳の過酷な環境に適応したのか、少ない餌で活動でき、鬣も防寒具代わりのように長い。そのような利点の反面、移動速度は遅く、環境の変化に注意を払う必要がある。特に南スラーフの気候は平地と山岳部で違うため鬣を短くしてやる必要がある。
「大丈夫ですよ。荷台には比較的軽い食糧を積んでますし、装備品等の重いものは自分達で運んでいます。それに、再訓練含めて準備に1日もかかっていませんから移動時間を考慮しても間に合います。」
「ですが食糧以外、弓矢や着替え、飲料等の消耗品はどうするのですか?」
「それはシュパレーで補給するつもりです。ある程度貨幣を持って来ました。」
貨幣の利点のひとつは持ち運びやすいという事だ。現物経済では物々交換の輸送に限りがあるが、貨幣経済であればその心配はなくなる。やはり貨幣制度は偉大だと感じるとともに、その複雑さと不足に頭を悩ますばかりだ。
なにせ、私の懐事情はあまり芳しくない。当然といえば当然だが、支出があまりに大き過ぎて武器商売の純利益が霞んでいる。昨日もエートルの金庫からいくらか引き出す際に、商人達からすごく渋い顔をされて気まずくなった。
「はあ、マカには肉を中心にもっと食えと言われましたが、当分は常に腹を空かせる事になりそうですね。」
「ハイエナ様は無理し過ぎですよ。自分より部下の方に食事を回しすぎです。でも貴方は食事量や年齢の割に結構体格良いと思いますよ。1年前と別人だと何人か言っています。それこそ1年後にはカラシャさんと同じぐらいになるかも。」
「ははは、そうなると良いですけどね。」
小休止を挟みつつ、馬に合わせて気長に移動し、五日ほどでシュパレーに到着した。都市の大門にて見知った門番の前で無表情になりながら入る手続きを行った後、憎まれ口を呟いた。通常、感情抜きに衛兵とは良い関係を築くべきだが、今余裕のない私には苛立ちが募っていたのだ。
「やっぱりエートルとは全然規模が違うなぁ、ドーランとカーナぐらい。」
私のそのような悪態を知るか知らずか、マカは呑気に率直な感想を述べている。彼の事を考えると、空気が悪くならないようにわざと呑気な事を言ってくれている可能性もある。彼はよく兵士達が喧嘩に発展しそうな時、和む話で雰囲気を戻そうとしている事が多い。だから私は取り敢えず彼の流れに乗る事にしているのだ。
「なんだそれ?」
「ドーランとカーナ知らないの?本に出てくる巨人ドーランと勇者カーナだよ。前にフォルンツさんが子供達に読み聞かせしてくれたんだ。僕も一緒に聞いたけど面白かったよ。」
「へえ、それは俺も聞いてみたかったな。」
「あとヤタもその場にいたんだよ。子供達に抱えられて一緒に聞いてた。内容は......そりゃ分からないと思うけど。」
「ヤタは孤児院にとって半分ぬいぐるみのようなものだな。まあヤタ自身も元気そうだし、良いとは思う。」
「そうでしょう、そうでしょう。初めてヤタを拾った時は凄く警戒してたのに、今じゃ野生なんてものは消し飛んでるよ。」
「そうだな。ところでそのドーランとカーナってどんな話なんだ?」
私が話題を振った途端に、マカは分かりやすく目の色を変えた。私はそれを見て、物凄く長話になると確信した。
「えっとね、ドーランとカーナっていうのは北スラーフの伝承が元になった話なんだけど、簡単に言うと小さき者が大き者を工夫して倒す話なんだ。ある時巨人のドーランが人間の家々から鉄を取り上げて巨大な剣を作って、どんどん暴力的になっていくんだ。それで圧倒的な力を前に人々は食糧や女達を我慢して差し出す事しか出来なかったんだけど、ある時カーナっていう美少年がその地域に立ち寄って、搾取されている人々のために戦うんだよ。それでカーナは色々な作戦を考えて、でもどれも自分が死ぬ未来しかないと思って諦めかけるんだけど、ある事を思い付くんだ。それは美しい自分が女装してドーランに近づき、暗殺する作戦だったんだ。それで女装して怪しまれずに近づくんだけど、中々隙がなくてかなりカーナは待つことになるんだけど、その間にドーランと交流して何故か気が合っちゃうんだ。いつの間にか情が湧いちゃって殺せなくなり、ドーランもカーナの事を好きになって、結局カーナが本当の事を明かして説得する事になる。心打たれたドーランはどうにか自分を変えようとして努力するんだ。結果として人々に女達や鉄を返して、農業を手伝う事になるんだけどね、まあとにかくそれでめでたし、めでたしとなるんだよ。」
「そ、それは良いお話だな。」
これでも要約している方なのだろうが、マカはまだ話そうとしている。シュパレーに到着した以上、急いで教会へ向かわなければならないが、目の前の美少年に純粋な目で見られると足が動かなくなるのだ。私はこのまま長話しに付き合うしかないと覚悟を決める。
「まあ元ネタの伝承の方は最後にカーナが裏切り者だと男達に凌辱されたあげく、殺されて食糧不足から食べられてしまいます。そしてドーランが怒り狂って皆殺しにした後、自殺するっていう話ですけどね。つまり男色と食、人間の変化のなさを織り混ぜた話という事です。」
「へえ、そうなんだ。やっぱりフォルンツさんは色々と詳しいですね。」
「いやー、マカさんの好奇心には負けますよ。」
なんという事だろうか。私の真横にいつの間にか芸術家が立っており、マカと会話していた。彼には工房の指導を任せていたため私は彼がエートルにいるものだと思っていたが、何故か着いて来ている。そのため横を向いてから言葉を出すのに数秒の誤差が生じてしまった。
「うわぁ、なんでフォルンツ殿がここにいるのですか!」
「やだな、面白そうな感じだからついて来たんですよ。武器工房は弟子達に任せているから大丈夫ですよ。」
私の脳裏に彼の弟子達の泣いてる顔が目に浮かぶ。このような事が日常的である場合、彼らは相当苦労しているだろう。
「いやー、久しぶりにシュパレーへ来ましたが、やっぱりここは賑わってますね。ハイエナ殿、ちょっとお買い物良いですか?」
「ダメですよ。そうやってまた浪費して弟子達が泣く事になりますし、どうせ人妻が目当てでしょう。教会の影響が強いこの街では、あまり問題を起こさないでくださいよ。」
「ほんの少しだけですよ。それにしても...今日はやけに人が多いですね。この前の定期市以上でしょうか。それも、傭兵のような人間が......」
フォルンツの言うように、私もシュパレーの街に違和感を感じた。あまりにも人の数が多く、ところ狭しと通行人がいた。その中でも武装した人間が大多数であり、農民あがりの徴募兵が身に付けるような小汚ない服装ではなく、革鎧や鎖帷子、板金補強された鎧を着用している。そして商人らしき人物と話し合い、物資を受け取っている。彼らは専業傭兵なのだろう。広場には山積みの武器や食糧が置かれ、傭兵達が派閥を組んで街中に待機している。そして、その荒くれどもを威圧するようにシュパレー市民警備隊が大人数で巡回している。その光景はまるで戦争前夜だ。
また多くの鍛冶職人が火入れをしており、酒場や宿屋はどこも傭兵達で溢れかえっている。警備隊以外にも市民の一部が武装して商店に立っており、彼らに守られるように一般市民が道を端を静かに通っている。一方で傭兵達は気楽に振る舞っているようだ。
私は普段のシュパレーと反する雰囲気から、教会人に良くない事を命令されるだろうと心に覚悟する。腹黒い司教がいるはずの教会へと向かうしか選択肢は残されていない。




