閑話4 残党と残党狩り
空が赤黒い枯れ葉のように変わる頃、私は村の男達と共に森の狭い道、その端の茂みに隠れている。肌寒い空気が口元の覆い布を通して吐き出す息を白くさせ、指の先が少しずつ冷たくなっていくのが分かる。顔を隠すための布だが防寒具としても役に立っている。
そのような状況であっても私は仲間の合図待ち続けている。戦いにおける勝機と利益は耐える事だと、そのための準備が必要だと昔の英雄は言った。忍耐と慎重さは戦時に、鍛練と投資は平時に実践するべきであり、その利益は最大限となるという事だ。
「ハイエナ様が好きそうな英雄だな。」
「どうしたラミン?」
私の呟きに隣の村人が不思議そうに訪ねてくる。今この茂みに教官である護衛兵がいたら声を出すなと叱責されるだろう。しかし初めての実戦の緊張から私は喋らずにはいられなかった。というよりは無意識に喋ってしまったのだ。待ち伏せ中に感づかれる行為はあってはならない事だというのについ声を出してしまう。
「いや、すまない。なんでもない。」
私は謝罪だけするとそのまま黙った。私が今いる場所はエートルの北西側に位置するサヴァラ伯爵領だ。サヴァラにはラリカとの戦いで多くの脱走兵や敗走兵が発生している。その大半はラリカの部隊が進軍、巡回している街道を避けて森の中を逃げ回っているのだ。彼らは運が良ければ敵部隊や獣に出会わずにサヴァラへと帰還できる。だがその目論見も私達によって潰える。
一通りの訓練を終えたエートル村落の男達は、私を含めた全員が残党狩りを行って生活費を賄うためにここに来ている。もはや破壊されたエートルの農村に生産力はなく、こうして盗賊紛いの事をしなければ生きていけない。他人に貧しさを押し付けなければ村人全員が死んでしまう。だから私達に選択の余地はなく、ハイエナ様に従うしかないとほとんどの村人が思っている。
私はハイエナ様と取引してから何かと自分に言い聞かせてきた。この行為は私が望んだものでないと、貧困から仕方なくやっているだけに過ぎないと繰り返し心中に思っている。
しかし私達は確かに自分の意思で取引した。ハイエナ様の提案に乗ったのだ。だから確実に私達は悪人となっている。しかし自分が盗賊とは言え村を守るために人を殺したという事実、そしてこれから普通の人間を殺すという未来に言い訳をして納得するしか心の安定を保てない。
案外自分の気持ちとは正直なもので、いくら心中に言い訳をしようが手の震えは止まらず、また勝手に精神安定の言い訳に反論してしまう。私の良心がそうさせているのだろう。
それでもまた次の言い訳を考えている。今から私達が襲うのは兵士であって何の罪もない村人や教会人ではない。人を殺す事で金を得る兵士や、もしかしたら殺人に快楽を見いだした狂人かもしれない。だからこれは善行なのだ。私は正しいと何度も、何度でも言葉が浮かんでくる。そしてそれはほかの村人達も同じなようだ。
その事について護衛兵や弓兵に相談したが、彼らは何も考えなければ良いと言い切って仕事に戻った。彼らは慣れた熟練者かもしれないが、私達は粗末な武器を持った唯の素人なのだ。すぐに割りきれるわけがないと不満を持ちながらも、今か今かと敵を待っている。
「来るぞ、戦闘準備。弓隊は弓矢つがえ。」
別の茂みに隠れている護衛兵が小さく声を出すと同時に、森の奥から橙黄色の松明の光がこちらへ向かってきているのが見えた。
「合図があるまで撃つな。俺と同時に武器を構えろ。」
張り詰めた簡素な指示が私達の緊張感を増大させる。普段は聞き取れるであろう短い言葉が、今は長く聞き取りずらい指示と認識してしまうほどだ。
ぼんやりとした光が徐々に近づいて来ると、茂みの間から相手の姿がはっきりと見えるようになる。戦闘の兵士は普段着に薄い革鎧を身につけた斥候のようだ。その後ろを数人の兵士が疲れ果てた顔で歩いている。
「おい、もうサヴァラ領に入ったか?」
「サヴァラの領土にはとっくに入っている。だが近くの城や街までそれなりの距離だ。用心しろ。」
「もう歩きたくないぜ。最近負け戦ばかりだし、もうこのまま遠くまで逃げてぇよ。あんたもそう思うだろ案内人!」
サヴァラの兵士達は静かに逃げているとは思えないほど大きな声で話し合っているようだ。もしかすると半ば自暴自棄になりかけているのかもしれない。
「私は家族を殺したお前とは違う。サヴァラの都市には家族がいるし、伯爵に忠誠を尽くすために城に戻る。懲罰部隊からはぐれた馬鹿どもが勝手に着いて来てるだけだろう。」
「だってあんたは地理に詳しいだろう。なら着いて行く方が良いじゃねーか。」
どうやら喧嘩腰に叫んでいる男は自分の家族を殺した事があるようだ。それを聞いた私は少し安心した。何の罪のない人間を殺すよりも、まだ罪人を殺す方が心の負担は小さい。しかし同時に私は先頭にいる斥候兵に抵抗感を感じてしまった。
「今だ。動くな!」
茂みに隠れていた護衛兵が味方に合図を出して獲物に忠告する。野外だと言うのに空間を震えさす大声は一瞬サヴァラの兵士達を動揺させ、次に彼らは周りから突然現れた私達に驚愕したようだ。
私と数人の村人、護衛兵や弓兵達がサヴァラ兵の斜め前の左右両側から弓を構える。私達村人の弓は熟練兵のそれと比べれば粗末だが十分使える代物だ。そのすぐ側に簡素な槍を持った村人達が大人数おり、その外側、敵の側面には仲間の弓矢がぎりぎり当たらない位置に投石兵が配置されている。そして全員が布鎧を着用して口元には覆い布をしている。護衛兵も鎖帷子を脱いで身軽になっており、機動力と隠密性を加味した結果の装備だ。
これで数人のサヴァラ兵は元来た道を帰るしか助かる手段は無くなったわけであるが、交渉前にそんな事をすれば弓矢と大粒の石の雨を受ける事になる。先頭の斥候はその事をいち早く理解したようだ。
「クソッ、なんでこんなところに敵の部隊がいるんだ!」
「知らねぇよ。敵部隊じゃなくて盗賊だろ!」
「ああどっちにしろクソだ、おい案内人!何とかしろよ!」
後ろの兵士達は口々に叫んでいる。まるで追い詰められた猫のように怯えながら威嚇している。
「喋るな。いいか、一度しか言わない。武器を置いて装備を全て脱いで裸になれ、そして降伏すれば命は助けてやる。従わない場合は殺す。決断に時間がかかっても殺す。」
威圧感のある低い声で、しかしはっきりと耳を透き通る脅しがサヴァラ兵達を震え上がらせた。あきらかに後ろの者達は動揺しているようだが、斥候は護衛兵を睨み付けている。
「分かった。装備は置いていく。だから助けてくれ。」
斥候以外の兵士が情けない声を出しながら装備を脱いでいく。しかし彼は脅し従うどころか、大声で立ち向かってきた。
「盗賊ごときに指示されるいわれはない!私は誇り高きサヴァラ市民だ。サヴァラ伯爵に忠誠を誓う立派な......」
「放て!」
次の瞬間、護衛兵は激しい号令を下し、他の熟練兵共々つがえていた弓矢をいとも簡単に放った。指示から少し遅れて私や村人達も矢羽から手を離す。
震える弦の音が薄暗い森に響き、ほとんどの弓矢が斥候に命中する。彼に放たれた大多数が脇腹や喉元に当たり、わずかな差で最後一本が彼の目を貫いた。
「ギャッ!」
「ゴッ!」
そして流れ矢が後ろの兵士達に向かって行き、数本が装備を脱いでいた彼らの素肌に命中した。斥候は崩れるように倒れ、半端に矢が刺さった後ろの兵士達はうめき声をあげて崩れるように座り込んだ。
「投石兵放て!」
護衛兵の次の号令が容赦なく下される。負傷したとはいえ、まだ十分に助かる見込みがある兵士達がうずくまった状態で石を投げられる。
拳ほどの大きさの石が投石器から勢いよく投げられ、頭部の肉をえぐり、中から砕けた赤みがかった白いものが見えた。無抵抗のまま矢傷を押さえてこちらに顔を向ける兵士、痛みに耐えかねてうずくまる者、目に石が当たり即死した者、足を負傷してでも逃げようとする者、彼らには石の雨が降り注いだ。高速の石が酷い痣を作り、肉をえぐり、腹の中に食い込む。
「撃ち方やめ!」
そして投石兵が各自三回ほど石を投げたところで、停止の命令が下される。先ほどまで普通に話していた人間達は唯の物言わぬ肉塊となった。肉が落ちた箇所からの出血が酷く、周りを赤土に変えていく。そして所々に肉片が落ちている。まるで乾燥前の干し肉のように赤い。
「諦めて従えば良かったのだ。全員助かっただろうに。」
護衛兵はぼそりと呟いた。
「さあ仕事だ。槍隊は念のため倒れている奴を刺しとけ。弓兵は俺達と周辺の警戒、投石兵は装備品の回収と死体を向こうの馬車に運べ。急げ!」
指示の下、各自が訓練通りに動く。襲撃が始まるまで皆が一様に震えていたのに、いざ本番になれば手足は勝手に動いていた。
私達は護衛兵と共に散開し、周辺を警戒する。資源の回収中に新しい敗走兵や敵部隊が来るかもしれない。一瞬たりとも油断は出来ないのだ。
私が目を凝らしながら警戒していると、指示役の護衛兵が警戒体制のまま近づいてきた。
「そのまま警戒しながら聞け......良くやったラミン、他の者達もだ。」
彼の意外な言葉にその場にいた全員が驚く。しかし各自の役割は継続して果たしながら耳を傾ける。
「正直俺はお前達が攻撃できるとは思っていなかった。恨みのない相手を殺す事は職業軍人でもためらう事がある。だがお前達は少し遅れたが、しっかりと役割を果たした。だから謝罪と礼を言う。」
「そうですか、ありがとうございます。」
「ああ、特にラミン、お前は止まっていたとはいえ緊張した状況でも敵の目玉に弓矢を当てた。ハイエナ様が目をかけるわけだ。期待している。」
そのように励まされ、私はどこか安心感と高揚感を覚えた。訓練という日々の努力が実戦で発揮でき、それを誉められたのだ。しかしその幸福感の中で人を殺した事の罪悪感は少し存在した。だがそれは次第に先の良い感情に塗り替えられていった。
私は隣にいた村の友人に話しかける。どうしても誰かに話す必要があった。
「なあさっきの話だが......」
「なんだラミン?」
「昔の英雄の事だ。彼は確か、挑みを恐れぬ者は死に絶え、恐れる者は生き残るだろうって言ってたな。」
「そうだ、そして良心を恐れぬ者は生き残り、恐れる者は死に絶えるとも言った。」
「そういえば、続きはそうだったな。良心か。」
私は薄暗く血の匂い漂う森の中で、思考を停止していた。考えたくはなかったのだ。




