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残党狩りのハイエナ  作者: マトイ
遺跡編 友のために
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56 要請と準備


 部隊がエートルに帰還してから数日後、休養といえるほどの時間を過ごすことなく、教会からの使者が現れた。馬に乗った墓守は程よい日差しの中で、それなりに汗をかいている。南スラーフ教会の印が刻まれた手紙を私に届け、水と食事、馬の餌を補給してから、また忙しそうに次の目的地へ向かった。


 私はエートルの門から孤児院へと戻り、自分の部屋に入る。外から子供達の遊ぶ声が聞こえ、思わず気が緩むが、手の中の手紙の方へ顔を向けると徐々にそんな気持ちも消え去る。


 蝋封された封書から手紙を取り出し、文章に目を通す。そこには至急全人員を動員、部隊を引き連れてシュパレーの街へ移動し、教会にて関係者と合流せよと達筆に書かれている。しかし読みやすいように簡単な帝国文字を使っているあたり、ポム司教様の優しさが見えなくもないかもしれない。


「全人員の動員?司教様は戦争でも起こすつもりなのかな?」


 突然横から声が聞こえたかと思うと、マカが覗き込むように手紙を見ていた。


「ああマカか、覗き見るなよ。これでも機密文書だぞ。」


 私がそう言うと、マカは私の手から手紙を取り、まじまじと見つめる。


「ごめん、ごめん。でもそれは僕達みたいな傭兵への移動命令でしょう。高位の方々の陰謀とか領土戦争の推移を決めるような戦略文書ではないなら別に問題ないさ。」


 しかし万が一という事もある。大して問題ないと考えて行動した結果、足元をすくわれる事になるかもしれない。だから用心に越した事はないし、それが教育として私に根付いているのだ。


「それに文字を読める人なんてそうそういないから文書である事自体、最高峰の機密性を持ってるさ。」


「いや、お前は文字を読めるし、もう読んだろ。人は口があるから読まれた時点でダメなんだよ。」


「えー、僕の事信用してないのかい?」


 マカは半分笑いながら手紙を返した。彼の言う通り、この大陸に文字を読める人間は多くない。むしろ教会人の一部以外に文字を読める人間が果たしているのだろうか。


 十頭の羊を殺して得られる羊皮紙は四十枚であり、費用対効果という面で恐ろしく悪い。羊一頭を育てるのに農家はとてつもない労力を必要とし、場合によっては人間より家畜の方が大切にされる。さらに羊の皮は紙を作るためだけに必要とされるわけではない。当然他の製品を作るのに優先され、紙の製造が行われない年が続く。そういった理由から本は高く、各地の識字率も低い。


 製紙技術の低さが根本にある中で、言語の壁の崩壊がそれに拍車をかけている。言葉が通じるという事は言葉を学ばなくても良いという事であり、その上大抵の人間は効率的に生きようとする。教会人と大学によって多少なり変化はあったが、やはり口頭契約ばかりが重んじられる。この大陸では紙と筆記を重要視する人間はほとんどいないのだ。


「信用してるさ、誰よりもな。しかし少しでも文字が読めるというのは、やはり大事だな。もしラーサ院長の教育がなければ教会人と繋がれなかったかもしれない。」


「ラーサ院長は良い人だよね。」


「ああ慈悲深き聖女って奴が本当にいるなら、それはラーサ院長の事かもな。しかしどこで彼女は教育を受けたんだろうな。十数年一緒にいるが、何かと秘密の多い人だ。」


「ハイエナ......もしかしてラーサ院長の事好きなの?」


 マカはニヤニヤと笑みを浮かべながらそう言った。それは普段の彼が街のご婦人や娘達と話す時、恋について語る時の笑顔だ。よく彼が家事を手伝いながら彼女達と話している。


「なぜそう思う?」


「だって普通の人は好きな相手の事が気になるでしょう。まあ取り敢えず聞いてみただけさ。」


「好き...とは違うかもしれないな。確かにラーサ院長は美人で優しくてしっかりした女性だ。俺は彼女に恩を感じているし、人間として好きかもしれない。恋愛とは違うな。」


「ふーん、それはまた複雑な気持ちだねぇ。じゃあハイエナはラーサ院長の事どう思ってるの?」


 そのように何気なく言われ、私は熟考した。私のラーサ院長に対する気持ちについて、この世界に産まれてからあまり考えていなかった。ただ習慣のように恩を返すため無意識に行動していただけだ。だから私はなんと言うべきなのだろうか。


 ラーサ院長に対して、私はマカほど気楽に接する事はできない。何故だろうかと考え、またその疑問に対して不思議な懐かしさを感じた。前にも、何かに対して同じように疑問を持ったはずだ。しかし目の前の友人をずっと待たせるわけにはいかない。そして私は頭の中のひとつの考えに納得した。


「そうだな、ラーサ院長は尽くすべき相手、あるいは忠誠を向けるべき相手と言えばいいかな?」


「忠誠心?恋愛感情や家族愛とかじゃないんだね。」


「ああ、たぶん俺は彼女に忠誠を感じているんだと思う。それが俺を形成してるんだろう。誰かに仕えなければ生きていけないからか?」


「へえー、主君と家臣みたいな関係か。」


「お前はどうなんだマカ、ラーサ院長の事好きか?」


 私が恋愛感情の有無を聞いた途端、マカは予想だにしなかったといわんばかりに顔をこちらへ向けた。その驚いた表情にはなんとも可愛らしさがある。


「ええと......その、僕は、ラーサ院長の事好きかな。もちろん、恋愛的な意味で。」


「はは、マカはラーサ院長の事好きなのか。良いじゃないか、しかしまあ友人が年上好きだったとはな。というかお前は年上の女に好かれる奴だしな。」


「ははは、そうかもね。でもねハイエナ、僕にはもう一人好きな人がいるんだよ。」


 彼は誰かを想うような恍惚とした表情でそのように言った。少し潤んだ目が彼の気持ちの高まりを表しているようだ。私は彼の周りにいる魅力的な女性について考える。酒場の看板娘、あの子はこの寂れた街の希望かもしれない。あるいはシャラだろうか、彼女の素晴らしい身体と褐色の健康的な肌はこの街の様々な男を魅了している。もしかすると、交易中に女をつくったのかもしれない。


「そうか、ともかくきっとその人はラーサ院長のように良い女性なんだろうな。しかし二人を同時に好きになるとは、お前もしかして依存体質か?」


「依存体質?」


「ああ、一人の好きな人がいなくなってしまうのが怖いからもう一人を好きになるっていう事だな。二倍の安心感を得られるから一人を好きになるより良いらしい。」


「えー、僕が二人を好きな理由はそんな実利的なものじゃないよ。」


「ははは、まあお前はそうかもしれないな。それに依存は言い換えれば愛情深い、一途って事だからな。」


 間違ってはいないだろう。単体に対する依存は全てにとって有益な存在なのだ。離婚や浮気もなく、ずっと互いに愛していられる。もっとも、教会支配下での離婚は法的に認められていない行為ではあるからほぼ心配の必要はない。逆に複数に対する依存は本人以外の全てにとって無益であり、避けるべき事だろう。


 もしかすると、ラーサ院長に対する感恩奉仕は言い換えれば一種の依存ではないのだろうか。私はきっと誰かに尽くさねば崩壊するだろう。しかしそれは何故だろうか。その事を思い出すと頭痛がする。だから私はとにかく誰かのために奉仕するしかないのだ。


「物は言いようだね。そういえば、僕達何の話をしてたんだっけ?」


「あ、そういえば忘れてた。早く部下達に準備させないとな。休みで気が緩んでないと良いが......」


「じゃあ僕も準備してくるよ、また後でね。」


 マカは私の部屋から出て行った。いつの間にか子供達の声は聞こえなくなり、窓から注がれていた程よい日差しは消え去って、空は雲で覆われていた。


 私はそれを部屋の中から見上げ、ただ何を考えるわけでもなく、ほんの少し空いた自分の口を触っていた。私は何を言っていたのだろうか。







 ただ空を眺めるだけの無駄な時間を過ごした後、私は部下達に命令を下すためエートルの街中へ向かった。まず始めに大人数が賑わう酒場に向かい、酒樽をかかえて夢見心地に骨をしゃぶる兵士達を叩き起こして遠征の準備をさせる。カラシャは酔っていなかったため、彼に護衛兵達を再訓練するように言った。


 カラシャは頷いた後、完全に出来上がっている護衛兵の頭を軽く叩き、その護衛兵は皆から笑われた。そして号令と共に護衛兵は片付けを始める。その切り替えについては流石に元職業軍人だけしっかりしている。


 私の部下は主に護衛兵や元狩人の弓兵、若手の新人商人で構成されているが、兵士達は給金を十分に支払う限り、私の命令に絶対服従であり大抵の事を命令できる。だがその分の維持費が凄い事になっていると商人から忠告を受けているため良い事ばかりではない。そして酒場まで足を運び、実際に維持費の発生を見てみるとその忠告が正しい事が分かる。酒場の亭主は相変わらず笑顔だが、私の顔はしかめっ面だ。


「あ、そうだハイエナに頼みがあるんだ。」


「何ですかカラシャ?」


「実は兵士のひとりが宿に立てこもった。説得してくれないか?」


 カラシャはばつの悪そうな顔でそのように言った。


「はぁ、立てこもりですか。それは戦闘に嫌気が差したとかですかね?」


「いや、俺も聞いてみたが答えてくれなかった。エートルに帰ってからずっとだ。宿に籠ってて食事も食べてない。」


「なぜ報告しなかったんですか?」


 私が少し問い詰めるような口調で言うとカラシャの態度は更に表情に出る。戦場だと鬼のような形相で敵を震え上がらせる彼は普段の業務では腰が引けている。


「いや、その...言い訳がましいかもしれないが、ハイエナとマカは久しぶりの休日だから孤児院で楽しそうにしてたし、商人達は忙しそうだったからどうすれば良いか分からなかった。俺は宴で仲間と楽しく酒は飲めても、繊細な話を聞いたりするのは少し苦手なんだ、他の兵士もな。それにこういうのは半分ぐらいの奴が経験してすぐに治る事だから放置しても大丈夫だと思ったんだ。」


「私も繊細な相手に対しては話しずらいですけどね。フォルンツ殿みたいな大した話術もありませんし...彼に頼めば良かったのでは?」


「あっ!」


 カラシャは気まずそうな表情から一気に納得した顔になった。本当に彼は表情豊かで面白い人間だと、私は無意識に笑ってしまう。


「まあ構いませんよ。貴方はこれから訓練で忙しいだろうし、他に対応できそうな人間もいません。それにどちらかと言えば雇用主にも責任は十分にありますよね。商人達の所へ行った後、説得しに行きます。」


「すまない、助かるよ。」


 カラシャと話し終え、次に私は布鎧工房へ向かう。子供と女達が忙しそうに布鎧の製造と修復作業を行っている。小動物の革から作られた接着剤が中々に嫌な匂いを出し、それを打ち消すための塗料を丁寧に塗っている。完成した接着剤と麻布を交互に重ね合わせていき、分厚く軽量な鎧が徐々に出来上がっていく。


 また、修理でも女達はよく働いている。ラリカやエートルの衛兵隊、その他の顧客が壊した鎧を十分に観察し、縫合や接着する彼女達の様子は十分に職人と言って良いだろう。もし手工業ギルドがこの場面を見たら一部の人間は発狂するかもしれない。もし問い詰められた場合は、女が男達のために屋内で服を縫っているだけ、従来の体系だからギルドの製造に問題はありませんと切り抜けるつもりだ。


 女達が働く建物の横にて、相変わらず商人達は帳簿の確認や収益の計算、遅延していた武器取引の円滑化等、勤勉に働いていたため、更に仕事を任せるのは気が引けた。しかし比較的手の空いている女性たちが商人たちを手伝っているようで、何か良い雰囲気になっている。


「ああハイエナ様。」


「ご苦労様です。貴方達がいてくれるおかげで大助かりですよ。彼女達も男達が頑張っているから私達も努力しようって言って、よく頑張ってくれています。」


「はは、何かと私達の作業も彼女達に支えられていますよ。ところでハイエナ様に報告したい事が二つほどあります。一つは村の男達の大まかな訓練が終わり、すでに北へ向かって数人の護衛兵や弓兵と共に戦場漁りを始めているようです。食糧等の物資を渡しておきました。」


「もう始めているのですね、凄い意欲だ。」


「あのラミンとか言う青年、案外傑物かもしれませんよ。二つ目は、前々から申し上げていましたが、うちの貨幣貯蓄量が予想より遥かに減っています。正直なところ、すでに危険域なので人員は武器取引の方に回していただきたいのですが...。」


 商人の報告に私はうかない顔をした。ポム司教からは全人員を連れて来いとのお達しだ。兵士の数は百人程度だが、その一割をラリカへ提供し、一割をエートルに駐留させている。更に商人いわく半分の人員を取引の護衛に当てたいとの事であるため司教のもとに連れていける手勢は三十名ほどになる。果たしてそれであの底知れぬ司教が許してくれるだろうか。許しなき場合は教会の黒さを知る事になるはずだ。


「遠征の方の人員が足りない。本当に五十人が必要ですか?」


「ええ、武器取引のための馬車が十台に増えましたからむしろ一台あたりの人員は前と比べ、かなり不足しています。そこは熟練の護衛兵にどうにかしてもらいますが、どうしても五十人必要です。」


「そうですか、仕方ありません。ポム司教にどうやって言い訳しましょうか。」


「あの、司教様へ素直に全て話してみては?」


「いえ、素直とは腹黒に取っての餌ですよ。そんな事したら司教と教会に食われます。若干すでに食われている気はしますが...まあ色々と頑張ってみますよ。それじゃ武器取引の方は頼みます。」


「はい、お任せください。」







「ハイエナ様、俺は......」


「ゆっくりで良いから話してください。」


 頭が痛くなるような話を終えて、私は頭を抱えて苦悩している部下の話を宿屋で聞いている。カラシャから頼まれてここまで来たわけだが、当の護衛兵はかなり消耗しているようだ。戦場の日々から帰還して食事すら取っていない事もあるが、どうやら精神的に深い傷を負っていてるようだ。


 扉が開かなかっため蹴破った後、護衛兵に優しく接してどうにか話を聞き出そうとしている。


「はい、話します。その、引きこもった理由は男女関係にありまして、俺には女がいました。昔からの付き合いで一応仲は良かったんです。」


 護衛兵はたどたどしく話す。つまり彼が引きこもった理由は痴情のもつれなのだろうか。しかしそれだけで普段から心身を鍛えている兵士がこのような行動を取るとは考えにくい。そのように思考しながら取り敢えず、私は彼の次の言葉を待ったが、彼はまだ喋るのに抵抗があるようだ。しかしなんとか涙と鼻声を抑えながら口を動かそうとしている。


「それで、エートルに帰還してから彼女に会いに行って......夜に、そうしたら他の男と寝ていたんです。」


「浮気か、ただ夜の商売をしていたっていう可能性はありませんか?」


 彼は首を横に振る。その動きで目の下の涙が床に落ちる。


「いえ、その場で彼女と話をしました。そうしたら言い訳ばかりで、最終的に男が開き直って浮気していたと言いました。それで俺は頭の中が真っ白になって気づいたら剣を抜いていて、出ていこうとしていた男を苦しませて殺しました。」


「はあ......報復したんですか。それで彼女の方は?」


 私が女への決断を聞くと、彼は下を向いてしまった。そして数秒ほど沈黙が続いたが、泣きそうな声で再び喋る。


「殺しました。あれだけ、俺の事好きって言ってた癖に自分の欲望を優先して、他の男と寝るなんて...寝取られが好きな奴はそれなりにいるって、政略結婚ばかりの宮廷だとそういう文化があるって、フォルンツさんは言っていましたが、私には理解できません。害虫は全員死ねば良い、寝取られが好きな奴も含めて......」


「フォルンツ殿、そんな事言ってたんですね。何言ってんだあいつ。」


「ついでに、家族と彼女を拷問してから....それでも気が収まりなかったので刺しまくって、それで....落ち着いたら後悔しました。」


「殺してしまったから?」


「いえ、その......あの屑どもを殺せてスッキリしたのは良いんですが、俺はこれで死刑になるんだろうって、その事を考えたら怖くなりました。」


 彼の発言に私は心底驚いてしまった。戦場で楽しそうに命のやり取りをしている人間が社会から物理的に殺されるのを怖がるのだろうか。いや、戦争にだって法律があり、それが明確でないにしろ結局は社会が認めているのだ。社会に赦されて殺しているからこそ、社会から殺される事に怯えているのかもしれない。


「死刑にはなりませんよ。」


「え?」


 彼は面食らった表情ですっとんきょうな声を出しながらこちらを見る。その変わり様はおそらく誰かの癖が移ったのだろう。


「いや、エートルに慣習法はあっても行政機構による明確な法律はありませんからねぇ。全ては自己責任です。まあ貴方の場合は間男も家族も殺してるから心配ないでしょう。目撃者もいなさそうですし、そもそも法律を行使する行政官がいません。あと衛兵隊は取引相手ですから融通してくれますよ。」


「そうなんですか?」


「そうです。良ければ貴方の不満が消えるまで話を聞きましょうか。そうすれば訓練に参加してまた私のために働いてくれますよね?」


「はい、聞いてください。」


 そこから私はその哀れな護衛兵の長話に付き合った。部下の悩みを解決し、業務に復帰させる事は私にとって重要なのだ。戦闘内外問わず、兵士の心的障害は排除するべきなのだ。それに、現在は多少問題のある兵士であっても能力があれば必要としている。私には人が足りない。


 話の大半は拷問の知識だったため、私は少し賢くなったような気がした。だが針金を鼻に入れるのは流石に気分が悪くなった。

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