55 親友と戦友
私は悪臭が充満する天幕の中で目を覚ました。起き心地はほとんど最悪であり、私の背中が悲鳴を上げた。そうして頭が働かず、身体も重いため再び眠りたいという気持ちが私の脳内を支配しかけるも、私は数分間の睡魔との戦いに見事勝利した。
上半身を起こし辺りを見回す。筋肉質の男達が普段着で雑魚寝しており、私専用であるはずの天幕内は男達の汗と酒の残り香によって奇麗からかけ離れた状態だ。私は何故このような所にいるのか、必死に頭痛を抑え込んで思い出さそうとする。
「ああ、なるほど。」
私の脳内には、昨晩の思い出と共に部下達の弾んだ声が再生された。私が騎士ラーテの天幕から出てきた時、彼らはすでに野営地内の一ヶ所に案内されていた。そこへ私が肩を落としながら歩いて来ると、彼らは慰めるように酒を勧めて来た。そして、夜中だというのに私は部下達と大量の酒を楽しんだのだ。
「うーんハイエナ様、元気出してください。」
部下の一人が寝言を呟く。夢の中まで私を励ます心意気に私は涙を禁じ得ない様子だったが、あまりの混在する匂いに私物を回収して外へと脱出した。
外へ出た私は大きく深呼吸をして新鮮な空気を吸い込み、溜まった空気を吐き出して準備運動をした。彼らは何故あの環境で熟睡できるのか、私は心から尊敬するしかなかった。兵士にとって適応能力の高さこそ賛美されるものだ。
まだ辺りは薄暗い。
軽く運動を続けながら野営地を観察する。私達の部隊の五つある天幕を眠そうに警備している隊員が数人いるが、笛を吹いて起床させる人員が見当たらないのだ。それを不振に思い、彼らの一人に声をかける。
「おはよう、警備ご苦労様です。起床係はどこでしょうか?」
彼は顔を擦りながら挨拶を返した。
「おはようございます、ハイエナ様。たぶん起床係なら娼婦のところです。」
「本当ですか?」
「本当です。ちなみに護衛隊の新人です。」
「そうですか、注意しなければいけないようですね。」
私は心底呆れた。安全な野営地にいるとはいえ、拠点の警備中に許可無く娼婦のところへ行くとは思わなかったのだ。敵が襲撃する可能性もあるが、私はそれよりも素行の悪い傭兵団の近くで気を抜いて欲しくない。
「彼と娼婦は何処に?」
「傭兵団側の物置用の天幕です。」
彼は無表情でそのように言い、私は礼を言ってすぐさまそこへ向かった。傭兵の天幕郡へ向かうと数人の傭兵が焚き火を囲んで談笑していた。
「すいません、私の部隊の兵士を見ていませんか?」
彼らが話を止めてこちらを見る。どうやら酒を楽しんでいたようで、一人を除いた全員が水を差されて不満そうな顔をしているが、しばらく私を見て驚きの表情になる。時間外の飲酒をラーテの従者である私に発見されたという事に焦っているのだろう。
「何だ、正規兵の隊長さんが俺達に用か?」
「へへっ、隊長さんが俺達みたいな人間にそんな口調とは、貴族の末っ子か何かか?」
「もしかして踊りのお誘いか?いいぜ俺達はあんたみたいな貧相な男でもいけるからよお、はっはっはっ......」
彼らは下品に笑い声で挑発する。しかしは私は何も言わずに彼らの目を真っ直ぐに見つめる。
「はあ、冗談の通じない隊長さんだな。こりゃあの坊やも色々と抱え込むわけだ。ああ、あんたの部下はそこのテントにいるよ。だいぶ溜まっていたようだ。音がこっちまで聞こえてきたよ。」
傭兵は半分笑いながら説明してくれた。
「ありがとうございます。」
「俺達は何も関係ない。」
「安心してください、私はラーテ様ほど規律に厳しくありませんから......それに私の部下がそこにいるのにどうして貴方達を罰するのですか?」
「それもそうか、いや残党狩りの隊長さんは話の分かるお人だ!」
傭兵達に再び笑顔が戻る。私は礼を言って教えられたテントへ向かった。ちょうど良い折、私がテントへ着くと同時に部下もテントから満足そうな顔をして出てきた。
「娼婦と楽しんだようですね。」
私は冷たく言い放った。私を見た部下は顔色を変えて震え始めた。
「ハ、ハイエナ様......いえ、私はその......」
彼は弁明の言葉がすぐに出ないようだ。おそらく両親にいかがわしい行為を発見された時の気まずさが彼を襲っているのだろう。彼は下を向き口ごもっている。彼の煮え切らない態度に、私はため息をついて彼に寄っていく。そして彼の肩を掴んで顔を近づけた。
「貴方の気持ちは理解出来ます。隊商護衛は危険で辛い事が多く、傭兵家業はもっと辛い。しかし貴方が寝ている間に盗人や敵が来たらどうするのですか、きっと私達は眠ったまま抵抗できずに死ぬでしょう。それを防ぐために起床係もとい見張りがいるというのに貴方は娼婦と共にいた。」
私は普段通りの口調で話し、彼は私の目を見つめている。
「今貴方は仲間の命を握っています。だから軽率な行動は控えてください。分かりましたか?」
彼はこちらを見ながら泣きそうに言った。
「はい、すみません。」
私は彼が泣くのを見て少し罪悪感を覚えた。だが説教するのに情は必要ない。私は彼に不得手な説教を続ける。
「このくらいで泣くのは......いえ、泣くのも仕方ありませんね。日々あのような流血と死を見て、辛い日々を送っていれば貴方が泣きたい気持ちも、癒しを求める気持ちも分かります。」
「はい......」
彼は少し間をおいて小さく返事を返し、下を向いて涙をぬぐった。私はそれを見て話を続ける。
「貴方も辛いでしょうが、それは皆同じです。人に違いはない、故に贖罪の機会はあるはずです。だから今回は貴方に罰は与えない。だがこれから真面目に義務を果たしてください。貴方達が真面目に働く限り、私は最大限の利益をもってそれに答えるつもりです。」
私は優しい口調で諭すように言った。
「はい!」
彼は顔を引き締め返事をした。
「もう朝日が昇りそうだ......しばらくしてから起床の笛をお願いします。」
「はい!」
私がそう命令を下すと、彼は返事をした後すぐに部隊の天幕の方へ戻って行った。私は彼の走る姿を見つ続けた。部下が失敗しても説教するだけでなく次の仕事を与えた方がいい。死ななければ挽回の機会はいくらでもあるはずだ。
私は説教をした後、近くの切り株に腰をかけた。自分の立場が上でも他人に偉そうな事を言うのは気が引けてしまうもので、私は手汗をかいていた。私は、自分が本当に正しい事を言っているのか後から女々しく迷ってしまう人間なのだ。
「まるで教会の司祭様みたいだね。」
突然後ろから声をかけられた。振り返るとそこにはマカが立っていた。
「マカ、何故......お前も娼婦と寝ていたのか?」
「そうだよ、いけなかったかな、ごめんなさい。」
「いや、彼に説教した理由は任務を怠って仲間を危険に晒したからだ。マカには別に説教しない。」
彼はとても落ち着いた様子だ。彼が商売女を買うなどと、私にとって予想だにしない事が起き、寝起きも相まって酷く混乱した。
「それと、娼婦と寝るのは構わないが性病だけには、気を使ってくれ。病気の温床をつくりたくはない。」
「それについては十分気をつけるよ。それよりも僕の、友人の事を心配しないのかい?」
「えっ......いや、マカの事も心配している。」
「そう、それは良かった。」
彼は嬉しそうにそう言いながら安堵の表情を浮かべた。彼がそのような反応をする中で私は彼の容姿に注目していた。
彼は中性的な美しさを持っており、顔は全体的に整っていて肌も綺麗だ。黒髪はよく手入れしており、目は透き通る宝石のような緑色、故に女性と彼を男と知らぬ男から大変の人気なのだ。私は彼ほどの男であればこのような戦地にて娼婦を抱く必要など無いのと考える。
そうして考察していると、彼は私の視線に気がついたようだ。
「どうしたの?」
彼は微笑みながらそう言った。私は一瞬返答に迷い、しかし一呼吸おいて尋ねた。
「いや、なんで司祭様みたいなんて言ったのかと思ってな。」
私は取り敢えず誤魔化した。
「ああその事かい。少し失礼かもしれないけど、僕はハイエナがいつも利益のために働くから、本当は仲間の事を気にかけていないと思ってたんだ。でもさっき彼に言ってた事が懺悔室の司祭様みたいで、それでその言葉が出たんだ。ハイエナも仲間の事を気遣うんだね。」
彼の言っている事は私にとって聞き逃す事のできないものだ。友人であるマカから見て私は利益のために部下を大切にしない指揮官、つまり強欲な屑と見られているのではないかという事なのだ。
「当たり前だろう。私が商人を続けるのも、こうしてラリカの従者として傭兵家業に従事するのも全ては......」
「誰かのためかい?」
「その通りだ。」
「ふふふ、全部分かっているよ。前にも同じ事を話し合ったじゃないか、忘れてしまったのかい?」
「マカ、お前は時々意地が悪いな。」
「ごめんよ、でもこうしてハイエナをからかうのが面白くて、僕と話してくれる事がね。」
「はあ、本当に茶目っ気のある友人ばかりだ。カラシャ、フォルンツ、お前......ラーテは、少し違うか。」
「ラーテ様とは仲良く見えたけど、後ヒガンやハシャさんとか?」
彼は不思議そうな顔で次々と名前を挙げていく。
しかし私は明確に首を横に振る。彼らは友人ではなく、一時的に利害が一致した商売相手なのだ。場合によっては殺し合う事にもなる。そのような事態が想定されるのだから、私には彼らを友人認定する事はできない。
「そういえば、ハシャさんに北方人を連れてくる約束をしたよね、どうなったんだい?」
「ああそれは、髪を見せた。」
「髪かい?」
「ああ、黒森で銀髪の少女に出会って髪を対価に物資を与えただろう。でもそれ以外で北方人は見かけなかった。だから俺はハシャにそれを見せて、当てはあるから気長に待ってくれと頼んだ。そうしたら彼は、俺には天に住まうお偉方が神罰を下すまで待てる気力があると言っていた。」
「そうなんだ......意外と寛容なのかな。」
マカは驚いた様子だ。私が彼に話す普段のハシャの話は他人に優しくないの事や商売の事が多いためその反応は無理もない。
そして私は何を言うべきか忘れてしまい、口を開けないでいた。
「なんで僕がここにいたと思う?」
マカは唐突にそう言った。マカが何故娼婦と寝ていたのか質問され、私はさらに混乱して見つめ合っているだけだったが、彼はそんな私に構わず話を続けた。
「ハイエナが今一番気になっている事、どうして僕の女癖が悪いのか......」
「フォルンツ程じゃない。」
「ふふふ、彼はまた別種だよ。僕の理由はいたって単純、寂しいからさ。誰かに必要とされたい、愛されたいって心から思っていても、乾いた心が潤い、満たされる事はない。僕は誰かに愛して欲しい。それか、もしくは母さんに...」
彼はそこで口を閉じる。彼が何を言おうとしたのか色々と想像は出来るが、また私は言葉に詰まった。本心か不本心かはともかく、私は友人の打ち明けの適切な対処法を忘れてしまっている。いや、私が口下手で経験のない事だからなのだろうか。
「やっぱりなんでもないよ。」
彼はぎこちない私を見て気まづそうにそう言った。
「お前。」
「もうすぐ夜明けだ、僕は戻って出発の準備をするよ。」
彼はそう言って天幕へ戻って行った。私は友人の本心を聞く機会を逃してしまったと後悔したが、どうにか気持ちを切り替えようとした。それでも何故彼が自分からあのような気持ちを話したのか、それすら私は理解出来ず、またそれに苦悩した。
そうしていると部隊の方から笛の音が聞こえた。
私は急いで立ち上がり自分の天幕へ走った。
野営地内は起床した部下や傭兵達が朝食の準備をしていた。これを教会人が見れば怒りのあまり憤死するかもしれないが、ここに司祭らしき司祭はいないのだ。
その中で今回はマカが汁物を調理しており、味が保証されている事に皆安堵しているようだ。
「ハイエナ様、野菜スープをどうぞ。味見はしてますよ。」
部下が私を気遣って食事を真っ先に渡して来た。この戦乱渦巻く大陸のほとんどの人間は毎日の食べ物があるだけで有難いという価値観なのでこの部下の行動は本当に気遣っていると分かる。
「ああ、ありがとうございます。せっかくですから先に食べさしてもらいます。」
私は笑いながら礼を言ってスープの器を受け取っると、近くの平たい石の上に腰を降ろした。行軍している間で兵士や傭兵にとって一番の楽しみは食事なのだが、私は出来る事ならずっとマカに料理を作ってもらいたいと考えている。それほどまでに彼はその腕を上げているのだ。もし仕事を順調に終え、余裕ができれば真っ先に人員を増やして、マカを料理に専念させねやると心に決めて野菜汁を啜った。
食事を終えた後、部下を一ヶ所に集めようとする。おそらくはこれからの方針についての話し合いだろうと、誰もが思っているようだ。
「4列縦隊で各隊整列せよ!」
私の号令で待機していた部下達が集まった。流石に元正規兵の集まりなので行動も素早い。
「全員注目、この場で言っておくべき事があります。この傭兵家業は今日で一時的に終いです。夕方には私達の愛しき街、エートルへと帰還できる。さらに帰還したら貴方達にとびきりの肉を振る舞う予定です。その後、また新しい仕事に従事してもらいます。それは教会からの厳しい仕事ですが、貴方達ならやり遂げられると信じています。各員励むように、解散!」
私は演説のように話し、激励した。これから帰還の準備が出来ているか確認しに行く。
残された部下達からは歓喜の声があがった。物流や生産が安定しない土地では上質な肉は上位身分がほとんど独占しているため市場への供給が少なく高価だ。
そのため普段からは普段野菜スープとパン生活の庶民にとっては、上質な肉は大変なご馳走なのだ。相応に値は張るが、これで部下の士気があがらないはずがない。これが過酷と予想される仕事の前に、彼らに出来る贈り物なのだ。
私達は野営地を出発して南街道へ入り、不整備の砂利道を進んでいた。途中で昼食を兼ねた昼休憩を挟んで長い道を歩いており、荷馬車三台と数十人の武装した集団であるため街道を行く人々からは毎度驚かれていていた。いくら私達が普段から行儀よく接したところで、傭兵そのものが恐れられない訳ではないと改めて実感した。
しかしそれには前より慣れ、私達はあまり気に留めず別の事に関心を向けていた。昼間の暖かい空気が行軍中の私達を眠らせようとしてくるのだ。私は負けじと自分の頬を両手で叩いた。
「ハイエナ様、こうも眠くてはやってられませんね。」
眠気と闘っていた私に不満を言ったのは後ろにいた弓兵だ。私は振り返り彼を見た。彼の声には覇気が無く、見た目からも疲れている様子だ。
「エートルはもうすぐです。街に着けば上質な肉が食べられるからもう少し頑張りましょうね。」
取り敢えず彼に励ましの言葉をかけた。
「具体的な距離を言ってくださいよ。肉は楽しみですけど歩き過ぎて足が痛いです。」
彼は足を重そうにして訴えた。
「そうですよハイエナ様。俺も足と腰が痛くて死にそうだ。」
別の弓兵も私に身体の疲れを訴えた。それからは弓兵達が自分の疲れ具合を話しあった。
「俺なんて身体中の関節が悲鳴をあげてるよ。本当に疲れた。」
「俺は胃が痛い。なんなら頭も少し痛いんだ。」
「おれは全身が痛いよ。流石に今回の戦争は長いよなぁ......」
彼らは次々に痛みと疲れを言ったが楽しそうに話しているため大丈夫だろう。
「お前ら、会話は体力の無駄な消費だ。これでも飲んで黙ってろ。」
カラシャはそう言って彼らに水の入った革袋を渡した。
「おお!」
「ありがとうございますカラシャ隊長!」
「流石隊長、愛してます。」
彼らは調子に乗ってさらに喋り出した。私は呆れながら彼らを見ていた。この団欒も、長く続かない事を残念に思いながら、せめて教会の仕事が簡単である事を願って空を見上げた。




