54 忠臣と暴君
数日の早馬を経て、私は自分の部隊に復帰した。そしてまた街道を急ぎ、部下達にも強行軍を強いている。向かう先はラリカの陣中、騎士ラーテの軍勢が集う場所だ。こうも南スラーフの土地を北へ南へと駆け回っていると、いつか過労で死ぬのではという考えが常に思い浮かぶ。それでも人間というのは予想以上に頑丈なもので、ある程度の疲労感を越えてしまえば慣れという呪いによって身体強化が為されるのだ。
私の身体もその例に漏れず、なんとか健康を保っている。それでも薬草を使わねば一定の倦怠感が残り、粘りつくような疲れが押し寄せるのだ。私はそれに抗いつつも、いずれ慣れが来るのではないかと期待している。
「はあ......」
「どうしたハイエナ、ため息なんかついて。」
「いえ、ただ慣れとは恐ろしいものだと思いましてね。まるで自分が変わってしまうような気がして不安です。」
「慣れか、俺もこの土地に来た時、慣れない事は沢山あったさ。食事、文化、人間、それでも時間が経って慣れれば全て良いものさ。今じゃ何も問題ない。」
「そうですか、私は身体的に慣れを覚える事はあっても、どうやら精神的には無理なようです。」
「そう気落ちするな。時期に慣れる。」
カラシャは私を励ますように肩を軽く叩いた。彼の言葉は頼もしい限りであるが、それでも他人の言葉である以上私の悩みを完全に晴らす事は出来なかった。
「ハイエナ様、前方にラリカ軍の野営地があります。」
部下のひとりがそのように叫んだ。私はそれからラリカの紋章の入った旗を掲げるように指示を出し、最前列にて部下達の前に出る。
そうしてラリカの野営地の手前に来ると、重装備の兵士に呼び止められる。その警備兵に傭兵証明書を提示し、彼がそれを隅から隅まで確認している間に私は野営地を観察する。
おそらく街道近くの森林から伐採したであろう木材によって野営地周辺には木の杭が打ち付けられている。しかし壁はなく、その代わり野営地は小高い丘に設営されているため敵の侵入を阻むに最適の場所だ。
「ハイエナ殿、お通りください。ラーテ様は中央のテントにて休んでおられます。」
「ありがとうございます。」
問題なく警備を通過し、そのまま野営地の奥へと急ぐ。野営地の内部はテントが無数に立ち並び、中心へ進むに連れてテントの材質が良くなっていく。その光景はまるで教会による浮浪者のための野営地を思い出させるが、雰囲気はまるで違うのだ。
一部のテントからは負傷者の呻く声が聞こえるが、それに交じって男の医者や手伝いの女性の声も聞こえてくる。彼らは苦しそうにする兵士達に優しく呼び掛けているようで、その側で同僚と思わしき兵士が待機している。
また別のテントからは明るく楽しげな声が聞こえてくる。おそらくは酒盛りか、食事をしているのだろう。そしてテントから放たれる香ばしい匂いと同じものが別の方向から漂う。そちらを見ると商人が兵士達に焼いた肉と飲み物を提供し、またその後ろでは鍛治屋が武具の修理を行っているようだ。
あまりの充実した野営地の様子に私は驚愕する。まるで戦場とは思えない光景だ。酒に酔う重装備の兵士、女をテントに連れ込む男達、肥えた豚のような体型になって地面で眠る者など様々な人間がいるが、私にはそれら全てがまっとうな兵士だと到底思えない。
「なんだこの有り様は......」
カラシャや部下達も私と同じ事を考えているようで激しく動揺している。しかし私達は驚きを抑えながらラーテのいるテントへと進んだ。
野営地の中心は比較的静かであり、しかし八方向から外周の喧騒が小さく聞こえてくる。私はラーテのものであろう一番豪華なテントに近づくと、直立不動の警備兵に睨まれる。
「遊撃部隊の隊長、ハイエナです。ラーテ様との面会を希望します。」
発言と同時に証明書を見せ、それを確認した警備兵のひとりがテントに入って行った。しばらくすると警備兵が戻った。
「ハイエナ殿のみ武装解除して入室を許可する、ラーテ様がお待ちだ。」
「どうも。」
私は警備兵に武装を預け、カラシャ達に待機命令を出すとテントの中へと入った。テントに入ると、内部にはまた天幕がありうっすらと人影が見えた。
「ラーテ様。」
「おおハイエナ、来たか。遠慮せずにこっちへ来い。」
その声に従い、私は天幕をくぐり抜けて彼の前に立った。そして彼は裸であった。
顔は少し浅黒くなっていたが、胴体はそれに比べて白く、しかしはち切れそうな筋肉によって、まさに鎧と呼べるほどの代物が誕生していた。さらに彼の身体は全体的に整っており、均整のとれた体躯に相応しき筋肉は彼の魅力を一層高めているようだ。それでいて美しき彼の顔が、彼の弱点など存在し得ないものだと私に認識させるのだ。
「どうしたハイエナ。」
「いえ、その......少し動揺しまして。」
「何を生娘のような事を言っている、お前は何度も私の裸を見ているじゃないか。今さらだろう。」
「言い方......いえ、貴方のご指導の後、確かに何度も水浴びはしましたが、ここは風呂場ではありません。」
「良いじゃないか、どうせ誰も見ておらん。それよりも私はお前と会えて嬉しいぞ。」
彼はそのまま私に抱きつこうとしてくる。しかし下僕である私にはどうしようもなく、なされるがままだ。
「忠実な家臣であるハイエナ、今回は何の用だ。また戦利品の報告か?」
「いえ、今回は別に申し上げたい事がございます。」
「改まってどうした、止めたくなったか。まあ、追撃は逃げる敵の背中を切り裂くだけだからつまらないか、しかし好きに略奪品の獲得や敵村の女を犯せて良い思いもしているだろう。」
「ラーテ様......」
「ははは、冗談だよ。ほとんど敵村を略奪しない事は私の耳にも届いている。おかげで獲物が増えたと味方部隊が喜んでいた。」
彼は笑いながら着替え始める。
「私の隊は事前に十分な金を与えているので兵達に不満はありません。血の気の多い者達も無抵抗の村民を殺すより、強力な敵兵士の生皮を剥ぐ方が良いと言っております。何も問題はありません。」
「不思議だな、頑なに村から略奪しないのは何故か。もしかしてお前は聖教会も驚くほどの狂信者なのか?」
「いえ、ただの習慣です。」
それを聞いたラーテは疑問の顔を浮かべたが、特にこれ以上の深入りはしなかった。
「ラーテ様、質問を宜しいでしょうか。」
「なんだ?」
「外の様子は如何なものでしょうか。あれは軍の体を為しておりません。規律が乱れきっております。」
ラーテは着替えを終えたようで寝床から立ち上がり、苦々しい表情でこちらを見た。
「あれは私の兵士ではない、傭兵だ。あんなものが私の戦友だと思うな。」
「失礼しました、無礼をお許しください。しかしラーテ様があのような堕落を許すとは思いませんでした。」
「私も本当であれば許さない。しかしそれなりの事情があるのだ。」
彼は机に置いてあった杯を手に取り、その中の液体を飲み干す。そして喉を潤した後、重苦しそうに話を続ける。
「サヴァラとラリカの決定的な違いは動員兵力の差だ。資源も人も多いサヴァラに比べ、ラリカは鉄以外の資源に恵まれず、人の数も負けている。土地の豊かさも何もかも負けいるラリカがどのようにしてサヴァラに勝つか、結局人を増やす事にした。」
「それゆえの傭兵雇用ですか、私を含めて。」
「その通りだ。どこかの誰かが献上した十分な資金があったからそれを使って多くの傭兵を雇った。確かに数の不利を埋めた事は大きな改善となり、サヴァラとの拮抗状態をつくる事ができた。さらに火壺等の新兵器の登場で城攻めは比較的安易になった。ゆえに手段を選ばず、常に先手を取る事で戦いを有利に進めて来たのだ。しかしそれも限界に近い。」
「それは、サヴァラが本気を出したという事ですか?」
「そうだ、今までサヴァラは内政に注力していたが、とうとう血眼で戦争へ参加したのだ。我々が進撃する事に敵の抵抗は激しさを増す。そのため傭兵を増員するも、その傭兵の質に問題があるのだ。傭兵というのは当たりはずれの大きい者達よ。お前のような忠実な者もいれば、会敵前に逃亡するような根性なしまで幅広い。数は揃えられるが、いかんせん質が不安定過ぎるのだ。」
彼の口調が何かを言う度に、より重々しくなっていく。
「それにな、傭兵というのは中々人間性の怪しい者達も多い、少数のラリカ部隊では統率に難がある。」
「つまり、味方傭兵部隊を管理しきれていない、という事でしょうか?」
「まあ、その通りだな。ああ、まったく......リフサー様の時代の傭兵は基本主人に忠実でまさしく専業傭兵の名に恥じない働きだったというのに、大規模化を経た今、こんな有り様とは嘆かわしいものだ。ところでお前の報告を聞いていなかったな。報告してくれ。」
彼は声の調子を戻し、こちらを見る。散々言いたい事を話しておきながら突然話を戻すのは止めて欲しいものだが、彼にそれを進言ても聞き入れてもらえないだろう。
そんな事を考えながら、私は気分の乗らないラーテへさらに悪い知らせを伝える事に抵抗を覚えるが、心中に自分を奮い立たせ口を開いた。
「ラーテ様、実は私は教会から強制的な傭兵契約を提示されておりまして、これが証明書です。」
「何だと......」
彼はこれまで以上に低い声で、しかし驚愕したように答える。そして私の持っていた証明書を引ったくると、それを確認した。
「教会の生臭どもが、私から従者まで奪うか。」
「落ち着いてくださいラーテ様、私は永遠に教会のために働くわけではありません。しっかりとラリカの傭兵として職務を遂行します。」
「はあ、そうだな。しかしお前が教会の尖兵となるのか、まったくお前は私の従者だというのに......」
「ラーテ様、何もそこまで仰らずとも。」
「まあよい、貴様が教会に仕える間、10余りの部下は預かっておくぞ。」
「ラーテ様それはひとじ......」
「黙れ、何も言うな。」
威圧感のある声が天幕に響く。従者は主人に命令されれば従わなければならないのだ。この時代の主人とは力ある者であり、現に彼は私の利益の源を握っている。
「今日はもう疲れた、私は休む。ハイエナ、私の部下に言って今夜は野営地で休め。今日はもう日が暮れるから明日ここを出るのだ。」
「承知しました。」
私はテントから出ると、とてつもない疲労に襲われ、部下達の手を借りながら野営地を歩いた。悪い状況から改善するどころか、さらに悪くなっていく事はすでに幾度も経験しているはずだが、やはり私は慣れそうにない。




