48 心情と出迎え
十分に休息を取った後、ヒガンの案内で移動を再開した。松明を片手にどこまでも続くような黒い森を延々と歩き、やっと密林を抜け出た先は黒い岩肌の山岳だった。眩い日光によって視界がぼやける中で起伏の激しい山々だけがはっきりと姿を見せたのだ。その雄大さによって私は立ち尽くす事しか出来ないでいた。エートルの街に籠っていては一生見ることの出来ない風景を前に、ずっと大自然を見ていたいという清々しい気持ちを胸に抱いた。
「山岳地帯に来るのは初めてでは無いでしょう。それとも久しぶりの似たような風景に心踊りましたか。」
私のすぐ横でヒガンがそのように尋ねる。
「ええ、私の知る限り南スラーフは森ばかりですし、ラリカでは山を見ましたがどちらかといえば少し高めの丘陵でした。今こうして高い山を見ると、形容し難い感動を覚えます。しかし唐突に地形が変わりましたね。」
「この山岳地帯は、東側に広がる巨大山脈の一部分です。スラーフと独立都市連合、南半島の商業都市の領地を跨いで続く大自然です。また、鉱山資源も豊富で度々それを巡っての戦争も起こります。」
「詳しいですね。」
「隠れ潜まなければならない魔女といえど、外の情報は必要ですから、旅人や動物達に聞いております。」
旅人はともかく、動物に聞くとはどういう事だろうか。おそらくは魔法の技による情報探査であると考えるが、そのような高度な技術を有するのであれば彼女に敵などいないはずだ。それなのに墓守、教会を恐れるのは彼らの数を警戒しての事だろう。教会の権威は日々強大化しており、その目と耳は常に大陸全土に存在する。故に彼女は隠遁者のように暮らすのだろう。私はそれら彼女の境遇に対して謎の既視感覚を抱くが、その正体を掴めずにいる。
「とにかくここまでの案内、とても助かりました。また北方へ来るつもりなので、その時は立ち寄らせていただきます。もちろん死体を持ってきますよ。」
「ひひひ、ありがとうございますハイエナ様。それとエートルに帰られるならここを南下しなされ、さすればラリカの街にたどり着くはずです。」
「お世話になりました。また来ます。」
私は表情の見えない老婆へ一礼した。彼女も私同様に小さく頭を下げ、私達が南へ向かい彼女が見えなくなるまで、その枝のような腕を降っていた。
この戦乱の時代、自分の生まれた場所から離れる人間はそう多くない。理由を挙げればきりがないが、一番の原因は人口爆発だろうか。増えすぎた労働力は善悪の区別なく様々な事象を起こしたのだ。飢えて死ぬ人間を減らすために行われた開墾運動は、やがて多くの余剰生産物を産み出したが、その利益にあやかろうとした人間達によって数多くの紛争が行われた。結果として戦争形態の変容は傭兵の質の悪化と一般人の大規模徴用をもたらし、農民は一層土地に縛り付けられる事となった。つまりは外が死ぬほど危険で、自分あるいは他人によって故郷から出て早く死ぬか、内でゆっくりと苦しんで死ぬかの違いだ。例外として傭兵による村の略奪は突発的な出来事だろう。
それらの事情から大半の人間は故郷にて生涯を全うする。しかしそれでは社会は発展しない。いつの時代も外へ出る人間には欲が伴っている。誰かに認められたい、富と名声を得たい、死にたい、さすらいへの欲求などの欲深い者は商人、職人、職業軍人として故郷から外へ進み、彼らの中から成功者が誕生するのだ。それらの中で考えると、私は金銭欲の強い人間という事になるのだろうか、いやそれでも故郷を忘れた事は一度もない。だからこうして、彼らの待つエートルへと帰る。しかしもう一つ大事な故郷があったはずだ。
「ここを南に進めばエートルに帰れるはずです。」
「ようやっと帰れるのか、短いようで長かった。」
カラシャは背伸びをしながら肩で音を鳴らしている。部下達も彼の言葉に共感したのか、皆遠い目で虚空を見つめている。おそらく帰還後の短い休みをどのように過ごすか疲れきった頭の中で思考しているはずだ。
「しかし中々収穫は厳しいですね。北スラーフの情報収集も都合良くはいきませんし、布鎧やその他交易品も予想より売れていません。」
「その他はともかく、布鎧等の武具はそれなりだろう。道中で商人や傭兵と取引したり、北方の村々では調度品こそ売れなかったが、最安値の武具は沢山売れたじゃないか。」
「ええ、それでも売れ残りはありました。しかし、北方の市場開拓と交易偵察は微妙でしたが、もっと良いものを見つけられました。」
「森の灰か......」
カラシャは私から目線を外し、後ろの馬車に積まれた樽を見る。その中には、黒い森から採取した灰がこれでもかと詰め込まれている。
「ええ、考えもしなかった物資が手に入れられて私は満足しています。ラコテーの街で捌けばかなりの値段でしょうね。」
「なあハイエナ、1つ聞きたい事があるんだが...ここまでする必要があったか。」
褐色の戦士は、その目つきを戦闘時のそれと大差ないほど鋭く睨むように変えた。その時、私は心中青ざめるような気持ちで彼の目を見つめ返した。
「何の事でしょうか。」
「いや何、比較的安全な南スラーフで武器輸送と布鎧生産をこつこつと行っていれば、何も紛争極まる北方へ出向かなくても良かったんじゃないかと思ってな。」
「それは、前にも説明したでしょう。隊商活動には諸々の経費がかかるのです。税金、賄賂、部下の維持費、ラリカへ納める金等々が必要です。さらに南スラーフ最大の都市であるラコテーで武器が売れないとなれば、新しい市場を探さなければならない。そのためにはどうしても北へ行き、利益を求める必要がありました。全ては皆のためです。」
私は必死に彼へ弁明する。そんな私の言葉に彼は黙って耳を傾けているのだ。
「じゃあなぜエートルの村民を助けたんだ。彼らが負担となるのは目に見えていただろう。」
「それは......」
「故郷を失った者達を救いたかったから、なあハイエナ、お前はひたすらに金を求めているが、その根底にあるのは何なんだ。救済か、利益の快楽か。偉そうな事を言うようで申し訳ないが、お前はただ肥大化して行くだけで計画性がないぞ。」
「いずれ答えを出しておきますよ。」
「あっ、ハイエナ。」
私は逃げるように馬車から降りて、隊商の後方へ向かった。カラシャは追いかけ来なかったが、私は後ろめたい気持ちを抑えながら彼が追いかけてくるのではないかと怯えていた。彼の目つきや詰問に震えおののいたのか、それとも答えられない事に恥ずかしくなり、その不甲斐なさから逃げたのかは自分でも分からない。ただ自分がなぜ今ここにいるのか、明確に答えられるほどの力は無かったのだ。
私が最後尾の馬車で不貞腐れるような顔をしながら、空を見ていると突然フォルンツが荷台へ乗り込んできた。
「ハイエナ殿、元気を出しなされ。」
「フォルンツ殿、驚かさないでください。」
「カラシャ殿が言っていましたよ。ハイエナ殿を問い詰め過ぎたって......謝りたい様子でした。」
「そうですか。」
「そういえばハイエナ殿、貴方はなぜそんなにも金を求めるのですか、貴方の強欲さはどこから来ているのか、私も気になりますね。」
「はあ、フォルンツ殿...人の傷口に塩を塗り付ける気ですか。まあ良いでしょう。なぜ私は金を求めるのか、おそらく3つの理由があります。1つ目は人を救いたいから、2つ目は未来を考えているから、3つ目は生き方を変えられなかったからでしょうね。」
「おお、話してくれるのですね。いずれも興味深い理由です。」
「私は生まれた時から貧困に喘ぎました。日々の食事もままならず、自身を守るのも精一杯で生きてきた。だから自分と、せめて親しい人間ぐらいは救いたいのです。そして、そのような決め事などに見向きもせず、世の中は目まぐるしく変化する。ついか社会はひとつになるでしょう。私はそこでも生き延びたい。最後に、私は昔から変わった事など一度もなく、金のために何かしら行ってきました。変われない駄目な人間なのです。そんな気がしてならない。それ故私は金を、利益を求めるのです。」
フォルンツの麻袋が布ごしでも笑顔だと分かるほど変形し、無垢な笑みでこちらを凝視しているようだ。まるで顔が見えるかのようで、隣で座っている彼に何でも話してしまいそうだ。
「つまり、私の目的は単純明快...生きる事、そのために金を求めるのです。」
「なるほど、無定見のハイエナと呼ばれるまで嘘と曖昧さを使う貴方にもそれなり考えはあるのですね。では、もし貴方の友人が危機に陥った時、貴方は利益と友人のどちらを取るのか、とても気になります。」
「ある学者もしくは偉人が言いました。全ての物事は利益に帰結すると、全ては利益のために、彼はそう言いました。」
「そうですか…それはまた面白い。」
「では、私も貴方にお聞きしたい事があります。」
私の言葉にフォルンツは麻袋の頭を気抜けしたように傾ける。面食らった子供のような動作は私の沈んでいた気持ちを掬い上げる。
「何でしょうか。」
「貴方、あの魔女と話をしていましたね。どのような事を話し合っていたのですか。」
「ハイエナ殿、たとえ死んでもそれを知りたいですか。」
「死ぬ、私がですか。いえ、そこまでして知りたくはありません。」
「では、私が物事を秘匿するのもご愛嬌という事で。」
それからフォルンツとの会話は途絶えた。彼は私から必要な情報を聞き出せただろうか、私にはそれを尋ねる余裕など無かった。私の心や目的はいつも嘘と曖昧な行動に置いていかれて、それらを思い出せずにいた。しかし、その思い出せた目的も嘘か本当か分からない。何より嘘のような事実に一番惑わされているのは、私自信なのだから当然だろう。やはり私は生き方を変える事は出来ないのだろうか、自分の口から出た言葉に傷つく様はなんと情けない姿かと思いながら、どうにか自分を奮い立たせようとする。諦めるべきか諦めないべきか、いずれ分かるだろう。
南方から吹き付ける突風は、私達の髪を連れて行きそうな勢いを持っている。それらが断続的に吹く事に、部下達は少々苛立ちながらも郷愁を感じているようだ。数週間の旅路だというのに大袈裟なものだと思いながら、私は自分の心にそれと同じような気持ちが存在する事を否定できない。
「ハイエナ様はエートルに帰ったら何をなさいますか。」
護衛兵のひとりが快活に話しかけてきた。私はしばらく熟考しながら、ようやく口を開いた。
「私は、孤児院に帰って皆に会いたい...と言いたいところですが、色々とやる事がありますからね。」
「いいじゃないか。エートルに着いたらまずはラーサ院長と皆に会おう。ヤタの事も紹介したいからね。」
「ばう!!」
マカは陽気にそう言い、彼に抱き抱えられたヤタも嬉しそうに吠える。彼らはどうやらすぐにでも家族と再会し、熱い抱擁を交わしたいようだ。
「ははは、あの美人院長と屋根の下を共に出来るとは、羨ましい限りです。」
「そんな関係じゃないよ。」
マカは何を勘違いをしたのか、恥ずかしそうに顔を赤らめる。いや、勘違いをしているのは私の方かもしれない。マカとラーサ院長はそのような関係といえる。私はその決定的な光景を見たのだ。私はその光景が目に浮かびそうになると、気持ちを切り替えて護衛兵達と話を続ける。
「そういえば最近、貴方達痩せましたか。前と比べて肉が落ちたような気がします。」
「ああ、気づいていましたか。その通りです。少し食事を制限しましてね。」
私は彼の発言に驚いた。護衛兵達はいつ死ぬか分からない。それ故に日々の食事等の休養を大事にしている。それは食費の面から見ても明らかなほどだ。そんな彼らが食費を削るなど、どのような風の吹き回しだろう。
「なぜそのような事を......」
「何、大した事ではありません。ただハイエナ様は何かと支出に関して悩んでおられるようですから、せめて我々に出来る事を......と思いまして。」
「そうですか、ありがとうございます。ですが、無理のない範囲でお願いします。貴方達の身体は、貴方達にとっての資本でしょう。」
「ええ、もちろんです。」
彼らは笑顔でそのように返す。私は彼らに釣られて思わず笑う。私が利益と叫ぶのも、きっと彼らに幸福をもたらしているだろう。私はそのように信じたい。
「もっと金があれば、そんな事をさせずに済みますよね。」
その時、びゅっと風が吹いた。
青々と茂る森の街道を進み、ようやくエートルの門前が視界に入る。長い帰還の道のりはようやく終わりを迎えようとしているのだ。
「そこで止まれ!!」
その雷鳴のような制止は、油断しきっていた私達に効果的だった。護衛兵達が長剣に手をかけ、槍を構える前に、覆面をつけた敵達はいつでも弓を射る事のできる体勢に入っていた。しかも敵は複数いて数は不明、両側の森から私達を挟むように、だが同士討ちはしないよう斜め十字の陣形で弓を向けている。
「何者だ。」
「あれ?ハイエナ様、ハイエナ様ですか!全体撃ち方やめ、撃ち方やめ!」
茂みの中から男がそのように言いながら立ち上がる。そして慌てて弓兵を下げる。
「ラミンじゃないですか、何をしているのですか。」
「いや、申し訳ありません。武装した集団がエートルに向かっていると聞いたもので、それに貴方様がいつ帰ってくるのか分からなかったのです。」
「先んじて使いを出したはずですが......」
「おそらく入れ違いになったのでしょう。エートルの街にいるはずです。ハイエナ様、申し訳ありませんでした。」
彼は深々と頭を下げた。その時私は彼の誤りよりも、彼ら村民達の潜伏能力に驚いていた。疲弊した行軍とはいえ、熟練の護衛兵による先遣隊やカラシャが警戒していたにも関わらず待ち伏せを成功させているのだ。それも短期とはいえ狩人達の訓練と土地勘による賜物なのだろう。
「構いません、皆もそうでしょう。」
「ええ、上手い待ち伏せでした。」
「ここでは敵に回したくないな。」
「という事です。さあ、貴方達も一緒にエートルへ帰りましょう。」
「はい。」
エートルの村民達、あるいはエートルの残党狩りの下、私達は安全に楽しくエートルへ進む。久しぶりに会う彼らの姿は、私に形容し難い活力を与えてくれた気がした。四十名余りの隊商は、彼らと共に故郷へとたどり着いたのだ。




