47 魔女の家と契約
薄暗い地下階段は石造りとなっており、虫や土くれ等の侵入もなく意外に小綺麗である。しかし足下はやはり見にくいため踏み外さないか心配している。私が視界の悪さに苦戦している反面、前を行くフォルンツは軽快に進んでおり、私と彼の差は少しずつ開いていく。
もう百段は降ったであろう地点にて、私達は木製の扉を見つけた。これほど長い地下室が今の大陸に存在するだろうか、おそらくは今亡き帝国の地下遺跡だけであろう。息が苦しくならないため空気はしっかりと通っているはずだが、これらをあの肉体労働には向いてなさそうな老婆が作ったというなら仰天しそうだ。彼女は自称であるとはいえ魔女だ。書物にて描かれる魔女ならばこのような建造物など一瞬にして作れる。もっとも、それは彼女が本物の魔女である場合の話となる。
「ハイエナ殿、この扉......行き止まりです。」
「はい?」
私はフォルンツの言葉を一瞬理解出来なかったが、すぐに彼の前に出て扉を開けると、そこには深淵のような黒い土壁があるだけだ。
「これは一体、ヒガンはここに入っていき、それで出てきてはいない。ここまで一本道ですよ。」
私の声は驚きのあまり震えている。一体彼女はどこへ行ったのか。
「ああハイエナ様ですか、申し訳ありません。すぐに扉をお開けいたします。」
ヒガンの枯れた声が地下階段に響き、目の前の土壁が音をたてて崩れ落ちていく。その隙間からは光が見えた。やがて完全に壁が消え、中からは部屋が現れた。
「どうぞ、お入りください。」
「ハイエナ殿、行きましょう。」
フォルンツは躊躇いなく、その先へと進んで行った。私は一瞬躊躇ったが、負けじと彼に続いた。
「ようこそ私の住みか、魔女の家へ歓迎いたします。何分客人が来る事はめったにありませんので、本来なら部屋をつくっておくべきですが今回はこちらにて。」
ヒガンは悠然として私達を迎え入れる。彼女は奥の食卓らしき場所の椅子に座っており、私とフォルンツもそこへ掛けようと部屋の中を見回しながら歩く。
部屋の中には様々なものがところ狭しと置かれており、中には目を見張る品物が存在している。不可解な生き物の臓物が硝子の中に培養され、部屋の隅には大量の本が山積みになっており、天井からは光石やカンテラがぶら下がり部屋を灯す。他にも大釜や薬草、小樽や木箱が乱雑に放置されているのが分かる。まさしく書物に出てくる「魔女の家」そのものだ。これほどまでに模範的な場所があるだろうか、おそらく私の記憶にはないはずだ。
「失礼します。」
「どうぞ、それと飲み物は飲まれますか。」
ヒガンは優しげな声色でそのように言って、どこから取り出したのか温かい二つの杯を机に置いた。
「これは......お茶ですか。」
「ふふふ、毒など入っておりません。安心してお飲みください。」
「いただきます。」
私が杯を手に取り中にある山吹色の液体を口に含んだ時、後ろの入り口が音をたてたかと思うと、まるで時間が戻っていくように壁は再生した。その驚きの光景にしばらく動けずにいたが、壁が完全に再生されると何事もなかったかのように静かになったため私は身体の向きを戻した。
「貴女、本当に魔女だったのですね。」
「疑っていたのですか、おお悲しきかな。」
「いえ、ただ魔法を使える者はもういないと本に記されていたので。」
「ああ、本は得てして真実と共に多くの嘘も記されますから無理もありません。ともすれば一部の学者達は嘘を平気で真実としますから厄介なものです。しかしその厄介さに助けられているのも事実です。」
「というと?」
「墓守や番人に会わず、ひっそりと暮らせるという事です。かつては魔女の規模もそれなりのものでしたが、戦争によって社会が混乱し、ほとんどの人間から魔法が取り上げられると、その後様々な思惑によって魔法使いはさらに数を減らしました。とりわけ教会の異端・異教狩りによって、あるいは社会不安の捌け口として再びまとめて都合良く使われたのです。もしくは利益者との離別か......」
「しかし貴女は生き残ったのでしょう?」
「ええ、仲間を助けず恥を忍んで生き延びました。今や同胞がどこにいるかさえ、ほとんど分からないのです。」
ヒガンは口を潤すために杯を両手で口へ運ぶ。そして最小限の動きでお茶を飲んだ。
「貴女にも故郷が?」
「ええ、とても素晴らしく、とても平和な・・・平和だった場所です。今はおそらく混乱の極みに達しているでしょうが、叶うならば戻ってみたいものです。しかしハイエナ様、私の思い出のためにここへ来たわけではないでしょう。」
「その通りです。私は貴女に提案があって来ました。黒森の恵みを頂いて宜しいでしょうか。」
私は頭を深々と下げながらヒガンに頼み込む。フォルンツは横で出されたお茶を堪能しているようで、頭を下げない彼に懇願したい。当の魔女はぴくりとも動かず、ただ私を見つめる姿は何かを思案しているようにも見える。
「ハイエナ様、私はただの案内人ゆえ恵みの事はわかりません。黒森の恵みは貴方の好きなように採られるのが宜しいかと、ただ私は私の知る限りの情報を貴方に提供できます。もちろんその場合の対価はいただきますが......」
「そうですか、それは良かった。しかし対価というのは一体、貴女は私に何を求めているのでしょうか。」
「思考、すなわちハイエナ様の頭、貴方の脳みその中を見てみたいのです。」
彼女の顔は見えないが、弾んだ声で微笑むようにそう言った。彼女はやはり私を殺す気だろうか、脳みその解剖などどうあっても死ぬ。私の口からは乾いた笑いが出た。
「それは......何とも難しい対価ですね。」
「ああ語弊がありますね、正確には貴方の記憶を欲しています。魔法を用いて貴方の脳を探り、出来る限りの配慮をもって負担のない処置を取りますのでご安心ください。」
「記憶ですか、それにしても中々不安です。では、前払いという事で今すぐには......」
「出来ます。目を閉じていてください。」
「え、本当に。」
彼女は細い腕を伸ばすと、まるで枯れた木の枝のような手で私の頬に触れた。冗談に対して行動が早すぎる気もするが、どうにかして断れる雰囲気ではないため私はされるがままに目を閉じた。
「ああ・・・素晴らしい。」
もう処置は始まっているのか分からないが、どうやら意識はある。目の前で黒い衣によって顔の見えない老婆から妖艶な声が漏れでる。それは先ほどまでの老いた声とは違い、艶やかさと色気のある声だ。しかし相変わらず彼女は手は固く、皮膚はしわしわと萎びている。
「終わりました。」
彼女は唐突に再び元の声でそのように言った。あまりの突然の終了に、私は目を丸くした。しかし彼女は不思議そうにあっけからんとしている様子だ。
「ええっ、もう終わったのですか。」
「はい、滞りなく対価は十分にいただきました。それと、出来れば問題にならない範囲で死体を持ってきていただきたいのです。死体であれば出自も年齢も性別も問いません。」
「死体ですか、それならいくらでも用意できるとは思いますが、まあ詮索はよしておきます。あまり気乗りしませんが、とにかく対価を払いましょう。その代わり約束は守ってください。」
「ありがとうございます。しかしくれぐれも墓守の目に付かぬよう重ねてお願い申し上げます。」
彼女は腰を椅子に下ろし、また杯に口をつける。気のせいか、彼女は何度も飲む動作を行っているのに杯からは液体が無くならない。いや、おそらく私は疲れているのだろう。もしくは彼女の一口が小さ過ぎるか。
「はあ、しかし死体ですか。どこから調達したものか。」
「手立てを欠いておられる。小鬼や人狩り、森の民を頼るのがよいかと、彼らならば対価分の仕事をしっかりと請け負うはずです。」
「彼らですか、小鬼と森の民は聞いた事がありますが、人狩りとは?」
「人狩りとは、その名の通り人を狩る者でございます。今日には多様な人狩りが存在しており、戦時における奴隷商人や略奪部隊、平時における盗賊や傭兵団等、様々な人間が主目的、副業のために生業としております。しかし長い年月の間に、人々は人狩りの本質的存在を忘れている。営利的な人狩りと、快楽的なそれとでは意味がまるで違います。彼らはまさに快楽的殺人者、ただ楽しむために殺人を犯す者達です。それ故にどのような殺人を行えば自らの欲求を満足させられるか、日々思考し行動するのです。そして彼らはそれらの快楽を永続的であるために陰り祈るのです。」
「つまり貴女の言う人狩りとは、凶悪な異常者集団であり、隠れて人々を殺し回っている者達だという事ですか。しかしそのような集団など聞いた事もない。」
「当然です。彼らは姿を見せない、残されるのは被害者の死体だけです。とにかくあらゆるものを利用して死体を集めなされ、さすれば喜んで利益を差し出します。」
彼女のいう「人狩り」とは、番人達の事であろうか。姿なき殺人者、殺人以外に興味を示さないという点であるならば共通している。例えそうであるならば私は絶対に彼らを追わないだろう。彼らと出会って生き延びた者はほとんどいない。不利益の完全体のような存在にわざわざ近づく気など起こるはずがない。おそらく彼女のための死体は、戦場における死体漁りのついでで十分だろう。まだ戦場跡の方が安全である。しかしそれでも問題となるのが「墓守」の存在だ。彼らは死者の救済のためならば生者の殺害をも厭わない。つまり派手に動き過ぎると彼らに見つかり、教会の敵として晒され無惨に死ぬわけだ。その余波は友人達や孤児院にも届くかもしれない。そう考えると私の手は震える。
「それらの手段は検討しておきます。これで話は以上です。ありがとうございました。」
私は椅子から立ち上がり、入り口の方へ向かう。土壁が崩れ、通れる事に安堵しながら歩いていくと、フォルンツが来ていない事に気づいた。見れば彼はまだ魔女の前で悠々としながらお茶を飲んでいる。
「フォルンツ殿、行かないのですか。」
「ええ、私はまだ彼女の話を聞きたいので、お休みなさいハイエナ殿。」
「ヒガン殿、申し訳ありません。」
「構いませんよ、ハイエナ様の身方とあらば問題はありません。」
そう言いながら彼女はフォルンツをまっすぐ見つめる。一瞬黒い頭巾の奥底で彼を見る目が獣の如く鋭いもののように見えたが、私は疲れていたため気にせず上へ帰っていく。




