45 黒森と白魔女
日は真上にあるというのに、進む先は非常に暗い。私達の前には巨大な森があり、そこには多くの木々が密接しているため夜のように一筋の光も見えない。なおかつ、森の入り口は道を飲み込むように何もなく、奥からの風によって垂れた枝がこちらを手招きするように揺れている。草に飲まれそうな小さな道は、この先へ進む決意を取るのにあまりにも頼りない。それ故私と部下達は森の手前で立ち止まっている。
「カラシャ、正直言ってこの場所を進みたくありません。」
「同感だ。しかし地元民の話ではかなりの良い所で、道を進めば案内人もいると言っていたのだがな。」
「良い所かどうかはともかく、案内人なぞ見当たりません。彼らに騙されたのでしょうか、しかし行商人とはいえ武装した集団に嘘をつくなど、報復の可能性を考えたはずです。しばらく案内人を探してみましょうか。」
そうして話し合いの末、部下達を動員し案内人を探す。だが森の入り口から横を見ても終わりのない木々と、周辺の建物は全て捜索したため手掛りなしという事実が私達を悩ませる。
やがて空に浮かぶ日は傾き始め、捜索し終えた40名余りの男達は草の上に疲れて座り込んでいる。これほどまでに徒労が続く事を不幸だと呪い、神様に八つ当たりをするのはお門違いだろう。しかし自分と部下達のそのような光景を見てそのような気持ちは自然と沸き立つのだ。
「ハイエナ、つぎにあの地元民と会ったら趣味の話をしてみる。ちょうど新しい技法を試したいと思っていたんだ。」
「構いませんよ、存分に。」
私は脱力しながら力なくそう言った。私も彼と同じ心情なのだから当たり前の回答だ。
「ハイエナ様!」
その時、側で森の方を見ていた護衛兵が素早く立ち上がり、指を指しながら声を上げた。見れば彼の顔は驚きの表情で固まっているようだ。私は彼の指の先の方へ顔を向けながら返答した。
「どうしたのですか?」
暗い森の入り口、その場所に誰かがぽつんと立っている。まるで影のような存在感のそれは、かかしのように不動で木陰によって顔は見えない。そして今まで立っていたといわんばかりの様子でいる。そんな謎の人物に私は恐る恐る声をかける。
「そこのお方、なぜそのような所に佇んでおいでか、もしや貴方が案内人、そうでなければ盗賊か怪物の類いか。」
私の震える声での問いにその影人はゆっくりと動き、こちらへ向かってくる。その予測しにくい動きはこちらを狙う狼のようにも、逃げ道を探る兎のようにも見える。だが目の前まで人物がくると、その考えが消える口調で喋り出した。
「なぜ、ハイエナ様をお待ちしておったからでございます。私は森の案内人を務めております、白い魔女にございます。」
全身を覆うほどの外套の上に、黒い頭巾を被った人物は聞いた事のある声でそのように言った。私は数秒ほど思考した後、目の前の怪しげな者がシュパレーの街―その門前にて不死の薬を売り付けようとした老婆であると気づいた。
「なぜ貴方がここに?」
「天啓と言えば信じてくださいますか、それともずっと後ろにいたというならどうなさいます?」
「どうもしません。それよりも貴方、先ほど森の案内人、白い魔女等と言っていましたね。後者はともかく、案内人であるのならば力をお借りしたのですが、宜しいでしょうか。」
「何なりと、案内は誰にでも無料で行っておりますから。」
「では、今日はここで野宿して明日の朝まで......」
「お止めなされ。」
老婆は強圧的な声で私の言葉を遮った。黒い頭巾ごしに伝わる声の調子は戦場での熟練護衛兵のひと声と遜色ない。彼女は話を続ける。
「ここは黒き森の手前、さすれば脅威はいくらでも存在します。ここで野宿なさるなら、怪物や獣どもが森からの接近し、それに気づかずひとりずつ喉を食い破られるか。はたまた夜の街道をさ迷う多くの傭兵団と死ぬまで戦うかのどちらかです。今すぐ私の力を使えば、長生きはできるでしょう。」
老婆の童話を語るような口調は部下達に効果覿面なようで皆一様に青ざめた顔をして私の決断を待っている。危険地帯で野宿するか、怪しげな老婆の案内で不気味な森を進むかの二択が提示されている。ここに来るまでに焼き捨てられた小屋や死体を見つけている以上複数の傭兵団、もとい盗賊の存在は明らかだろう。だからといって易々と彼女の後に続き、未知の領域に足を入れるのは気が進まない。二つの道の内、正解があるとは限らないのだ。どちらとも不正解で待ち受けるのは死かそれに準ずる苦しみだろう。
「こちらです。火は決して絶やさぬようお願いします。」
結局、私は老婆に着いていく事にした。似たような選択肢ならば生存確率の高い方を取るのが無難だろう。それに危険が迫った時は元来た道を戻れば良いし、場合によって老婆を殺す予定だ。
老婆はこの不気味な場所を「黒森」と呼んだ。私はその名にふさわしいと、身を持って実感している。外側から見た時は夜のように薄暗い森の中であった、実際に入ると本当に闇夜に包まれている感覚がある。エートルの森とは違って太い木々が密接し、それら巨大な樹木の間の地面から草が長々しく生えている。普通ならば巨大な木陰によって背の低い草花達は、日光を浴びる事ができずに枯れ果てていく。そのはずだが地面には深緑の蔦のような植物や倒木に生える苔、赤色茸や鮮やかな花が多種多様に自生している。また、地面には淀んだ水がある場所と、その中から淡く青色に光る謎の物体や蛍のような生物が確認できる。
「ここは一体、どのような生態系をしているのか。」
「ここは黒き森、あらゆるものを受け入れ、食らう場所です。あまり疑問を持たれぬ方が宜しい、持てば亡者どもが波のように押し寄せ、貴方を糾弾しながら脳を食らうでしょう。」
いくら質問しようと老婆はそのように漠然とした答を与えるのみだ。やはり信用などできない人物だろう。
「ハイエナ、右側に獣がいる。」
マカが私の服を引きながら獣の存在を伝える。しかし彼のいう方向にはただ闇が広がっているだけで何も見えない。
「どこだ、何も見えない。」
「いるよ、一定の距離を置いて着いて来てる。どうする、弩を使って追い払うかい?」
すると今度は老婆が私の近くに来て、顔を覗き込むように話しかけてくる。
「ハイエナ様、獣に手を出してはなりませぬ。一度彼らを刺激すれば再び大群を引き連れて怒涛の如く襲撃してくるでしょう。彼らが何もしない内は決して引き金を引かぬよう重ねてお願いします。」
老婆はまた凄みのある声でそのように忠告する。彼女は本当に案内人なのだろうか、道を進むにつれて焦りと不安が押し寄せてくる。彼女を見れば、全身を覆う外套の隙間から道端に灰を撒いており、そらが何なのかは分からない。また道を進む度にカンテラを一定間隔配置しており、それからは甘酸っぱい果実の匂いが強く漂う。一体どこにそれらを持ち運んでいたのか、見る限り彼女の身体は極限まで細く、押せば壊れそうな体躯が外套ごしにも伝わる。十数個のカンテラを持っていれば音も出るはずなのにそれが一切ないのだ。彼女は本当に森の案内人、白い魔女なのだろうか。
「あああああああ!」
突然雷鳴のような声が森の中に響き渡る。静寂を一瞬にして破る不気味な声に部下達はかなり動揺したらしい。皆怯えながら辺りを見回している。かくいう私も反射的に弩を構え、周辺を探る。そこで私は一つの事に気づいた。
手が震える、弩を持つ手がこれでもかと震えるのだ。私はそれを見て立射の姿勢から屈み、膝射で弩を安定させようとした。左手で弩を持ち右手は引き金に触れず伸ばしたまま、左肘を左膝に乗せて出来る限りの窮屈な姿勢を取った。再度照門を覗き込むと、果てして手の震えは治まっていなかった。
私は恐怖している。見知らぬ土地で死ぬかもしれぬ状況に怯えているのだろうか、いや私の額には一粒の汗もなく、心拍数もいたって正常だ。疲れはあれど戦う事への緊張はなく、むしろ心地よい。それでも手は震えている。
「全体、馬車の両側に二列横隊!」
「「「 おう! 」」」
「カラシャ、右側の指揮をお願いします。召し仕いと商人は馬車へ避難、マカは弩の装填と狙撃をお願いします。」
とにかく私は声を張り上げて震えの動揺を押さえ込む。きっと今の状況を彼らが見たならば、苦笑しながら楽しむだろう。しかし彼らとは誰の事であろうか。
「一列目は近接戦闘を用意して屈め、二列目は弩構え!」
カラシャの張りのある声が森に響き渡る。本当に頼もしい限りだ。
「ハイエナ様、これを灯りにお使いください。」
老婆は私に小袋を手渡す。その中を確認すると、色とりどりの鮮やかな光石が溢れんばかりに入っている。おそらくは投げて使えという事だ。
「ありがとうございます。」
それら不思議な光石を遠慮なく部下達に投げさせ、照明を確保する。暗い森の中では光石の淡い光も十分に機能しており、どうやら部下達には見えるという事が安心感に繋がったようだ。全員が配置につくと、再び静寂が訪れる。
「焦るなよ。」
カラシャのひと声に部下達はそれぞれ頷く。私はひたすらに目を凝らして木々の間を見ている。敵はいつ来るのか、先ほどの悲鳴から大分時間は経っているため皆の緊張感は溶け始めたが、苛立ちは募るばかりだ。深呼吸を繰り返す者や口の中で舌を動かす者、横の同僚を一瞥する者と様々な反応を見せる部下達は次第に敵が来ない事に煩わしくなってきている。しかしそれはまた唐突に来た。
「おおおおおおおおおお!」
低い声で叫びながら何者かが近づいて来たのだ。その声は次第に大きくなり、声の違いから複数人いる事がわかった。そして、光石によってそれらの顔が見えた。
痩せこけた顔からは一切の生気を感じられず、しかし目は獣のように鋭く光っている。病人のような肌と汚ならしいボロボロの服装はとても生ける者には見えない。その姿は亡者というのが一番分かりやすいだろう。餓えた獣のようにこちらを目指す様はとても正気とは思えない。
「放て!」
私の号令によって後列の弩隊から複数の矢が射出され、それらは風きり音と共に亡者達の身体へ吸い込まれていく。そして鈍い音が森に響く。
「ぎゃあ!」「ぐぅえ!」
「やめ......」
「第二射、放て!」
再び複数の矢が嵐のように亡者達を捉え、生き残っていた何人かが断末魔とともに完全に生き絶える。そしてまた静寂は訪れた。
「全部仕留めたか。」
「撃たないで!」
甲高い声がこれでもかと響き渡る。部下達は慌てて襲撃のあった声のする方向へ弩を向ける。
「撃ち方やめ!」
しかし私は彼らの射撃を止める。亡者が喋った、つまりは普通の人間かもしれないという事だ。もしくは騙そうとしているのか。
「何者か、ゆっくりと手を挙げて姿を見せろ!」
「わかった、わかったから撃たないで。」
泣きそうな声でそう言いながらその人物は木の裏側から姿を見せた。
「は?」
私は驚いた。その亡者の長髪は多少汚れているが、美しい白銀色に輝いており、顔は見えにくいがマカと同じようだ。また身体つきから少女と女性の間ほどの年齢だと言うのが分かる。彼女は北方人だ。
「わたし、奴隷商人に捕まって......それであちこちたらい回しにされて、気がついたらこの森を進んでた。そしたら商人達は皆死んじゃて、でも親友が逃がしてくれて、奴隷仲間も今......お願い、たすけて、なんでもするから......」
「ハイエナ、これは......」
「結果論ですが、撃つべきではなかった。確認を怠るべきでなかった。」
「いや仕方ないさ、走ってきた奴隷達は人間のように見えなかったんだからな。撃った方が絶対に安全だ。しかしだ、目の前の奴はどうする?」
私には選択肢がある。一つ目は彼女を保護しハシャの元へ連れていく事、二つ目は親切心と罪悪感から彼女を助ける事、最後は面倒ゆえに殺す事だ。大まかに言えば三つの選択肢だろう。
「ハイエナ様、あの者を確保しよう等と考えてはいけませぬ。」
「白い魔女殿、それはなぜでしょうか。」
「見なさい彼女の服にこびりついた血を、落ちる事のない獣の匂いにございます。だから助けるのはお止めなされ、獣の報復心は海より深く、森以上に危険でございます。それとも、彼女と共にこの場の全員が獣の群れと戦う覚悟がありますか。少女一人のために部下を危険に晒すと?」
老婆の言葉に皆が黙った。護衛兵には狩人出身の者も多く、目の前の少女を救えない事は理解しているのだ。獣は執念深く、それでいて残虐だ。一度目を付けられれば逃げ切る事は難しい。私は考える、利益か信仰に基づく道徳心のどちらを優先するべきか。
「貴女、これで髪を丁寧に切ってそれを袋に入れなさい。」
私は少女の前に短剣と麻袋を放り投げる。彼女は私の突拍子もない行動に戸惑っているようだ。
「早く!」
私が大声で急かすと、少女は小さな悲鳴を挙げながら短剣を手に取る。そして慣れない手つきで髪を切り始める。私の行動にカラシャやマカ、部下達は怪訝な顔をしているが、フォルンツだけは笑いを押さえている。人の利益に基づく親切心を笑うなんて何という無礼だろうか。
「き、切りました。この袋にあります。」
ようやく少女は長い散髪を終える。背中まであったであろう美しい髪は消え去り、彼女は短髪になっている。それはそれで、その手の豚のような富豪に高く売れそうだ。獣付きの銀髪美人、何とも吟遊詩人が好みそうだろう。
「ではこれと交換です。」
私はまたさきほどよりも一回り大きい麻袋を少女へ投げる。彼女は慌てて受け取り、懐疑的な顔をしながら袋を開ける。
「少しの飲食品、切れ味の悪い短剣、光石、それと靴が入っています。この道を進めば、まあ少しは生き長らえるかもしれません。」
「えっと、その......」
「弩隊構え!」
私の突然の号令にやや部下達は遅れながら弩を構え、彼らの目は動揺を隠せていない。それでも少女には厳つい兜と鎖鎧の兵士達が再び恐怖の対象となったようだ。
「ひぃ!」
少女は情けない声をだしながら脱兎の如く逃げていった。私達は彼女が見えなくなるまで動かなかったが、再び静かになると移動の指示を出した。
「ハイエナ様、何という事をしたのでしょうか、情ではありませんね。どうやら利益者を鑑みたようで、なんとも痛ましい限りでごさいます。」
老婆はこもった声でそのように言った。
「ふふふ、北方人の髪は高値ですから、それに対価は必要です。例え彼女が生き延びて先ほどのどこかの村にたどり着こうと、死にかけの村が地図からなくなる程度、不利益な無礼者が消えるだけです。少女には......また会いたいですけどね。」
「おそろしやおそろしや、利益とはまっこと恐ろしくいとおしい。」
老婆はまるで呪詛をつぶやくように同じ言葉を繰り返していた。私は黒い森の奥を見つめた後、隊商へ戻った。




