41 鍵と都市
正面奥では、カラシャが他の群衆の目を気にせずに大声を放って呼んでいる。右側には、行商人や旅人のような風貌の者達が談笑や商談に耽っている。左側には、淀んだ瞳の小汚ない集団が無気力に座り込んでおり、街の衛兵達が彼らに暴行と侮辱を加えている。ここには音が存在し、私の耳から脳へと様々な情報を送るわけだが、それを遮るように耳鳴りが来る。
蚊の飛ぶような音は次第に大きくなり、その音量と不快感が自身の耳を切り落とすという考えを私に抱かせる。だがその不快音の中に先ほどの老婆の枯れた声が鮮明に聞こえる。ゆったりと記憶に絡み付くような声には、どこか信用できない声色が含まれている。彼女の言葉が繰り返し耳に響いてくる。
「ハイエナ、どうした?」
「ああ、カラシャ。」
私は大きく揺さぶられ、生返事を返す。気を取り直すと目の前にカラシャが不安げな顔をしており、その背後には護衛兵達が同様にこちらを見ている。
「なんだか無気力に立ってたぞ。大丈夫か?」
「すいません。ええ大丈夫です。ちょっと気分が悪いだけですから、重大な問題ではありません。」
「そうか、体調管理はしっかりしてくれよ。それはそうと、門衛と話をした。衛兵隊長はもうすぐ出てくるそうだ。注意しろ、かなりの性悪らしい。」
そういって彼は後ろで何かを話し合う部下達に私が康寧である事を伝えると、一休みするように馬車へ乗り込んだ。その後すぐに部下達が私の健康を心配する言葉を次々に投げ掛けてきたが、私は取り合わずに感謝だけ返し、衛兵隊長のもとへ向かう。
人ごみを掻き分けて苛立つ群衆の声と匂いの混ざり合う中を抜けると、鉄の門前にたどり着いた。そこには護衛兵と同様に重装備の衛兵達が業務をこなしている。威圧感を全面に出して群集団を見張る大男、街の外を遠視する弓兵、小柄な商人を複数人で囲む者達がそれぞれ持ち場で勤しんでいる。
開閉された黒い鉄門の下を、二列縦隊で肌など完全に見えない鎖鎧を着こんだ衛兵達が進んで来る。彼らの鎧は夕焼けによって赤い光を反射させるほど綺麗に磨かれたものもあれば、所々泥のような汚れが付着して黒ずんでいるものもある。そして全員が赤い布や外套を鎧の上に着けている。
衛兵達は門から外側へ、深い掘りの上に作られている立派な木製の橋を揺らし、大きく足音を立てながら群集の目の前で止まる。そして隊列の中から1人の男が声をあげる。
「オルー隊は外周を見てこい。その後アドラーを手伝ってやれ。アドラー隊は物乞いどもを出来るだけ丁寧に寝床へ押し込めろ。新兵は私とここの警備だ。」
男は平服に黒い革鎧、頭には顔を隠すように布を巻いただけと他の者と比べて軽装で、威圧感はあまりない。だが言動から彼が指揮官であるという事は理解出来る。
彼の指示によって熟練の衛兵達が慣れた動作で各々の持ち場へ向かう。そして衛兵隊長が新兵らしき者達に再度指示を出し、彼に一時のゆとりができると、私はゆっくりと彼に近づいて話しかけた。
「すいません、貴方がここの責任者でしょうか。」
男はその鋭い目でこちらを一瞥すると、少し間を空けて言葉を投げ掛けてきた。
「そうだ、私が南門責任者と衛兵隊長を兼任している。貴様は?」
「申し遅れました。私はエートルの商人ハイエナと申します。衛兵隊長殿にお話がありまして、貴重なお時間をありがとうございます。」
「そういう聖職者みたいな堅苦しい言葉で喋るな。私はそのような口調が嫌いなんだ。」
「これは失礼しました。それで話というのが、この煩い行列に並ばずにすむよう取り計らってもらえないでしょうか。何分私の部下達は疲れておりまして、それに商人には時間が何より大切なのです。」
「ふん。」
衛兵隊長は持っていた槍を地面に刺し、私から視線を反らして考え込む。そして数秒後に視線を虚空から戻さずに口を開いた。
「では、鍵を出せ。」
彼の言葉に私は一瞬戸惑った。門の責任者に対して特別な通行を求めるのに、対価が鍵という事など聞いた事などなかった。だが、鍵の意味を考えた時に私の頭には黄金色の円形が映った。
「鍵......ああ。」
私は意味を理解すると、自分の鞄から小袋を取り出し、その中から金貨をつまみ上げて衛兵隊長に渡した。金貨を受け取った彼は、その鋭い目つきを機嫌の良い商人のように変えた。
「貴様は中々に良い商人だな、良い商人は投資を惜しまない。まったく、ここに来る商人の大半は氷や土の鍵ばかり、女々しく嘆かわしい奴らだ。この黒き門を問題なく通りたいというのなら、豊かな小麦畑のような黄金色の鍵が必要だというのに。」
「衛兵隊長殿、なぜ鍵なのでしょうか。」
「なんだ良い商人殿は知的好奇心も旺盛らしい。その微笑ましい性格は良き人間の証拠だな。それに免じて教えてやろう。」
私は聞きなれない口調を放つ衛兵隊長に対して、不可思議な人間を見るように返事を返す。
「聖教会において、黄金とは欲望の象徴とされる。聖職者どもは金融を罰として民衆を洗脳し、寄進と称して欲豚のように金をかき集めるのに必死だ。そして当然、そのような奴らは金の匂いに敏感なのだ。」
「つまり、それを危惧して鍵とわざわざ呼んで。」
「気持ちの問題ではあるがな。上の方々は聖職者に恐怖し、なおかつ嫌悪しているらしい。それ故の方針なのだ。」
「こいつ、馬鹿か?」
後ろにいたカラシャが小声で罵倒する。私は一瞬肝が冷えたが、目の前の男にはそれが聞こえてなかったのか、表情は変わらなかった。私は話を続ける。
「恐怖と嫌悪ですか。」
「当然だろう、救済と称してあのような豚以下の存在を送り込んで来るのだからな。」
そう言って彼は壁の外に野営している浮浪者達を指差す。彼らは村から逃げ出した農民や戦争によって住みかを奪われた者だ。そのため安住を求めて都市を目指すが、領主や領民達がそれを許すはずもない。
「彼らが?」
「ああ、教会の聖職者どもによってここに誘導されてきた奴らだ。人々を救いたい気持ちは分からんでもないが、そのために幸福な人々を穢そうとするのは間違っている。それとも教会にとっては諸侯の力を削ぎたいだけかもしれんがね。」
そう話す衛兵隊長の目と語り口からは、失望と諦めの気持ちを感じる。そして、その話に私は疑問を持った。先の物乞いの野営地で聞いた話によると、領主達の要請から教会が苦労しながらも浮浪者達を支援しており、それによって都市部に物乞いが溢れないようにしている。だが現に都市には浮浪者が到達し、外壁には不気味なテント群が集まっている。
おそらく、度重なる戦争と人口爆発によって徘徊する人々が教会の支援を超過しているのだろう。そのため都市部にはイナゴのように難民が押し寄せるのだ。その原因は教会による体制維持の弊害か、はたまた領主間戦争によって引き起こされる被害によるものなのかはわからない。それらを原因としたところで教会の体制維持は戦争の増加を防ぐためのものであり、領主間戦争の大半は資源不足と大陸の貧しさによって発生している。貧困については教会の腐敗部分も関係しているらしい。
私が分かる事は、いずれこの大陸に存在する無数の小国群はひとつになる。そして不完全ながらも平和と繁栄が訪れるはずだ。しかし、その過程は長い戦争と謀略による外交だろう。ともかく今は戦乱の世を受け入れるしかないのだ。誰か明確な悪人が存在するわけではないが、善人も存在しないのだ。
「しかし貴様には分かるだろうが、上の方々はともかく、私は聖職者以上にここにいる物乞いどもを憎んでいる。奴らは、都市は人を自由にするなんて妄言を信じる馬鹿者ばかりだ。屑が環境を変えたところで、ほとんど今までと同じような人生を歩むだけだというのに、どうしてそれを理解できずに理想ばかり抱くのか理解に苦しむ。理解したくもないし、関わりたくもないはずなのに、駆除しなければならないのは苦痛だよ。」
「駆除、もしかして。」
「ああ、定期的に物乞いを殺している。」
「なぜそこまでするのですか?」
「奴らは放っておくと壁を越えて街に入ろうとする。我々も最初は見極めた上で何人か黙認していたが、次第に際限はなくなり、被害も増えた。都市の幼い無垢な少女が汚ならしい豚に強姦されて胃袋行きになった事もあった。だから我々は奴らを害虫だと心の底から思っている。そして害虫として扱っている。」
「そうですか、この状況......どうにか出来ないものでしょうか。」
私の言葉に衛兵隊長はうつむき、どこか暗い雰囲気で口調を変える。
「我々にはどうする事もできない。ただ衛兵隊は一時的な問題解決の尖兵としてずっとここにいるだけだ。何も変わらないし、変えられない。他の都市も似たようなものだ。誰が自由を言い出したのか、誰がこの状況を作ったのかね。」
「さあ、誰でしょうね。」
「話し過ぎたな。とにかく、貴様も気を付ける事だ。鍵職人は多いが、優秀な者はそう多くないからな。」
衛兵隊長は話終わると同時に木片を渡して来た。手のひらに収まるほどの木片は黒く汚れており、真ん中に赤い円が描かれている。
「それを門衛に見せろ。そいつが貴様らをすぐに街の中へ案内してくれる。」
「ありがとうございます。」
衛兵隊長との話の後、言われた通りに門衛に木片を見せると、彼らはまるで貴族に対応するかのように我々を街まで案内した。門の前で立ち往生する群衆が、悠々と間を通り抜ける我々を妬むように見つめる様はどこか優越感と申し訳なさを感じる。
黒く重厚な門の下を通り抜け、石の通路を進むと、温かな橙色の灯りと多くの人影が見えた。そして楽しげな人々の声が耳に入ってくる。夕刻だというのにシュパレーの街は賑わっている。道行く人々の服装は多種多様で多くの商人や旅行者がいる。
石畳の道はなだらかに上へ続き、その道端には商店や露店が開いている。様々な匂いと音が混じり合う空間は確実に繁栄の街といえるだろう。どうやら門の近くには飲食店や宿屋等が集まっているようで、肉の焼ける匂いや旨そうな汁ものがある。
しかし悲しきかな、それら良い匂いに混じって異臭が私の鼻をねじ曲げる。何よりそれは他の都市部でもよく漂う臭いだ。人が多いという事はそれだけ排泄される様々なものも多いという事だ。道には何かの骨や残飯が散らばっており、人々はそれらに見向きもしない。人間がその原因なのだから当然の事だろう。
ある者は露店で購入したスープが口に合わなかったらしく、器にたっぷりと注がれた具や汁を道に捨てている。ある者は骨付き肉を鷲掴み、獣のように貪り食うと、所々肉の残る骨を投げ捨てる。まるで地面がゴミ箱であるかのように次々にものを捨てる様に私は嫌悪感を覚える。
どうやら部下達も清潔とは程遠い環境に困惑しているようだ。南スラーフの都市は比較的清潔であり、そこで長期間過ごしたためそのような違いもあるのだろう。比較的清潔といってもそれは私の知っている価値観と離れているが、それでもシュパレーの街より良かった。まだ養豚場の方が清潔かもしれないと心に思いながら道を歩く。
「なんというか、ムステやムハーラ、南スラーフと違って凄い場所だな。」
「カラシャもそう思いますか。」
「ああ、もしかして南スラーフがムハーラと同じだったのは貿易してるからか?」
「そうかもしれませんね。ムハーラ、東の大陸は文明がここより進んでいると聞きます。文化の流入による産物でしょう。」
ともかく我々は衛兵の案内のもと、40余名の寝床へ向かう。衛兵隊長は私を厚遇しているようであるため寝首をかかれる場所へ連れていかれる事はないだろう。
賑わう商店街を抜けると灯りは小さくなり、暗闇が増していく。すでに空から日は消え去り、月がふたつ黒い空に輝いている。だが月の光は弱々しく、星は普段よりもどこか見え辛い。時折潰れた商店を横目に暗い夜道を見つめる。
「着きました、ここです。」
衛兵の悠然とした声に私は彼の方を見る。目の前には大きな建家が建っている。石造りの壁と木製の屋根、中からは灯りがぼんやりと漏れている。
「あまりここには客が来ません。中々良い店なのですけどね。」
「案内ありがとうございます。隊長にもそう伝えてください。ああ、それと何分手持ちがほとんどないもので......これを。」
そう言って私は衛兵に南スラーフの高価な酒を数人分ほど渡す。これ以上貨幣を流出するのは避けたい。それに銀貨を渡すより好物を渡す方が効果的だろう。酒を好まない者などこの大陸にはほとんど存在しない、酒は全ての苦しみを忘れさせてくれる。
「ありがとうございますハイエナ様。もし商売なさるなら北側の市場へ行かれるのがよろしいかと、あそこは規制も他に比べ緩くやり易い場所です。」
彼は一礼すると仲間とともに来た道を戻っていく。私は眠気を堪えながら、同じように目を擦るマカやカラシャ、部下達を宿屋へ入れる。




