36 貧者と司教
北スラーフにおける方針と対策を考え付くと、それを頭の片隅に入れておく。この世に生まれてから痴呆症が酷くなっているため不安が残るが、羊皮紙に記録を取っているから問題はないはずだ。ただ、馬車の揺れに負けて少々字が汚いため、後の自分が正しく読み取れるか、きっと修正すべき事だろう。だが、私にそのような気力は残っていない。
凝り固まった身体をほぐしながら、横になり呆ける。そのまま目を瞑り、熟睡しようかと考えたが、不意に騎士ラーテの言葉を思い出した。その言葉を繰り返し頭で再生し、何かそれに対して考えようとするが、中々に答えを出す事はできない。
「ハイエナ、また難しい顔をしているね。」
マカが私の顔を除き込むように話しかける。私は彼の顔を一瞥した後、青い空の方へ顔を向ける。
「ああ、今頭に難しい問題を抱えているんだ。だから顔も難しくなる。」
「その難しい問題っていうのは何?」
「それは......。」
「僕には言えない事?」
友人に相談するべきか、しないべきかを決めるのは私ではない。決定するのは利益だが、彼の緑色の瞳の前にはその信条も形無しだ。なぜ彼には全てを打ち明けたくなるのだろうか、私には理解できない。
「ラーテから騎士見習い、従者にならないかと提案があった。」
「ええ!?」
マカは心底驚いたように大きく反応した。無理もないだろう。こんな私が騎士に勧誘されるなど意外の言葉しかない。
「どういうこと?」
「数日前、ラーテ様から仕えろと、そうすればいずれ騎士にしてやると言われた。」
おそらく彼はラリカの不明な収入を私の行為だと気づいている。だから私と私の隊商を取り込み、ラリカ内での勢力を拡大し、地位を高めようとしているのだ。私が彼の従者となれば恩恵も十分にあるだろうが、隊商の仕事を続けられるか自身がない。さらに騎士は直接的に戦闘を行うため、今以上に危険がある。
提案を断った場合は、ラリカ伯爵に武器の流出を報告される可能性があるため、明確に断る事はできない。つまり、私に残された道はラーテの従者となってより危険な状況へ進むか、返答を遅らせる事だけだ。あまりに遅い場合は同様に破滅が待っている。
「でも平民は兵士でもなければ騎士になれないはずだよ?」
「そこはラーテ様がどうにかするんだろう。彼も平民から騎士になった人間だからな。しかし、唯一の救いがあるとすれば、南スラーフは他の地域と比べて平和だから平民からの騎士選出に多少抵抗がある。でもラリカとサヴァラは戦争してるからそれも過信できない。それにラーテ様はほぼ強制的に従者に取り込もうとしている。」
「ハイエナ......。」
マカは何かを訴えるような目でこちらを見つめる。私はその意味を理解していた。
「大丈夫だ、仲間は見捨てないし、何とかする。俺が嘘言った事あるか?」
「あるよ、たまには。」
「いや、そこは否定してくれよ。」
彼は即答し、私は黙り込む。そうきっぱりと言われては返す言葉などない。それからしばらく両者ともに沈黙が続くと、それを破るように部下が報告しに来た。
「ハイエナ様、報告しま......す。」
彼もまた微妙な空気を感じ取ったようで、声に迷いが含まれている。
「よろしいでしょうか?」
「構いません。」
「先遣隊が前方に大きな野営地を発見しました。確認したところ、聖教の慈善活動のようです。どうされますか?」
次の街まで一日ほどの距離があり、日も傾き始めている。盗賊に襲撃される可能性があるため野営を行う場合はより大人数の方が良いだろう。さらによほど余裕のない盗賊でない限り、教会施設を襲撃することはないため安心して眠れるはずだ。
「では、誰か先行して野営地の門衛に事情を話すように言ってください。今日はそこに泊まります。」
「分かりました。」
報告してきた部下は指示を飛ばして軽装の者を遣いにに向かわす。他の者はようやく休めると分かって安堵した表情で談笑している。私も彼ら同様に疲れた目を安心して熟睡する事によって解消できると期待しながら道の先を見る。
大きな野営地と報告にあったが、それは本当に大規模なものだった。丸太で作られた壁と門の周りには敵の侵入を阻む掘りと杭があり、簡易やぐらも建っている。まるで野営地というより野戦用の砦だ。そして砦の中にはおそらく三百以上のテントがところ狭しと敷き詰められている。
私が野営地へ近づくと門衛が不振そうな顔で先に来た男の関係者かと、そしてお前は頭かと聞いて来た。私がそうだと答えると、門衛は私を門の内側、テント群に案内する。
テント群を歩いていると、泥と血の匂いが鼻を掠める。よくみればテントの中には負傷した農民らしき男や虚ろな目の女性、子供が大勢いる。中には焚き火に集まって話し込んでいる者もいる。そして、皆一様に暗い顔をし、仏像のように無表情でいるため不気味だ。ここはとても陰気くさく、生気がない。なにせこちらを見つめる小さな子供まで、手を降ってもニコリともしないのだ。さらに不可解なのは壁の内側にも杭が打ち付けられているということだ。
そうして野営地の奥へ到達すると、一際大きなテントの中へ通される。その中へ進むと、まず目に入ってきたのは疲れた表情で一心不乱に何かを書き続ける聖職者達、そして、彼らの奥に私を見つめる聖職者が肩肘をついて座っている。彼も他の聖職者と同様に疲れた目をしている。
「もっと近くに。」
そう門衛は私に言い、聖職者のところへ行くよう促した。私はその指示通りに彼の近くへ進む。
「なっ、なんだお前は!? ここは許可された者しか入ってはいけない。」
「うるせぇ、俺はそこにいる奴の付き人だよ!!」
急に後ろが騒がしくなったため振り返ってみれば、そこにはカラシャが門衛と取っ組み合いしていた。身体の大きい彼は3人以上の門衛相手に善戦している。
「あー門衛さん、その人は私の付き人です。」
「例えそうであっても許可のない者を書類置き場に通すわけにはいきません。」
「彼を離しなさいクラウ。」
肩肘をついていた聖職者はいつの間にか背筋を伸ばして綺麗に座っている。そして、目と同じく疲れた声で門衛に指示を出した。
「しかし司教様......。」
「構いません、この陰気な野営地を見れば、その者の主人に対する心配も無理はないでしょう。アマンとジャブも下がりなさい。」
「はっ。」
門衛達はその男の指示を渋々受け入れ、テントの外へ出た。なんと目の前の疲れた顔をする男は司教なのだ。本教会で働くような秀才がなぜこのような辺境で慈善活動をしているのか理解できない。そして、彼は私の方へゆっくりと顔を向けた。
「身分証はありますか?」
「身分証ですか?」
「ええ、ここに滞在するには身分証が必要です。」
「あのテントに住まう者達に身分証があるようには見えませんがどういうことでしょうか?」
「彼らは日々の生活に困窮している人間で武装などあるはずもない。だが、貴方達はその見た目からして商人であり、なによりも武装している。だから安全だと分かるものを示してください。」
私は彼の言葉に反論する気など起きなかった。彼の身分を恐れたのもあるが、彼の言っている事は正しい。敵かもしれない武装した集団を確認もせず野営地内に入れては治安維持にならない。だからこそ私にも躊躇いがある。もし彼らが本物の聖職者でなかったら、私はまんまと敵の罠に嵌まるのだ。可能性がある以上は金貨10枚の身分証を安易に渡したくはない。
商人ギルドで聞いた話では、北スラーフは南以上に聖職者権の不正利用が多い。生活に困った聖職者が職権を他人に売る行為が多発しているため教会や信徒は混乱している。教会の中には改革に勤しむ者も多いが、腐敗を望む者も多いため、このような状況下では慎重になるべきなのだ。
「では司教様、貴方の身分証も見せていただけないでしょうか?」
「いいでしょう、これです。」
彼は近くにある書類の束の隙間から分厚い羊皮紙を取り出すと、私の前に広げた。
「失礼しましたポム司教様、どうか無礼をお許しください。」
「構いません、貴方の気持ちは分かります。今の教会は何かと腐敗していますからね。では、貴方の身分証をお願いします。」
私は司教の言葉に従って身分証を差し出した。彼は膨大な量の文章を集中して読んでおり、丁寧ではあるが素早く全てを確認しているようだ。これがラコテーの役人なら印章と名前を確認するだけだろう。
「確認しました、問題ありません。滞在を許可します。」
「よかった、ありがとうございます。」
「ああ、待ちなさい。まだ話は終わっていません。貴方に頼みたい事があります。」
「頼みですか?」
「ええ、教会は弱者救済のため余裕のある人々から寄付金を募っています。ご協力を。」
つまり、司教は金を払えといっているのだろう。任意とは言うものの、これは半強制的な徴税だ。しかし、彼は高圧的でないからきっと良い方だ。
「すいません、生憎と持ち合わせがなくて、ですが、その代わりに積み荷から出来る限り食料を提供させていただきます。加えて武具も少しはあるため門衛の皆様に寄付を......それと、司教様のご厚意へのお返しに酒樽を2つほど。」
私が酒と言った瞬間に、今まで静かに仕事をしていた聖職者達が一斉にこちらを見た。あまりの首の速さに私は恐怖を感じる。
「おお、食料は有難い限りです。では、泊まる場所は一番良い所へ、外の門衛に案内させます。それと......。」
「もしこの街道の次の街を目指しているならお止めなさい。そこは戦争によって人の流出が多く商売できる状況ではありません。利益を望むなら、その街の次の場所です。」
「ありがとうございます。」
「教会と我々は貴方の善意に感謝しています。どうかお気をつけて。」
門衛に促され、私は司教のテントを後にした。彼は疲れた優しい目をしているが、どこか不気味な雰囲気がある。まるで兎の皮を被った虎のような獣と、そんな気がしてならなかった。
納める品々を門衛に渡した後、日は地平線の向こう側へ向かおうとしており、部下達にテントの設営と休息を指示した。全員が疲れた様子で焚き火を囲むが、食事の時間になれば自然と元気になる。そして、いつもなら酒を飲み数人の顔が真っ赤になるはずだが、今日に限ってそれはなかった。
商人や召し仕い達は恐る恐る野菜煮込みを食べ、護衛兵達は楽しく笑っているものの、その目線は周りのテント群へ向けられている。そしてテント群からは、浮浪者達が私達と鍋を見ている。まるで飢えた獣のような目で一切の瞬きなく、二十人ほどがこちらを凝視しているのだ。
なぜ司教があれほどまで食料の提供に喜んでいたのか納得がいく。この野営地はあまりにも救うべき人間が多いようだ。おそらくこの砦は街に物乞いを放たないようにするための施設で、ここにいる武装聖職者の本当の敵は彼らかもしれない。今思えば、壁の内側に打たれている杭は脱走防止のもので、安全と程遠い場所にいるのかと考えてしまう。私達は司教の保護を受け、武装もしているため今飯を食べていられるのだろう。
「カラシャ。」
「なんだ?」
「皆に野営地内では1人で出歩かないように注意しておいてください。それと排泄は我々のテントの範囲内に穴を掘って対処するように。」
「了解した。ハイエナは今から司教様のところへ行くのか?」
「ええ、そこに迎えも来てますから。」
私の視線の先には武装した門衛が2人、松明を持って立っている。彼らの視線の先はおそらく周りの浮浪者達だ。
「そうか、気を付けろよ。」
カラシャはそう言い、器の野菜を胃に掻き込む。私は気だるそうに立ち上がると、門衛に連れられて薄暗いテント群を進む。明かりとなるものは門衛の松明と地平線からの微妙な光、浮浪者達の焚き火の小さな灯りであり、それら全てが頼りない。
再び司教のテントに着くと、中からは蝋燭の弱々しい灯りと、それに照らされた人影がひとつ見えた。門衛達はテントの入り口に立ち、私にテントへ入るよう顎で指示する。私は不快感を顔に表しながら司教の待つテントへ入っていく。
テントの中では前とまったく同じように司教が座っている。私は前へ進み、手に持っていた羊皮紙を司教の机へ置いた。
「納品した品々の一覧表です。ご確認下さい。」
私がそう言うと、司教は無言で同じように確認していく。先ほどと、ほとんど変わらない動きで羊皮紙を見つめる彼は確実に仕事の虫なのだろう。
「確認しました。全て問題ありません。すいませんね、こんな時間に来てもらって。」
「いえ、そんな事はありません。」
ポム司教は高位の聖職者にしては物腰の柔らかい人物だ。聖職者は高位になればなるほど、より高圧的になると聞く。それは学歴社会に生きる上昇思考の強い亡者のようだとフォルンツから教えられたが、目の前の司教からそのような意識は感じられない。あれは嘘だったのだろうか、もしくは司教の演技であるのかもしれない。
「ところで、ひとつ貴方に聞きたい事があります。」
「何でしょうか?」
「今の教会をどう思うか、教会に必要なものを正直に話してみなさい。」
彼は唐突に私にとって意外性十分な話題を振ってきた。なぜ一介の商人である私に、司教がそのような事を言うのか、とても理解できない。だが、何かしら考えを答えなければならないという事は私にも理解できる。
「よろしいのでしょうか?」
「構いません。」
「では、今の聖教会は腐敗し落ちぶれています。それは何故か、理由を挙げればキリがありませんが、確実に言えるのは聖職者の妻帯と聖職者権の売買でしょう。」
「続けて。」
「帝国崩壊以降、教会はその勢力を拡大し、この大陸における最も強大な組織として繁栄しました。ですが、組織が大きくなればなるほど上からの改革は難しくなります。人間には善人と悪人が存在するように、教会の聖職者達にも腐敗者が存在します。彼らを罰するほどの制度と人員もなく、また世俗の介入により教会上層部は混乱を極めている事でしょう。それは商人ギルドの末端にすら伝わっております。」
「ですが、聖職者の妻帯も見方を変えれば悪い事ばかりではありません。地方では労働力の不足により司祭様達が困窮しております。だから労働力を補うため、あるいは司祭様が仕事に集中するためには妻帯も必要な事です。ただし、集団による姦淫や聖職者権の売買は擁護するのに苦しいかと......。」
「つまり、腐敗した教会に必要なのは緩やかな制度改革と大量の資金や人員かと私は思っております。」
私が話した内容は全てフォルンツの受け売りだ。果たしてこれが目の前の無表情の司教を満足させるに至る内容なのか、私は焦りと緊張で額に汗をかいている。
「ありがとう、貴方の話は素晴らしかった。何より南部の商人ですらその事に気づいていると知る事ができました。」
「恐れ入ります。」
「構いません、もう遅い時間です。ゆっくりとお休みなさい。」
「失礼します。」
そう言うと私はテントから出て、安堵のため息を漏らす。外に出ると門衛達が同情の顔でこちらを見ていた。彼らもこういった経験があるのだろうか。だとしたら私は罰を受けないほどの、司教を満たすほどの考えを言えたのだろう。
私の気持ちとは裏腹に、吹き付ける夜の風は、この時期にしては生暖かく不気味な風だ。私は背中に複数の視線を感じながら、門衛に連れられて寝床へ向かう。




