35 北行と雑談
ラーテとの会話は杯に酒をもう数回注ぐほど続くと、やがて話題もなくなって、彼は平然としながら年季の入った鉄兜を被り、私に別れを告げて戦地へ赴いた。鉄と革の兵士達が彼に付き従い、その姿を見た平民達が手を振って声を上げる光景は彼の能力や普段の振る舞いを表していた。
ある若い女性は家事の手を止めるとひたすら彼を見つめ、ある男性達は敬意を示すように下を向く。その関係性は幾人もの領主が望むそれだが、一介の騎士がそれほど尊敬されているのは驚くべき事であった。領主貴族であるラリカ伯爵よりも平民あがりの現場指揮官が親しまれるというのは仕方のない事なのだろう。城塞付近に住む平民からすれば伯爵の庇護を受けているという実感は得にくく、顔を見る機会は少ないため自然とラーテを信頼するのだろう。私としては地元住民にラーテと懇親の間柄という印象を持たれているため助かっている。ただひとつ難点があるとするなら、ラリカ領内で私に寄って来る女性達は皆ラーテ目当てという事だろうか。
北へ向かう道すがら、そのような事を考えつつ北スラーフでの商売について思考を巡らせている。北スラーフで売れそうな商品をかき集めた結果、数台の馬車には魚の燻製、麻の服、塩、酒と多様な品物が積み込まれている。ギルドの商人いわく、魚類と麻の服は北側の内陸部では手に入れずらく比較的高値らしい、塩と酒は生活必需品であるため安定した収益を得られるが、それらだけでは不十分だ。
海運や沿岸部での多様な商業形態を取る南側と違って、北スラーフの商業形態は生活必需品の取引を中心としており、その価格は市場全体で安定するが、地域によっては価格競争が激しい。それ故私は馬車の一番奥に鉄の武具と布鎧を隠している。戦乱渦巻く北スラーフでは武器防具ほど人気の商品は存在しない。さらに布鎧はあまり市場に出回っておらず独自性の強い商品であるため生活必需品以上に安定した利益を出せると踏んで持ち込んだ。もしそれが、北部に存在する多くの新米傭兵に人気が出れば、布鎧はとてつもない稼ぎ頭に変わるだろう。
「ハイエナ様、ご報告があります。」
馬車に揺られながら目蓋を閉じて泥だんごを作るように計画を考える中、それを両断するような部下の報告に私は自然と気分を害してしまう。部下の手前、決して不快を口に表す事はしないが、彼は私の表情から少し躊躇った素振りを見せた。その事に気付き、心中慌てながら平静を装う。
「どうしました?」
「先遣隊が盗賊に襲われましたが、我々の被害はありません。敵は10人ほどの農民で女も混じっていましたが、問題なく全員殺害しました。」
「はぁ、またですか。ラルテー城を出てからこれで5度目の襲撃か。」
盗賊の襲撃は我々からしたら苦悩でしかない。いや我々というより私というべきか、部下達、特に護衛兵は生ける補給品袋の到来を喜んでいる。襲撃してくるのは貧しい農民ばかりだが、稀に酒や携行食料を持っている者がいるため兵士達は昼過ぎの軽食を楽しんでいる。
「ハイエナ、そんなに落ち込んじゃだめだよ。ほら気分転換にこれ食べて。」
そう言いながらマカは私に小袋を手渡した。袋を開けると、羽アリと干し果実がぎっしりと詰まっていた。
「マカ、これは?」
「護衛兵の人がくれたんだ。盗賊から剥ぎ取ったんだって、甘いものを食べると心は健康になるよ。」
「そうか、ありがとう。」
そう言うと私はおもむろに袋から菓子を取り、口に放り込む。隣に座る名手は弩の手入れに夢中なようで、これ以上の会話はなかった。このまま静かな時間が続くと思われたが、その考えは芸術家によってすぐに消え去る。
「ハイエナ殿、いらっしゃいますか?」
「いらっしゃいますよ、フォルンツ殿。」
フォルンツには布鎧の生産指導を任せたはずだが、なぜか着いてきた。ラルテー城から出発する際、護衛をつけてエートルまで送ったはずだが、いつの間にか彼の弟子と入れ替わっており、彼自身は樽の中に隠れていた。彼の潜入に気付いた時にはもうすでにラルテーから出発して3日経っていたため引き返す事を諦めた。なぜ職務を放棄したのかという私の問いかけに、彼は弟子達が指導するから問題ないと言い、自分がいると北部で動きやすくなると主張した。信頼できる案内人は確保できなかったため、私は渋々と彼の言う事を受け入れた。
「いや中々に物騒ですね。貴方としては頭を抱える問題でしょう。」
「ええ、本当にそうです。先遣隊はともかく本隊の護衛兵まで略奪に参加したがりますし、移動中の食事は控えて欲しいものです。好戦的な者はエートルの隊商に置いてきたはずですけどね。そもそも盗賊の数が多すぎます。」
「まあ仕方ありませんよ。北部では領主の庇護下にない農村部が増えてますから自然と盗賊も増えるのです。さらに言えば、自由を求めて農村から出たはいいものの働き口のない元農民からすれば盗賊になる他はないのでしょうね。」
フォルンツは南スラーフで活動していたはずだが、やたらと北スラーフの事に詳しい。彼は芸術品を売り込む必要があるから北にも行った事があると言っていたが、私は彼の詐欺師のような雰囲気に何か引っ掛かっている。だがそれを確認する程の余裕は今の私にはないため保留中だ。
「盗賊になるぐらいなら奴隷か物乞いになればいい。」
「そうもいきませんよハイエナ殿、聖教の教えによって価値観が変化した今、帝国時代のようにはいきません。農奴は収入の8割を教会と領主に持っていかれ、かといって物乞いになれば衛兵に投獄される危険もある。その場合、牢屋の中で凍えて死にます。さらに教会は物乞いを恥じと教えていますから、そういう生き方をできない人間もいのるですよ。」
「ああ、分かっていますよ。労働観と宗教観の変容が不利益を生み出していると、どこぞの学者が本を書いてました。しかし、フォルンツ殿はなんでも知っていますね。」
「ええ、私はなんでも知っていますとも、だから好きにお使いください。費用はいただきますがね。」
目の前に座る芸術家は自身満々にそう言いながら胸を叩いた。依頼から屁理屈で逃げた人間が言える言葉と思えないが、不思議と彼に不快感を抱く事はなかった。
「費用ですか、フォルンツ殿は一体何に金を使うので?」
「使い道ですか?」
麻袋に包まれる頭をあざとく傾け、彼は私の問いに答えるまで十数秒の時間を要した。
「そうですね、他の芸術家の作品を買ったり、美しい小物、異国の食事や服、女性とのお付き合い、あとは弟子達と酒を飲む事ですかね。ハイエナ殿は何にお金を使いますか?」
「私は収入のほとんどが維持費と投資に消えますからね。ああ、ひとつだけ私的利用するとしたら本、読書ですね。」
「おお、素晴らしい趣味をお持ちではありませんか。悲しいことにひと昔前は低俗な道楽として蔑まれ、読書家は笑われたものです。近年は読み書きできる者が増え、再び価値あるものとして愛好する人も出てきましたから私は嬉しい限りですよ。値段がややお高いため高級品扱いなのは悲しい事ですがね。」
彼は今笑顔だと分かるほどの声と身ぶりで熱く語っている。私は普段、彼の麻袋の下を見ようという気持ちを抱く事はないが、今だけはどのような顔なのか見てみたい気がしてならない。だが決して利益を重んじるなら、それは悪手だろう。
「だいぶ熱く語りますね。フォルンツ殿は本を好いているのですか?」
「ええ、特に恋愛物語は好きですよ。今の流行りは成り上がりで、若手の商人や女性にも人気があります。その手の貴婦人とそれを話す時は私も時間を忘れるほど盛り上がる。趣味が合うとは、人間関係を築く上でそれだけ良いものです。」
「確かにそうかもしれません。」
「ですが気がかりな事もあります。教会や領主、強大な力を持つ組織の制約が存在する分、自由に本を作る事ができません。さらに読書が一般に解放された今、中々偏りもあるのです。」
「まあ物事には複数の面がありますから仕方のないことですよ。」
そこで一旦話は途切れた。フォルンツの方を見ると、どうやら熱く語り過ぎて喉が干からびたようで、皮袋から酒を飲んで潤している。麻袋の下から水分を取る様子に思わず私は笑ってしまうが、彼は気づかずそのまま飲み続けている。
なぜ彼は飲食の時ですら麻袋を取らないのか、よく分からない。彼は知識のために麻袋を被っていると言うが、本当は顔に大きな傷でもあるのではないだろうかと思う。もしくは、ずっと着用するあまり麻袋が身体の一部と化してるか、麻袋中毒なのかと予想する。
「ああそうだ、ハイエナ殿に言い忘れていた事がひとつあります。」
彼は先ほどまでと違い、真剣な様子で私の方を見る。その様子に私は驚きながらもすぐに真顔で対応する。
「なんでしょうか?」
「北スラーフでは現在、異教狩りが盛んに行われています。」
「異教狩りですか?」
「ええ、ハイエナ殿は異教についてどこまで?」
「いえ、何も知りません。」
私がはっきりと無知であることを公言すると、彼は間を置いてそれについて話し始める。
「異教とは、聖教以外の宗教を差す言葉です。帝国崩壊以前から、聖教は求心力を高めるため、あるいは来るべき過酷な時代を乗り切るために異教を排し、宗教統一を目指しました。その過程で多くの犠牲と聖教と異教の最悪の関係が生まれ、時には穏健派による和解もありましたが、結局は対立したままでした。」
「異教と一括して言いますが、その数は無数にあります。狼信仰、熊信仰、蛇信仰等の動物信仰に始まり、怪物どもを崇める宗教も存在します。怪物信仰に関しては帝国崩壊以降の話であるため別枠と考えるべきかもしれません。とにかく異教は多いのですよ。」
「数ある異教徒の中でも狼信仰者は特に迫害されました。獣は概して森を開拓する上で障害になりますから、民衆や開拓を推し進める教会からすれば最悪の存在なのです。一方で最悪とは、時に最良ともなる。民衆の不満の捌け口には最適だと、教会はそう判断しました。だから虐殺が繰り返され、修復不可能な不和が生じるのです。」
「異教徒達は武器を取り、教会関係者と敬虔な聖教徒を虐殺しながら戦い、いつしか北側では、それが当たり前の、日常となったのです。」
「つまり、北スラーフでは苛烈な宗教戦争が起こっていると?」
「ええ、規模自体は小さいものですが、負けた方は皆殺しが基本です。それに異教徒による一般人への襲撃もありますし、時には聖教の武装兵による徴発もありますから悲惨そのものです。我々が攻撃される可能性も十分にありますからお気をつけを。」
彼の言葉に私はまた頭を抱える。そして、胃から込み上げてくる昼食を押さえるべく口を手で塞ぐ。北スラーフでの安定した商売を見つけ、市場開拓を行いたい私からすれば、農民盗賊による遅延だけでも悩みの種であるのに、そこへ宗教戦争と来れば吐きたくもなる。戦争は商人にとって、時には毒にも薬にもなると理解した。
ともかく、私は実害及ぶ前にそれらの対策を講じ、実現させなければ、自分の命すら守ることはできない。しかし、これ以上護衛兵を雇うのは金がかかり、現時点ではとても十分な対策を思い付く事はできない。
「どうしろと言うんだ......。」
吐き気が収まり、その代わり私の口から不満が漏れた。それにマカが不安そうな顔をするが、私は無理に笑顔を作って大丈夫だと訴える。そして、小袋から菓子を取り食べるが、依然として心は癒されない。




