表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残党狩りのハイエナ  作者: マトイ
生存編 利益のために
34/78

32 酒と忠告

 

 徹夜での作業というのは概して精神的負荷が大きい。特段、やるべき事が多い時など本当に自殺願望が心に湧くものだ。私の現在の状況は成功以外の選択肢は全て死に繋がるため、道はひとつしか存在しない。逃亡はいずれ敵に殺され、停滞は自殺となり、失敗は仲間に殺される。故に進むしかない。泣き言を言っている場合ではないのだ。


 そう自分に言い聞かせるのは何度目だろう。必要な書類の整理も終わっていないというのに睡魔は次々と襲いかかってくる。何度振り払おうとも決して無くなる事はない。


 エートル衛兵隊の兵舎の隅にて、部屋ひとつを借りて遅れていた仕事を片付けている。ある程度商人達が露払いしたとはいえ、残っている仕事は多い。私は横目で羊皮紙の束を見た。すると底なき絶望感と睡魔が一気に押し寄せてくる。


 我慢虚しく忍耐は限界となり、そして私はそれらに対抗するため鞄から薬草を取り出した。それはハシャからもらった気付け薬であり、服用すると頭が一瞬にして冴える一品だ。酒と共に薬草を口に押し込み、少し咀嚼しながら飲み込む。しばらくすると、感覚が鋭くなり、眠気が吹き飛んだ。


「あああああああ!」


 喉から絞り出すような声が勝手に出てくる。そして、私の腕は激しく痙攣した。震えは数十秒後に収まり、その後には脳に満足感が広がる。


 私は洗顔するような動作と共に大きく息を吐き、どうにか冷静になろうとする。そして、気づけば眠気はどこか遠くへ消え去っていた。後悔と共に謎の倦怠感に襲われ、私は風と水分を求めて兵舎の外へ出た。







 外へ出ると冷たい風が私の服を突き抜ける。突風ともいえるような風は一瞬にして現れ、消えた。普段なら寒さに耐えかねて部屋に籠るが、今はその冷たさを心地よく感じられる。


 また風が吹き、私は両腕を広げて全身で心地よさを感じる。すると吹き抜ける風の中に甘い匂いが混ざっている事に気づいた。果実の甘い匂いが私の鼻を刺激する。その匂いに誘われ、匂いの元を探すと焚き火に揺れる人影が見えた。正体を確認すべく近づくと、その人影はカラシャだった。


「カラシャ、ここで何をしているのですか?」


「ああ、ハイエナ。なに、こんな寒い日には温かい飲み物が欲しいと思ってな。」


 すると彼は手に持った杯を見せてきた。杯からは熟した果実の甘ったるい匂いが漂ってくる。


「ハイエナもどうだ?」


「いただきます。」


 私は差し出されたもうひとつ杯を受け取り、焚き火を挟んでカラシャの前に座る。杯の中は赤色の液体で満たされており、杯に鼻を近づけると果実の匂いが脳に達する如く香る。恐る恐るその赤色を口に含むと同時に糖蜜のような甘さと感触が口から喉に広がる。


「とても......美味しいですね。」


「そうだろう、これは姉さんに教わった果実酒だからな。旨いに決まってる。」


 そう言って彼も果実酒を美味しそうに飲んだ。


「リネの実とイオの花を混ぜて作った酒だ。ワインが切れた時に飲む酒だが、こっちは手軽に作れるし教会も文句言わないから良い酒だ。」


 リネとイオはこの大陸の至るところに生えている植物だ。リネは野イチゴのような見た目で、森や平原等どこにでも生える。その繁殖力から入手も簡単であり、よく子供達がお菓子として食べている。イオは道端に生える植物で、人通りの多い街道沿いで見かける。香草や飾りとして料理に多用されている。


 カラシャが杯から全ての酒を飲み込むのを見ながら、私も一口飲む。夜の風で冷えた身体に赤い果実酒の温かみは、まるで重患者を癒すような力を持っている。


「ワインより弱い酒、しかし本当に美味しいですね。」


「おう、正直飯時は全部これでいいぐらいだ。」


 目の前の甘美な飲料を称賛しながら、ふとワインという単語に疑問を覚えた。この世界では全ての言語が通訳され、言葉の壁がほとんどない状態だ。そんな中でワインという単語が存在するのはどういう事であろうか。単に翻訳の問題なのか、謎の力は私の思考まで解析しているのだろう。本当にこの世界は不思議に満ちている。


 寒さで震える手を抑えながら、寒気を完全に取り除こうと杯に残った果実酒を飲み干す。そして、杯を返すべくカラシャへ目を向けると、彼は何か言いたげな様子でこちらを見ている。


「どうしました?」


「いや、聞きたい事があってな。あの農民連中の事だ。なんで人員と物資を割いてまであいつらを助けるんだ?」


「カラシャ、それは前にも話したはずです。盗賊討伐にかかった費用を補填するための投資と彼らが飢えて盗賊化するのを防ぐためです。部下への支払いとその他諸々の経費は大きくなる一方ですから、事業を拡大しないと儲けられません。」


「それは、少し嘘が混じっていると思う。ギルドの商人どもは、よく嘘と事実を織り混ぜて利益を出すもんだ。」


 彼は背中を丸め、少し焚き火に前屈みになりながら話す。彼の目は、戦場で逃げる敵を仕留める時のものに近い。猫のようなそれはひたすら私を見つめる。


「なぜ?」


「直感だ。」


「はあ、分かりました。では、正直に話しましょう。彼らに、少し情が移りました。」


「そうなのか、珍しいな。何に同情した?」


「貴方にも分かるはずです。故郷に帰れず、あるいは破壊され、途方に暮れながら貧困に喘ぐ彼らの気持ちが理解できるでしょう。」


「確かに理解できる。だが、それは我々に破滅を招く行為だぞ。」


 目の前で背を丸め、どこか哀愁を感じさせる彼ではあるが、その目は据わっている。口元は焚き火で照らされているが、月明かりが出ていないためほとんど暗い。


「それも理解しています。でも、私の稚拙な脳ミソで最大限を考えた結果がこれなのです。他の選択肢を全て悪手と考え、自身の選択を最善と思い込むしか私には能がないのです。」


 私の必死の言い訳に、彼はしばらく沈黙する。嘘ではないが、事実でもない話というのは、どうやら私には扱い辛いものだったらしい。


「そうだな。今は、そう考えるしかないか。いや、すまなかったハイエナ。」


「いえ、別に構いませんよ。」


「ところでハイエナ、こんな話を知っているか? ある地域での農民反乱の話なんだが、重税に耐えかねて農奴を含む農民達が領主に反乱を起こした。彼らは怒りに身を任せながら取立て人や役人を惨殺し、遂には領主の親衛隊、騎士の駐屯する城まで迫った。騎士30名に対し、農民側は700名ほどだ。」


「それで、最終的にどうなりました?」


「騎士が勝ったよ。30名で700名に勝利したんだ。騎士はひとり10殺だそうだ。」


 彼は時折間を使いながら、まるで街角の吟遊詩人のように話す。これもシャラ、彼の姉に教わった事だろうか。


「それは、なんとも信じ難い話です。」


「まあ、いくつか理由はある。まず、職業軍人と農民では戦闘において圧倒的に差がある。そして、それは装備品の面でも同じだ。騎士は重厚な兜や鎧に身を包み、上質な槍と剣を携える。それに対して農民達の装備品は雑多で粗末な農具ばかり、中には半裸や裸足の者もいた。」


 カラシャは時折果実酒で喉を潤しながら、口軽く語る。


「さらに戦った場所が橋の上という事も関係していて、何分狭いから農民達も数の利点を活かせなかった。士気や統率力は及ばず、装備や練度も違う。ある場合において数などは問題にならない。むしろ楽観的な思考を生み、時に自身の敗北を確定させる、という事だ。」


「つまり、私の数打って当てる戦法というのはあまり良いものではないと言いたいのですか?」


「見極めろって事だよ。数を揃えても無駄ばかり、質に頼り過ぎればいずれ押し潰される。だから頑張って最善を見出だしてくれ。俺と部下達はハイエナを信じている。」


「喜ぶべき事なのでしょうか? そのあまりに色々と強引な気がします。」


「そうだとも、喜び励め。俺も励む。」


 彼は頷きながら、焚き火の上の釜から全ての酒を飲み干した。そして、満足そうな顔で黒い空に向かって白い息を吐く。


「そういえば、次ラコテーに行く時にハシャと会うんだろう?」


「ええ、彼に今後の相談をしなければいけません。それに会うべき人間は彼だけではありません。フォルンツや騎士ラーテ、ラルテーの協力者にも顔を出さないと。」


「まあ、なんというか、大変だな。」


「ええ、大変です。こんな状況、何かに依存しなければ乗り越えられないかもしれない。」


「薬草はどうだ?」


「もう試しました。」


「そうか。思いつく限りだと、女に酒に薬草に戦争に狩りに......あとは、信仰か。」


「その中だと一番良いのは......いや、どれも最低ですね。中断もやり直しも出来ない。」


「俺がいうのも何だが、本当に大変だな。」


「ええ、大変です。」


 話を終えるとカラシャは鞄から大きな皮袋を取り出して、焚き火の上に吊るされた空の釜に中の液体を入れ始めた。おそらく果実酒であろうそれから、甘く中毒になりそうな匂いが漂ってくる。私はまだ眠れないようだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ