25 森の行軍と前夜
何度目の森の行軍か、ただこの行軍が最後だという事は分かる。笑っても泣いても最後の行軍、最後の戦場だ。土地勘のある村人と狩人を先頭に、傭兵部隊、護衛兵部隊が続いていく。前回の偵察で大人数が進める道を探索していたため危険は少ない。
森の行軍はかなり辛い。軽装の村人や狩人はともかく、護衛兵や傭兵は重装備であるためその行軍速度は微々たるものである。一応兜や鎖帷子等の装備は脱がせて歩かせているが、それでも遅い。兵士の大半は森を歩き慣れていないし、普段と違う環境に疲れてきているようだ。敵拠点に到着するまでに士気崩壊で反乱が起こる等という事態は起こって欲しくないものだ。
兵士達は見慣れない虫に驚いているようだ。屈強な護衛兵達が小さな虫に驚く姿に可愛らしさを感じてしまう。彼らの中でも都市生まれの者は、嫌悪するべき不快な虫を目にしてしまい意気消沈している。そういった者のために出来るだけ早く森を通過しなければならない。
「ハイエナ様、先行している狩人達からの報告です。敵の巡回部隊と接触したとの事で......。」
微笑ましい光景を少しばかり楽しんでいた私は護衛兵同様、完全に意気消沈してしまう。一つの報告で感情の上げ下げが激しくなるのは脳みそに悪い影響を及ぼすだろう。
「それで被害は?」
「村人が2名死亡、狩人が1名負傷しました。不意に遭遇しまったようで、敵はすぐに退却しました。」
「そうですか......狩人には警戒を厳にするよう要請してください。各部隊長には行軍を急がせるようにとお願いします。」
「はい。」
報告に来ていた狩人は列の先頭へ駆けていった。私はそれを見ながら、ため息を漏らした。対して損害が出なかったのは幸いだ。だが、優秀な弓兵の狩人に少しずつ被害が出ているのは看過できない事だ。また、敵の巡回部隊はすぐに拠点に戻っただろう。これで私達の存在を完全に認知されたわけだ。盗賊は拠点にて迎撃体制を整える。せめて敵が打って出て来ない事を祈りながら、私は遅い行軍に苛立っていた。
ここ数日で私の疲労は限界に近い状態だった。今だって連続で徹夜した時の気分だ。戦闘のための物資調達、作戦の立案、部隊の士気の維持、なにより戦場にいるという事自体が私に多大な心痛を及ぼす。護衛兵の何人かは、実際に戦場で剣を振り回し、矢を放つよりもその他の方が辛いと言っていた。食あたりで体調を崩してしまうかもしれない。病気にかかり、そのまま死ぬかもしれない。私の部隊は商人や召し仕い達が補助に入り、管理していたため病人や怪我人は問題なかった。彼らがいなければ、私は過労で倒れたかもしれないし、部隊にも動けない者が続出していただろう。本当に有難い限りだ。
そんな裏方達はエートルに帰還させた。マカも戻らせようとしたが拒否された。だから彼は今私の隣にいる。友人を戦場に送りたくないし、もし彼が死亡した場合、ラーサ院長とは顔を会わせられなくなる。子供達にも笑顔で接する事はできないだろう。だからせめて私の目の届く範囲に配置した。管理権の悪用かもしれないが、私は友人を失なって嫌な思いをしたくない。私は聖人ではないが、冷徹な悪人ではない。だから精神的に耐えられない事は絶対にしたくないのだ。
気持ちの整理をしている間に、部隊は敵拠点へ近づきつつある。数回通った道であるし、森の歩き方にも慣れてきたため、感覚で位置関係の把握も分かる。前回の偵察と違って丸1日を費やしての移動だ。日は落ち始め、森の中には暗い影が差してきた。
「よし、今日はここで野営します。全員休息の準備をしてください。」
護衛兵の1人が先行している村人と狩人の部隊と傭兵に野営を知らせにいく。
「あ、待ってください。傭兵隊長をここに呼ぶようにお願いします。」
傭兵隊長が来るまで、時間はかからなかった。何度か話すうちに分かったが、この男は私生活と仕事上での態度を明確に分ける人間だ。当たり前といえばそれまでだが、この世界では意外とそれをできない人間は多い。たとえ、女癖せが悪く、すぐ癇癪を起こして人を殺すような生活を送っていても、仕事では主人の命令に必ず従う。個人的には、仕事に情熱を向ける人間には好感が持てる。ただ、目の前の男の人間性を好くことはないだろう。私が言えた事ではないと思っている。
「来ましたね。」
「ええ、来ましたとも。それで何のご用でしょうか?」
「傭兵部隊に頼みたい事がありましてね。木を伐採して欲しい。道具はありますからお願いします。」
「あのハイエナ様、こんな事を言うのは失礼かと存じますが、私どもは傭兵部隊であって木こりではありません。私はともかく、部下達は良い顔をせんでしょう。」
「仕方ありませんね。では賃金を少しだけ上げますよ。」
私が即座に賃上げを保証すると傭兵隊長は意外そうな顔をした。何か問題でもあったのだろうか。
「何か?」
「いえ、何でもありませんハイエナ様。ただ、あまりにも簡単に報酬を上乗せしたので......。」
どうやら彼は私の財布を心配してくれるようだ。また彼の意外な一面を発見できた。傭兵なら黙って金を貰っておけばいいものを、この男は中々面倒な人間だ。私自身商人として三流もいいところだと思っている。いつも大して交渉はしない。それも私に十分な交渉力がないからだ。だから金の力で解決する。金は他の能力を補うという点でも優れている。問題も人材も技術も金さえあれば何とかなるのだ。だから私の稼ぎを邪魔する盗賊は許せない。
「まあ、それだけ貴方達を頼りにしているという事ですよ。資材の調達頼みましたよ。」
「ええ、任せてください。」
彼は快い返事の後、すぐさま部下達のところへ戻っていった。私は残りの狩人を連れて周辺の探索と待機させていた監視員のもとへ向かう。
監視員のところへ向かう道中、私は魅力的な地形を前に立ち止まっていた。惚れ惚れするような良い地形がそこに存在している。
「うん、ここは良い地形だ。」
私がいる所は即席の野営地と敵拠点の間に位置する場所だ。ここは窪地になっていて、中央に獣道のような通り道があり、敵拠点へ続いている。その両側には苔すら生えない岩が露出しており、崖のようになっている。その高さは五メートルほどだろう。そびえ立つ二つの丘は崖の如く一本道を挟んでいる。これほど良い地形があるだろうか。私は神を信じていないが、今だけはこの幸運を神に感謝したい。
探索の後、監視員が待機しているはずの場所に来た。敵拠点の東側の地点、前回偵察した時に私が待機していた。監視員がいると思っていたが、どうやらその予想は外れたらしい。そこには誰もおらず、何も気配を感じない。聞こえるのは、敵拠点からの雑音だけだ。監視員はどこへ行ったのか、迷子になったのだろうか。森の熟練者である狩人が、森で迷うなど想像もできない。もしかすると捕虜になったのかもしれない。
盗賊の拠点が近いため大声は出せない。日も落ちて森は薄暗くなってきているため捜索は出来ないだろう。狩人達には出来るだけ休養させておきたいし、敵拠点の近くで長時間の活動はさせたくない。
「撤収。」
呟くような声で狩人に帰還命令を出す。狩人達は不満そうな顔をしていたが、私は彼らを無理やり撤収させた。彼らからしてみれば、仲間が行方不明なのだ。捜索のひとつもしなければ気持ちが落ち着かないだろう。だが、私はそれを許さない。個人的な問題で全体を危険に晒す事は出来ないのだ。
野営地へ帰還する前に敵拠点を簡単に偵察した。設備は前回と何ら変わりないが、人はそうではない。よく見れば簡易砦の警備は倍以上になっている。そして、砦のあらゆる場所から焚き火の灯りと煙が見える。敵は警戒体制に入ったようだ。大方敵の巡回部隊が私達を報告したのだろう。奇襲による不意討ちは難しくなるだろう。まともに攻撃を行うとなると、敵が備えている防衛地点に兵を進めるだけになる。その場合、我々の被害は甚大だろう。
だが、そのような事態を避けるための作戦は用意してある。良い策とは言えないし、戦いにおける基本的な事を実行するだけだ。だが、基本は何より効果的で重要な要素だ。作戦が上手くいく事を願うばかりだ。
野営地には食事と作業を終えた兵士達が、交代による警備と就寝の準備に入っている。攻撃を開始するのは、もう数時間の後になるだろう。日が落ちてすぐは敵も活力がある。攻撃を始めるとしたら夜明け前、夜と朝の中間時になる。それまでは休養をとらせる。
護衛兵達は未だに虫だらけの森の中で寝る事に嫌悪感を抱いている。私も我慢しているのだから愚痴を漏らさないで欲しいものだ。私の気持ちが落ちてしまう。もし誰かが優秀な虫避けを売ってくれるなら大金をつぎ込んで手に入れるだろう。だが、ここは衰退の地エートルの森、その最奥の手前なのだ。誰が好き好んで来るか予想できない。ここに存在するのは、血に餓えた盗賊とそれを利益のため討伐せんとする者共、それらの温もりに惹かれ寄る虫ぐらいだ。
私は休養のため寝始めた護衛兵達の中央に行き、そこに重い腰を下ろした。ここ数日の慣れない活動に私の身体は疲弊している。脚や腕から内なる痛みが発生する。特に脚は最も激しく動かした箇所であるため酷く痛む。
痛みを和らげるために脚を伸ばした時、ふと横の人物の顔が見えた。マカだ。胎内にいる赤子のようにうずくまりながら、小さな寝息をたてて静かに眠っている。その端正な寝顔は私の心を落ち着かせるのに十分な力がある。
私は多くの不安を抱えている。作戦は上手くいくのか、盗賊を見事殲滅できるのか、失敗した時どのような目に会うのか、作戦が成功しても別の問題で失敗するのではないかと不安になる。彼の穏やかな顔はそれらをかき消すように私を冷静にしてくれる。
マカから目を離し、辺りを見回す。敵に見つからないように火はつけていない。すぐに立ち上がれるように座りながら眠るカラシャ、ある程度武装したまま眠る護衛兵達、慣れない行軍で深く眠る村人、その向こう側には傭兵達がたむろしている。
戦う理由は人それぞれだ。家族のため、利益のため、生活のために戦う。私は何故戦うのだろうか。もちろん、私の商売の障害となる盗賊を排除するために戦っている。だが、本当に利益を守りたいなら盗賊に金を渡して襲われないようにすればいい。多少痛い出費ではあるが、戦いのための賭けなどしないで済む。なにより自身を危険に晒さないで済む。
なんのために戦うのだろうか。誰のため、私のためだ。何のため、利益のためだ。心の中で自問自答を続ける。あまりに考えすぎると眠れなくなる。私は哲学的な事を好いていない。簡潔に物事を済ませるのが好きだ。費用対効果の良い事が好きだ。
「企業......。」
不意にその単語が思考の隅に表れた。かつて私が忠誠心を捧げ、結果として憎悪した存在だ。企業の基本的な心得のひとつに、安く仕入れ高く売るというものがある。企業というより商売の基本というべきかもしれないが、それを代表したのが企業なのだ。
企業を憎んだ私が、異世界に来て企業の真似事をしているなど、なんという皮肉だろうか。だが、真似をしなければ生き残れない。もしかすると、企業も生存を求めた者達の集合体、その慣れの果てではなかったのだろうか。今さら考えても仕方ないが、どうしてもその事が頭から離れない。私たちはただ眠れない状況に落胆しながら、私を照らす二つの月を見つめる事しかできなかった。
夜も明けぬ暗闇の中、二つの小さな崖に挟まれた道に数十人の男達が作業をしている。丸太を杭のように立てる。丸太の先端を短剣で削る等と様々な作業を行っている。皆一様に寝足りないという表情だが、それを堪えて作業してくれている。有難い限りだ。
「ハイエナ様、作業は順調です。」
「ああ、ラミン。それは良い事ですね。」
目の前の青年は夜中だというのに精力的に働いてくれている。盗賊を皆殺しにするため頑張っているのだろう。その表情からは眠気がひとつも感じられない。
「あと少しで作業が終わります。ハイエナ様から頂いた火壺も用意できてます。いくつかは行軍の際に割れてしまいましたが、まだ十分に残っています。」
火壺、ラコテーのフォルンツに作らせた商品だ。東方世界では攻城戦などに用いられるもので、強力な武器だ。南部の木々から取れる樹脂と動物の脂、特定の酒を混合したもので、火をつければ一瞬にして燃え広がる。
「そうですか。では、我々は行動を起こします。貴方方も作業が終わり次第所定の位置につくようにお願いします。その後は作戦通りに......。」
「ええ、分かっております。」
「それと、火壺も教えた通りに使ってください。投げる時は紐に火がついているのを確認してから投てきするようにしてください。くれぐれも足下に落とさないように......。」
「本当によろしいのでしょうか。」
「何か?」
「いえ、ハイエナ様の作戦に不満は・・・ありません。ですが、疑問はあります。ただでさえ城攻めの兵力が少ないのに二分するなんて、村人達の中には戦えない事を残念に思っている者もいて......。」
「まあ、すべて私に任せてください。私が成功する限り、貴方達の不満が続く事はありません。」
そういうと私はその場から離れた。向かう先は敵の本拠地だ。護衛兵や傭兵部隊はすでに攻撃の準備を始めている。ついに戦いが始まるのだ。
私の手は震えている。なぜ震えているのか分からない。恐怖しているのか、武者震いかのどちらかだろう。あるいは朝の寒さに身体が反応しているか。いずれにせよ、これから戦う事に変わりはない。両手で互いの手首を押さえるが、震えは収まらない。どうしようもない気持ちを抱きながら、急いで攻撃予定地へ向かった。
お米おいしい




