ソレが欲望
私とお兄ちゃんの関係性について考えています。
やはり恋人と呼んでよいのではないでしょうか? そんなことを考えながら私はお兄ちゃんへ朝食をもっていき、昼食のゼリードリンクを置いて家を出ます。
学校への道を歩きながら、この隣にお兄ちゃんがいないことを悲しく思っています。だからといってクローズドサークルから『今の』お兄ちゃんを出すことのリスクは十分に考えています。
そう、『今は』です『いつか』私の隣を手に手を取って一緒に歩いてくれることを信じていますが、それは今ではないのでしょう。いずれ来る日のために私は手肌のお手入れを欠かしたことはありません、きっとこの手を取れば温かさが伝わってくるでしょう。最もそれがいつのことになるのかは分かりませんが……
兄と妹、この関係性を越えるべきなのかは一考の余地があります。兄妹というのは誰を好きになろうが、どこへ行こうが、たとえ死のうが、決して変わることのない関係です。果たして私はこの関係を捨ててまでお兄ちゃんを恋人にする意味があるのでしょうか?
あるいはどこにも行かない仲良し兄妹であっても構わないのではないでしょうか? 私は一線を越えることに全くもって、欠片も、1立方ナノメートルほどの抵抗はありませんが、お兄ちゃんはそうではないかもしれません。ならば、あえての兄妹というのもありではないでしょうか?
世間の目というものがあります。しかし古典作家曰く『世間』というのに一般的に多数の人のことではなく実のところ言っている人だけが使う『大きな』主語ではないかと言うことでした。
だとしたら結局、お兄ちゃんとの関係を進められない原因は得体の知れない『世間』を何とかしようとしている私にあるのではないでしょうか? お兄ちゃんが『世間』を理由にしているのは『お兄ちゃん自身』が私を拒絶しているのではないでしょうか……考えるのも恐ろしい事実が頭をよぎります。
教室に入り、生徒らしきものが数十人入ってきたあとで先生が入ってきていつもの授業が始まります。私はこの授業とやらで賢くなれるかには懐疑的なのですが、お兄ちゃんをものにしたときに私が中卒ではお兄ちゃんの格好がつかないのではないかという世間体のためにこのどうでもいい時間を浪費しています。
できることなら、ここで鞄も授業も放り出してお兄ちゃんの元へ駆けて戻ってギュッとして欲しいです。しかし、それをやるとお兄ちゃんが失望してしまうかもしれません。私はできる子なので、将来の数十年のためにこの高校三年間を費やすのをしょうがないものとして諦めています。
校舎から校庭を眺めながら、私の頭はお兄ちゃんでいっぱいでした。ただただ早くお兄ちゃんの元へ戻りたい、この儀式じみた集団で知っていることを改めて復習するよりも、お兄ちゃんと一緒に未知のことを知りたい、その欲求を抑えながら時々の教師陣の指名に答えます。特に問題なく答え、なにやら私の態度に不満でもあるのか記憶に残らない顔を不満げにしているようでした――実際どうなのかが分かるほどお兄ちゃん以外に興味を持たなかったので分かりませんが。
しばらく退屈な授業を受け、昼食のゼリードリンクを飲み――お兄ちゃんとおそろいがよかったのです――放課後のチャイムが鳴るのを待ちました。
ピーンポーンパーンポーン
そのいかにも電子音らしいチャイムが鳴ると私は即、お兄ちゃんの元へいけるように荷物を片付けます。
なにやら友達と誘い合って遊びに行く人がいると聞いたことがありますが、私にはそんな予定を入れる暇はありません。最優先でお兄ちゃんの待つ我が家へ帰ります。
靴箱になにやらハートマークの付いた封筒が入っていましたが近くの自販機併設のゴミ箱に放り込んでさっさと靴を履きました。一体何の手紙だったかは不明ですが、少なくともお兄ちゃんから出ないことは分かります、なので即ゴミ箱行きが確定しています。
お兄ちゃんからだったらどんなに嬉しくってワクワクしながら封筒を開けたでしょうか? それ以外の他人からどんな感情を抱かれるかに興味は無いというのに、何故か、お兄ちゃんに限ってそういうことをしてくれないのは少しだけ残念です。
私はそんなくだらないことに費やす時間も惜しかったことを思い出して、靴を急いで履きます。ああ、愛しい愛しいお兄ちゃん……一体今日は何をしましょうか? それは決まっていませんがただひとつ言えることは……お兄ちゃんがいればそれだけで十分私は満足できると言うことです。
いつも通り、私は軽やかな足取りでお兄ちゃんの待つ家へと帰っていくのでした。




