くらくらするような懐かしさ
「えっ、そっち選ぶのか?」
俺の英断も虚しく、返ってきたのは困惑の声だった
「え、はい。」
「いや、もっと異世界ロマンスとか求めるじゃろうに」
「いや、異世界とか行って怖い思いしたくないですし・・・」
もちろん嘘である。
俺だって異世界には憧れる。
しかし、かの年頃のトラウマが俺には強く焼き付いている。
「そうか、、わかった。達者でやるんじゃぞ」
「誰だかわかんないけど、ありがとう」
どうやら話はついたようだ。
これでようやくこの冴えない暮らしからも脱……
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「ちょっと山口くん!?大丈夫???」
そこには見覚えのある…
「え、おお…」
「自分のことわかる?」
「…山口鉄平」
そこには懐かしい光景が広がっていた。
目の前にいるのは俺が年中の時の先生だろうか
そしてここは
「幼稚園…?」
目の前には懐かしの幼稚園の光景が広がっていた。
「山口くん滑り台から落ちたのよ?」
周りには心配そうな、好奇心に駆られた様子の園児が集まっていた。
どうやら本当に幼少期に戻ってしまったらしい。
「大丈夫そうね、気分が悪くなったら先生に言ってね」
先生のその一言を合図としたかのようにどうやら昼休みらしい園児たちは散っていった。
「どうなってんだ」
正直意味がわからないことが立て続けに続きすぎて自分自身訳がわからない。
胸元のワッペンの色から察するにどうやら年中の幼稚園児になってしまったらしい。
体が軽い。
頭痛がしない。
子供の頃ってこんなんだっけか。
正直記憶とのギャップに驚いている。
俺はおもむろに近くにある縄跳びを手に取った。
「いてっ」
やっぱり昔できなかったことは、戻ってもできるものじゃないらしい。
そんなこんなで体の具合を確かめているうちに昼休憩終了の音楽が流れて、園児が解散していく。
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確か、もも組だっけ
セピア色の記憶の中から必要な情報を引きずりだす。
幸いにも、みんな胸元にワッペンをつけているため名前には困らなかった。
と、思っていた。
「じゃあ、隣の子とペアを組んで、絵本を読みましょう!」
その合図とともに隣同士でペアを組み始める。
俺のペアは、おお、懐かしい。中学まで一緒だったが高校で違う学校に行ってしまった永田という女子だ。
「永田、か、どの本読む?」
俺は努めて年相応の言葉と笑顔でそう話しかけた。
「え?なんで今日は上の名前で呼ぶん??」
しまった。盲点だった。
幼稚園内では下の名前で呼ぶというルール?というか風習があった。
そして俺は
「い、いや??たまたまそういう気分…だっただけだよ?」
なんと、下の名前を覚えていなかったのである。
そりゃあそうだ。
下の名前で呼ぶのなんてせいぜい小学校低学年までであり、そのあとは苗字呼びで、しかもその記憶が直近の記憶ときたならば思い出すのは困難である。
「なんか変、ちゃんといつもみたいに呼んで?」
ちゃんとってなんだろう。子供特有の言い回しにもいつもの捻くれた見方が出てしまうのはよろしくない。大人に毒されたとはこのことだろう。
しかし、俺は永田のカバンの名前欄が目に入った。
「あー、ごめん夏海。」
勝った。俺にも主人公っぽいことができるもんだ。
自分の機転の効きはやはり恐ろしく良い。
大人なめんなよ
そう愉悦に浸る間もなく
「いや、いつもあだ名じゃん」
盲点だ。確かに名前をそのまま呼ぶことは至って珍しい。
しかし、あだ名を推察するのはこれまた困難を極める。
単に名前からのあだ名、例えば〇〇ちんなどは想像に容易いが、上の名前と下の名前の組み合わせや、その子のエピソードによるあだ名であれば推察は困難を極める。
どうしたことか…
しばらく黙りこくっていると
「もしかして、なつの名前忘れたん?」
もらった!子供は一人称を自らのあだ名にする場合がある。
今回ばかりは厳しい戦いだった。
俺は勝ち誇ったように
「あー、ごめんなつ、忘れてないよ?」
「うち、なっちゃんって呼ばれとってんだけど」
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些細な問題はあったものの、滞りなく絵本は読めた。
正直園児の言葉に合わせることが非常に疲れた。それに尽きるのだが。
しかし、こうも真新しいことが続くと流石に疲れてしまう。
恒例の「先生さようなら、皆さんさようなら」
をして、園の正門から出ようとすると
「ちょっと、山口くん?お母さんまだでしょ?」
思い出した。
この園では一人で帰宅することが許されていない。
必ず親を待たなければならない。
当たり前と言えば当たり前とも言えるその制度、しかし俺は毎回暇を持て余していた。
教室一つを使ってアニメの上映会(録画)が行われてはいたが、そのアニメは大抵興味のない戦隊アニメで、俺はいつも秒針と睨めっこをしていた。
「本でも読むか…」
当時は本なんて絶対に読まなかったが、今はそっちの方がマシに感じられる。
無理もないだろう。孤独なブラック企業勤めのサラリーマンがいきなりこんな環境に飲まれればそれは絶対に疲れるdろう。
安いチューハイでも飲みたい気分だが、そんなことをしたらワンチャン死ぬ。
こうして、考えながらふた教室隣の図書室に行き着く。
「なんじゃこりゃ」
久しぶりに見た図書室にはものの見事に絵本しかなかった。
そりゃそうか。ここは幼稚園だ。
しかし、先客がいた。
「お、おう」
俺が上擦った声をかけるが、彼は全く反応をせずに食い入るように恐竜の図鑑に見入っている。
俺は彼のことを覚えている。
彼は中学校受験をして、県内でも随一の私立中学に進学した。
そのあとは知らんが、きっと勤勉な彼のことだ、良い人生を送ったことだろう。
しかし、本当に面白い本がない。
勉強しようにも、いくら低学歴の俺と言えど、アルファベットの読み方も、小学校低学年程度の漢字も流石に読める。
唯一勉強が必要と感じたのは
「クラスメイトの名前…」
そう、長年の記憶の蓄積に埋もれて、中学が同じだった人以外の名前をほとんど覚えていなかったのである。
懐かしい名前が散見されるその名簿を眺めているうちに時間は過ぎていった。
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「山口くん、お迎えが来たよ」
ああ、懐かしいこの感じ。
「はーい」
精一杯子供っぽく。ここしばらくのポリシーになりそうだ。
車に詰め込まれる。
懐かしいチャイルドシート。そして後部座席の左っ側。定位置である。
「今日はどうだった?」
これも定番の質問である。
なんて答えて良いか、答えあぐねるな
「楽しかったよ」
そんな無難な言葉を返す。
そうしていたら、車はわずか1500メートルの距離を走り切駐車場に入る。