実精霊トリアイナ-5
「えちょ、何?ガンダルフくん以外は初めましてっしょ?アタシなんか変なこと言った?」
どうやら本気で言っているらしい。アオイたちは顔を見合わせて困惑した。
「あー、そのだな……」
代表して、ダンテが昨日の出来事をランファに話して聞かせる。全容を聞いたランファは瞠目した。
「は、何それ。マジでアタシ?カンジ悪すぎじゃん」
「だから実に驚いているよ。昨日とは雰囲気が大違いだ」
ダンテも彼女の反応で毒気が抜かれたようで、どこか警戒していた様子もすっかり失せている。その話を黙って聞いていたロイが静かに手を上げると、そこに視線が集まった。
「──ありがとう。ほぼ間違いなく、アビスの呪術師による精神捜査の類でしょうな」
穏やかでありながら“慣れ”を感じさせる物言いに、生徒たちの表情が緊張に固まる。ランファはおそるおそる口を開いた。
「でも、アタシそういった類のものは基本的に触りたくないから……近づいてもないよ。ロイ先」
ロイは頷く。その顔はいつしか、誰もが見たこともないほど厳しい表情に変わっていた。
「ええ。だからこそ、アビスというものは恐怖と侮蔑の対象とされたのです。警戒心の強く、強力な使い手であるからこそ、やつらは手足として欲する。正当な努力を嫌い、外部戦力を誑かし、世を乱す。わかりやすい悪です」
「……確かに、戦力はそのままに心変わりするんだから、厄介この上ないな」
アルマは昨日、ランファに負わされた怪我の跡を無意識に撫で、呟く。アオイもダンテも、そしてランファも思わず口を噤んでしまった。
自分の話を聞く生徒の表情を見てハッとしたロイは、少し申し訳なさそうに咳払いする。
「こほん。おそらくですが、普段とは異なるなにかを経験しているはずです。気にかかっていることは覚えていませんか?」
「…………」
顎に手を添え、唸り始めたランファをよそに、アオイは未だ手に持っていたスーツを地面に広げてみた。やはりどこをどうみても、アオイの知る大人たちが来ていたスーツと柄違いのものにしか思えない。
「ん?」
じっと見つめていたアオイは、直感的な違和感を覚え、ワイシャツをうっちゃると、スーツの袖口に手を伸ばした。ほつれているように見えるが、すこしずらすだけで元通りになる。不思議に思ってずらしては戻し、をしていると、アオイは手に何かが付着したことに気が付いた。
慎重に指先を観察すると、肌色にほど近い粉がくっついている。アオイはしばらく悩んだのち、それを口に持っていこうとした。
「待ちなさい!」
腕を掴まれ、アオイは硬直したが、ロイが白いハンカチでその粉が付着した指を丁寧に拭う。同時に、ランファが臭いを嗅ぐように鼻を動かした。
「あれ、アタシどっかでこのニオイ嗅いだ」
「……なるほど。合点がいきました」
ロイは粉の付いた面を内側にしてハンカチをたたむと、スーツからアオイたちを遠ざけ、一瞬でスーツとハンカチを氷漬けにする。
「今の粉末は興奮剤と微量の媚薬を混ぜ込んだものでした。舐める前でよかった」
ロイは心底ほっとしたように言うと、氷漬けのスーツとハンカチを浮かせた。
「加えて極めて高い揮発性を有していました。おそらくはなにがしかの方法で粉末に接触させ、発汗や水を付着させることで発動する時限式の催眠罠でしょう。性格もたちも悪い代物です」
そう言われて、ランファの中で点と点が線で繋がる。
「──あの時のゴーレム使い!」
ランファが咄嗟に触れた、暴走ゴーレムの時の魔導書。単純な魔術式の筆記ミスによって起こされていたはずの暴走だったが、今にして思えばランファにはいくつもの疑問点が浮かぶものであった。
魔導書を経由した召喚ならば、最悪魔導書を手放してしまえば魔力の供給自体が途切れるのだ。加えて、おあつらえ向きに用意されていたミスそのものが、考えてみれば単純すぎていた。
(アタシのミス──)
「あっ!」
不意に上がった声に、ランファは身を縮こませる。
「何、アルマくん」
「いや、今の吸い込んじまったんなら俺らやべえんじゃねえのか!?」
顔を見合わせた男子を見て微笑んだロイは、懐から雫型の容器を三つ取り出した。
「これは鎮静作用のあるアロマです。今日は君たちは部屋に戻り、この香を使って休養しなさい。身体への負担よりも、魔力の乱調が深刻です」
そう言ってダンテに一つ、ランファに一つ、アオイとアルマに一つ、という組み分けでアロマを渡す。
「授業に関しても私が後で手配します。あとは我々教師に任せ、今はゆっくりおやすみなさい」
有無を言わせぬロイの気迫に、四人はただ頷いて寮の自室に向かうほかなかった。
「──って言われてもなあ。正直色々気になりすぎて眠れねえよ」
アロマを言われた通りに設置しながら、アルマはぼやく。アオイもベッドに身体を横たえていながら、眼が冴えているのを実感していた。
「お話しようよ。きっと横になってるだけでもいいはずだもの」
アオイの提案に、それもそうだとアルマはベッドに身を投げる。
「俺を探しに来てくれたんだっけ?」
ぽつぽつと、アオイは朝からの出来事を語りだした。しかし、二言も満たないうちにまぶたが耐え難い重たさに変わる。
「それで、大変、だったんだ──」
言葉はいつしか寝息へと移ろい、静かな呼吸が二つ、部屋の中で繰り返された。
その様子をうかがっていたロイは、音を出さないように戸を閉める。廊下を振り返れば、どこか呆れたような顔のイミナが歩いてくるところだった。
「ああ。ご苦労様です。どうでしたか?」
「当然何事もなくゆっくり眠っていました。疑うのは良いですけど、心臓に悪い言い方は改めてください!生徒たちの中にアビスのやつらが──」
「いえ。いますよ。必ずどこかに」
イミナは少し悲しそうな顔をする。ロイの瞳は怒りに染まっていた。
「やつらは……そういう連中です」