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第5話 彼の過去

とある日の午後、私は家族から来た手紙を読んでいた。内容は、私を案ずる文章や、早く帰ってこいだとか、縁談の準備を進めているとかそんな感じだった。

私は返事を書くため、筆を取り、考えた。

正直、帰りたくないと言えば嘘になる。時々故郷が懐かしくなるし、愛する家族の元にも顔を出したい。上の姉様たちは嫁に行ってしまったらしいから、みんなに会うのは難しいかもしれない。

それでも、私は、帰りたい。でも、そんなの彼が許さないだろう。それに、私は彼の元を去りたくない。あれから、私は毎晩のように彼の生贄となり、別の意味で食べられた。私は、別の意味がどんな意味なのかを嫌でも理解した。でも、それは決して嫌なことじゃなかった。本来の意味でも彼になら食べられてもいいとさえ思った。

この生活は、いつまで続くのだろうか。彼との関係は、いつまで続くのだろうか。

分からない。けど、私は変化を求めると同時にこの幸せがこのままずっと続けばいいとも思っていた。


「しばらく戻ってこない」


そんな歪な幸せのカタチは、唐突に終わりを告げた。


「どういうこと? もうずっと戻ってこないの?」


「いや、また戻ってくる。でも帰りがいつになるか分からない」


「そう」


虚無。私の心は、ぽっかりと穴が空いたように痛んだ。そして、それが塞がることは無かった。


「元気でね、さようなら」


それから程なくして彼は行ってしまった。彼がいなくなった後の屋敷は、前にも増して広く思えた。私は彼が帰ってこない間、1人でいくつもの夜を越えた。私はいつぞや彼がくれたジャスミンの花に触れた。花を見るだけでこみ上げてくるものがある。それは、愛しさと涙だった。


そっか、私、彼がいなくて寂しいんだ。どうして寂しいかって? それは、彼を愛していたから。虚無、喪失感、愛しさ、それらの感情がぐちゃぐちゃになって私の心の平穏を乱した。


私、馬鹿ね。悪魔を愛するなんて。敬虔な信者であるお母様が知ったら卒倒するかしら?

でもそれって、悪いことなの? 世の中、本物の悪魔よりも悪魔らしい人間なんてたくさんいるじゃない。私、最初の方は彼が怖かった。でも、彼と一緒に過ごして、優しさのかけらに触れていくうちに、いつの間にか彼のことを愛していた。

未だに、彼の素性は分からない。でも、私は、何でもいい、悪魔の彼も、騎士だった彼も、全部ひっくるめて好き。


だから、彼の秘密を知りたい。開かずの扉は未だに開けていない。彼は開けたら死ぬと言っていたが、それは私に見られないための方便だろう。じゃあ、そうまでして私に隠していることって一体なに? あの部屋の中には、おそらく私に見られたくない、或いは隠しておきたい何かがある。

例えそれが自滅への扉だとしても、私は知りたい。彼が好きだから、彼の全てを知りたい。


私は、髪に飾っているジャスミンの花をそっとテーブルに置き、鍵の束を掴んだ。三階の廊下の一番奥にある部屋の前に向かうと、鍵を開けた。扉を開いた瞬間、物凄い熱気が出迎えた。


「うっ…!」


部屋の中は真っ赤な炎が吹き出していて、大勢の焼けただれた人々が苦しんでいた。

私は思わず手で口を覆った。あまりにも凄惨な光景だった。彼らは、皆、悪魔の生贄になった人なの? だとしたら、彼はやっぱり悪魔だったのね。


「…あれは…?」


私は炎の向こうに扉のような物があることに気付き、目を凝らした。そういえば、部屋の中は業火が燃え盛っているというのに、先ほどから全く熱さを感じない。私は変だと思いつつも、部屋の奥の扉に近付き、手をかけた。その瞬間、炎も、苦しんでいた人々の姿も突然消えた。私は驚いて目を瞬いたが、まるで最初から何事も無かったかのように、ただ普通の部屋に戻っていた。


「幻覚、だったの…?」


私は不可思議な現象に首を傾げたが、これ以上考えていても分からないものは分からない。さっさと奥の扉を開けた。鍵は掛かっていなかった。

二つ目の扉を開けると、小さな部屋が続いていた。物などもほとんどなく、部屋の中央に古びた椅子があり、その上には分厚い本が乗っていた。

本の表紙には古代語が刻まれていた。


「グリモ…ワール…?」


私は当然本の中身が気になり、表紙を捲ってみた。中は古代語の文章で埋め尽くされていた。貴族として、古代語の勉強はしていたので読めなくはないが、普段あまり使わないため解読には時間がかかる。それに、面倒くさい。私は適当にページを捲った。


「ふーん…イ・セッテ・ペッカーティ…七つの…罪…? …ペッカート・ディ・イーラ…イーラ!?」


その時、突然窓もないのに嵐のような風が吹き荒れた。私は思わず、目を瞑った。


「え…?」


目を開くと、先ほどまでいた狭い部屋は消失していて、全く別の光景が広がっていた。


「おめでとうございます、元気な男の子です」


「良かったわ、男の子で。至急、旦那様に…連絡を」


それは、誰かの出産シーンだった。部屋の中にベッドがあり、女の人が横たわっている。横には助産師と思わしき女性がたった今取り上げたばかりの赤ん坊を抱いていた。


「なにこれ、誰かの屋敷なの? …ちょっと、ここはどこなの?」


私は適当に手が空いてそうな人に詰め寄り、問いかけた。ところが、全く目が合わない。というか、認識されていない。私は試しに近くにある物に触れてみた。ところが、奇妙なことに全く感覚がない。物も動く様子はない。


「誰かの、記憶…?」


まるで、神目線で誰かの記憶を覗いているようだった。プライバシーも何もあった物ではない。

まもなくシーンが切り替わった。


「あなたの名前はファディよ。家の名に恥じない、立派な騎士になりなさい。」


先ほどの母親らしき女性が乳母に抱えられた幼子に向かって話していた。彼女の着ているドレスの型が異様に古いのが気になった。流行遅れとか、そういったレベルの古さではない。1、2世紀は昔のドレスだった。

これが誰かの記憶だとしたら、その人はとっくにこの世にいないだろう。


私がドレスに気を取られている間にもシーンは続いていく。


1人の可愛らしい男の子が、庭園の影でしくしくと泣いていた。私はあまりに彼が寂しそうで、意味がないと分かっているのに一歩踏み出そうとしたその瞬間、


「そんなところでなにをしているの?」


物陰から女の子が現れ、私は思わず息を呑んだ。ブロンドの髪、可愛らしい顔立ち、サファイアのような瞳、どこをとっても、私が幼い頃に瓜二つだったからだ。まるで鏡越しに自分の姿を見ているみたい。


「だれだ!?」


男の子が女の子の存在に気付き、驚いたように振り返った。


「ふふっ、わたしはジェルソミーナよ。あなたは?」


ジェルソミーナ…私は心臓がどきっとした。


「わたしは…ファディだ」


ファディ、さっきの男の子ね。それにしても、なんというか彼の顔には見覚えがある。どこかで会ったことのある人? いや、しかし、こんな昔の人に会っていたはずもない。


「そう、ファディね。ねぇ、どうしてさっきから泣いているの?」


「なっ、お、わ、わたしは泣いてなどいない!」


「ふふっ、これ、貸してあげる」


ジェルソミーナはファディに白い絹のハンカチを渡した。


「いらない!」


しかし、ファディはハンカチを突き返した。


「…そう」


ジェルソミーナは悲しそうな表情で手元にあるハンカチを見つめた。


「わたしもね、たまに泣きたくなる時があるの。おべんきょうが嫌で、逃げ出したくなる時もある。そういう時はね、1人でここに来て気が済むまで泣いているの。今日は先客がいたけどね。だから、泣きたい時は泣いたっていいのよ! 」


「りっぱなきしはなかない」


「そうね、でも、今は2人しかいないのよ? ここでどれだけ泣いたって誰にもわからないわ。大丈夫、あなたが泣いてたってことは誰にも言わないから! 2人のひみつよ!」


「ほんとうに?」


「ええ! だから、ほら、このハンカチ、貸してあげるわ」


「…ありがとう」


今度は素直に受け取り、ファディはそっと目頭を押さえた。


それからも2人は度々同じ場所で会っていた。ファディは、ハンカチを返そうとしていたが、中々言い出せずに結局自分で持っていた。


「なにぃ、ジェルソミーナ王女と結婚したいだとぉ!?」


「えっ」


そこには、成長し、少年になったファディと彼の父親らしき人物がいた。父親は憤慨し、拳でテーブルを叩いた。テーブルに亀裂が走った。


「ジェルソミーナ…王女?」


「そうだ。ジェルソミーナという名前の金髪の少女と言えば、王女様しかいないだろうが! この馬鹿息子が!」


「そんな…」


ファディはショックを受けたように崩れ落ちた。やはり、彼の顔には見覚えがある。それも、ごく身近にいる人。彼はどことなくイーラに似ていた。多分、イーラによく似た別人だとは思うが。


「まあ、王女様と結婚するのは無理だが、騎士としてお側でお仕えすることはできるぞ?」


「本当ですか?」


「ああ。王女様の剣となれば、一生お仕えすることができる。ただ、王族の剣は強い騎士しか選ばれない」


「…!」


ファディの瞳は希望の色で満ちていた。


また場面が変わった。


「久しぶりね、ファディ。早速だけど、良い知らせと悪い知らせがあるのよ。どっちから聞きたい?」


成長し、少女となったジェルソミーナが騎士服を着たファディに語りかけていた。やはり、彼女は私にそっくりだ。


「あなたのお望みのように」


「そう。じゃあ、良い知らせからいくわね。ファディ、あなたを私の剣に任命するわ。正式な儀式はまだだけど」


ファディは驚きに目を見開いた。


「それとね、もう一つの知らせは」


ジェルソミーナは顔を曇らせた。


「私、ロンドラ王に嫁ぐことになったのよ。それで、あなたをロンドラに連れて行きたいの」


「そう…ですか。ご結婚、おめでとうございます。」


ファディは複雑な表情で祝辞を述べた。


「ありがとう、ファディ。」


ジェルソミーナも、浮かない顔をしていた。


舞台はロンドラに移った。ジェルソミーナは、ロンドラ王に嫁いだ。ファディは、彼女の騎士として、常に彼女の側にいた。


「ジェルソミーナ、余の妃としてそなたの役割はただ一つ、余の跡継ぎとなる立派な男児を産め。それ以外は何も求めぬ」


「…分かりましたわ。」


「では、行くぞ」


ロンドラ王はジェルソミーナを伴って寝室へ向かった。彼は、彼女のことをただの道具としてしか見ていなかった。


数年経ち、大人びた姿のジェルソミーナとファディが部屋で話していた。


「ねぇ、最近、シャトランジというゲームが流行っているそうよ。やってみましょう」


私は息を呑んだ。見覚えのあるシャトランジの盤がテーブルに繰り広げられ、2人は対局を開始した。


「私がロンドラ王に嫁いでから3年経ったわ。でも、子供ができないの。」


ジェルソミーナは自身の苦労を吐露した。


「私が何て呼ばれているか知ってる? ストラニエーラの石女」


「陛下、おやめください。あなたがそんな誹謗中傷を気にする必要はありません」


「そうね。でも、事実よ。私は子供ができない。そればかりか、最近…」


彼女は少し言い淀んだ。


「どうかされたのですか? 安心してください、あなたに降りかかる火の粉は全て払い退けます」


「ありがとう、とても頼もしいわ。でもね、これはあなたがどうにかできることではないかも」


「どういうことですか?」


「あなたも面識があると思うけど、私の侍女のジョヴァンナが…陛下の寵愛を受けているという噂があるの」


ファディは駒を取り落とした。


「それは、まことですか?」


「噂話よ。でも、限りなく真実に近いと思うわ」


「それは許せないですね。陛下を差し置いて、そのような女に…!」


「許せないのは私も同じよ。でも、珍しい話でもないわ。」


「それは…そうですが、でもやはり、陛下を傷つけるのは見過ごせないです」


「私は大丈夫よ。そのくらいで凹んだりしないわ。…あっ、シャーマートよ、ファディ。私の勝ちよ」


「はは、負けました。」


「ねぇ、シャトランジって、負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞かなきゃいけないそうよ?」


ジェルソミーナは悪戯っぽく微笑んだ。


「別にゲームの勝敗関係なくあなたの言うことなら何でも聞きますけどね」


ファディはボソッと呟いた。


「まあまあ、せっかくゲームしたのだから…」


「それで、何をお望みですか?」


「…そうね。ずっと、私の味方をしていてほしいのよ。何があっても、私の味方でいて、私を守って」


「…もちろんです。」


また場面が切り替わった。ファディは、重厚な扉の前にいた。


「何の用ですか?」


扉の前に立っていた門番が問いかける。


「王妃様に面会に来ました」


「今はだめです。」


「なぜですか? 私は陛下の騎士です」


「例え陛下の騎士であってもここを通すなと申しつかりました。」


「…なぜ?」


「それは我々にもわかりません。とにかく、今はお引き取りを」


ファディは不可解な表情をしながらもその場を立ち去った。


それから、様々な噂が王宮内を駆け巡った。


「陛下、王妃様の侍女に手出したらしいよ」

「ストラニエーラの王妃様、陛下に相手されないからって浮気しているらしいよ」


「浮気、だと? まさか、陛下に限ってそんなことするはずがない!」


ファディは噂の真相を確かめようとジェルソミーナに接触を試みた。しかし、なぜか彼女は会ってくれなかった。

日に日に大きくなる噂。ファディも、いつの間にか疑念を抱き始めていた。


そんな中、ついにジェルソミーナは姦通罪で牢獄に入れられた。彼女の貫通相手とされている人物は処刑された。


「お願い、ファディ。私を助けて。私は、冤罪よ、このままだと処刑されるわ」


ジェルソミーナは牢獄の中から必死に懇願した。


「陛下…いや、ジェルソミーナ、ならなぜ、私を拒絶した? やましいことがなければそんな事はしないはずだ」


「それは…今は言えないわ」


「話にならない。私は、あなたがそんな人間だとは思わなかった。…全ては自業自得だ。あなたに手を貸すなどあり得ない。…この、◯◯が」


ファディは、口にするのも憚られるような言葉で彼女を貶めた。ジェルソミーナは、絶望した表情になった。


「そう、それがあなたの答えなのね。…いいわ、あなたは、私のことなど忘れてこれからは自分のために生きてちょうだい。私からの、最期のお願いよ」


「…言われなくてもそうする」


それから、まもなくジェルソミーナの死刑が実行された。ファディは、遠くからそれを見ていた。彼の頬には、涙が光っていた。


どうして、ファディはジェルソミーナを助けなかったんだろう。


彼女の刑が執行された後、ファディの元に一通の手紙が届いた。それは、ジェルソミーナの遺書だった。


「俺は…大馬鹿者だ。なぜ、気が付かなかったんだ。ジェルソミーナは、殺されたんだ。世継ぎを望んだロンドラ王の筋書き通りに、冤罪を押し付けられて、処刑されて、今日、ロンドラ王は彼女の侍女だったジョヴァンナと結婚式を挙げる。…ジェルソミーナは、気付いていたんだ、ロンドラ王の謀略に。だから、それに巻き込むまいと俺を遠ざけた。なのに、俺は…! 彼女を疑い、彼女を信じられず、彼女を助けなかった。」


ファディは、静かに怒っていた。


「許さない、ロンドラ王も、ロンドラ王国も。そしてなにより、彼女を信じられなかった自分に一番怒っている。潰してやる、王国も、全て!」


『怒ってるの? ねぇねぇ、そんなに怒ってどうしたいの?』


その時、彼の背後にジェルソミーナの姿をした何者かが現れた。


「誰だ」


『うふっ、私は憤怒の悪魔そのものよ。今は仮の姿だけどね』


「…何をしにきた」


『契約を持ちかけにきたの。あなたの復讐を手伝ってあげる。その代わり、あなたの中に宿らせてもらうわ』


「どういうことだ」


『私たち悪魔は、すごく強い力を持っているけど、実体がないからすごく弱いの。だからね、こうやって、人間の心に取り憑くと強い力を発揮できるのよ』


「なぜ、お前たちは存在している」


『悪魔はね、元々人の心に住んでいるのよ。人々は心の中で悪魔を求め、彼らに求められている限り私たち悪魔も存在し続ける。ねぇ、いいの? このままじゃあなたの好きな王妃様を貶めたクズ王は好きな女と結婚して、幸せになるわよ? そんなの、許せるのかしら?』


「…許せない。王国も、クズ王も、全部壊す。そのためなら、悪魔とだって契約してやる!」


『うふっ、契約成立、ね。全く、この世界は残酷ね』


ファディは、悪魔の力を使って結婚式をぶち壊し、王国ごと抹殺した。


『あなたは代償を支払わなければならない。悪魔の力を使い、人間と契約し、罪を償わなければならない。さもないと、あなたの好きな王妃様は輪廻の輪に入れず、永遠に地獄を彷徨うことになる。』


「…分かった。罪を、償う」


それから、憤怒の悪魔となったファディは何年、何十年、何百年にも渡って罪を償う贖罪の旅を続けた。

明日か明後日完結します

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