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第4話 シャトランジ

私は、暇を持て余していた。この無駄に広い屋敷にいても、やる事がない。書庫などは一通り覗いてみたが、古い本や外国の本が多く、ほとんど解読できなかった。普段は流暢に話しているが、彼は本当はどこの出身なんだろうか。今度聞いてみようかな。

他は、庭で鍛錬したり、部屋で筋トレもしていたが、やはり彼が帰ってくるまで時間は余る。

そうだ、冒険してみよう。私は鍵の束を見て思い付いた。


この屋敷であまり調査が進んでいないのは、彼の生活エリアだったりする。あとは、開かずの扉か。何となく人の部屋に勝手に入るのはあまり気が進まなかったが、彼は自由にしていいと言ってたし、少しくらい平気だろう。と勝手に納得し、私は彼の部屋に侵入した。

彼の部屋に入るのはこれで二度目だ。一度目は、彼を暗殺しに行った時。二度目は、彼に連れ戻された後、尋問された時。

彼の部屋は相変わらず無機質で、物が少なかった。あまり面白そうな物も無さそうだったが、一応ガビネットも確認した。


「なにこれ」


よく分からない書類の束、無造作に置かれた荷物の下に、それはあった。


「シャトランジじゃない!」


シャトランジとは、古くからあるボードゲームで、社交界でもたまにブームになる。私もよく家で父とやっていた。なんだか、無性に懐かしい気分になった。

しばらく使っていないのか、シャトランジ自体は埃をかぶっていた。私は丁寧に埃を拭くと、彼の部屋から持ち出した。

シャトランジは基本的に相手がいないと成り立たない。というわけで、私はアッチェリアを誘ってみた。しかし、


「なにそれ、見たことないわよぉ。…ルール? そんなの、知らないわぁ。覚えるのも面倒くさそうじゃない…」


全く応じてくれなかった。やはり、彼を誘うべきなのか。しかし、おかしな話だ。現在、この屋敷に住んでいるのは、彼と私、メイドのアッチェリアしかいない。彼がシャトランジを所有していたということは、相手がいたはず。アッチェリアはルールが分からないと言っていた。とすると、彼は誰とプレイしていたんだろう。この屋敷に人が訪ねてきたことはない。埃のつき方からして随分昔のようだけど、昔は友達がいたんだろうか? それとも…いや、考えても仕方がない。あとで彼に聞いてみよう。


---


「イーラ、一緒にシャトランジやろうよ!」


私は早速彼を誘ってみた。


「…どこから引っ張り出してきたんだ…まあいい、付き合ってやる」


「やった!」


私は彼を自室に引きずり込むと、机の上にセットを並べた。


「ただ普通にプレイするだけじゃつまんないから、何かルールを決めよ! そうだ、負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞くってどう!?」


「別に構わないが」


「決まりね! 私が勝ったら何でも言うこと聞くのよ!?」


言ってはみたものの、彼に何を命じるかはまだ決めていない。


「逆も然り」


「うっ、それはそうだけど…。」


もし、私が負けたら彼は私に何をさせる気なのだろうか。


「と、とにかく、始めるわよ!」


駒が動く音が響き渡る。彼は、なんというか、慎重に様子を伺い、守りに入っている感じだ。


「ねぇ、前は誰とプレイしてたの?」


私はずっと気になっていたことを質問した。


「どうしてそんなことを聞く?」


「だって、気になるじゃない! アッチェリアはルール知らないって言ってたし、相当年季が入ってたからかなり昔のことだと思うけど、あなたが一体誰とプレイしていたのか。」


厳密に言えば、彼がゲームをするほど仲が良かった人が誰なのかを知りたい。

会話を続けながらも駒は動いている。


「…昔、仕えていた人だ。」


彼の過去の断片が見えてきた。それにしても、彼が誰かに仕えていたというのはかなり意外だ。


「へぇー、悪魔って人間に仕えるんだね! それも、契約だったの?」


「契約といえば契約だが、悪魔としての契約ではない。人間だった頃の話だ」


「え! イーラって元々人間だったの!?」


「もちろん。」


私は多分、この屋敷に来てから一番驚いた。まさか、彼が人間だったなんて。


「それは驚いたわ。てことは、私は元人間に向けてナイフを放ったことに…うっ…」


私は持っていた駒を取り落とした。そうじゃない、私はこの人を暗殺しかけた。悪魔とはいえ、元人間を殺そうとしていた。


「リア、あまり気にするな。今の私は憤怒の悪魔。例えリアが殺したとしても、罪には問われない」


「そういう問題じゃないのよ。でも、あなたが気にしてないのならいいわ」


しかし、思えばラクーザではそれは普通だった。毎日、様々な理由で人が死んでゆく。流石に私が手を染めることはなかったけど、私と関わっていた人たちも、裏ではそういったことに関わっていても不思議ではない。今回は、たまたまちょっと片足を突っ込みかけただけ。私は気を取り直して駒を拾った。


「ファラス、騎士ね。そうよ、騎士よ。あなたは、騎士だったの? そしたら、あの剣の強さにも納得できるし、キングに仕えていたかもしれない」


私は手元の駒を見て急に思いついた。確かに、彼が騎士だったと仮定すれば、彼の振舞いや醸し出す高貴な身分の者の雰囲気にも納得がいく。


「そうだよ。でも、俺が仕えていたのはクイーンだ」


彼は、悪戯っぽく微笑んだ。


「やっぱり…! あれ、でも確かクイーンって…」


我が国の王妃様はご高齢で、ここ数年は病に伏せっておられると聞いた。とてもじゃないが、シャトランジなどのゲームができる状態にあるとは考えづらい。それに、彼は若い。まだ王妃様が元気だった頃に遊んでいたという線も消えた。


「シャーマートだ、リア。」


「え? …あれ?」


私が思考に耽っている間にゲームは終わっていたらしい。私は何度も盤を見て確認したが、完全にチェックメイト、詰んでいた。やられた。


「…あなたの勝ちよ」


私は悔しいけどそう宣言するしかなかった。


「そうだね。久しぶりにシャトランジをやれて楽しかったよ」


「私もよ。負けるとは思ってなかったけど。まあいいわ、私が負けたから、あなたの言うこと何でも聞いてあげるわよ」


私は仕方なく言った。


「そう。でも、特にやってほしいこともないし…」


「本当?」


別に、何かを期待してたわけじゃないけど、私はどこか落胆した。と同時に、好奇心というか、彼を困らせてみたいという少しの悪戯心が芽生えた。


「…ジェルソミーナ」


私は小声で呟いた。しかし、彼の地獄耳はしっかり私の言葉をキャッチした。


「え?」


「ジェルソミーナ、そう言いながら毎晩私が寝てる時にキスしてることは知ってるのよ」


嘘、本当は毎晩じゃない。あの晩だけ、のはず。


「まさか、起きてたの?」


彼はかなり狼狽した様子だ。いえ、狼狽しているのは私もそう。彼は、毎晩という部分を否定しなかった。


「ええ、そうよ。だからね、今回は特別に、起きてる時に一回だけ私にキスしてもいいわけよ」


彼はルージュの瞳を見開き、驚きを露わにした。


「そう。じゃあ遠慮なく」


本当に彼が近付いてきて、私の唇にキスしようとした。その瞬間、私はありえない行動に出た。彼を、突き飛ばしていた。


「いや! やっぱりこないで!」


私は彼から逃げるように後ろに下がった。自分で自分が分からなかった。


「…リア、ひどいよ。散々自分から煽っておいて、いざ男がその気になったら逃げるなんて。でも、もうだめだ、逃さない。」


彼が迫ってくる。私は後退し続けたが、やがて壁にぶち当たった。もうこれ以上下がれない。私を追い詰めた彼は、片方の手で壁に手をつくと、もう片方の手で私の頭をガッチリホールドした。詰んだ、自分で煽っておきながら、完全に逃げられない。私は最後の抵抗を試みた。


「あ、きゅ、急に用事思い出した! すぐに行かないと」


彼は眉を潜めた。


「ふーん。じゃあ、後で行かせてあげる。今はもっと緊急の用事があるから」


「なによ、緊急の用事って…んっ…!」


彼は抗議する私の唇を無理やり塞いだ。

はじめての感覚に戸惑った。唇同士が触れ合うだけで、どうしてこんなに胸が高鳴るの?

私は目を瞑り、呼吸すら忘れて考えた。こんなに、頭も、心も掻き乱されたことはなかった。

この私の、はじめてのキスを奪うなんて!


「…し、信じられない! いきなり、何すんのよ!」


彼の唇が離れた途端、私は猛抗議した。


「先に誘ってきたのはリアの方じゃん」


「ち、違う、私は誘ってなんか…!」


確かに、キスしてもいいよと言い出したのは私。でも、正直こんなことになるとは思っていなかった。


「負けた方が勝った方の言うことを聞くって、言い出したのはリアじゃん。いいから、大人しくして」


「いやっ…! んっ…!」


抗議しようと再び口を開いた瞬間、彼にまた唇を塞がれた。今度は、より深く口付けられた。

よく絵本でお姫様と王子様はエンディングでキスをする。だけど、その行為の次に何があるかなんて分からなかったし、誰も教えてくれなかった。恋人がいる人はそういう経験をしたこともあるらしいけど、生憎私は恋人などいたことがない。それに、ふしだらな行為は未婚の間はしてはいけないときつく教えられていた。その割に、そのふしだらな行為が具体的に何なのかは教えてくれなかった。私は勝手にキスとか、異性と手を繋ぐとかがその行為に該当するのかと思い込んでいた。でも、ダンスをする時は相手と密着する。しかしそれはふしだらな行為ではない。なのに、異性と長く目を合わせたり、手を繋いだり、キスすることはご法度らしい。正直、意味が分からなかった。キス以上に何かがあるのか。今、彼がやろうとしていることは、その先にある行為なのだろうか。だとしたら、本当はだめだけど、見てみたい気もする。大人たちは、何を見て、何を経験しているのだろう。

でもやっぱりだめ。お父様やお母様の言いつけは守らなきゃ。


「だ、だめ、よく分からないけど、結婚前にふしだらな事をしちゃいけないと思う」


私は無理やり屈み、彼の唇から逃れると、理由を述べて抗議した。


「結婚、だと? だめだ、リアをよその奴の嫁になんて行かせない…!」


「えっ…」


何か、彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか。彼は急に私をかき抱いた。


「リア、リアはずっと俺のそばにいればいい。いや、俺はきっと、リアを手放さない。…手放せない。」


彼は、今までにないほどの執着を見せた。なぜ、彼がここまで私に執着するのかはやはり分からない。


「俺はリアの全てが欲しい。リアの体、心、視線、髪の毛一本に至るまで、全て俺の物にしたい」


執着心に、独占欲。本当に、いつから彼は私に対してそれらを抱くようになったのだろう。


「…じゃあ、奪ってよ。そんなに私が欲しいなら、奪えばいいじゃない! 私の体も、心も、ぜーんぶ! この私から奪えるものなら奪ってみなさいよ!」


あなたにできるものならね。私は、そう簡単に絆されるつもりはない。キスの続きは気になるけど、それは両親の言いつけを破ってまで確認することではない。

理性があれば、衝動は抑えられる。でも、理性が飛んでしまったら。

それは、お腹が空いている時に目の前に美味しそうな料理を出されることに似ているかもしれない。例えそれが毒入りだとしても、空腹に耐えかねれば手を出すかもしれない。飢えて死ぬくらいなら、毒を食らってでも空腹を満たしてから死ぬ。その選択に至るまでの経緯を知りたい。もし、そんな選択をするとしたら、それは一体何がそうさせたのだろうか。そんな選択をさせるほどの強い衝動、動機、欲とは何なのだろう。


「…ありがとう。リアの全て、貰っちゃうよ。」


「え…?」


気が付いたら視界が反転していた。


「ま、まって、何をする気なの?」


「…これからリアを食べるんだよ」


彼は私を痛いほど見つめた。彼の瞳には、情熱の炎が揺らめいていた。


「え、私、食べられちゃうの?」


やっぱり悪魔は悪魔なんだわ! こうやって私をその気にさせて、最後には私を美味しく頂こうってわけね!


「うん。」


「や、やめといた方がいいよ。私なんて食べても不味いかもしれないよ」


私は最後の抵抗を試みた。


「そんなことない。リアは美味しそうだよ。」


彼は完全に捕食者の目をしていた。私は本能的にぶるりと震えた。


「そ、そうかな。」


「うん」


「でも、食べられたらもう二度と会えないんだよ? こうして触れ合うことも、話すこともできなくなる」


「うん? どうして?」


「だって、食べられたら体が無くなっちゃうし!」


彼はしばらく首を傾げていたが、やがて納得したのか、くすりと笑った。


「そういうこと。なるほどね。リア、食べるって捕食するって意味じゃないよ?」


よく分からない。私は首を傾げた。


「じゃあどういう意味?」


そして私は、踏んではいけない地雷を踏んでしまった。


「知りたい?」


私の心は、震えていた。それは未知の感情、欲求、好奇心によるものか、それとも罪悪感か。先に進んでしまったら、もう後戻りはできない。頭では分かっているのに、体は言うことを聞かない。彼を拒絶し、抵抗しながらもどこかで彼に求められるのを望んでいる自分がいる。


今まで生きてきて、はじめての感情だった。未知の欲求に対し、どうやって向き合っていくべきなのかも分からなかった。


私は彼を見つめた。本当に、悪魔なのかと思うくらい綺麗な顔をしている。このまま彼とふしだらな行為に及んでしまえば、親の言いつけに背くことになる。


でも、親は私を売った。私を、この悪魔の元へ送り出した張本人だ。


私は彼の手を取り、自分の手と重ね合わせ、指を絡ませた。


「…うん。知りたい。」

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